夏休み追体験  信濃越後之國秘境行     2002.9.1-2


【9月1日(日)快晴】  
■信濃は県知事選投票日だったが…

 例によってバカ旅は唐突にはじまる。Mの今回のリクエストは「一泊二日、川のせせらぎが聞こえる宿。で美味いものが食べられて、温泉があって……。 」もはや留まるところを知らない。それならばと、以前より気になっていた信州(長野)と越後(新潟)の県境の豪雪地帯、秋山郷に出かけることにする。まあ気分は遅れて来た夏休みというところ。
 九月だけど一応、夏休み最後の日曜日なので、混雑を避けるために早朝に都内を出る。関越道は順調過ぎて、時速90キロ程度でゆっくり走っていてもスムーズに進み、1時間程度で上信越道へ入る。横川のSAで休憩を取るが、まだまだ早い時間。人出もそれごどではない。で予定を若干変えて、軽井沢、佐久の山を貫く長く暗い照明のトンネルを抜け、浅間山を眺めながら、小諸ICで一般道に出る。
 ここから中山道・国道17号線を進むことにする。ゆるい流れの千曲川も平行している。左手に川、右手の斜面は畑、その奥を高速が走る。山と川の間の狭い土地にすべてがあるというわけだ。高速が通る以前は、この国道を観光バスなどが走るために土産物屋やドライブインが多かった記憶があるが、いまは全く見かけない。
 日差しが強い中、東部町を通過する途中、海野宿の文字が目に入る。江戸時代の宿場町が残っているそうなので行ってみることにする。町外れの駐車場は500円。ここから歩いてすぐのところに北国街道の宿場がある。入口の神社の境内には樹齢数百年の巨木と土俵。近所の老人が集まっている。海野宿は、大体500メートル長さで、両側の家で40軒くらいだろうか。骨董品店や、ガラス工房になっていたりもする。まだ早い時間のためか、古い建物を改装した土産物店も開いていない。NHKドラマ「およう」のロケが来たらしく高嶋礼子のサインが飾ってあった。それにしても暑い。しかしジリジリと肌を焼く感じだが、日陰に入ればひんやりとしてなんとかしのげる。二階建ての建物は江戸期には旅篭、明治になると、二階を改造して養蚕場にしていたという。なので時代的な統一というわけではなく、古い雰囲気の統一というとことだろう。 国道から外れていたためにいまも残り、それが観光名所になるという皮肉。どこの家も廃屋にはならずいまも住んでいるということは結果としての建物維持なのだろうか。


  選挙ポスターも貼られている。今日は県知事選なのだ。しかしどこにでも出てくるな、羽柴秀吉(左上、中央下が田中康夫) 。ざっと歩いて見て30分。ふたたびクルマを走らす。

 となりの上田市は大きな都市で、古い市街地をバイパスが迂回する。そういえば、ここは『犬神家の一族』や『うずまき』のロケに使った明治期の街並みがあるらしい。で、あてずっぽうで市内を回る。町の北西で土蔵や古い病院や店舗などを発見。丹念に探せばまだまだあるんだろうな。ここも撮影協力の フィルムコミッションを作ったらしい。そうそう、上田の街って本屋がものすごく多い。メインの通り50メートルごとに大きな本屋が並び、ここだけで10軒近くあるのではないだろうか。そんなに皆ホンを読むのだろうか?不思議だ。教育県長野ということなのか。

 ふたたび中山道を行く。戸倉上山田温泉の標識が見える。千曲川を渡り対岸の旅館街へ。チェックアウトの時間なのか、多少出入りする人が見られたが、団体客もバスも見当たらない。ホテルの「歓迎」看板の下にも、同窓会の名前はあるが、ツアーの名前はない。もともと宴会温泉の場所と記憶しているけど。思ったよりは、大きな温泉地ではあるが、落ちついた雰囲気だった(実際は夕方でないのでなんともわからないが)。
 更埴で千曲川を越えると長野市内に入り、国道は2車線となる。いわゆるオリンピック道路だ。郊外型飲食店も東京資本の店よりも聞いたことのない店が多い。しかもなぜか馬鹿でかい建物が多い。オリンピックのメインスタジアム(欽ちゃんと浅利慶太演出の開閉会式とかのところ)が突如現われる。いまは野球場だけど、聖火台は残っている。遠くから見るとスタジアムの姿は炎の形を意識したのだろうけど、開きすぎたチューリップの花のようだった。
 長野市内を外れると、国道の両側にりんご農園が広がる。アップル街道と呼ばれている。直売店も何軒かは開いていたが、シーズンには早いようだ。千曲川から離れ、黒姫高原へと登って行くとともにりんご園、田圃も姿を消す。別荘地、合宿地らしい風景、宿泊地の看板が見えてくる。黒姫高原辺りで昼近くとなる。まだ先は長いのでここからふたたび上信越道に乗る。片側1車線の道が高原を貫いている

