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■7泊8日と埋もれて見られぬ映像「娯しみは記憶の彼方に」

 夜中のBSで、レンタルビデオ店の片隅で人知れず埃をかぶっている映画たち。すべてが万人向けかというと………。


●たたり

 HAUNTHING

   ロバート・ワイズ 63  (ビデオ)

 未見なのだが評判は良くないヤン・デ・ボンの『ホーンティング』のオリジナル。ホラー映画なのだが、幽霊も血の一滴も出てこない。それでいて観ているうちに背筋が寒くなってくる映画。確か同時期に『ねじの回転』の映画化があって、数年前に深夜テレビで放送していたのだが、子供の幽霊や、不快な音楽のあまりの怖さに観るのを止めてしまった記憶がある。

 幽霊屋敷ものは、屋敷で起こる怪現象の怖さをどれだけ共感できるか、それまでの伏線をどうやって巧みに敷いていくかがポイントだと思うのだが、この映画の場合は、幽霊屋敷の謎を解こうとする博士と、実験に協力する霊感の強い女性が、女性の思い込みで博士に想いを寄せていくのと、それに感応するように屋敷で怪現象が起きる様子が描かれ、彼女の妄想なのか、怪奇現象なのか曖昧なままにされてある時、登場人物に感情移入していると耐えきれなくなるくらいの怪奇現象が起きて恐怖にたたき込まれるというか、ゾッとさせられる。直接的な恐怖じゃないけど、間接的な恐怖の味わいも悪くない。

(角田)


●バウンド

 BOUND

   ウォシャウスキー兄弟 95  (ビデオ)

 『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟の作品。設定的にはわかりやすいフィルム・ノワールの骨格なのだが、ひねくれ者の彼らは、主人公をタフな女性にして、しかもレズで、マフィアの情婦とマフィアの三角関係にカネが絡むと言った、一風変わった人間ドラマを作り上げた。凝りすぎるのが彼らの悪い癖で、完璧なまでにシナリオは素晴らしいのだが、設定が複雑なために、それを説明している分だけ、かったるく感じてしまう。『マトリックス』が長いのも同じように複雑なシナリオのためだと思う。でも、敢えて新しい物語に挑むのだから、そこは頑張ってもらいたいと思う。やっぱ『スクリーム』シリーズの脚本家、ケビン・ウイリアムソンのホラー作品なんかスカスカに感じるものね。

(角田)


●シンドラーのリスト

 SCHINDLER'S LIST

   スティーブン・スピルバーグ 93  (ビデオ)

 手抜きの帝王、スピルバーグが撮る、良心的な素材、ユダヤ人虐殺をテーマとした、アカデミー賞狙い(実際に取ったが)の映画をちょっと敬遠していたけど、前に同じ狙いで作った『カラー・パープル』があまりにもひどかったんで、今回も『ジュラッシック・パーク』の次がこれかよ、と思ってたんで長らく観る気にならなかった。

 が、しかし滅法面白い作品に仕上がっていて、スピルバーグもここまで出来るのかというよりは、デビュー作品の『激突』や『ジョーズ』の頃の感覚に戻ってきたんだなあと感じた。それは、『プライベート・ライアン』で効果的だった残酷描写。よくよく考えれば、『激突』の頃からずーっと生理的恐怖感をこの人は追求していたように思える。『ジョーズ』の怖さなんかもそれに類するものであることは明らかだ。だから『シンドラーのリスト』でも同じく、ユダヤ人の虐殺、特に人が後頭部を撃たれて死ぬシーンの人の倒れ方など感嘆するほど恐ろしく見えるように演出されている。それを観るだけでも価値はあると思う。『プライベート・ライアン』と『ジョーズ』を結ぶ線はここにあったんだなあと確信した次第。

(角田)


●スモール・ソルジャーズ

 SMALL SOLDIERS

   ジョー・ダンテ 98  (ビデオ)

 ギズモが出ない『グレムリン』で、代わりに兵隊人形と、気の弱いモンスター人形が戦うというグロい話です。ジョー・ダンテは、小都市で少年少女や大人になりきれない大人が活躍する、ひねくれた視点から描いたユーモアのある作品をこつこつと撮っているのが似合っている。凝りすぎてしまうマニア受けを逃れるスレスレのところで勝負しているから、ロジャー・コーマンところからキャリアが始まったにもかかわらず、スピルバーグとも付き合っていられるんだろう。

 とは言いながらも、兵隊人形の吹き替えには『特攻大作戦』のメンバーがすぐ出てくるなど、ツボは外さないところは好きだなあ。ジェームズ・キャメロンやコッポラのようにメジャー指向が全く無い自分の守備範囲で上質な悪フザケが出来る職人が少ないハリウッドで貴重な職人監督じゃないだろうか(センスの部分も含めてね)。

(角田)


●ヴァンパイア  最後の聖戦

 JOHN CARPENTER'S THE VAMPIRES

   ジョン・カーペンター 98  (ビデオ)

 ジョン・カーペンターを真面目に語るほどバカバカしいことはないと思うが、確実にこの手のふざけた映画を嬉々として作るのは、鈴木則文か、カーペンターくらいなものだろう。バチカンの法王の命を受けてヴァンパイア狩りをするプロフェッショナル集団、といっても粗野でむくつけき男の集団なんだが、冒頭で昼間、ヴァンパイアの巣を襲撃して全滅させる描写は期待させてくれるんだけど、いつものカーペンター映画のように尻つぼみにどんどんなっていくセコさ。そこが微笑ましいと言えばそうなんだけどね。

 ただ、今となってはちょっと時代からずれちゃってというか、今の若い作家だったらもっとケレン味を押し出してエググ描くのにやっぱカーペンターは品が良いというか、80年代で終わっちゃった人だなあと感慨深い。

 どっかで、ハワード・ホークス的、古典ハリウッド式の人物造型をするんだよね、最初嫌な奴だったけど、最後には協力しあうというボク自体は嫌いじゃないけど、それ自体古く感じてしまうのはなんだろう。ひねくれたのか、醒めてそういう映画の構造を信用できなくなったのか、どちらも不幸なことと思うが、大型エンターテインメント作品じゃなく、古典的プログラムピクチャー的物語展開に未来はあるのだろうか。観終わったあと、ニコニコ出来るような作品という事ね。

(角田)


●踊る大捜査線 THE MOVIE

 本広克行 98  (ビデオ)

 ナンデコンナニひっとシタノダロウカ?TV番組ON AIR時に観ていた視聴者が全員劇場に行ったとは考えられない。リピーターあるいはCMスポット、口コミで観た人間のお陰か?消極的に考えれば無難な選択肢であることは確かだ。人気TVシリーズの映画化でTVスポットもバンバンやってるから、じゃあ観に行くかと。今度、『GTO』もヒットすれば、この説は実証されるわけだが、物事はそんなに単純じゃないと思う。

 決して良いシナリオではないが、テレビ視聴者というか、映画をイベントとして観る層((C)macoto!さん)にとっては充分通用する構造。君塚良一のシナリオは確信犯的に辻褄は合わないが、観客を引きつけるために必要なことは全てクリアしている。冒頭のアバンでこれは、コメディーであって、そんなに肩肘を張って観なくても良いことを示し、いつもの番組視聴者にはこれはいつもと同じ番組のノリの延長だと安心してみせる処理をしている。

 キャラクターが平板なので各キャラクターの対立構図が分かりやすく何が今問題になっているかすぐに分かる。その図式で感情的な対立をしている合間に事件が起きるため飽きない(が、小泉今日子は何のために出てきたのかわからん。ストーリーを解決するためのキャラクターに過ぎない)。それと適度なセンチメンタリズムが骨格となっているのでストーリーとしては破綻しているが、観客を引っ張るには充分だ。

 あとは、演出がTV番組を踏襲しながらも、映画というスケールで物量とか特機を上手く配置することで豪華さを出している。そのために「ああ、映画を観ているんだ」と言う気に上手くさせられる。カット割りや照明がフラットなところは、テレビと同じだけけれど違和感は無くテンポで見せられるだろう。戦略としては正しいと思う。その割り切り方がヒットの要因だと思う。

 映画にこだわらない映画ほどヒットするパラドックスが邦画に当てはまった最初の例ではないだろうか。『アルマゲドン』とか『タイタニック』もそういうことなのではないだろうか。

(角田)


●猟人日記

 中平康 64  (ユーロスペース)

 黒澤、溝口、小津、成瀬と来てようやっと、中平康の時代がやってきた。誰よりも先鋭で洒脱でユーモアがあり、スピーディーでカラッとした絶対に当時のキネマ旬報のベストテンには入らなかったエンターテインメントの中に隠された実験精神、今も観る者を圧倒する映像のシャープさ。一言で言えば上手すぎるのだ。

 江戸川乱歩賞の映画化だが、昭和30年代には刺激的なほど性的表現、作者の戸川昌子や、銀巴里で唄う丸山明宏(三輪明宏)を登場させる茶目っ気。前半は、中谷昇の女漁りと殺人事件がパズルのように散りばめられて、罠にかかっていく様子が描かれているのだが、後半、北村和夫の弁護士がミステリーの謎をひとつひとつ解決していく本格推理ものになっていく。また弁護士事務所で働く助手の十朱幸代が溌剌としていて良い。中平映画は美女を強く描くのが上手い。男勝りの活躍を見せることで映画が現代性を帯びてくる。やはり早すぎたのだろうか?

 中平康の悲劇は監督至上主義の松竹大船で助監督を経験していて、日活に移って、監督を始めて裕次郎や旭を売り出したが、それが日活をスター中心システムの会社にしてしまい、その中で監督至上主義を通そうとして理解者を得られなかったことだろう。

 90年代の監督にも描けない作品を作ってしまった男はこれからまだまだ正当な評価を受けるはずだ。

(角田)


●CUBE

  CUBE

   ヴィンチェンゾ・ナタリ 98  (ビデオ)

 短編アイディアを引き延ばしただけで、ぼんやり観ていても非常に分かりやすいので、90分なんかすぐ過ぎてしまう。この程度のネタじゃコミックにもならないし、人物造型に甘いSF界だから通用する映画なのだろう。観客を置き去りにして困難に直面すると「実は私は……」と出てきて問題を解決するなんて、シナリオとしては一番拙いやり方だと思うが。ワンセットで作っているなんて舞台裏がバレるようなことを売りにしちゃイカンでしょう。ゲームのムービー観たいんじゃないんだから、これは12歳までのお子さま向け映画。

(角田)


●新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争

 三池崇史 95  (ビデオ)

 三池 崇史は、状況しか撮ろうとはしない。情緒ある演技の表情は、切り捨てられたように映されない。そこから醸し出される光景はリアルと言うのは簡単だが、やるせない抜け出せない現状を空気として捉えようとしているように思える。

 彼は何も日本社会を告発するというのではなく、映画として描ける許容量をいつも試しているようだ。タブーな世界を押し広げていこうと言う方向性は、崔洋一が目指す汎アジア的なものとは一線を画している。三池の方向は、黄金時代と高度成長期を過ぎた日本映画と日本人自身に、“邦画を面白く見られるか”という職人監督としての問いを絶えず観客に突きつけ、繰り返しているように思える。その問いかけを勘違いすると、ただ真面目な映画、暗い邦画と思いこんで見ない人間が多いと思う。毒気のあるユーモアとアウトローの格好良さ、映画の持つテンポの良さを見落としてしまうこととなりかねない。

 黒社会第1弾のこの作品は、シリーズ化を考えていたかは分からないが、馳星周の「不夜城」の影響下にあることは確かだろう。(と思って調べたら「不夜城」は96年で1年遅れだった!)しかし、決定的に違うところは、主人公の椎名桔平が、新宿署の刑事というところだ。彼自身、父が日本人、母が中国人の残留日本人孤児で、この国で生き残るために刑事になることを選んだ。そして彼の弟は弁護士を選ぶ。椎名が、最初ガサ入れで登場するところでは、悪役か、何者か分からないが、歌舞伎町の空気を知り抜いている男が歩いているという緊張感に溢れた空気を漂わせ、単純な警察対極道の対立構図にしていない。そう、単純な図式が割り切れない人間を描いていくことで、物語が深まっていくのが、三池ワールドの魅力でもある。そこを、家族、仲間、裏切り、信頼、暴力と言った世界が取り囲んでいる。

 セックスに対する、特にホモセクシャルのストレートな描写も彼の特徴じゃないだろうか。あまりにさらりと描かれ毒々しくなく、間抜けで、権力構造に取り入ろうとか、野心が見えない、無償の(と言っても金は取るが)行為として描かれているのが多い。ありきたりの描写のひとつとして割り切っているのだろうか。それに対する女とのセックスは暴力的だ。相手は中国人だが関係なく扱われている。が、彼女らのバイタリティーはそんなことに拘泥しない。義理とか人情じゃなく、「あなたとのが良かったから」と言って男を助けたりする。

 物語は、署内でも嫌われ者の刑事、椎名が、歌舞伎町のチャイナ・マフィアとヤクザの間で地下に潜った殺し屋、王(田口トモロヲ怪演)を探す内に、彼らの仲間となった弟を見つける。家族とは違う道を歩むという弟。最後の家族で集まったところは、何気ないシーンだが静岡に引っ越しする両親が最後に訪れたところが皇居二重橋。(撮影は難しいところだけど、上手くつないである。)そこまでして撮りたかったシーンだろう。そこには声高な主張は見えないが、さりげなく映画の深さと矛盾が提示されている。

 途中、台湾に渡り、捜査を進めて行くところがあるが、日本人の刑事ではなく、残留日本人孤児二世の目から見ると違うのだろうが、これが、凍てつく中国の北であったらドラマは膨らんだだろうなとは思うけど、言いたいことは良く分かる気がする。

 ラスト、全てを一人で被り、暴力で解決した虚しさ。スーツを着て、食べ物に不自由せず新宿を歩いていても、所詮は異邦人という目線がしっかりと出たのではないだろうか。そう、家族の中で泥を被ってまで日本で生きるのは俺一人で良いと、見えない誰かに向かって振り返るストップモーションは語っている。

(角田)


●極道黒社会 レイニードッグ

 三池崇史 97  (ビデオ)

 黒社会第2弾。 雨が降っている。狭い路地に重なるように連なっている家の瓦を伝って流れ落ちる南方の雨。台北に一人残されたヤクザ、哀川 翔は、雨の日には外に出ない。しばらくの間、逃げてきた台北にいつまでいるのか分からない。何でここにいるのかも分からなくなる。(何故か追ってきた刺客とメシを食ったりする)。街の顔役の仕事で殺しをすることもある。

