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■テレビ、消しますか?

 テレビ・ウオッチ外道が語る戯言集……。


『レッツゴーヤングをもう一度』

 11月7日の土曜特集(NHK)は「スーパーアイドル黄金伝説」。むかしNHKで放送されていた『レッツゴーヤング』の映像素材と、かつてのアイドルたちへのインタビュー、それに久しぶりにNHKホールを訪ねる近藤真彦、というシンプルな構成で、このテの番組にしては珍しく「作り手の妙な熱気」が感じられない番組だった。

 よく居酒屋なんかで同世代のサラリーマンたちが「昔のアイドルは輝いてた」とかって盛り上がってるでしょ。いったい今と何が違うんだろうって、前から不思議に思ってたんです。「昔はアイドルだけが可愛かった」「人気だけじゃなくて実力があった」「いや、時代そのものに熱があったんだ」等々。いろいろ解説されるけど、よくわからなかった。でも、この番組をみて、ひとつ発見がありました。プロしか写ってないんです。画面に。

 ステージの一番前面にいるのは、山口百恵とか、キャンディーズとか、西城秀樹とか、いわゆるスターね。で、その後ろに、川崎真世とか、五十嵐夕紀とか、天馬ルミ子とか、浜田朱里とかの「サンデーズ」が写ってる。でも、彼らもそれぞれが独立して営業してるプロなのね。人気とか実力とかはこの際関係ないの。彼らは世の中に対して自分が歌手であることを宣言して、もはや逃げも隠れもできない立場にいる、少なくともそういう意味での「プロ」ではあった。だからこのNHKのテレビショーの中で、自分がどういう役割を果たさなければならないかを、彼らは自覚しないではいられなかった。だって素人じゃないんだから。素人はステージの上にいることなんて許されない。NHKホールの客席でキャーキャー言ってるだけ。というわけで、NHKのテレビカメラが舞台に向いている限り、画面には「プロ」しか登場しない。そこのところが、今のテレビで失われている、ある種の「緊張感」の内実ではないのか?

 と、ここまで書いて、ひとつ困ったことがあるんです。そう、「スクールメイツ」はどうなるのか。あれはプロか、それとも素人か。これがちょっと微妙なところで、当時の尺度でいえば「ほとんど素人」だけど、現在のテレビ・バラエティ・ショーの基準でいうと、あれをプロといわざるを得ない。むしろ、全ての出演者がスクールメイツみたいになってきている。「いろいろ取り揃えましたんで、お好きなタイプのコを選んでお楽しみ下さい」という仲見世興業システムは、ジャニーズ系以外でも今の主流だ。

 話がわかりにくくなったんで、全然別の例をだします。『志村けんのバカ殿様』(フジ)。志村けん自体は昔とあまり変わってないんだけど、番組の質は以前に比べて明らかに落ちている。僕はその原因が、画面の後ろに写っている「侍女」たちにあると思うんです。伝統的に女性アイドルがその役を演じるのだけれど、最近の侍女はヒドすぎる。「バカ殿のギャグを生かすも殺すも、自分のリアクションひとつにかかっている」という自覚が全くない。完全に素人なのだ。これでは画面に緊張感など生まれるわけがない。歴代の侍女を演じたアイドルで、そういう意味で「プロ」といえるのは、松本典子が最後だろう。

 山口百恵やたのきんトリオのような「スター」は、もはや生まれない。だとすれば、今後も作られ続けるはずのテレビ・ショーのクオリティーを補完するものは、画面の後景を飾る出演者ひとりひとりのプロ意識以外にはない。

 東京ディズニーランドで行われているショーが、なぜ人々の心をつかんでいるかを考えてみればいい。踊っているダンサーがプロだからではない。ミッキーやミニーの後ろで踊る、ドナルドも、グーフィーも、チップとデールも、みんな一度は映画で主役を張ったプロなのだ。その役割を心得たプロ意識と、彼らが「後景を飾っている」という、その層の厚さ、エンタテインメントの贅沢さに、誰もが胸を熱くするのだ。(三浦)



9/17

 ちょっと前に『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日)で「ケンちゃんのその後」をやってたかと思ったら、こないだの『スーパーテレビ情報最前線』(NTV)はキャンディーズの特集だし、次の日FM聴いてたら、「筒美京平大辞典」なんての流してる。どうなってんのかね、最近のメディアの企画会議は?

 しかも、それぞれが演出家の思い入れたっぷりで、「キャンディーズ」なんて、番組の結論が、「駄目モトで三人に手紙を出してみたら、な、なんと当のキャンディーズさまからお返事を頂いてしまいました! キャッ!」という話でした。

 いいのかね、こんなんで?と、言いながら、最後まで見てしまってる俺も俺か…。でもさ、このテの番組って、タイトル見てしまうと、どうしても気になってしまうのね。で、見るんだけど、見たら見たで、何だか寂しくなってしまうのね。なんか期待した分だけ。何なんだろうな、これ。


 それは例えば、おじさん週刊誌に載った杉田かほるとか、由美かおるのヌードを見た時にも感じるんだよな。新聞広告とか、電車の中吊りで『杉田かおるヘアヌード』なんての見た日にゃ、そりゃ誰だって一瞬「お?」と思うじゃない。まあまあ思ったとしようや。そのとき脳裏に浮かぶのは『三年B組金八先生』(TBS)の生徒だったり、『池中玄太80キロ』(NTV)の長女だったり、あるいはもっと前の子役時代だったり、人それぞれなんだろうけど、なんか、しみじみとしたものが去来する訳さ。で、実際にコンビニかなんかで、ドキドキしながら雑誌を開いてみる。