■謎の国道405号線

 やがて、高田平野を見下ろすポイントに出る。ここらも豪雪地帯だと思う。その先の上越ジャンクションで北陸道と合流し、上越ICで降りる。 直江津に向かう左手に、ハイパーモールが見える。ここはショッピングモールのモールだ。たぶん日本で一番大きいだろうが、どこにでもある郊外店舗がみな磁石で寄せられたように数十軒も1ヶ所に集まっていて、その広さにはちょっとギョッとする。  直江津はものすごく静かだった。昼のかんかん照りのなか歩く人もまばら。直江津駅近くでようやく目的の店をみつける。ざっと近所を見まわしてもその店以外は開いていないようだったので、それもラッキーだったんじゃないだろうか。
  軍ちゃんは、地元の魚を食べさせてくれるという料理店。店内はカウンターと座敷の寿司屋のような造り。新潟、能生の漁港に船を持っているという。ので仲買を通さないので安いと言う。旬と言うのどぐろを薦められるが、ちょっと予算オーバーのために断念。ちょうど今日から漁の解禁だったりするらしい。 地魚の刺身盛り合わせは、10品ほど出てくる。タイだけで、4、5種類それも聞いたことのない地ものばかり、それに貝、イカ、アジなどだ。いやぁ新鮮だねえ。うまみがある。甘いのだけど、そう書くとまたちょっと違う。急に無口になって黙々と食べる。主人の話では、東京に送るのは、夕方のセリに間に合わせて、クール宅急便で送るのが一番早いと言う。神楽坂でそれが食べられるというけど、怖くて値段は聞けない。日本酒もたくさんあるが、それは断念。ここは納得の勘定だったけどね。いやはや堪能いたしました。
 こじんまりとした街をぶらぶらとする。駅は近代的に建て直され、駅前広場も大きく、ビジネス・ホテルも立派なものがある。結婚式があるらしく、礼服姿の男たちがたむろしていた。それ以外はひっそりとしか言いようがない。
 直江津のフェリーターミナル港に向かう。佐渡行きと、九州、北海道行きは波止場が違う。いまは船も接岸していないので釣りをする人が多く見られた。トレーラーも貨物車がずらりと並んでいた。しかしここから船で行く人ってそんなにいるのだろうか。
 その近くの公園では巨大な風力発電のプロペラが1基回っていた。風は冬にはものすごく強いという。防波堤に打ちつける波が10メートルとかになるらしい。夏は過ごしやすそうだ、特に海釣りとか好きならね。都心から通う人もいるらしい。

 ここからふたたび山の中へと向かうことにする。地図を見ると国道405号線を行けば、秋山郷へはそのまま着くはずだ。高田平野の田園地帯の風景をバックに直線道路をゆっくりと行く。「さすが新潟、日本列島改造の本家、道路が良い」と言っていると急に道が細くなってきて、山を登り始める。いい加減山腹に入りどこまでも行っても、 棚田が続く。ほとんど山頂近くまである。これって、水は山頂からの雪解けのわずかな流れを少しづつ下ろしているんだよなあと思うと、その気の長さに感嘆する。いくら雪解けの清水があるにしろ、ここまで山に田圃は作らないよなあ普通。などと話していると道はますます狭まり、農道1車線ほどの細さになり、田圃の間をうねうねと走る。どこが国道なんだ!と思いながら山、谷、山といくつ越えたのだろうか。まったく方向がわからなくなる。時々ある部落の人たちはどうやって暮らしているんだろうか。里に下りてくるといくつかの道路の分岐点がある。地図で確かめると、どうやら冬の間は、山を越えなくても移動できるような道路網になっているらしい。と地元では使い易いだろうが、我々には標識が不案内で迷うこしばし。イタチが横切ったりもする。化かされているのか?