 路地を抜け、市場の喧噪の暗がりを延々と抜け、白昼の元で銃殺する。エドワード・ヤンのカメラマンの李以須の明暗を計算し尽くした撮影が素晴らしい。しかし、何と言っても、ほとんど全編を覆う南方の雨が素晴らしい。

 どこにも行き着くところがないヤクザ、「アンタの子よ」と押しつけられた捨て犬のような男の子。「この街が嫌い」と言い続ける娼婦。それぞれを雨が止めどもなく憂鬱にさせる。

 ここでも三池監督は、感情の押しつけはせず、淡々とアップもほとんどなく状況としてシーンを成立させていく。タイル貼りの床の冷たさ。貧民街の立ちこめる生活の匂いが立ちこめてくる。候孝賢やエドワード・ヤンとも違う、台湾を描くことに成功している。哀川 翔の白ずくめのコート姿が素晴らしく眩しい。格好良いのだ、ただひとつ残されたダンディズムとして決して脱がない。これが、彼の台湾に対するスタンスだと思う。蛇足ながら、メシを食うシーンが良い、旨そうだ。

 思わぬ大金を手に入れた彼らの逃避行は、どう考えても成功しそうもないものだった。しかし、途中で海岸に埋まっていたバイクを掘り出し、海岸を疾走するときの解放感は何だろう。望郷の念とは違う、突き抜けた絶望とアナーキーさがそこには存在するような気がする。哀川 翔の代表作と言っても良いんじゃないか。必見。

(角田)


●ブラックジャック

  BLACK JACK

   ジョン・ウー 98  (ビデオ)

 ジョン・ウーもなかなか新作の声が聞こえない『ミッション・インポシブル2』とか噂が流れているが、どうなるのだろうね。香港アクション映画の巨匠も、ハリウッドではまだ、キワモノめいたものしか撮れないと言うことだろうか。撮った作品群自体は嫌いじゃないけど、どうも観ていて消化不良の思いがする。そこら辺がアジア人との違いだったりしてね。

 ハリウッドに来てから非常に禁欲的でアクロバティックなアクションも少なく、身体張ってますっていうものが少なくなっていたり、親兄弟との葛藤なども薄くなっているんだよね。そこがドラマの一要素でもある訳なんだけど。『フェイス・オフ』で善悪の交錯という部分が少しは出たけれど、まだ欲求不満なところがあるのではないだろうか。

 これも、テレビのパイロット版の筈だ(でもその割には、血がドバドバ出て、アメリカのテレビ放送コードに充分引っかかると思うのだが)。ドルフ・ラングレンの扮する凄腕のボディー・ガードが変質者から狙われるスーパーモデルを守る話なのだが、登場人物一人一人に過去のトラウマがあって、話がなかなか進まない。ちょっと、スローモーションが多すぎるとも思うが、アクションシーンが立っているから許そう。(相変わらず手際よく上手い)脇役に料理の上手い片目の元ギャングなんかいるとホッとするね。ユーモアがあるので殺伐としすぎないのが救いだ。でもテレビ・シリーズ化は難しいだろうな。全部、ジョン・ウーが撮らないと番組の水準は保てないだろうね。エグゼクティブ・プロデューサーにも名前を連ねていたからやる気はあったみたいだが、アジア人、チョー・ユン・ファを出すにはアジア人の壁は厚いんだろうね。

(角田)


●クレヨンしんちゃん電撃!ブタのヒヅメ大作戦

 原恵一 98  (ビデオ)

 「クレヨンしんちゃんが面白い」との噂は聞いていたが、初めて見てなるほど子供向きと言うよりは大人向き(ということは手を抜いていない)に出来ていて、ウルトラマンや仮面ライダーで育ったお父さん、お母さんも楽しめる宮崎駿映画から説教を抜いたらこんな風になる(違うかな)というエンターテインメントのお手本だ。 国際的秘密結社の陰謀に埼玉県春日部市の野原一家が巻き込まれるといった、何の説得力もないこの二つを強引にくっつけてストーリーを生み出していく手際の良さ、銃や爆破シーンが出ても誰も死なないし、血も流れない。世界を混乱に陥れようとする秘密結社ブタのヒヅメ団と闘うSML(せいぎの、みかた、ラブ、の略)にしんのすけたちが巻き込まれると言ったストーリーが単調だけど、あれくらいでちょうど良いのかも知れないな。

 結構見せ場もスペクタクルも豊富です。ゲーム世代も納得の「ファイナルファンタジー・シリーズ」のパクリではないかと思うようなメカ設定や秘密基地、映画ならではのスケール感を出そうとスタッフが頑張っているのが分かる。子供に見せるのはもったいない。

(角田)


●弾丸ランナー

   サブ 95  (ビデオ)

 疾走する映画って観ちゃうんだよね。サブの映画はカタルシスがある。安っぽいシナリオ、撮影なんだけど、それを通り越して走り出す快感がにじみでてくる。ダメな男達が走り続けることで(理由は大したことでない)、何もかも笑い飛ばし、いい顔になっていく。ただそれだけが撮りたかったんじゃないかと思わせる作品。些細なことで追って追われる活動写真の醍醐味というか原点。それを感じさせてくれる。

(角田)


●JOKER 疫病神

   小松隆志 98  (ビデオ)

 池袋を舞台に昔、東西に分かれて抗争があった。そこで相手のヒットマンを返り討ちにした男を萩原健一が演じている。時間は現在に戻り、渡部篤郎の演じる、通称、疫病神は、子供時代に母親から虐待され、高校の時に逆に母親を絞殺した過去を持つ。その時受けたストレスのせいか、数百メートル全力で走ると血管が切れて死んでしまう持病を抱えている。時折たわむれに走り「だるまさんがころんだ」と心の中で数えながら、「まだ死なないじゃないか」と呟く。そんな彼の商売はジャブの仲介人。

 ショーケンは出所するも、組には帰らず、姿をくらましてしまう。そして彼を庇って殺された女への復讐を狙う。ここら辺、あまり喋らないが、存在感がある。やがて、見つけられ組の歓待を受けるが、裏では再び組み同士の抗争と裏切りの準備が進んでいた。渡部はショーケンのボディーガードとして行動をともにする。閉館した文芸座や池袋の様子が巧みに描かれる。ショーケンに惹かれていく渡部。

 ついに、抗争の火蓋が切られ、ショーケンは邪魔者として殺されようとする。ラストの文芸座での銃撃戦が泣かせる。『レザボア・ドッグ』の影響か、全員が黒いコートや服を着ているところがスタイリッシュだったり、渡部が同棲している看護婦(片岡礼子が良い)の住むアパートが山手線のすぐ脇にあったりして、ロケ場所や小道具へのこだわりが随所に見られる。

 これは、たぶん、脚本の高田純の功績も大きいだろう。渡部とチンピラの後輩との関係や片岡礼子との、さりげないシーンがいいし、話の展開もスムーズだ。監督の小松隆志も上手くなったものだ。『はいすくーる仁義』の頃はどうなるかと思っていたが。渋い作品ですが手抜きはありません。

(角田)


●セ・ブ・ン・ティーン

 松梨智子 97  (ビデオ)

 『毒婦マチルダ』の毒に当てられて、つい買ってしまった前作のビデオ作品。

高校生のDJ(といっても放送部)の主人公、イサナは、髪型のことで文句を言う女教師の言うことを聞き流している。「何が言いたいんだ、この女。べらべら喋りやがって。そうか、自分の保身の為にオレにこんなこと言っているんだな」と逆ギレして、夜、帰宅する教師を公園で待ちかまえてレイプする。そこに軽快な音楽とタイトル『セブンティーン』が重なる。

 相変わらず、リアリティー無視のテンションの高い役者の演技で、全員高校生に見えないし、教師もそれらしく見えない。そんな中、朝礼でブスの女教師(カツラを被った男が演じる)がレイプ事件を全校生徒にばらす。被害者の教師はそのあと首を吊って死んでしまう。イサナは、自分のまわりの爽やかさとかが全て気に入らず、今度は放送部の仲間に復讐しようとする。復讐の相談相手は自分の部屋にいる等身大の人形(これも人間が演じている)J君。イサナはウサギを飼い、そして自分で絞め殺して、クラブの仲間が餌をやらなかったためと騒ぎ、彼女を奪う。その姿を見た彼氏は騒動を起こし退学となる。

 しかし、奪ったはずの彼女には、事細かにセックスの回数などを書かれたプリントを部員に配られ、彼氏を退学にするために彼女を奪ったことがばれてしまう。次第にその胡散臭い性格が明らかになるが、爽やかな部員に助けられる。イサナの逆恨みは終わらない。

 ちょうど修学旅行で広島に行くことになり、原爆ドームに千羽鶴を捧げようと言う話で、イサナは、残りの鶴を折るために爽やか部員と徹夜する。そこで、タバコの火の不始末と称して、千羽鶴に放火をして、爽やか君の寝タバコのせいにする。しかし、爽やか君はめげずに、逆にそれが彼の恋の手助けとなる。

 そんな、自分の性格を変えようと、J君を捨て、原爆ドームの前で誓いを立てるイサナ。この先は滅茶苦茶な展開で書きようがないので、観て下さい。

 監督は、ただ悪意を爽やかな青春映画の世界の偽善にどこまで持ってこれるか、詰め込めるか、それしか考えていない。語り口、ギャグのテイストと毒が画面いっぱいに拡がって感染する世界観。癖になりそう。

(角田)


●めし  51

●浮雲  55

●流れる 56

   成瀬巳喜男   (BS)

 小津、溝口、黒澤、そして第四の巨匠として名前の挙がる国際的監督、成瀬だが、単なる国際映画界的策略によるものだと思う(話題とスターと発見が欲しいだけさ)。スタイルの一貫性というより、いかに東宝の撮影所が安定したスタッフを抱えていたかの証明に過ぎないと思っているけどな。はっきり言って三作品ともそれほど、感銘は受けなかった。題材がすごいと言うわけでもないし、スクリーンに緊張感があるとも違う(ただ高峰秀子はすごい役者だと思った)。

 今も、国際的に残っているのは、当時の風俗が丁寧に描かれているところに、アジア映画としての日本映画を検証する格好のテキストとしての価値があるのだと思う(それは先述した東宝撮影所の力かもしれないが)。

 『めし』では、大阪の船場あたりと、長屋の習慣が丁寧に描きこまれ、東京から転がり込んできた若い親戚の娘との世代の断絶が生活感の中に観られる。原節子の上原謙の女房像はどんな受けとめられ方するんだろう。従順でありながら、疲れて実家に戻るが結局亭主と一緒に戻るということに誰が納得するのか。(ついでに言えばそこに映画としてのカタルシスはない。道徳、習慣的に処理されているだけだ。まあ、小津の場合も結局はそれに近いが、カタルシスは台詞か行動で作っているのが違いだ。だから、小津は映画が陰にこもらない『東京暮色』は別かな?)

 『浮雲』は、名作の呼び声が高いが、これは選者のノスタルジーが大きいんじゃないだろうか。原作は、読み物として面白いので期待してしまうが、それを端折って作った感じが否めない。これも、闇市、伊香保温泉の風俗が丹念に描かれている。ドラマとしては今一つ乗れないのは、高峰秀子がなんで森雅之を捨てないのか、今では理解に苦しむからだ。しかも、当時はもしかしたら共感を得る一般性があったからかもしれないが、ほとんどふたりの内面描写をしていないので、ふたりの行動の動機が謎だ。

 『流れる』は、加山雄三と高峰秀子の心理描写が描けている。静岡県清水の小さな商店街にスーパーが出来て、加山の酒屋が没落していく世相の移り行く様がメロドラマのバックにあり、これは逆に現代にも通じる年齢差を越えた恋愛の形として共感を得ることの出来るモチーフだと思う。若大将の使い方も成瀬の視点が入っているためにしっかりしたものになったと思う。

 成瀬の映画は、ヨーロッパ人に1950年代に日本映画が黄金期だったことを教える手っ取り早い方法でしかない。でも、気取った欧州インテリ映画野郎に観せるよりも、アジアの新興国に同じような歴史を辿ってきた人の感想を聞きたいと思う。この三本はユーモアが少ないことが致命的だね。

(角田)


●少女ムシェット

  Mouchette

   ロベール・ブレッソン 67  (BS)

 ブレッソンは、つねに最低な条件で最高の効果を引き出す魔術師だ。素人しか使わない頑固さ。手元のクロースアップ。雑音に近い音声の繰り返し。ブレッソンだけは永遠の前衛であり、本質を引き出そうとする監督だ。小さな村に住む、親父は密造酒で生計を立て、母親は病気で寝たきり、しかも小さな赤ん坊がいる。貧しいみんなの嫌われ者となる、ムシェット。この子どもからこれだけの演技をどうやったら引き出せるのだろう。あまりに簡潔で効果的で衝撃を受ける。

 ブレッソンの映画は音、映像、オブジェとしての人間が全て映画に奉仕する。それをシネマトグラフというらしいが、その効果の強烈さにスピルバーグの『プライベート・ライアン』は、ただ忠実に追っているだけだな、なんてことも少しだけ頭をよぎった。それにしても、ラスト・シーンの鮮烈さにはかなわない。壮絶すぎる。それだけで観る価値はある。

(角田)


●ガタカ

  GATTACA

   アンドリュー・ニコル 98  (ビデオ)

レトロ・フューチャー、懐かしき未来図。小松崎茂のイラスト、どこかで一度は見た世界がそこには広がっている。宇宙への憧憬。遺伝子による人種差別。ちり一つ無い透明な巨大な建物。無表情に動く人々。

 そんな端正な世界に、劣性遺伝子を持った宇宙飛行士志願の青年が、闇の契約で優性遺伝子を持つが身体障害者に成りきり、ガタカという会社に入り土星を目指す。そこで殺人事件が起きて、いつ正体がバレルかというサスペンスもあるが、この映画の楽しみは、アメリカ映画にしてはものすごくゆったりとしたテンポで、ほとんど近未来を感じさせないロケ・セットで、逆に郷愁を感じさせるような画面造りをしていることだ。何度も出てくる、主人公がガラス窓越しにロケットの発射を眺めるカットはとても美しい。

 テンポが遅いためにストーリーに説明不足の感は否めないが(主人公の兄弟の葛藤、恋人との関係)、映画のリズムの統一は見事だと思う。現実感を歪ませようとフィルターを多用しているのが少しうるさいが、静かにスタイリッシュな映像はなかなか格好良い。

 ケレンのある演出がいくらでも出来る素材なのに、それを排除していってSFとしてシンプルに表現するところに新鮮味を感じた。サイバー・パンクな未来ではなく、『アルファビル』、『ラ・ジュテ』に通じる、SFXに頼らない、SFマインドを堪能できる作品だ。

 アーネスト・ボーグナインとアラン・アーキンが出ているのが嬉しい。でも、活躍してくれないのが残念。

(角田)


●プルガサリ 伝説の大怪獣

  PULGASARI

   申相玉 85  (ビデオ)

 北朝鮮の特撮怪獣映画。私たちは笑いながらこれを今観ることが出来るけど、封切られたときには北朝鮮ではみんな吃驚しただろうな。なんせ、娯楽映画で、しかも怪獣まで出て来るんだから。これからどんなプロパガンダを読み取ればいいのか、アタマの回線がみんなショートしたことは間違いないだろう。

 しかし、これは金正日のメッセージではなく、申相玉監督の「娯楽映画はどこでも作れる」というメッセージとして読むのが正しいんじゃないかと思う。実際、特撮と実写のつなぎなんか職人技を感じたし、『ラスト・エンペラー』を撮ったのと同じ、中国・北京の故宮での撮影などの力が入った部分が多々見られる。さすがにカンフーは入っていなかったけどね。

着ぐるみのなかは、ゴジラ俳優だけど、自衛隊が出てくると東宝「ゴジラ」、農民だと大映「大魔人」、子供だと「ガメラ」と連想してしまうのはなぜだ?