 すると、どうだい?……それだけのことなんだよな、当たり前だけど。「それだけのこと」だと確認しました。で、次の瞬間、何か言いしれぬ空虚さが襲ってくる。でも、それは、ハダカが問題じゃないの。葉月里緒菜の写真集をやっとの思いで手に入れて、とどのつまりが「干しぶどう2つ、写ってました」という空しさとは、本質的に違う。そこに写っているのが、たとえ17歳の杉田かおるであるとしても、いや、だからこそ、こちらとしては、「これ、いま見せられてもなあ」というしかない。

 由美かおるだって同じだ。「だって、もう終わっちゃってるしなあ」だ。女優として終わってる、という意味ではなく、なんか、全部すでに終わっていて、もはやどうにも取り返しのつかないものを見せられてしまった、しかも、そんなものを見る直前までの俺って、間違いなくドキドキ、ワクワクしてた……!!何かさ、呆然と、ガクゼンと立ちつくしてしまって、周囲のコンビニの書棚も何も真っ白にフッ飛んじゃって、もの凄いショックなんだけど、両目は依然として、杉田かおるのデブデブのお腹を見つめたままでした、というような……そういう、つまり空虚さ。

 あの雑誌(週刊ポストだっけ?)、完売したとか、しないとか聞いたけど、ということは、かなりの数の同世代サラリーマンが、同じ気持ちを味わったってことになるよね。なんなの、これは?

 たくさん売れたっていうのも、考えてみれば問題だよなあ。だって想像してみてよ。仮にひとりのサラリーマンがいて、彼は、電車の行き帰りに 読む雑誌をキオスクで買うのを習慣としている。いつもは青年コミックなんだけど、この日に限って『ポスト』 にしてみようかと思う。杉田かおるの17歳ヌードだからね。で、彼はおもむろに財布をあけて、三百いくらの小銭を出し、《ちょっといつもより神聖な気持ちで》ポストを買う……。

 どうです? ありえない話じゃないでしょ。《神聖な気持ちで》ってところがヤバいよね。でも、たぶんそういう特殊な心理作用がなかったら、週刊誌の完売とかってありえないと思う。

 どういうことなの?誰かわかる人、おせーて。(三浦)



9/16

 最近購読しているメールマガジンに、テレビ番組について書いてあったので、私も自分の考えをぶつけてみました。これがその文章です。件のメールマガジンに読者の意見として引用されました。生硬すぎたかな。どう思います?

 『テレビはどこへも行けなくなってしまったのか?』の記事を読んでずっと、同じような疑問を感じていました。というかあまりにも多くの人々がテレビのからくりに気付いているのに、作り手側があまりにも無自覚というか、旧態依然のために何ひとつ変える事が出来ずにここまで来てしまったと言った方が正解でしょう。

 日本のテレビの場合は、何かを伝えることが第一義ではなく、誰かが見たことのある分かりやすい感情的な(時にはセンチメンタルな)お話しにして視聴者に見せるか。これが製作者側の暗黙のコードとなっているために、それから外れるものはみんな排除されるのです。だからどの局も同じ内容だしそれは恥じることではないのです。

 本来、ビデオというメディアには、即時性、同時性、記録性など20世紀を映像の世紀として記憶させる画期的なものだったと思うのですが、日本のテレビはもはや脳死状態だと思います。作り手の意識が若手を含めて、どこかで見てきたテレビの複製を、如何に作るか。その自転車操業しかないのです。これは日本映画の衰退の過程と全く同じ道を歩んでいるとしか思えません。

 同じく危惧することは、あまりにも大きな権力となったテレビの力に無自覚過ぎると思います。ハッキリ言ってテレビに出る人間は、出演が自分のインフォマーシャルと計算して出る人しか今はいません。政治番組も情報番組も同じです。その計算に打ち勝つだけの、毅然としたマスコミとしての態度を求めることは、オウムの時に露呈したように無理な話なのです。誰がテレビがマスコミだと思っているかというと、一部のニュース番組に携わっている人くらいでしょう。

 私自身は、如何にインフォマーシャルを、遠ざけることが出来るかしか、テレビがマスコミとして機能することはないと思いますが、まず無理でしょうね。あまりにも大きなヌエのような第四権力の立場が、この情報社会において完成してしまいましたから。あとは、徐々に邦画と同じ道を歩むのを眺めるしかないでしょう。悲しいことですが。

 長々と書きましたが、テレビに関する疑問は、きちんとウオッチしてくべきだと思います。世論の操作にもなりかねない危険性は、常に含んでいると思うからです。それは作る側のムードでどうとでもなる、ことがありえないではないですから。 (角田)



8/26

 近頃、早く帰って見ているドラマは、小嶺麗奈があんまり可愛く撮れていない、月曜日10時からの『凍りつく夏』(よみうりTV)。ありとあらゆる症例をごちゃまぜにした、ちょっと狙いすぎなドラマ。今のところ次の展開が全然見えない程、救いのない内容。虐待あり、家庭内暴力ありで佐野史郎が段々壊れてきます。ご期待あれ。

 これと並行して見たら興味深いのが水曜日10時45分からの『人間大学 家族の闇をさぐる』(教育テレビ)。講師の精神科医の斎藤学氏は、”アダルト・チルドレン”の紹介者。この春、別件でインタビューに行ったら、「もうアダルト・チルドレンのことは言わない、なんでもそれで解決しようとするから」とおっしゃっていた。この講義はなかなか刺激的で奥が深いです。もう8回ほど続けているのでもうすぐ終わるでしょう。本屋でテキストを購入して読むと、目からウロコが落ちます。現代家族がどうなっているかよく分かります。 (角田)






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