(わかりにくいが棚田です)

 いい加減アップダウンにうんざりした頃、千曲川いや新潟だから信濃川か、が見え、第三セクターほくほく線の津南駅に出る。おお、町じゃ町。この駅はなんと温泉があり、ちょっとした社交場でのあるようだ。冬はスキーでも賑わうのだろうか。駅前の旅館らしい建物は三階建てで、三階にドアがある。うーむ、あそこまで雪が積もるのだろうか。津南の町では防災訓練をしていたようで、消防団の人たちが数十人単位で歩いている。
 ようやく町に出たねもうすぐだ、などと安心していると、また国道が狭くなり、山を登り始める。う、いやな予感。その予感は的中し、どんどん山のなかに入っていく。途中路線バスやバイク、乗用車とすれ違う。この道はドライブ・コースになっているらしい。道路の下の川が中津川で、この渓谷一体を秋山郷というらしい。新潟側を越後秋山郷、長野側を信州秋山郷と呼ぶけど、それは県境だからということでしかない。ここには 温泉が四ヶ所ほどあるが、どれも離れている。店はおろか民家も見えない。心細くなっていると、ようやく手書きの小さな看板で切明温泉 とある。分岐点を曲がると、急な下り坂。それがどこまでも、渓谷に降りて行く。それもまた不安感増大。川の流れと旅館が二軒見えてきた。ここまで、町から90分、約30キロの距離を走ってきた計算になる。なんというか秘境なのだろうけど、その実感がわかない。ここは、北以外の三方を山で囲まれているので この先は原生林の山しかない。ここを平家の落人部落というがそれもなんとなく納得できる。

■何も無い贅沢

 宿の「切明リバーサイドハウス」は、外装はドイツの田舎風だけど、中は、鉄骨造りの宿。素っ気無いけど、まあそれも周りと調和している。部屋の窓を開けると川が目前に見える。ここには冷房しかないところを見ると、冬はいつまで営業しているのだろうか。まだ身体はドライブ状態で揺れているので一休みする。ここはクルマ酔いする人は来れんな。
 陽は傾いているが空は明るいという山間の夕景の中、露天風呂へと行ってみる。石造りで広い。無色無臭で、40度弱だろうか。だらだらと入っているには心地よい。川のせせらぎと原生林を揺らす風の音、虫の音だけしか聞こえない。良く考えると人工の音が何もないんだよね。ようやく身体の力が抜け出して、秘境モードとなっていく。
 夕食の食堂にはもう一組の老夫婦だけだった。卓上には、そば、桜肉の刺身、山菜の天ぷら、山菜の煮付け、岩魚の塩焼き、野菜と牛肉の鉄板焼きなどが並べられる。さりげなくすべて美味しい。山菜もえぐみがなくおいしい。なにより驚いたのは、白米がうまいこと。そういえば、このあたりは 魚沼の近くだよな。と感心して宿の人に告げても、素っ気無くかわされてしまった。ここらじゃ当たり前のことなのだろうな。ただ追加で取ったワインのハーフボトルが塩尻産の甘口なのでそれは失敗。食堂に飾られた サインと写真の主は荒井注。ここでも時間が停まっているようだ。
 疲れと半端な高揚感と満腹感でだらだらする。J-PHONEではここは圏外、Docomoはかろうじてアンテナ一本。テレビも一応入るようだが、別に灯ける気にならない。ホントになにもすることがないので寝ることにしたが、その前に夜空に目を凝らす。夕方曇っていた空が晴れ出したようだ。一面の星空。で酔いざましも兼ねてふたたび露天風呂。星を見ながら浸かる。なにしろ天の川や流れ星まで見えるのだから。風呂の照明が明るいのが難だったけど、寝転がり、アタマを岩の淵に乗せて、星を見ながら、耳をすまして、風の音や川の音を聞いていると、 五感が一杯に満ちて行くという不思議な心地よさを体験する。これが秘境感なのだろうか。