(角田)


●昭和侠客外伝 無頼平野

   石井輝男 95  (ビデオ)

 これは、面白い。必見ですぞ。特に石井ファンなら、よりお薦め。昭和の浅草の街角を曲がればそこは石井ワールド。見始めるとぐいぐいと引き込まれて、ただ溜息をつくだけ………。絶対に損は致しません。

 時は、昭和という時代でいつかははっきりしないが、レビューが盛んだった頃だからたぶん、戦前。場所も特定されてないが、たぶん浅草(いろんなところでロケはされているが)。

 レビューのスターを目指す踊り子(岡田奈々がイイ)に惚れる狂犬のサブ(加勢大周だが、昔だったら健さんだろうな)の孤独な格好良さ。はっきり言って低予算だがそれを越える石井監督の演出の技が冴えている。下手なセットを作ってごまかすんじゃなくて、逆手に取って無国籍な世界にしているし、かと言って細部が疎かになっているかというとそんな事ない。レビューと決闘のカットバックなんて、これだけ決まるのあとは井上梅次監督くらいしかいないでしょう。

 エログロあり、網走番外地の世界もありのサービス満点。肩に力の入ったよくある任侠もんじゃありませんぜ。一大エンターテインメントです。看板に偽りなし。

(角田)


●熟れた果実

  The opossite of sex

   ドン・ルース 97  (ビデオ)

 某誌で、見逃すと損をする拾いもの作品とあったので借りてみたが、よほど斜に構えた映画ヲタクがウフフと喜んでいる映画に見える。というよりも、違う視点からしか観れなかった。

 それを説明するためにストーリー設定を書くと、16歳の女子高校生(クリスチーナ・リッチ)は、義父が死んだのを機に家出をして、義理の兄の所へ行く。その兄は高校教師でゲイ。一緒に暮らしていた男友達はエイズでこの世を去り、今は同じ高校教師の男友達の姉と同じ家に暮らしている。そこに新しい兄の恋人の男が現れる。女子高生は、その恋人を誘惑する。やがて、妊娠が発覚してふたりは現金を盗んで逃走。義理の兄も、恋人の元情夫の男子高校生(自分の教え子)に性的虐待を受けたと虚偽の訴えを受けて失職。結局、女子高生と兄の恋人を探すことになる。とアタマが痛くなるような倒錯した世界の物語なのだが、なかなか皮肉が効いていて観ていて飽きない。

 ただ気になるのが、あまりにも男達(ゲイ)が全員良い奴ばかりで、女は嫌な奴に描かれている。これは、実はそんな奇をてらったものではなく、単なるゲイ讃歌の映画ではないかと思う。全体的なひねくれ方、そうでありながらハッピーエンドに一応終わるところなんて、非常にアメリカ映画として不健全な終わり方だ。これが面白いと思う人は、その気があるのではないでしょうか?

 ハリウッド大作映画でも、観てないから何とも言えないけどバットマンシリーズの監督、ジョエル・シューマッカーの映画とかもそういう男が全面に出てくるような映画なのかねえ。拾いもの映画に注意(あなたの性癖がバレてしまうかも)。

(角田)


●シーズ・ソー・ラヴリー

  She's so lovely

   ニック・カサベテス 97  (ビデオ)

 脚本が故ジョン・カサベテスと書いてあったので、借りてみた。やっぱ息子は才能無いね。膨らますことの出来る素材をしぼませてけちくさい、陳腐な映画にしてしまった。

 20代のカップルがいて、愛し合っているのに夫(ショーン・ペン)の暴力癖が直らないために、つい精神病院に連絡してしまう。妻は後悔したが、夫は救急隊員を撃ってしまう。そして病院送り。10年たって妻は別の男(ジョン・トラボルタ)と再婚し、子供も出来た。退院してきたもと夫は妻を求めて、今の夫と対話をする。最後は妻の選択に任せる。とダラダラと続くし、ドラマの核がどこにもない。登場人物の壊れ加減もきちんと描けていない。たぶん、ジョンはラストまで書いてなかったのではないか。納得がいかない。

 ジョン・カサベテスだったら狂気のちょっとはずれた人をもっと絶望と希望が交錯するのを暖かい視線で描けたのに、無い物ねだりはやめといたほうがいいね。

(角田)


●大怪獣ガメラ

    湯浅憲明 65  (ビデオ)

   ガメラの旧シリーズの第一作はモノクロだった。シナリオは滅茶苦茶だが、演出でメリハリをつけ特撮もここまで!というほど頑張っているんで驚いた。今考えると凄いが、北極に現れた、国籍不明のジェット機(たぶんソ連)をアメリカ軍が撃墜すると、そのジェット機には原爆が積んであってそれが爆発してガメラが蘇るなんて、どういう感覚だ。

 ガメラがよたよた歩いているとかえって愛嬌があり、別な意味でリアリティーがある。船越英二が古生物学者として活躍するが、対比してカメ好きの少年が出てきてやたら「ガメラは悪い奴じゃないんだ」を連呼する。その辺の荒唐無稽なところが子供心に訴え、ガメラが身近かに思えたところじゃないだろうか。

 ガメラって、炎を吸ってエネルギーにしてたんだね。知らなかった。なるほどなるほどと感心して観れました。無敵のガメラをどう倒すか、それは観てのお楽しみ。ちなみに「ガメラの歌」は出てきません。怪獣映画の基本と王道を(『ゴジラ』のという手本があることはあるが)一気に作り上げたことに改めて驚きました。人類の進歩と協調の時代の産物でもあるね。さあ、次はギャオスだ。

(角田)


●真夜中のサバナ

  Midnight in the Garden of Good and Evil

   クリント・イーストウッド 97  (ビデオ)

 150分を越える映画と言うことで今まで敬遠していましたが、見始めたら、いやあこれが面白い。イーストウッドの演出に酔いました。物語はそれほど、目新しいものではなく語り口でこれだけ持たせられるアメリカ映画監督はいないだろう(爆発シーン、CGなしで)。

 サバナという南部の静かな小さな街。そこの大金持ちのクリスマスパーティーで殺人事件が起きる。たまたまクリスマスパーティーを取材に来ていた雑誌記者が、この事件を題材に本を書こうと取材を始める、そこで出会う不思議な人たち、時間が止まったような街に住むのは、一癖も二癖もある連中。いつも身体中にアブをまとわりつかせている老人。主人の犬が死んでも、首輪だけ散歩につれていく召使い。ほとんどサザン・ゴシックの世界だ。やがて始まる裁判。そこで明らかになる事実。保守派のイーストウッドがなんでこの映画を作ったのかは良く分からないが、静かではあるがなかなか挑発的なひねくれた映画だ。他の人が撮ったら面白くもなんともない映画が出来たに違いない。

 全体のトーンを統一した語り口はもはや名人芸といえる。『パーフェクト・ワールド』あたりで完成した演出は安定していて観ていて安心できる。 視線による切り返しが無駄なくこれだけ的確に出来、画面にでている全員から的確な演技を引き出して様子は指揮者のようだ。移動撮影も最小限で気負ったカットもほとんど無い。ものすごいアップも無いし淡々とカメラは的確な位置に置かれる。

 ある点では、ハワード・ホークスを越えたんじゃないかとも思える。ただ叙情派なので、どうしても演技のテンポでカットの長さを決めていくために映画がどんどん長くなっていくのだと思う。もともとアクション映画が上手い監督でないからそれで良いと思うが、でも省略法などは若い監督などよりは良く知っているから映画は決してだれない。

 この独自の語り口、たくさんのカメラで撮って編集で切り刻むような安直でない職人技に酔うつもりで借りるといいです。

(角田)


●陸軍中野学校

 増村保造 66  (ビデオ)

 増村ワールドに入ると、石井輝男以上にアタマが変になりそうなのはボクだけなのだろうか。論理的であまりに論理的で責めていくので、登場人物のテンションが天井まで上がって降りて来れなくなって救いが無く自滅していく、その何ともやるせなさが題材がはまれば良いのだが、いつもどんな場合も同じテンションの高さなので、こちらがへとへとになってしまう。

 第二次世界大戦のスパイ養成所となる陸軍中野学校の一期生の物語で、一応市川雷造が主役なのだが、群像劇になっていてアップも少ないのでセミドキュメンタリーの印象を受ける。サブストーリーとしてメロドラマも用意されていてそれも良くできているのだが、加東大介の学校長の使命感に燃えた有無をも言わせない押しの強さで自殺者が出たりするが、(しかし登場人物はそれに対して疑問を持たない。逆に、どんどんはまっていく)スパイとしてたたき上げていく。その思い込みが全員不幸な方向に運んでいくのだが、そこら辺、何の救いもない。真面目な監督なのだなあとやっぱり思ってしまう。石井 隆もこういう追い込みかたするけど、まだ情があるね。こっちは、非情が積み重なって物語ができるからなあ。どこに誰に感情移入したらいいか分からない。

(角田)


●ウイナー

  the winner

   アレックス・コックス 96  (ビデオ)

   アメリカで映画を撮り続ける、偏屈なイギリス人アレックス・コックス。彼の世界に入り込むと時間が止まりどこまでも果てしない出口のない世界に閉じこめられる、そんな気分にさせられる。

 ラスベガスのカジノで勝ち続ける男と、その男につきまとう得体の知れない男女。男が惚れた歌手(へたくそ)はレベッカ・デ・モーネで、本当は自分の借金を返したいだけだったりする。物凄く地味なカジノでラスベガスの派手な外景もほんのちょっとしか出てこない、この偏屈ぶり。どこの話なのかほど地味な仕上がりだ。

 話が進むにつれてますます哲学的な運命論の披露とともにカジノギャングの準備が描かれたりしてめまぐるしい。殺人が起きても犯人は良く分からない。監督の興味はそんな事よりもラスベガスを牛耳るもっと大きな何かがあるのか、砂漠の蜃気楼なのか、そこら辺を哲学しちゃったみたいな印象がある。アレックス・コックスのファンはおさえておいて欲しい一本か。

(角田)


●虹をわたって

 前田陽一 72  (中野武蔵野ホール)

 前田陽一映画祭、最終兵器の登場です。カミングアウトすると筆者は、天地真理と沢田研二のファンなんで、非常にワクワクして始まるのを待っていた。勿論ナベプロ+松竹の製作である(本社売却も時代の流れか)。

 舞台は、何の不自由のない暮らしをしていた横浜山手のお嬢さんである真理が、やもめの父親が連れてきた若い母親に反発して、家出をする。高台を下り、行き着いたところが横浜の水上生活者が集まる船上宿「蓮花荘」。そこには、日雇いの港湾労働者や、おわい船、だるま船の船長、インチキ易者が集まり、酒を呑んでは「いつかは陸に家を建てるぞ」と言っては、競艇で日銭をスる。

 真理はそこに泊まり込み、昼間は、働く男達に弁当を配る船上食堂を手伝う。ここらの描写がのびのびとしていて解放感があっていい。いろんなシーンの間に名ヒット曲がほとんど脈絡が無く入るのだが、ファンとしては非常にうれしい。

 水上生活者も全然卑屈に描いていないところがいい、気取ってない。生活者の目の高さでアイドル映画なのに描いているんだぞ!後半にはジュリーも出てきて歌を披露するという、歌謡映画としても、テレビを見ている一般客にもサービス満点の作品。前田映画は、集団劇と歌が出てくると俄然良いです。

(角田)


●新 仁義なき戦い

 深作欣二 74  (ビデオ)

   『仁義なき戦い』5部作は遥か昔、ぎゅうぎゅう詰めのオールナイトの小屋で一気上映で、あの主題曲と手持ちカメラにとてつもない衝撃を受けて 18年ほど。それ以外の実録ものはあまり見ないで、渡 哲也が怪獣と化す『仁義の墓場』という傑作や、『北陸代理戦争』くらいしか見ていなかった。

 ある種、現代に近づきすぎた題材、(神戸の方との関わり合いもあるのだろう)それから離れるために、再び時代は昭和25年の呉に戻る。もう一度、スケールの小さい第一作のリメイクと化している。東映の体質なのかどうかわからないか、一度適役が決まった役者は他の役が出来ないようだ。そういう安定性がシリーズのダイナミズムを削いでいる。ゲストの若山富三郎は今一つ実録ものに乗り切れていなかったようだ。

(角田)


●新 仁義なき戦い 総長の首

 深作欣二 75  (ビデオ)

   シリーズ、マンネリ打破に向けて狂言回しの菅原文太を風来坊の旅人に設定した。舞台は下関。ここでも地方ヤクザのシノギを削る同じ組の中で分裂裏切り合いが行われている。

 いい加減、シナリオで人間関係を作るヒマがなかったのか、あまり魅力のある人間の葛藤がない。ただ二代目候補、今はヤク中の山崎 努の演技が恐いほど凄惨だ。

(角田)