【9月2日(月)晴れ】

■高原へいらっしゃい

 6時頃目覚める。空は明るいが、この谷間までは陽が差して来ない。散歩に出る。空気が冷たい。あとで確認したら気温14度。秋じゃないか。川沿いに少し行くと、東京電力の揚力発電施設がある。その脇を通り、河原に下りる。この先では、温泉が湧いているのでスコップで掘れば、自家製川湯温泉が出来る。いくつかその跡地がある。手を入れると熱い。源泉か?
 向こうから東京電力の人が来て、上流で放流したので、それほど水量は増えないけど、一応気をつけて下さいと言う。ここは濁流になったら怖いだろうな。ここは谷なので低い場所のような気がしたけど、よく考えれば、ここから30キロ川が下っているのだから、山の中腹しかもかなり高いところ いわゆる渓谷だよなと改めて思う。
 太陽が山の斜面にも当たりはじめた頃、アキアカネが乱舞しているのが見える。その数、数百。はじめはカゲロウとかと思ったけど、もっと大きい。とっぷりと秋の気配。朝食もさりげないけど美味い。地もとの米を土産に買いたいけど、昨日の道を戻るのかと思ったので…あきらめる。テレビでは昨日の県知事選の結果が流れている。 結果はヤスオちゃん圧勝。
 9時頃に出発。国道405号線は宿のあたりで終わりなので、ここからは林道。覚悟を決めて入るが、ん、道がいいじゃん。広くてさ。なぜか整備が行き届いている。嗚呼、 農林補助事業のパラドックス哉。とは言っても山を登ることには変わりがない。しかし、一面の山々には、送電線の鉄塔一本も無い。誰も入った事のないブナの森がどこまでも広がっている。ところどころに落石の痕がある。今日から岩魚釣が解禁らしく、何台かクルマが止まっているのを見かけた。
 順調に県道に出て、志賀高原へと向かう。なんだこっちから来れば、楽だったのに。教訓:田舎の山道は地図を信用しないこと。平地を通る迂回路に勝る近道は無い。


 スキーというものをできないしないので、志賀高原には無縁だけど、近づくに連れて、白樺林が多くなり、いかにも高原リゾートの様子になる。焼額山スキー場など、全部がスキー場な辺りを抜ける。ホテルにも人がいたりするが今時分はみな、何しにここに来ているのだろうか?もともとなにもないところにスキー場だけ乱立するのは不思議な光景。西武、堤一族の息がかかっているのか。
 国道292号線はいろんな地方のナンバーの車が走る。こちらは安全走行なのでどんどん追い抜かせて行く。渋峠のあたりは国内の国道でもっとも高いポイント、標高2000メートルくらいだ。見晴らしの良い辺りでクルマを停め、横手山の展望台に登る。二人乗りリフトで頂上に行くと、遠くに 白馬岳の残雪までくっきり見える。雲一つない晴天。風はさわやかな高原の気候。たまにはさわやかな観光コースも良しとしよう。

(横手山付近から北西を望む 左奥が白馬岳)

■お釈迦様でも…

 ここを過ぎると群馬県に入る。万座、白根の硫黄の匂いで煙った辺りを通ると、観光客が多くなり道路も混む。そして草津温泉に出る。とりあえず、中心の湯畑に行く。近くの町営駐車場は2時間500円。思っていたより老若男女人出がある。定番温泉地としての親しみやすさは健在なのだな。横町路地の呑み屋街やストリップ小屋もあるしザ・温泉という感じ。
 何を食ったらいいのかわからないので、ぶらぶらするけど、とりあえず見つけた蕎麦屋に入り、ざるうどんを頼む。なかなかおいしかった。うるさい土産物屋が、まんじゅうを試食させると、すかさずババアがお茶を渡し、足留めさせようとするので、つっけんどんに茶を断り、まんじゅうだけもらう。甘すぎ。 なぜか片岡鶴太郎美術館がにぎわっている。いろいろやっているけどいまひとつ定番土産物がないよね。

(白根山)(草津の湯畑)