●サテリコン

  SATYRICON

   フェデリコ・フェリーニ 69  (LD)

 フェリーニは「道」「カビリアの夜」しか観た事が無いとカミング・アウトした所、強く非難されたので、態度を改めるべく近所のレコード屋で叩き売りのLDをゲット。

 帝政ローマ時代の英雄譚。それでも珍しい土産話と戦利品の小物を持って生きて帰れば充分だった時代。少々悪趣味で泥臭いけれど奇妙な開放感がある映画だった。

 絢爛豪華なローマの描写は結構当たり前。楽しみで人を殺す奴なんて今でもたくさん居るし、飽食や性の淫蕩な描写もおおらかな物。微笑ましくて好感を持った。

 それよりマーチン・ポッターを初めとした薄絹を身に纏っただけの美丈夫達を観て楽しむ肉市場映画として大変有効。主演の若者達は殆ど腰巻き一丁で逃げ回ってばかっかりで格好悪いけど、若さと美貌の御陰で醜悪にならずに笑える。恋の鞘当ての元となる伝説の美少年ジトーネ(一部ギトン表記)は、写真よりやはり動いている姿が可愛らしい。寿命が短そうなぽっちゃり型で食べてしまいたい。両性具有の白子である「神の子」は、乳房がばればれの作り物でちょっと興醒めだが、やはり危険な香りの美がある。自殺した貴族の家に残った黒人美少女も良い。それぞれ「あ、もっと観たい」と思わせる押えた露出度は御見事であった。もっとみせろ。

 これらの腰巻き軍団は、当然と言えば当然だが、一部の女優さんを除いてその後のフィルモグラフィーに恵まれていないようだ。やはり肉は古くなっては駄目ですね。

 音楽はバリ島の音楽が効果的に使われていた。ちょっと安易な点も有ったが、ポッターと牛頭の怪人が闘うシーンで使用されていたケチャは秀逸。

(森山)


●血みどろの入り江

  A BAY OF BLOOD

   マリオ・ヴァーヴァ 71  (ビデオ)

 ホラー、恐怖、スプラッターの巨匠、マリオ・ヴァーヴァーの陰鬱な、映画館で観たら結構ビクビクものだろうと思われた佳作というか、独自の美学満載の映画。撮影も監督自体がして鬱蒼とした寂れた湖畔のリゾート地の夕暮れの描写と、そこに住む人間の変態さ、リゾートにするために起こる惨劇。殺人の動機がいまいち良く分からないのだが、殺人描写、恐怖描写は逸品です。

 さすが、ダリオ・アルジェントの師匠、格が違います。音楽のセンスも良くサントラがあったらいいななどと考えてしまいました(美しい音楽が延々と流れる)、画の残酷さとの対比がたまらん。

あと、『ヴァンパイアの惑星』を観たいんだけどどこかにないかなあ。

(角田)


●喜劇・命のお値段

 前田陽一 71  (ビデオ)

 映画祭にあわせてアップしてましたが、今回は済みません遅れてしまいました。

 前作『喜劇・あゝ軍歌』と同じ格好をした、財津とフランキーが刑務所から出所するところから映画は始まる。いよいよ堅気になろうとするが何をしたらよいのか分からない。偶然、故郷の島で子供の病気を治したフランキーは自分に医者の才能があることに気付く。再び、財津と組み(公文書偽造の天才で医師免状も作ってしまう)横須賀でニセ医者を開業する。

 何故横須賀かは分からないが、基地の匂いが濃厚という設定があったのだろうか。彼らは騙されて、朝鮮戦争で怪我人や死人を扱った経験があり、そこから抜け出せないようだ。この過去から逃れられないトラウマになっている人間は、いつも前田作品に現れる。

 冷や冷やのところで、毎日ニセ医者を務めるフランキーのところに食品公害の問題が持ち上がる。相手の企業の社長はかつて彼らを朝鮮に騙して送った手配師だった。そこで一か八かの賭けに出る二人。汚い横須賀の海辺に座りながら、「東京の靴磨き」を歌う二人。突如朝鮮戦争の画がモンタージュされる。いつも、作品のなかで男達が歌いだしたらもう後には引けないんだよね。それからのドタバタは笑って下さい。

 あ、それから唖の(もちろんニセ)バーのママの役の岡田茉莉子はきれいだった。ああいう、色気と可愛さのすれすれの役が出来る役者っている?

(角田)


●唐獅子株式会社

 曽根中生 84  (ビデオ)

 『新唐獅子株式会社』の予習と、『天才伝説 横山やすし』の復習ということで観てみましたが、鈴木清順一派の日活路線(ナイトクラブの世界)と東映ヤクザ路線(キャバレー、ドブ板の世界)のセットや雰囲気の作り方の違いが出ていたり、横山やすしをどう売り出すかに四苦八苦してシナリオを書いたか(桂千穂、内藤誠)など舞台裏が今だからか、新鮮に見えるプログラム・ピクチャー。

 日活にしても東映にしても主人公(アウトロー)を描くのに、格好良く描こうとするが、曽根演出は、東映ヤクザ路線のパロディーは、真剣に東映くさくやらないと、おかしくないという基本の最大のポイントを外してしまった。逆に日活アクションの世界を引きずって半端なモダンさをおかしさの軸においてしまったところに問題がある。そのために、細部が疎かになり、組の事務所や、大親分の応接室、キャバレー、テレビ局などのセットが無機質な世界で、ヤクザの役をやっている役者たちが芝居をしているといった、結構寒い仕上がりになっている。

 最後までこれがシャレであることがわかっていたのは、大親分の丹波哲郎と、兄貴分の伊東四朗だけじゃなかったろうか。(この二人ともテレビのテンポを知っていたから互いに相手を食わず、食われずに自分の役柄を演じ切れたのだと思う)逆に、横山やすしは、映画にのめり込んでしまい、普段の自分のテンポを見失っている。監督も大切に扱っているのが良く分かる。センチなシーンは、格好良い台詞や舞台をちゃんと用意してある。が、しかし、やすしは主役じゃなく、群像劇のなかで狂言回しをしなければ成立しない役柄だとおもうのだが、ピンで立とうとしてかえって浮いてしまっている(小林信彦の原作では上手く主人公を一人称のハードボイルドの手法を使い目立たなくさせ、群像=シチュエーション・コメディーに成功している)。コメディーの筈が監督のねちっこい演出のお陰でテンポが出てこないし、シナリオでその部分も解消されなく消化不良となってしまった。

 3年ぶりに、刑務所から出てきたら間違えられて対立している組の若いモンに拉致されるのを、逃れるまではなかなか、ええテンポなのだが、組がいつのまにか株式会社になって雑誌を出しているところが最初の面白いところのはずだが、ノーリアクションで、やすしの偽物の島田紳助(!)をぼこぼこにするギャグでごまかされている。大親分の応接室で、大親分の息子のフランス料理を食わされるところも、シナリオで読むと面白いのかもしれないけど、長回しで延々と撮っていてアクションがない。

 中盤の大親分のオンナの甲斐ちえみを「唐獅子芸能社」で歌手デビューさせようとしたシチュエーションが現れてからようやく物語が動き出す。しかし、これ以後もあまりギャグというギャグが無く、やすしがストイックな古典風のヤクザを演じているだけで映画に飛躍がない。真面目すぎるのだ。ただやすしを売り出そうとして盛り上げようとしているところには共感が持てるが、ヤクザ映画のパロディーとしてきっちりやるか、(その点では『静かなるドン』シリーズも同じような間違いをしているし、Vシネマ『ヤクザ物』の多くがその呪縛から抜けられないでいる。それを逃れるには、テレビ・バラエティーのスケッチ方式のようにギャグが物語を作るか、役者がもっと動くかじゃないと面白くはならないんじゃないだろうか。

 前田陽一監督はその辺りをどうクリアしたのだろうか。

(角田)


●喜劇・あゝ軍歌

 前田陽一 70  (ビデオ)

 諸般事情でビデオにて観ることとなったが、劇場で観てもよかったなあと、いま思っている。アタマの中では軍歌が次々と未だ鳴り響いている。観てない人にどう説明したらいいのか、要約不可能な細部だけで出来ているトンデモなくエネルギーに満ち溢れている傑作だ。

 戦後25年、いまも戦死した英霊を奉ってある御魂(みたま)神社。(靖国神社とは言ってない)そこに遺族を連れてついでに東京見物させるのが、フランキー堺と財津一郎の会社「紅観光」の仕事だ。二人は戦友で、戦時中はキチガイのふりをして精神病院で敗戦を迎え生き延びた男たちだ。

 ある日、御魂神社をお参りした老婆が、思い残すことが無いから自殺したいと言うので困り果てて、自分の家に連れ帰るフランキー。この家は東京湾の埋め立て地の一角にあり、まわりは雑草が茂り廃バスが置いてあるような見捨てられた土地。貧乏くさいのだが、良くできたセットです。一方の財津は「生活を変えたい」というヒッピー青年を木箱の貨物に詰めてアフリカ行きの貨物船に乗せようとするが失敗、彼もフランキーの家に居候をすることとなる。他にもフランキーを逃げた亭主と勘違いするパチンコ好きの四国の女と、妊娠中の17才のこれもヒッピー世代の娘も現れて、あっという間に血の繋がってない家族が出来上がってしまう。

 その先は、前田映画お得意のある作戦が繰り広げられるのだが、ストーリーを追うことだけにこの映画の面白さは無い。軍歌が何曲も流れるのだが分かりやすい反戦とか、厭戦とかいうメッセージは見えず、ひねくれて見方によっては軍国少年的な勇ましく思えるだが(軍歌のオンパレードでアタマにこびりついてしまう)、実はどんなことをしてでも生き延びてやるという、戦争の善悪についてなどという簡単なメッセージでは解けないように人間臭く観念的でなく作られている。

 ラストにはもっとトンデモない不埒なことを計画してアッと言わせます。「炭坑節」など歌を巧みにリフレインして意味を二重三重にして、効果を倍増させている。

 湿っぽくとか、硬派でとか作れる題材を斜に構えながらも力技で喜劇まで引き上げてしまうのは、ものすごい力量だ。渇いていながらも鋭い、才気に満ちた作品だ。(ああ、もっとストーリーとネタについて書きたい。)

(角田)


●起きて転んでまた起きて

 前田陽一 71  (中野武蔵野ホール)

 ナベプロでの3本目の仕事で役者の扱いがこなれにこなれて、その扱いで笑わせてくれるタレントの芸を観る映画に育っている。ちなみに調べたら併映は『日本一のショック男』と植木等主演で加藤茶、犬塚弘なんかでている、ナベプロの売り方の上手さを見るようだ。確か、観には行ったけどこちらは何の記憶にも残っていない。(といっても10年くらい前の話だけど)。一方こちらは、ぼんくら三流大学の城北大学、ボーリング部に所属するマチャアキと、新車を乗り回す同級生で幼なじみの典型的な浅草育ちの2代目のなべおさみは、ボーリングが好きでたまらない。物語はそんな2人にぴったりの浅草、向島を舞台に現代と粋がぶつかりコミカルにスケッチされる。

 なべのオヤジはアメリカン・クラッカー!!で一財産を築き上げた、それで金回りが良い。反発するマチャアキ。しかし、事態は急変。なべのオヤジが急逝。そしてアメリカン・クラッカーのブームを見誤って借金2千万を作って屋敷を手放すハメになる。オフクロさんと一人息子のなべは、浅草の花柳界の小さな家に居を構え、オフクロさんが昔していた芸者の髪結いの手伝いなどをするが、一念発起して大学を中退して、タクシー運転手として借金を返そうとする。そんなところに毎日、借金取りの小松政夫が2千円、3千円と巻き上げるが、その駆け引きが絶品の芸。一方マチャアキは、実家のカツラ屋(?)が当たって、将来は専務の羽振りの良さ。今度は反対になべが反発する。そんな事をしているうちにタクシーは事故を起こしてなべはクビになってしまう。仕方ないので、花柳界で俥屋をするが、ひょんなことでタイコ持ち(幇間)をすることになる。そのお師匠さんが、いかりや長介。この二人の踊りの稽古も息が合っておかしくてたまらない。ぼけと突っ込みがいい感じでやりすぎずに見せてくれる。しかし、幇間も失格で失意のなべに一発逆転の機会が訪れるのだが、そのあたりはほとんど古典落語のような畳み掛けるような、駆け引きや話術でたっぷり堪能させてくれる。

 役者の芸が厚くなった分、安心してふざけた設定もそれもありだよねという感じで見てられる。ただ監督がこういう浅草とかの世界にどれだけ興味があったのかなあというのは分からない。「やっぱモダニストじゃないかな前田氏は」と改めて感じた。ホントいい噺を聴いたなあと思わせる円熟した映画だ。

(角田)


●喜劇・昨日の敵は今日の敵

 前田陽一 70  (中野武蔵野ホール)

   世紀末、大して楽しいことがないところに、こんなに無責任な滅茶苦茶な爽快な映画が今観られることは幸せなことだと思う。だから検索エンジンにも引っかからなくても人様の掲示板にも乱入してでも、「面白いものは面白い!」と連呼し続ける。

 ただギャグ映画の場合どこまでばらすのかが微妙なところなんでね。ほとんどギャグが集まって重なり合ってストーリーを作っていくといった不思議なモダンで現代的な全然古びていないのが特徴の映画。観て唖然、呆然する事間違いなし。

 東京の三流大学らしい城南大学、入学シーズンで新入生の獲得に忙しい。応援団長のなべおさみと小松正夫は、なぜか堺正章に目をつける。しかし案の定、マチャアキは軟派なバンド活動に参加してしまう。その名も『ハッスルズ』。

 そして舞台は、突然、伊豆箱根小涌園となる。温水プールを備えた大型ホテルで話は進行する。なぜか、応援団とバンドが同時にバイトに来たりする。(応援団はボーイを、バンドはマチャアキの『さらば恋人』を演奏)。そこに氾文雀率いる城西大学空手部と勝負をしたりするハメになったりしてバイト生活が過ぎていく。

 ある日やってきた、立派な身なりの男(平田昭彦)、とそのお付きと美少女の四人。なべおさみを感服させ、小涌園で我が物顔に振る舞う。そして、ついに今の世を憂い、ここに『箱根独立構想』を宣言するのだ。失敗した場合は小涌園を爆破するという。(前田監督は爆破させるのが大好きのようでしばしば出てきて、爆弾が絡むと俄然面白くなる)その尖兵を応援団が果たし、着々と計画が進むように見えた。

 しかしそこには、とんでもないドンデン返しがあった。ここからは、ナンセンスの極みとしか言えないシーンがオンパレード。笑い死にます。余りのバカバカしさに。なぜか、いつもなぜかなのだが、サスペンスが最高潮に達したときに布施明が出てきて一曲歌うという、とんでもないシーンがあり椅子から転げ落ちそうになりました。これ以上は書けません。あとは、劇場でね。あ、「ゴールデンハーフスペシャル」も歌い踊ります。

(角田)


●喜劇・右むけエ左!

 前田陽一 70  (中野武蔵野ホール)

   時刻は夜の7時半。微妙な時間だ。待ち合わせの、相方に目で合図を送る「どうする?」。相方も「どうするかだな、呑む時間としては充分あるが、デキあがっちゃ元も子のない」とその目は告げていた。が、そんなことを言ってたら、雨上がりの中野北口ブロードウエイでは凍え死んでしまう。お構いなしに、手近かの居酒屋に入り、ビール、熱燗とセーブをして呑む。時間は9時に近づく。

 品の良い酔っぱらい状態で、場内に入る。雨のせいか、それとも日曜日のせいか、観客の入りは4割と言うところだ。9時20分、何度も観た『新唐獅子株式会社』の予告編に続いて、ワイドスクリーンサイズに画面が切り替わり、東宝の会社のマーク、そしてワタナベプロ製作と出る。原色のバックにモノクロ写真のコラージュを切り絵のように散りばめてタイトルが流れる。音楽は「大きいことは良いことだ」でお馴染みの山本直純先生。2曲しかないテーマソングを景気良くならしながらナベプロの黄金期のスター総出演で物語は始まる。  とある下着メーカー(タイアップでワコールなのだが、看板は出るがワコールとは一言も台詞に出ない)のファッションショー。今やすっかり芸能界の隠し芸男と化した堺正章が、ガリガリの身体でお調子者の長髪のサラリーマン、マチャアキを演じドジを踏んでばかりいる。それをカバーする筈の上司の犬塚(クレージーキャッツ)弘課長は、昼行灯でただ一人部下のなべおさみにだけ何故か慕われている。  そんなある日、会社に海外部が出来、パリ、ロンドン、ニューヨーク行けると思って集められたのが、先程のボンクラ社員7名達(小松政夫のオカマ演技が笑える)。彼ら全員、社長訓辞で根性を入れ替えるために習志野の自衛隊に体験入隊させられるハメになる。昼行灯課長はかつてこの駐屯地にいたことがあり、制服に着替えると、俄然人が変わったように生き生きとするのが戦後25年の実感だったのだろうか。

 鬼軍曹?左とん平に鍛えられていくうちに、(誰も自衛隊批判、文句を言わないのはこれもタイアップだろう。)犬塚課長の過去が明らかになる。ここでかつて課長は、スパイ容疑をかけられ殺されそうになったのだ。その理由は、本土決戦に備え、予備の資金を駐屯地に埋める話を聞いてしまったと思われたからだ。真相を知った彼らは、身代わりに殺された同僚のためにも、自分たちのためにもその金を頂こうとして計画を立てる。しかし、埋めてあるところは立入禁止区域だ。

 そこに偶然ライバル下着会社の女子野球部も体験入隊していた。もうお分かりであろう、女風呂のぞきでてんやわんやの騒ぎとなり、ライバル会社の監督、若かりし、いかりや長介登場。野球大会で決着を付けることとなる。そこに現れた助っ人があっと驚く人(元プロ野球選手・・なんで出演したんだかわからないけど)。犬塚課長は、ライトを守り、立ち入り禁止地域に入り込んだボールを探すフリをして埋蔵金のありかの見当をつける。

 突然、GSメロディーがかかり、ザ・タイガースが、戦車の上で一曲演奏するサービス。というラブ・アンド・ピースな展開で、若い岸部兄弟やジュリーが観られます。そのまま、夜のパーティーシーンになり、ナベプロが売り出し中のオリビア・ハッセーとの結婚前の布施明が熱唱。井上順もエリート自衛官として登場。太り気味の和服姿の吉沢京子木の実ナナも参加する豪華シーン。

 埋蔵金発掘計画は、演習日ぼどさくさに紛れてやることになり、これから先は自衛隊全面協力の迫力満点、抱腹絶倒の大アクション・ギャグが満載です。ラストにたどり着くまで、息が途切れないまま90分、楽しませてもらいました。  センチにならない集団劇の細かく観れば、いろんな芸を一人一人やってるんだがそれをさりげなく撮ってしまう贅沢さ。これはカルトでっせ。思想とか、言いたいこととか、スタイルとか求めちゃダメ。一言で言えば、「んなバカなの連続コメディー!」。

 終わって時計を観れば10時50分。終電までにもう一杯だけ。安い店で呑みましょうか。

(角田)


●七つの顔の女

 前田陽一 69  (中野武蔵野ホール)

   お嬢、学者、錠前屋、印刷屋、坊やと全員、綽名で呼ばれる泥棒集団が、悪徳企業から裏金を偽札と取り替えて一儲けを企む、痛快なお話し。岩下志麻が、きれいだし、緒方拳が固い演技の気障な二枚目など、ちょっとバタ臭いスパイもののパロディーに、間にギャグを挟み込みながら痛快なテンポで進んでいく。このバタ臭さがセンチにならずにナンセンスギリギリに持ってくるのが前田陽一映画の魅力だと思うのだがどうだろう。

(角田)


●ちんころ海女っこ

 前田陽一 65  (中野武蔵野ホール)

   原案、富永(マンガ教室?)一朗のポンチ画に始まる、本編は高度成長の余波が地方に波及してくる時代に忘れられた小島を襲った、ドタバタ喜劇。為朝島(どう考えても大島なんだけど)も観光化しようとする村長を始めとする一派がいて、昔からの海女をお色気路線として売りだそうとする。が、そんなものを笑い飛ばす海女達のパワーの描写があるが、でも金になると分かった途端に若い海女達は観光化の手伝いをする。その現金さ加減。欲望一直線の正直さ。

 一方、自宅に温泉を掘ろうとするが全然出てこない左朴全が怒って庭の木を引き抜くと、なんとそこから温泉が沸き上がり、一気に観光化に拍車がかかるはちゃめちゃさ。一応主役の中村晃子は、海女の格好でカマトトぶって可愛いのだが、演技が出来ないのが見え見えで台詞も少ない。

 島の風習と都会化のせめぎ合いがあったりするのだが、夜這いでドタバタとかいうギャグでみんな裏の裏をかきあってぐちゃぐちゃな関係になって話は進んでいく。しかし、わずか90分もない映画の中でこれでもかというくらい内容が詰め込まれラストへとなだれ込む。

 なんで30年前に作られたプログラムピクチャーが充実しているのお?としきりに思った次第。『Shall we ダンス』とかに偽善、あるいは物足りなさを感じる人には是非観てもらいたい。ちなみに場内は満席だった。

(角田)


●洲崎パラダイス 赤信号

 川島雄三 56  (ビデオ)

 東京の戦後の風俗・風景(高度成長前)を撮らせたら、小津安二郎よりも川島雄三の方が優れていたのではないかなと思わせる風俗映画(褒め言葉だよ)だった。

 映画を頼りに向島周辺を歩いて行ったら感慨があるのではないかとも思うけど、何か残っているのかなあ。「玉の井」と言う地名も「東向島」に変わってしまったくらいだから何もないかも知れない。

 カメラは歓楽街、「洲崎パラダイス」に入る手前の一杯飲み屋に流れてくるダメ男とその情婦、女将さんを中心に話が展開する。強い女と、弱いがプライドが高い(男と言うだけで威張っている)男の感情のすれ違いを、情景に梅雨入りの侘びしい夜の風景と共に描いている。今は成立するか分からないけど、男女の力関係がころころと次々と変わっていくところのスリリングさも魅力だ。

だらしないねと嘆いていた飲み屋の女将も失踪していた亭主が帰ってくると泣き崩れてしまって(そこらが伏線となるのだが)、関係性や人間関係のはかなさ、非情さが浮き彫りにされる仕組みになっていくシナリオが上手い。小市民という言葉が出来る前の人間ドラマだ。

(角田)


●二人が喋ってる

 犬堂一心 96  (ビデオ)

 吉本の高校を卒業したばかりの女漫才師「トゥナイト」のオハナシ。

 全編喋りっぱなしで、大阪の街を歩きっぱなしなんだけど、映画がそれで跳ねているかというと、そんな事もない。たぶんデジタルビデオで手持ちでほとんど撮った大阪の街でしゃべくりまくる二人のどうでも良い会話が、それ自体が漫才のテンポになっているので飽きないが、目指す方向がどこに行くのかまったくわからん。

 思いつきで撮った割には練られたシナリオで良く出来ているし、構成を時系列をバラバラにしたことで単調になりやすい話を引き締めている。でもさ、映画って状況以上のものを観たいと観客としては思っているわけさ。誇張もせずに淡々と撮っていく中からなんか見つけてよというのは、ずるいんじゃないかなあ。そりゃ、コンビが決別しそうになる危機について、二人が死ぬほど語り合っているのは良く分かるけど、そんな事は、アクション一つで解決することじゃないの?

 スタイルが違うと言えばそれまでだけどそういうのを見せてくれますかと言う感じだ。面白い映画なんだけど、図々しさと大胆さに欠ける部分が(別名、いい加減さ)こじんまりとまとまった印象を受ける。

 市川準の新作でシナリオを書いたそうだがどうなるか、期待しています。

(角田)


●神様のくれた赤ん坊

 前田陽一 79  (ビデオ)

 中野武蔵野ホールの『前田陽一映画祭』を観ようかどうか、考えていてプログラムを調べてみたら、ほとんど全部ビデオ化されていないことに気付いた。よおしと、景気付けに観てから考えようとビデオ屋の棚から抜いてきた。

 たるんだテレビとか、映画ばっかりに浸かっていてまあ、これで良いでしょうなんてこと言っていたが、今は無きプログラム・ピクチャーが画面からこちらに溢れ出ていてどぎまぎしてしまった。与えられた原作、役者、予算の中でお客を納得させる技、それが演出力と言うんだけど、桃井かおりの表情が、物凄く良くてびっくりしてしまう。渡瀬恒彦の飄々としたいつもと違った肩の力の抜けた演技がセンチメンタル過多になるところを避けている。

 「ねえ、私たちもしかして同じこと考えているんじゃない」という台詞のリフレインの効果的な粋な使い方、九州の当地を知っていると余計感じることがあるんじゃないかな。そのローカル色の豊かさが映画の豊かさになっている。日本映画にありながら、赤の効果的な使い方、衣装、車が素敵に見える。ゴダールがどうしたなんてほざいてる場合じゃ無いぞ。久しぶりに映画の豊かさを感じた。テレビドラマで満足しちゃイカンぞ。こりゃ、通うしかないなという結論でした。

(角田)


●女必殺拳

 山口和彦 74  (亀有名画座)

 志穂美悦子が若くて、可愛くて、それでいてアクションができる。全編それが堪能できる素晴らしい映画。

 ストーリーは、『燃えよドラゴン』のパクリです。最初の5分で、説明調台本により、香港警察なのになぜか日本語で説明されてしまう。かくして、志穂美=李紅竜は東京の貿易会社を探る。ここでは、麻薬の取引の噂がある。しかも、屋敷内には、各武道の達人が集まっているというわかりやすさ。東京で行方不明になった兄は貿易会社の地下に幽閉されていた。それを助ける。李紅竜のアクションに次ぐアクション。全編の80%がアクションというしかも、全然だらけていないところは◎。アップに耐えられる志穂美悦子が亀有名画座に炸裂。しかも、チャイナから、パンタロンとコスプレのサービス付きとサービス満点の痛快作。

(角田)


●女必殺拳 危機一発

 山口和彦 74  (亀有名画座)

 勿論『女必殺拳』の続編。ストーリーは一作目とほとんど変わらない。助っ人の千葉真一が倉田保昭に代わったくらい。折角のヒット作を大切にしましょうね。クンフー映画で技にバリエーションがないからどうしても、敵側にバリエーションをつける必要があるけど、それもチト苦しかった。

(角田)


●女囚さそり 第41雑居房

 伊藤俊也 72  (亀有名画座)

 ごめんなさい、一作目をまだ見てません。これは第2作目。しかし、梶芽衣子は「あんた、アタシを売ったね」と「死んでるよ」の台詞が二つというのはすごい。というか、存在感で主役やっていたとしか言いようがない。キャスティング的には渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正の大島渚組に、早稲田小劇場の白石加代子(恐い)、日活の伊佐山ひろ子と各社乱れてごちゃまぜの濃さで各人いい味を出しているというか、監督は、演技には文句言わない人なんだろうなあ。随所に観念的な演劇的な演出が入って、照明がスポットライトに、御詠歌が流れ、女囚の因果物語の説明があったり、最後に、副都心が出来る前の新宿プラザの前の道路を女囚達がスローモーションで駆け抜けるというアタマを捻るシーンが続出するが、梶芽衣子がぞくりとするほど美しいので良しとしよう(甘いね)。 (角田)


●TOKYO FIST

 塚本晋也 95

痛さを追求する、東洋のパンク映画監督塚本の今の所最新作。『BULLET BULLET』は公開が決まったのだろうか?商業映画『双生児』は撮影が始まるようだし、海外の評価が高いというか、その分日本という変な国を独自の視点から見ている(それが自主映画だから特に色濃く出る)のが、見ていてこの人のアタマの中はどうなっているんだろうと考えてしまう。描きたいことを素直に出せないシャイさと、直接フィルムを引っかくように撮影していく執拗さはどこから来るのだろう。バイオレンスという衝動がどこに眠っているのだろう、それは表面的な評価かも知れないが見たことのない映画が展開されることは確かだ。