せっかくだから、湯でも浴びてくかと、湯畑の横にある無料温泉に行く。入ると意外に小さく、すぐに脱衣場とその奥に木の湯船が二つ。白濁した湯熱いというか罰ゲームのようだ。なんとか無理をして肩までつかるがすぐに出る。 弱酸性の湯なので石鹸いらずで肌がすべすべというのは本当だ。
 湯当たり気味のまま、東京方面へと走らす。草津から降りてくると、要するに今日は朝からずっと山の中に居たんだということを再確認。ようやくおなじみの夏の暑さが戻ってきた。


 そのまま帰り道なので、榛名湖でも周って行く。そこまでの広い山道には、ドリフト族のタイヤの跡がいっぱい。なかには、道路から外れて消えているものもある。もう人出はなく、緑の榛名富士が絵葉書のようだ。わかさぎも今日から解禁だが、それほどボートは出ていない。湖に面した駐車場は私有地ばかりなので、町営の駐車場に停める。まあ釣りでもしなければ用のないところだなあ。ふと土産物屋を見ると、オリジナルビデオ 頭文字D、榛名湖編 企画榛名湖青年会議所 なんだ、さっきのはその影響なのね。知らなかったが原作マンガはここらの地元の話なのだ。一応巡礼コースなのね。
 下りの山道をドリフト走行をしながら(嘘)、伊香保温泉を横目で見て、渋川伊香保ICから関越道に乗る。夕方にもかかわらず、渋滞に巻き込まれずに東京に辿り付くことができた。 秘境はけっこう近い。


(さて榛名富士出てくる小津作品はなんでしょうか? 写真左:笠智衆 右:中村伸郎)


<Mの夏休み日記>

 「夏を追いかけて」と題して、二人で長野の秘境へ1泊の旅をした。秘境なのにわずか1泊で行って帰って来れて、しかもあちこち立ち寄ったりも出来たのだから、 車と高速道路と運転のできる友は何ともありがたい。その旅行記を書こうと思ったのだけど、他人の旅行のハナシなど誰が読んでも退屈だろうから、ここにはもっと退屈なことを書く。
 思えば今回の旅はワタクシに様々なことを思い出させてくれた。そのベスト5だ。  きわめて個人的だけど知ったこっちゃない。では、いってみよう。じゃかじゃん。

 第5位。『そういえば、俺はカメラが苦手だった』
 今度の旅は、買ったばかりの我がデジタルカメラ、フジFinePixF-401のカメラテストを兼ねていたので、行く先々でバシャバシャ撮った。簡単だからどんどん撮った。全部で200枚近く撮った。で、撮ってすぐモニターで見てみるんだけど……う〜ん、写真ヘタだなあ、オレ。最初に立ち寄った小諸の近くの「海野宿」という江戸時代の宿場街なんて、誰がどう撮っても絵になりそうな佇まいの見事な景色なんだけど、どうもイマイチその雰囲気が出ない。構図を作り込むセンスも、即興でその場の空気を写すテクニックもない。それで思い出した。子供のころから、俺が撮る写真っていうと足が切れてたり画面が傾いてたり、上手に撮れたためしがなかったもんなあ。松本城のプラモデルに、友達が捕まえてきたアオダイショウの子供を這わせ、しかも 後ろから炎上させるという(何てことすんだ!)特撮写真を撮った時も、まるっきりピンボケでがっかりしたしなあ。あ、そうだ、俺、カメラにあんまり興味なかったんだ。しまった。

 第4位。『そういえば、夏、いちばん涼しいのは神社だった』
 海野宿のつきあたりにある大きな神社。夏の終わりだってのに汗がダラダラと、日差しがギラギラと、セミがミンミンジージーと暑苦しい日だったのに、この神社の境内に入った途端、ウソみたいに涼しくなった。何で神社って涼しいのかね。ひっそりしてるからかね。背が高い木がたくさんあって、木陰が濃いからかね。水の気配があるからかね。それとも、ちょっと神妙な空気が流れてるからかね。なぜかねえ。