 結婚を控えた平凡なサラリーマンが、偶然に後輩のボクサーに出会い、婚約者を奪われ復讐の意味を込めてボクシングに挑戦していくと言うのが表面だったストーリーだ。しかし、ストーリーは口実に過ぎず、登場人物全員が何かに憑かれたようにただただ肉体の痛みを伴う改造に邁進してそれはエスカレートしていく。虚空の空間となった東京の街で感じられるただ一つの生きている実感を確かめるように身体を痛めつける。どこまでも過剰に行われている。それは、自作への主演、撮影、照明、編集と成し遂げている塚本の姿とダブってくる。彼はまだ、何かを信じて確信犯的には映画を撮っていないと思う。その試行錯誤が痛みとして迫力として見ている方に伝わってくる。

 今の所の商業作品の『妖怪ハンター ヒルコ』はお馴染みのコマ落とし撮影とかあるけど、確信犯的に作られていて痛みを感じることはできない。今後も自主映画と商業映画を両立する監督となれれば面白い存在になれると思うのだが。

(角田)


●燃える戦場

  Too Late the Hero

   ロバート・アルドリッチ 69

 1989年版のキネマ旬報社刊、「世界映画監督/スタッフ全集」では、なぜかアルドリッチの項から漏れていた。内容的に失敗作なのかと思いきや、どうしてどうして。

まず、米、日、英の三国旗を使った単純だが印象的なオープニング。いつも通り音楽は小津作品にも通じる(?)明るく、勇壮な正統派。これがドギつく凄惨な題材を多く扱うアルドリッチ作品を暗くしない秘訣其の一。

アメリカ人監督にも関わらず、まだ余力の有った頃の日本軍と英国軍の戦いを題材に選んだのも冒険的。ペキンパーが最初の近代戦争物「戦争のはらわた」に独ソ戦を選んだ勇断だか暴挙を思い出させる。

話は最初、全然燃えない。舞台の太平洋諸島にはバカンス気分でやってきた米軍中尉(クリフ・ロバートソン)が主役。登場シーンではダイインと見紛う様相で日光浴。日本軍と英国軍が膠着状態になっている島に行き、特技たる日本語を駆使して陽動作戦に参加せよとの新しい任務に不平タラタラ。

同じく島のイギリス兵は労働者階級出身の徴兵組や、日本軍にこっぴどくやられた敗残兵(マイケル・ケイン)の寄せ集め、中流階級以上らしい中尉(デンホルム・エリオット)が尻を叩くも士気が上がろうはずも無い、仮病、泥棒は日常茶飯事の連中。 最初からやる気の無い雰囲気で出発した一個小隊が、姿を見せない日本兵によって、一人、また一人と死んで行く。途中で無線機も壊れるし、良い気味である。 せっかく手に入れた偵察情報も仲間割れで危うし。果たして基地まで持って帰れるのであろうか。ここらへんから俄然、人間関係が変な燃え方をしてくる。その葛藤振りもアルドリッチは容赦無く全て見せます。役者の名は知らないが、一番卑怯な兵隊「キャンベル」が、あまりにも姑息で悪いので、かえってコメディーリリーフ的になるのは、「攻撃」のエディ・アルバートと似ている。

で、一番格好が良いのが、なんと追跡グループの日本軍指揮官を演じる高倉健。やっている事は充分卑怯なのだが、その品の良い佇まいによって、「知略」という美辞麗句が似合ってしまう凛々しい青年将校振り。どうか最後まで格好良く終わります様にと願う日本人ファンの気持ちは果たして通じるのでしょうか。

日本兵と英国兵の体格さを気にならなくする工夫(ジャングルの茂みを上手く使って、空間的に隔てて撮影する、白兵戦は極力避け、神経戦を題材にする)など、脚本の上手さは幾等でも挙げられるのだが、脆弱にはならず、活劇的な面白さも充分あるのだ。

最初と最後に挿入される英国軍基地と日本軍が支配するジャングルの境界線に横たわる数百メートルの平地を使用した全力疾走シーンが素晴らしい。彼の映画の走るシーンはなんでこんなにスリリングなのだろう。アメフトを題材にした「ロンゲスト・ヤード」はもちろん、「特攻大作戦」の手榴弾を持ったジム・ブラウン、「攻撃」でジャック・パランス曹長と彼の小隊が危険地帯の丘を走り降りるシーン.e.t.c.

例に依って自然だが絶対単純な切り換えしをしない、独特なカメラワークもいっぱい出てます。

それにしてもこの映画、米英でヒットしたんですかね。

(森山)


●Mr.ジレンマン 色情狂い

 小沼勝 79

 お昼のTV 「笑っている場合ですよ」で「日刊乾電池ニュース」をやっていた頃の東京乾電池のメンバーが出ている笑えない日活コメディーポルノ路線の一本。神代辰巳の『壇ノ浦夜枕合戦』に風間杜夫が出ているのとは、ちと違う。ほとんど捨て身のやけくそな感じがいい加減ないい味を出している。

 今は一応まっとうな役者の振りをしている柄本明が家庭では粗大ごみ扱い、会社ではダメ課長補佐として、うだつの上がらない生活をしているのだが、なぜかある日、専務室にあった南方から持ってきた部族のマスクとテーブルクロスをマント代わりに纏うと、Mr.ジレンマンとして精力絶倫男として変身して悪徳専務(高田純次)や社長(綾田俊樹)らをやっつける。当時もそんなに笑えたと思わないが、今も失笑してしまう脱力作品。往事を思い出したい人にはお薦め。ちなみに脚本は荒井晴彦。

(角田)


●子連れ狼 三途の川の乳母車

 三隅研次 72

 脚本の小池一夫か、三隅研次のアイディアかは、定かではないが次々と時代劇活劇をひっくり返すような、ほとんど場外乱闘流血の会場と東スポなら書きそうな、チャンバラとは言えない、時代劇=人殺しの合法化の極北に行ったような作品だ。手足がちぎれ飛んでほとんど芋虫状態となって死んでいく有り様が克明に描写されるが、ギリギリの美意識を持って作られているので不快感は免れている。(まあ血飛沫が辺り構わず飛び散るのを別とすればだ)。マカロニ時代劇と言ったところか。その劇画感覚を楽しむのが良いのだろう。

(角田)


●エヴァンゲリオン シト新生 ●エヴァンゲリオン エンド・オブ・エヴァンゲリオン

 庵野秀明 97

 テレビ・シリーズを見ている人は一本目は見なくて良いです。総集編なんで。テレビ編の最終話を飛ばして、『エンド・オブ・エヴァンゲリオン』にいけば、テンションはつながります。2本目でやっとテレビの続きが始まります。………………内容は別にして。別に書くことないや。

(角田)


●Uターン

  U-TURN

   オリバー・ストーン 97

 相変わらずの、ストーン節で来られた日にゃ、ホンマ、こいつは莫迦か利口かようわからんと首を傾げて数作品観ましたが。あまりに格好付けながらも、分かりやすすぎるオマエ頭悪いんじゃないのと突っ込みたくなるサービス精神。日本テレビのドラマでも見ているような居心地の悪さを感じさせてくれる。

 ストーリーは大金を持ち逃げした、小悪党のショーン・ペンがアリゾナの寂れた街に迷い込み、次々と災難に巻き込まれ街から逃れられずに自滅していく。誰にも感情移入出来ないし、物事をあからさまにしか描けないストーンだからユーモアとして笑えないのが欠点。折角、ばかばかしさに全編彩られているのにどういうスタンスを観ている方は取って良いか悩んでしまう。ああそうですかと観ているしかない。観客の想像力を刺激しないんだよね。それが、MTV感覚的でもあるのだけど。空回りしているだけだ。

 シナリオがなかなか良くできているので、もっとラフに撮ればビデオ屋でのベスト10くらいは狙えたのにね。

 真面目が取り柄も良し悪し、オリバー・ストーンとスパイク・リー。

(角田)


●突撃隊

  Hell is for Heroes

   ドン・シーゲル 62

 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線。疲れ切った兵士達がアメリカへの帰還命令を待っている。しかし、彼らを待ちかまえていたのは最前線への進軍命令だった。

 『プライベート・ライアン』でスピルバーグが描ききった残酷性を何のトリックなしに描き切るこの冷徹さはどこから来るのだろうか。スローモーションなし、全編カットつなぎだけで戦闘シーンを瞬間のうちに何の感情を交えずに描く。そこにはスピルバーグが苦労して撮った残虐シーンから出てくるトリックの世界とは全く無縁だ。ドン・シーゲルはモノクロのB級戦争映画の枠を目一杯利用して、逆にそこから最大限に汚れて疲れて残酷な記録的映像を作り上げリアリティーを増す方法を選んだ(コンバット的にね)。

 ドン・シーゲルの映画って、律儀なカットの切り返しでかっ飛ばしていくテンポの良い演出と、ドキュメンタリー的に長回しをしてわざとその中で何かが起こるという緊張感の高める演出とを巧みに使い分けるのが特徴だと思う。だから、凝縮した時間の中でのストーリー展開が圧倒的に上手い。最前線に出た、はぐれものの元軍曹で今は一歩兵のスティーブ・マックインを含む少人数の中隊だけが残され、一つの要塞を挟んでドイツ軍と一晩対峙する。どちらが仕掛けるか。何のセンチメンタリズムもないし、ただプロの兵隊となって戦う。罠を仕掛けたり、仕掛け返されたり、その緊張感が闇の中に展開する。一瞬遅れただけで殺されてしまう、あまりにも早すぎて何が起きているのか、敵、味方が交錯して戦う細かいところは素早くて把握できないくらいだ。(でも映像的には的確に捉えている)。本当に銃弾に当たったら死んでしまうかと思うくらい緊張感のあるシーンの連続だ。

 マックインの最期もわずか2カットで処理してしまうなんて今のだらけた映画では考えられない。思わず呆気にとられてしまった。昼間の大戦闘シーンも大迫力です。『プライベート・ライアン』とは比べる映画じゃないけど、併映で観ることをお薦めします。

(角田)


●20世紀ノスタルジア

 原将人 97

 賛否両論分かれている映画なのですが、私的には全然駄目だった。理由は“団塊オヤジの撮った私映画なんてみたくないぜ”に尽きます。悪口を言うときだけ生き生きするのは良くないとは思いますが、最近気になっている「ビデオ映画」について敷衍していくことでその辺は許してもらいましょうか。

 まず、劇映画として形にもなってない。

オヤジの妄想(1) 突然現れた謎の電波系転校生と、宇宙人の地球滅亡についての会話をビデオ越しにされて恋してしまう高校生の女の子がどこにいるんだ。

オヤジの妄想(2) それで一緒に東京中と言っても湾岸地帯お手軽な半径10キロ圏内を撮影して映画を作ろうなんてのに一夏過ごす娘がいるのかね。

オヤジの妄想(3) 描いている風景も描いている被写体も全然楽しそうじゃない。歌も何もかも気恥ずかしくなる狂い方で尋常な神経とは思えない。

オヤジの妄想(4) 直接は分かり合えないけど、映像を介してなら分かり合える人間関係。

オヤジの妄想(5) 分かれても愛し合う話の分かる両親。

オヤジの妄想(6) やっぱ地球は滅亡しない、自然を大切にしよう。

 ………要するに自分に都合の良い私映画なのだ。そこに広末がまぶしてあるからみんなごまかされてるだけなんだよな。ただ、カメラを介してしか何にも言えないだけじゃないか。それに何かを良いわけにしてテープを回すのは止めなさい。もったいないから。カメラを取れば、団塊世代オヤジが描く都合の良い自己投影した良い子どもじゃないか。自分たちの若い頃のことはどっかに埋めて隠して、子どもに強要する親が見た「子どもらしい姿」の典型じゃないか。気色悪い。ビデオであろうと、フィルムであろうと何を映そうとそこには、現在も映っていないし、監督しか映ってない。だから団塊野郎の映画はダメなんだ。時代時代に都合の良いことしか映そうとしない。目の前のことに目を瞑り勝手な解釈しかしない。ビデオである必然性が何もない。敢えて言うなら取りあえず回して都合の良いところを取り出し、編集でこれも都合の良い結末を出す。映したものに対する敬意に欠けているとしか思えない。結構、勝手な作りの映画だ。なんも新しくも、爽やかでもない。不愉快である。

(角田)


●パーフェクト・ブルー

 今敏 97

 公開前は、色々話題に(一部で)なったけど、いつの間にか公開されてたなあ、と言った感じだった。一つのアニメの可能性としては、まあ良いんじゃないのと言う程度かなあ。作画のレベルは高いしね。でもこれを実写でやらない意味が分からない。アニメにしても実写にしてもたぶんに中途半端なものになるだろうがね。アイドルを脱皮して女優となる女の子につきまとうもう一人の自分というストーカーものなんだけど、結構、シナリオがいい加減だから、アニメの勢いじゃないとふざけるんじゃないと言うことになりかねない。幻想シーンの処理に狂気が無く、ありきたりなんだよね。これくらいでいいかという部分が見える。もう少し理詰めで、書いても良かったんじゃない。ウエス・クレヴィンくらいにはさ。想像力が欠けてます。

 まあ、アイドルか女優かの選択で悩む設定自体が別に共感得るモンじゃないよね。そこにストーカーの味付けするなら、多少は人間界のドロドロも加えても良かったんじゃないかな。アニメの人はその辺興味ないから薄い設定になっちゃうんだよな。

(角田)


●地雷撤去隊

 室賀厚 98

 東南アジア某国にリゾートホテルを建てようとする日本企業。しかし建設予定地には地雷原が横たわっていた。工事は期日までに終わらせなければならない。そこで、刑務所から減刑をエサに囚人を志願させ地雷撤去に携わらせる。一癖も二癖もありそうな奴等、アメリカ人、中国人、そして日本人犯罪者が命を張って地雷原を進む。

 ロバート・アルドリッチの『地獄まで10秒』やジョゼ・ジョバンニの確か『ラ・スクムーン』と同じ様な設定だけど、過度に力を込めていなく淡々と地雷との戦いを描き続ける。見ていて結構はらはらする。実際にカンボジアでロケしただけあって迫力も満点。裏切り、裏切られるなど、定石な流れだがB級映画としての心意気が見える佳作。音楽のトルステイン・ラッシュが全編盛り上げています。映画音楽家としていい線行ってます。彼らについて情報を下さい。

(角田)


●ポストマン・ブルース

 サブ 97

 郵便配達人は走る。自転車が冬の京浜の街を疾走する。物事には退屈と偶然と冒険しかなく、それが渾然一体となったときに映画が生まれる。

 郵便配達人がヤクの売人と間違われ、病院で出会った少女と恋いに落ち、殺し屋とも友達となる。そして警察に追われるハメになる……。脚本は穴だらけだが、それにもまして力任せの演出がねじ伏せている。ギャグが滑っているところも目をつぶろう。みんなが大人しく上品な映画を作ろうとしているときに自主映画としか言えない映画を作る情熱はどこから来るのだろうか。この疾走感はアメリカンニューシネマ(バニシングポイント)のようだ。

 このまま大人な映画は撮って欲しくないなあ。ラスト、泣けます。全てはそれで許される。あと、監督のクレジットが出てくるところが滅茶苦茶格好良い。お見逃しなく。

(角田)



●何もかも百回も言われたこと

 犬堂一心 93

 ビデオも進化すると思う。5年間の間でビデオの文法が変わってしまったのか。それとも、青春映画に飽きてしまったのか。

 大学浪人の女の子の一夏の間の事件でもない事件を描いているんだけど、幕張メッセの完成する前の千葉の海を背景に重ね合わせられる自転車でしか行けない自分自身の世界の果て。そのなかで起こる出来事を切り取っているのだがどこにこだわったのかなあというのが最後まで見えてこなかった。

 どこに見る拠り所を作れば良いのだろうかと思っていた。新作を見てから続きをもう一度書きます。

(角田)


●ゴダールの新ドイツ零年

  ALLEMAGNE ANNEE 90 NEUF ZERO

   ジャン=リュック・ゴダール 91

 いつの間にかゴダールの作品には「ゴダールの」という枕詞がつくようになり、とともにますます不明瞭なイメージの洪水の世界へと向かい出しているようだ。

 ここには映像化されるイメージが何一つない。未来へ向かうベクトルが何一つ見つからない。かと言って過去を振り返るベクトルもない。空中分解したまま、年老いたスパイ、レミー・コーションが取り残された過去を取り返す冒険(決して新しくない)への旅立ちなのかも知れない。

 しかしそこにはもはや、美女も強敵も現れない、年老いた自分の姿と壊されたベルリンの壁の残骸しかない。

 どこに向かうでもないこの閉塞したドキュメンタリーは、ドイツの状況に対するゴダールの痛烈な答えかも知れない。新しいドイツなどどこにもないと。その喪失感だけで成り立っている。もはやスパイも探すべき物語もドキュメンタリー映画監督も必要ない。それがドイツに対する彼の意見ではないだろうか。

(角田)



●大爆笑問題2

 借りたはいいが、60分の割にはネタが少なすぎ。別に放送禁止になるほどのネタもなく、テレビ東京で深夜やっている番組の方が『珈琲刑事』なんかおもしろいなあ。こういうのを見ると竹中直人がやっていた『東京イエローページ』のしょーもなさがあれはあれで良かったんだと思い出される。(なんのこっちゃ)

(角田)



●0課の女 赤い手錠

 野田幸男 74

 野田幸男っていつの間にか死んじゃっていたんだね。フィルムセンターの追悼上映で、この映画がやったときには見たかったなあ。今、シネスコで東映映画が見られる所って、新宿昭和館以外にあるのだろうか。

 ボクの中じゃ、テレビ番組『大激闘 マッドポリス80』の印象しかなく、幻の映画だったけど、見ておいて良かった。これはすごく面白い面白すぎる映画だ。誰もいま本気でこういう映画を撮ろうとしないからつまらないんだよ。

 内容は、色々書かれているから省略。ただ、どの登場人物も狂っていて何の工夫もなく、現金を強奪しようとする。(この辺の脚本の弱さはどうしようもないが、演出の力技でカバーされている)基地の街横須賀が背景にあり、ドブ板横町が汚く大泉撮影所に再現されている。いかにも貧乏くさい世界に繰りひろげられるマカロニウエスタン的人間関係、誰が裏切った、そうじゃないというやりとりが続く。そんな中で、杉本美樹だけが超然としている。赤いペラペラのコートに、赤いブーツ。赤い警察手帳に伸縮自在の投げ輪のような赤い手錠(ワッパ)。そんなハイパー・テンションの世界を駆け抜け、堪能できる希有な映画。

 こういう作品を見るとプログラムピクチャーに変わるものが無い今は不幸な時代であると断言できる。こわれた変な映画ってないもんな。

(角田)



●ミニスカ特捜隊 L.E.G.S.

 中野貴雄 98

 いま、日本で本当に莫迦莫迦しく、オモシロイ映画というのはどこかに生息しているのか。映画にはエンターテインメントという言葉が存在するがそれに相当する日本語は無い。敢えて言うなら、かの作家・翻訳家の吉田健一が使ったとされる“こころづくし”にトドメを刺すのではないだろうか。

59分、VTR、ミニスカポリスのパクリものと全ての悪条件が揃っている中、監督、スタッフ、キャストはまさに“こころづくし”を演出してくれた。こういう作品しか後年カルトとして生き残れないんだよね。面白くするために知恵を絞ること。そこに如何に風俗的、時事的なことを詰め込めるか、勝負の一つはそこにかかっている。最近のテレビドラマが詰まらなくなってきているのは、脚本家至上主義でアタマんなかで構築した世界をロケ現場で再現しているだけの公式を解くだけのノルマ作品となっているからだ。かつての久世ドラマをはじめとする元気の良かった頃の勢いは、疑似ドキュメンタリー『雷波少年』などに移ってしまっている。

 そんななか孤独に戦い続けている中野監督(単に趣味だろうという考えもあるが)。全てロケで、それも6箇所くらいで雨が降ろうが、全てを撮りきり、アクションシーン満載、爆破合成あり、しょーもないギャグ満載(『ぎるがめっしゅナイト』よりはオモシロイ)。小室○哉もどきプロデューサーが出てきたり、改造車ギリギリの真っ赤なパトカー(しかもアメ車)など、ほとんど狂気の沙汰とは思えない。

 しかし、ここまでやる本気さが楽しませてくれる作品となっている。紋切り調の羅列、ご都合主義の大逆襲=すかした映画は要らない、ってとこでなんでもありありそれが映画の「心意気」“こころづくし”だ。

(角田)



●あかすり屋湯助

 中野貴雄 95

 5年ほど前に、照明助手さんに呑みながら、今面白い新人監督はいるのか?と尋ねたら瀬々敬久とこの中野貴雄を上げた。ふたりともピンク映画でバリバリだった頃の話だ。まだ見ぬ中野監督の『海底強姦』=『海底軍艦』のパロディー。『女体渦巻滞』=石井輝男の『地帯シリーズ』のパロディー。などに、おおっ見たいと思っていたがなかなか見られなかった。そうしてやっと見られた本作品、推定予算200万円、撮影日数3日間。しかし、この面白さは突き抜けて尋常ではない。全編ビデオの70分の作品なのだが、全てがぎゅうぎゅうに詰め込まれ爆発しているのだ。そこにはすかした映画理論も何もない。オモシロイことだけに賭けた潔さが充満しているのだ。

 番組じゃなくて、作品はとある女風呂から始まる『時間ですよ』のような脱衣所のシーンがあって、黄金の腕を持った“あかすりの名人”がいると言う話になる。突然話が変わって浅草は花屋敷の地下にアジトを持つ“赤サソリ団”の本部と言っても三人しかいないのだが、アカスリとアカサソリを間違えるべたな間違え電話ギャグを挟んで、アカスリの順番を決めるので揉める女風呂での乱闘(もちろんサービスカット満載)。そこに現れるのが、大和武士の扮する“あかすり湯助”(全編気が抜けた脱力した演技が本気なのか、嫌気がさしているのか分からないところがすごい)、そして子分のオカマ(一本木蛮が素晴らしく良い)。全員をそのゴールドフィンガーであかすりをしてしまうという序盤の展開。合間に、フランスでロケしたパリジャンの湯助の評判のウデについてのへのコメントが入るというギャグがある。

 そこに、国防省の女指令や外国スパイ、浅草のスリ。下宿の未亡人が絡んできて(物語上だよ)、物語は意外性もなく、ばかばかしいほど、『スター隠し芸大会』『笑って笑って60分の「哀愁学園」』の様なご都合主義的オフビート展開をして、謎の財宝をめぐる展開へと移動する。ショーモないギャグが繰り返されて、最後には赤サソリ団の秘密兵器のロボットが登場したりして、一気に東映戦隊ものに突入したりするが、このあっけない展開は新東宝末期の因果応報の強引な物語を終わらせるためのシナリオのようで、これは後は笑うしかないというところまで追いつめられる。

 しかしこのカタルシスは物凄く気持ちがいいのだ。それだけは保証します。95年という年にこれを作った見せ物根性を見習え!(なんせ冒頭のスチル構成でオウム事件や阪神大震災がでてくるのだ。これだけやった作品があったかい?)ちなみに主題歌が『仮面の忍者赤影』風になっているところにも爆笑。 ちなみに歌詞は

    ♪シュッシュシュシュ シュッシュシュシュ

    肌をこすって あかすり野郎がやってきた

    美容を助け 健康守る

    みんなが待ってた奇跡のエステ

    その名は あかすり あかすり湯助

(レコードは朝日ソノマラから出てます)
見終わった後、幸せになれる一本デス。(俺だけか)

(角田)



  ●エルマリアッチ

 EL MARIACHI

 ロバート・ロドリゲス 93

 100万円もかけずに作ったといういわくつきの怪作。ただロドリゲスはこれ以後、自分のイメージのセルフ・パロディーのみに終始している様な気がする。『デスペラート』までは何とか自分の色を出せたと思うのだが、『フロムダスク・ティルドーン』(なんちゅう題名だ)ではタランティーノに引きずられ、『フォールームス』では中途半端に上手くなってしまった(といってもオムニバスの中では一番面白いけどね。後はオープニングアニメーションだけだ)。

 ボクはなんとも安っぽいし、一番無理してないこの作品が好きだなあ。ロドリゲスって基本的にはワンアイディアの人だと思うのだが、後先考えずに作ったらいつの間にか出来てました。と言うのが良いみたい。ハリウッドで構え過ぎちゃったんじゃないかな。タランティーノとつるんでないで、滅茶苦茶な爆発連発のアクション映画でも撮ればそこそこ化けるんじゃないのかな。

(角田)



  ●ヒート

 HEAT

 マイケル・マン 95

 デ・ニーロとアル・パシーノの共演ということだけが救いの映画。他に見るところは何もない。まず長すぎる。2時間以上のアクション映画なんか見たくない。撮影が雑だし、脚本の詰めが甘すぎる。一応、家族を捨て各々の仕事に生きる刑事と強盗団の戦いを家族愛をサンドイッチにして仕上げた分かりやすい構造だが、くどく台詞で片をつけるのと男が黙って去っていくのを、女が見守るといういささか古典的な人物配置がノワールの伝統を継いているけど、どうも空回りしている。ビシッとこないんだよね。最近の邦画、洋画問わず、格好良く決めたモンがないね。ダラダラの時代なのかね。

 監督が撮ったは良いけど、収拾がつかなくなって、プロデューサーと編集者がズタズタに切ったというイメージがある。編集者が5人ほどいたからね。プロデューサーはマイケル・マン自身と『ブラジル』でテリー・ギリアムと一緒にユニバーサルと戦ったアーノン・チャルミン。ただし近頃は金儲けに奔走してるらしいが……。うーん誰が納得してあんな編集をしたのかね、無駄なカットが多すぎるのだ。映画館でドルビーで見たらまあ騙されても良いかなと言う感じ。企画と掴み(キャスト)は良いけど、結果はねという典型的90年代ハリウッドアクション大作でした。予算が10分の1だったら面白くなったかもね。あ、でもギャラに消えたから同じことか。

(角田)



  ●ヘアスプレー

 HAIR SPRAY

 ジョン・ウォーターズ 87

 悪趣味監督の50年代のボルティモアのテレビ局で行われた、若者のダンス番組を中心としたノリの良い歌謡映画。

 主人公が太めの女の子。彼女が人気を獲得していく話に、黒人差別撤廃の話が絡まったりする。ジョン・ウォーターズは的確なカット割りで主人公達を愛らしく描いている。悪趣味なところもあるがそれも洗練されている。音楽とダンスへの思い入れがこの映画を面白くしている。そこら辺は『クラック・ポット』を読んで欲しい。あまりに正当で楽しい映画。

(角田)



  ●シド アンド ナンシー

 SID & NANCY

 アレックス・コックス 86

 主人公が、泥沼にはまって人生最悪まで行く映画って嫌いじゃないので、ほとんど息苦しいまでの夜間と室内ばかりの舞台の中でダメ人間達がどんどんダメになっていくのが哀しくも切ない。アレックス・コックスはそこに音楽とか、余計な感傷を持ち込まず、最初からダメになってくに決まっている二人をそのままに描いている。だからそれが観ている方に何のエクスキューズを与えてくれないので苦しい。たぶん予備知識があった方が楽しめるのだと思うが知らなくても取り残されることはない。アレックス・コックスのお得意の幻想シーンも冴えている。特に『マイ・ウエイ』を歌いながら拳銃を乱射してブルジョアどもがくたばるところは大いに笑える。

(角田)



  ●エスケープ フロム L.A.

 ESCAPE FROM L.A.