 第3位。『そういえば、昔は目がよかった』
 直江津から延々と山道を走って、ついに目指す秘境、秋山郷は切明地区の宿に到着。この晩に露天風呂から見た星空の見事なこと! 最初は目が慣れるまで明るい星しか見えないんだけど、次第に慣れてくると、まあ、見えるわ見えるわ、まさに満点パパ、じゃなかった満天の星。「真ん中あたりにうっすらと見えるの、アレ天の川か?」と言われて見ると、確かにあるワ、そんな感じの帯が。こんなのCGの合成じゃなきゃ、今どき見ることはできないデ。流れ星、見えないかなッと、少女のように願い事を確認しつつ無言で空を見上げているのは、ハタから見たらホモのカップルにしか見えない、ボウズ頭の、しかもハダカの、しかもオヤジの二人なのでした。日常ではめっきり星なんか見なくなったけど、子供の頃は見てた気がする。その頃はもっと目がよかった気がする。あと、夜は常にまっくらだった昔の人って、もっともっと目がよかったんだろうなあ。

 第2位。『そういえば、リフトとかケーブルカーとかロープーウェイに乗るのって、最も休日らしいレジャーだった』
 秋山郷から山道を抜けて、途中クロスカントリーのトレーニングをしてるチームなどを眺めながら、やっと人心地がついたのは、志賀高原。人心地どころか、一大リゾート地ですなあ。で、せっかくだから車を降りてエスカレーターとリフトで横手山に登る。これが驚いたことに、(というか当たり前なんだけど)どっちを向いても高齢者ばっかり。子供連れとか、若いカップルとかは本当に少ない。昔はこのあたりも、若者たちや、若い家族連れであふれ返っていたのだろうなあ、と思わず遠い目になる。でも考えてみると、今は高齢者だけど、昔のレジャーブームの頃は、この人たちも若者だったはずで、例えば当時、 山本圭みたいな若者(とっくりのセーターとか着てね、青年団で本当は女の子を口説きたいのに我慢してるような理想主義のムッツリ野郎)だって、今だと結構なお年になってる筈だもんなあ。当時、 山本學だったらもっとだしなあ。当時、河原崎長一郎だったら……(もうイイっちゅうねん)。ということは、こうしてリフトとかに乗ってる人たちって、昔からずっと同じ人たちなのかなあ。昔は忙しい中の夏休みや日曜日とかに来てたのが、今は一年中休みみたいになってるっていうだけで。わからん。

 そして堂々第1位は……『そういえば、温泉というのはみんなの社交場だった』
 帰りに立ち寄った草津温泉は、お湯が熱いことと湯ノ花が有名だそうで。「湯ノ花畑」のすぐ前にある小さな公衆浴場(無料)には、若いバイク野郎から常連ぽいおじいさんまで、入れ替わり立ち替わりひとっ風呂浴びにくる。これがまた熱い。身体を洗うところなんかはなく、湯船に一度入ったら、とにかくじ〜ッとしてるしかない。 「こりゃ、うだっちまうね、どうも。湯ぅ動かすなよ、ほら、あちちちち、湯ぅ動かすなってんだろう、この野郎!」って、本当落語みたいな世界になる。でもそのかわり、このお湯に入る全員が「あちちちち」だから、その熱さが共有できて、友達みたいになれる。「いやぁ熱いね」「熱いですね」と自然に口もきく。お互いハダカだしね。普段はどう考えても接点がなさそうなおじさんやお兄ちゃんだって、この中では「熱い者同士」ってことで、奇妙な連帯感があるんだな。こういう空間て、そういえば近頃ないような気がする。あんまり熱いもんだから、湯から出たあとも、しばらくのぼせて動けない。みんな外のベンチやなんかで、ただ呆然としている。その、ホケ〜ッとした感じも、また温泉のいいところですな。  夏をおいかけての旅、最後は温泉まんじゅうも食べて、めいっぱい夏休みっぽさを満喫したぜい。心残りは、草津ロック座のステージを拝めなかったことだけで……ま、いいんだけどね、それは。

 というわけで、5位から1位までのご紹介でしたァ。カウントダウンTV!


<リンク>

●長野県栄村

●新潟県津南町
●東部町観光協会 海野宿

●信州上田ロケ地ガイド 信州上田市フィルムコミッション

●海の幸味どころ軍ちゃん

●切明リバーサイドハウス

●横手山山頂ヒュッテ

草津温泉とか頭文字Dとかは検索してね。

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