 ジョン・カーペンター 96

   前作の『ニューヨーク1997』を、15年前に今は無き三鷹オスカーで観て、余りのつまらなさに途中で出た来てしまった(滅多にそんなことはしないが)嫌な思い出があるので、恐いモノ見たさにビデオをセットしたが、観ていて余りの脱力で早回しする気にもなれずに最後まで観てしまった。

ジョン・カーペンターは、好き嫌いが別れる人だけど、『遊星からの物体X』以外はやっぱ、全滅の人なんだと思う。アイディアは悪くないのだが細部が弱いので真面目に作るほどアラが目立つという不思議な人だ。その辺にどこまで目をつぶってられるかがこの人を観ていられるかどうかの差なんだと思う。

 まあ、前作も感じたんだけども、広いL.A.でなんで簡単に目的の人物に会えたりして話が進むのか?敵がこんなに弱いのか、無能なのか?そういうところがイライラしてくる。うーむ、どこを観たらいいんでしょう。

(角田)



●四つ数えろ

 DEAD MEN DONT WEAR PLAID

 カール・ライナー 82

   ミステリーのパロディーは、ミステリーの形式を持ったモノとならざるを得ない、と言う説があるけど、この映画は古典ハード・ボイルドのパロディーとして、笑いたいのだがクスッとはするけど、以上良くできましたというハードボイルド探偵映画になっている。

 主演スティーブ・マーチンが探偵、撮影がマイケル・チャップマン(『レイジング・ブル』)による全編モノクロが、1940年代の雰囲気を頑張って再現している。なぜか、衣装がイーディス・ヘッド(『裏窓』など)という豪華スタッフ。まあ、趣向としては、編集で、ハンフリー・ボガートと電話で話したり、ベティー・デービスと会話したりしながら事件を解決していくというモノ。なんでこんな企画が通ったんだろうね。良くわからん。スティーブ・マーチンに人気があったからかしらん。

(角田)



●血槍富士

 内田吐夢 55

 満州から復帰してきた内田吐夢が、戦後第一作。製作が満映の残党、マキノ光男。企画協力に小津安次郎、伊藤大輔という豪華メンバーが名を連ね、日本映画の黄金期を彷彿させます。それほどの期待を受けた映画ですが、どうだったというと何とも不思議なテイストに仕上がっています。

 作品は、戦前のリメイクで、市川歌右衛門扮する、気のいい主人思いの槍持ちが、上京する主人と道連れになる、様々な人たちとのエピソードを連ねていくというグランド・ホテル形式の変形です。(ロードムービーなんてモンじゃないよ)

 普段は優しいが酒が入ると性格が変わる主人と、下郎のちょっとおっちょこちょいの加東大介、歌右衛門を慕う、天涯孤独の少年。旅芸人の母娘、借金のかたに娘を売ろうとする父親の悲しい旅、街道を荒らす大泥棒、いかにも怪しい風体の男とそれを追う謎の男、彼らが同じ東海道を富士を観ながら旅をして、道中でのエピソードや、雨の日の宿屋のエピソードなどがテンポ良く絡まり定型ながら飽きさせない。内田吐夢は多くの人物を描き分け、肝心なところでアップと、ロングショットを劇的に使う。

 最後に侍であることの虚しさを訴えた主人が酒の席の喧嘩で殺され、それでも主人に仕える歌右衛門の姿を、泥まみれになりながらの大立ち回りで、延々と描く(こういう当たり前の工夫をする映画が少ない)。見事仇を討って、皆から褒められる歌右衛門は、慕ってくる少年が侍になるというのに「馬鹿野郎、侍なんかになるんじゃない」とはき捨てるように言う。こういう主従関係、封建社会に疑問符を打つのは、戦前の反社会映画の名残なのか。それとも戦後の内田吐夢のニヒリズムだったのか。力作だど、同時代の人間は違和感を感じなかったのか。内田吐夢が巨匠となっていくのは、これから10年の間である。

(角田)



●キリング・ゾーイ

 KILLING ZOE

 ロジャー・エイヴァリー 94

 監督の名前より、製作総指揮のクエンティン・タランティーノの名前が大きいというシロモノ。だから、面白かったとも言える作品。(角田さんごめんなさい、まるまるパクリました)

エリック・ストルツ主演。1993年のアメリカ+フランス映画ですが、ほとんどの撮影はアメリカで行われたようです。(一応舞台はパリなんだけど)

 物語は、冒頭20分が「トゥルー・ロマンス」と同じパターンで、娼婦と主人公のラブ・ラブ・ロマンス、続く30分がドラックきめまくりラリラリバッドトリップ大会、そして最後の40分が銀行襲撃マシンガンバリバリ乱射パニックの豪華三部構成からなる快作。

 狂暴でホモでエイズでジャンキーのエリック役のジャン=ユーグ・アングラードが切れててイカしてます。アルバイトの娼婦役のジュリー・デルピーも魅力爆発。もちろんキッチリ脱いでます。

 いやーでも考えてみると最近のアメリカ映画のアメリカ人監督でちゃんと「活劇」撮っているヒトって、ロバート・ロドリゲスとかのタランティーノがらみのヒトしかいないのかもしれませんねー。TAXIもノリはアメリカ的だけどアメリカ人監督じゃないし… (船越)



●『座頭市あばれ火祭り』

 三隅研次 70

 勝新は、天才的な勘を持ちすぎた、映画監督であったと思う(映画作家じゃないよ)。本能的なエンターテインメント性が過剰に画面に現れ、物語の枠を越えて勝新(座頭市)の超人的なアクションが噴出する。その仕掛けが、上品などんな映画の枠に収まらないところに不幸があったのではないか。本人は無意識のうちにやっている、身体に染み込んだ活動屋精神、役者莫迦なので、突っ走ってしまうので誰もアタマで映画を理解しようとする人間には理解不能になる。ここでは、座頭市と、闇の関東の支配人、森雅之が演じるメクラ同士が火花を散らす卑劣な戦いを繰り広げる。そんなストーリーを勝新以外に思いつくかね。ちなみに勝新の初脚本作です。まあ、近頃の映画がつまらないのはハンディキャップを持ったヒーローが出てこないことが大きいね。設定として、感情移入を簡単に出来る人間像なのに、巧みに排除されて仕掛けが出来上がって、代わりに、一般人のサイコ・キラーが良くわからん人間としてはびこっている。作る方は楽だろうが、客としては面白くないと思う。

 話が逸れたけど、勝新の場合は、一緒に組む監督が控え目に、座頭市ではなく、勝新の藝を撮影する人じゃないとその魅力は発揮できないと思う。そういう意味では三隅研次、森一生などは適任だったのではないか。『影武者』で黒澤明とぶつかったのは、黒澤が求めたのは、勝新ではなく武田信玄だったんだと思う。しかし勝新は勝新だ。彼は、世界の黒澤という舞台にたって自分の藝を発揮したかったに違いない。黒澤がたぶん、観念的に物語を世界の人に分かって欲しいと思っての描き方(あえて西洋コンプレックスと言おう)と勝新のアジア圏を中心にした庶民的な道化師の演じ方は、たぶん決定的な溝があったのではないか。『影武者』で中代達矢の偽物が落馬するところなんか、勝新がやったら全然違う意味が出てきたに違いない。だから逆説的に、『影武者』はカンヌ映画祭・グランプリが取れたのだろう。無責任な観客は2人の戦いの結果を見たかったが、それは適わなくなった。

 という視点から座頭市を見るのも一興じゃないでしょうか。勝新自身の監督した『座頭市』は傑作です。こんな時代劇あったのかと思うくらいワクワクさせ、スタイリッシュな映像美に溢れています。これはまた、別項で改めて書くつもりです。 (角田)



●修羅の狼 蜘蛛の瞳

 黒沢清 98 

 えっと、映画として見るか、そうでなく観客としてみるか悩みます。確かに何らかの不安な緊張感と手を変え、品を変えての画面の持たせ方はあるのだが、物語がね、仕掛けが面白いでしょう、と言ってくれているようだけど、どこが?とまず思ってしまう。決定的なシナリオの弱さがある。まあ見てしまうんだけど、でも普通ここまで付き合う人いないと思うんだけどね。三段論法による説明の真ん中の”二”の部分をいつもすっぽかすのをやめてたまには描いてみたら、深みのある人間と事件が勝手に動き出すと思うんだけど。いつも廃虚を人が歩いているとしか思えない。切なくないのね。画面も登場人物もさ。そういう話なんだけど。

 ヤクザ以外がピストルを撃つとなんでこんなに説得力のない話になってしまうんだろう。ディテールの欠如なのかしら。なんか黒澤映画にはいつも背後に見えない大組織の存在があるんだよね。その名前の元で、何が起ころうが全ては実在する世界になってしまうという不文律で成り立っている世界。だからリアリティーはひたすら無視される、どうでも良い。その組織のコマとして翻弄され動き回る人の生態と事件を撮った記録じゃないのか。だからそこには何の感情も込められていない。画面のエモーションはあるが感情はないと思う。

 みんな顔中血だらけにして死んでいくのを見ていたら『暗殺の森』のドミニク・サンダの死ぬところを思い出した。何かいい加減さが足りないんだよね、きっと。 (角田)



●黒い太陽七三一 戦慄!石井細菌部隊

 THE DEVIL 731,Man Behind the Sun

 わからん

 世の中には、真面目な人がいて、それを茶化そうと言う不逞の輩がいるけど、真面目な人たちはひたすら真面目だから、あまりに隙のない映画を往々にして作ってしまうことがある。きっと製作陣がものすごく力をいれて、「日本軍の残虐さを後世まで残そう、その為には徹底的に史実に忠実に実物大で再現するに限る。」と言ったかどうかは分からないけど、無闇に残酷シーンが延々と映されたり、(あまりここに書きたくないなあ)。日本人役がみんなちゃんと日本人の顔をしているという良心的というか、ここまでやるかと思わせます。アクションシーン、爆破シーンもあり、そのあたりは香港映画スタッフが手伝っているのではないだろうか?レンガ作りの3階建ての日本軍の司令部を全部爆破しちゃうんだモン。とにかく真面目な映画であるので、全然笑えませんでした。ゴメンナサイ、こういう映画に手をだすなんてもういたしません。 (角田)



●カップルズ

 Mahjong

 エドワード・ヤン 96 

 いつもながら鮮やかな、人間の交錯、感情の錯綜、物語の迷宮、それでいてシンプルな語り口。長回しのシーンの中に秘められた(込められたではない)、それらが一堂に会したときに起こる化学反応を楽しんで撮っている、その過程の架空のドキュメンタリーがいつの間にか構築されて、その世界の中をさまよう、物語と繰り返し言われる、「世の中には指示を出す奴と、それを待っている奴がいる」。それが連鎖的にいくつもの悲喜劇を一瞬に生み出す。現代の台北という舞台で踊る、台湾と西洋と言えば話が簡単になりすぎて面白くないが、若者と大人、普遍的でありながら、普遍的にならずにねじれた関係にはまっていく。この構造はエドワード・ヤンがずっと続けて見つめてきた姿だ。全く音楽が無く、街のノイズだけで構成されるサウンド・トラック。これは他の作品でも同じだが、特に効果が上がっていると思う。演技なんかオーバーでクサイ位なんだが、画面の静謐さで映画の中に収まっている。単純だが力強い事件が2時間飽きさせない。同様に現代の台北と若者を描いた「恐怖分子」「エドワード・ヤンの恋愛時代」も併せてお薦めです。誰か日本じゃこんな映画をなぜ作れないのか説明して欲しい。 (角田)



●修羅の極道 蛇の道

 黒沢清 98 

 借りてきました。観ました。・・・・。撮影は小川プロで鳴らした、長回しの人、田村正毅。製作陣がいつもと同じなのになんで大映映画になったんだろうね。わかりません。だからといって内容が変わる訳じゃないですからね。うーん、話が最後まで良く分からなかった。どうせなら密室劇にして徹底的に息苦しくしてやった方が面白かったと思うが。中途半端な廃虚のセットと人物設定。最近の邦画は最後まで登場人物がホントウは何を考えていたのか分からない、行動に矛盾があり、逆に葛藤がないキャラクター造形が多すぎる。シナリオが弱い、ようするにご都合主義なんだね。世の中がぐちゃぐちゃだからと言ってエンタテインメント映画の世界でも不条理されても困るんだけどね。設定を説明していかないのならアクションで畳み込む方法もあると思うんだけど、それも不徹底だ。たぶん企画で話しているウチは面白かったけど、実際には画がない引っ張るストーリーがないってことじゃないのかな。映画の複雑さと単純さを混同して整理しきれなかった結果だと思う。主人公が全く何者か分からないという不思議な設定だった。いつものことだが生活感は皆無だし、冷たい画があるだけだ。映画的にこだわって空中分解している。なんかたどり着かない虚無感の方向へひた走っていると思える。何の手がかりもないままに進んでいくと、ヴィム・ヴェンダースが陥った半端な出来た映画世界に向かってしまうのではないかと危惧する(彼の場合、映画の外の世界に出たら何もなかったからどうしようともがき続けている感じがするけど)。映画内の世界と外での勝負がいつまで続くのか、こちらとしては見続けるしかないわけで、まあでも、たぶん続編の方が面白いと思うから期待しよう。 (角田)



●復讐 消えない傷痕

 黒沢清  97

 個人的な理由もあって黒沢映画については、書かないでいたのだけど、ようやく書くことにします。

 一連の哀川翔とのコンビのものでは一番時間が無く作って?一番文句無しに面白く仕上がっている。前編のほとんどが5分近くの長回しで特にファーストシーンの敵の麻薬を奪うために川沿いのアジトを襲撃するシーンはゾクゾクします。カット割りと長回しのショックあるつなぎ方も効果的で哀川が最初に銃を撃つシーンは上手いの一言に尽きます。全編を覆う倦怠感とアップをあくまでも撮らない点と女はアンナ・カリーナじゃないぞ、というところに早く気付いて欲しいなあ。原色の女の子の衣装と存在感の無さは相変わらずだけども。

 たぶんこのリズムが、『CURE』以降に繋がっていると思うのだが、廃虚のセットと、家具のない家のセットはもういいよ。リチャード・フライシャーの『ザ・ファミリー』に近づくほどの透明さを持ち始めたのだから、もう少しのサービスとダンディズムに走っても良いんじゃないだろうか。ドメスティックだからというのであきらめないで、まだ道はあると思う。『蛇の道』と『蜘蛛の瞳』を借りて観ようっと。 (角田)



●ロング・キス・グッドナイト

 THE LONG kISS GOODNIGHT

 レニー・ハーリン 97 

 記憶を失った元CIAの女スパイなんて死ぬほど観たような気がするけど、B級映画おいしいとこ取り!って感じで、ボクは嫌いじゃなかったなあ。サミュエル・L・ジャクソンがしがない探偵で、安い服を着ているけど、靴だけはぴかぴかとか、なんでもこれからすることは、歌にしながら行動するとか、渋いキャラクターを演じている。

 ジーナ・デイビスは、夫の監督、レニー・ハーリンの変態趣味に付き合わされ水車責め拷問を演じています。(なぜか、シュミーズ姿になるのね、こういう時には)。結構、汚い言葉の連続で吹き替えか、英語が分かったらおかしいんではないかと思います。

 敵がもう少し強くて、人死にがもうすこし少なかったら、良かったのに。でも十分に楽しめるアクション映画です。ちゃんと、主人公達は傷つきながらも、紋切り調だがハッピーエンドに終わるし。

 ちなみに、ジャクソンが事務所のテレビで観ている映画は『ロング・グッドバイ』です。べたなギャグだ。 (角田)



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