D坂の殺人事件
実相寺昭雄
ディープ・インパクト
ミミ・レダー
デス&コンパス
アレックス・コックス
DEAD OR ALIVE 犯罪者
三池崇史
DOA2
三池崇史
DOA ファイナル
三池崇史
てなもんや商社
本木克英
天使のはらわた 赤い眩暈
石井隆
   

●D坂の殺人事件
  98 実相寺昭雄(ビデオ)

 耽美な映像を描き続ける実相寺が撮った、江戸川乱歩もの。ちなみに明智小五郎は、嶋田久作です。映像と、美術の変さ加減をご堪能あれ。思ったよりも普通に出来ているんで多少のスカスカな感じは受ける。『ウルトラマン・ダイナ』でも撮っているのが分かったので今度はそれを借りて観てみます。個人的には、マルキ・ド・サドの翻案した『悪徳の栄え』の方が耽美的で良かったなあ。
  昭和初期を撮るのに、同じテレビ演出から始まった実相寺昭雄と久世光彦の世界が近そうで遠いと感じるのはボクだけだろうか。
 (角田)
 

●ディープ・インパクト
 DEEP IMPUCT 98ミミ・レダー(新宿パラス)

 夏休み興業No1で女子供の涙を絞ったと言われる作品だが、パニック映画風に売られているが、パニック映画と読んで良いモンだろうか。予告編で有名な津波のシーンはオマケ程度で終わってしまうからさ。
  昔『メテオ』で延々と会議をしていた訳のわからん映画を作った教訓を活かして、今回は数人のアメリカ人と、親子、家族関係に的を絞り込んで、それをパラレルに描き、時間経過と共にサスペンスを盛り上げようとする手法を取った。これが成功しているのかどうかは趣味の問題だと思うけど、安いドラマだなあというのが印象。
  ミミ・レダーってコンテ、シナリオ通りに演出はできるけど、サスペンスの演出は得意で無いのではないだろうか、時間の経過が結構まんべんなく流れるので盛り上がりに欠け、緊張感が足りない。シナリオはご都合主義、無理矢理盛り上げようとする意図が見え見え、人物像が薄っぺらいところも原因だとは思うのだけど、音楽でごまかされ、このくらいで泣いたり出来る人は幸せな人だなあ。
  個人的にはすぐに死んじゃう天文所の観察員チャーリー・マーティン・スミス(『アメリカングラフィティー』、『ビリー・ザ・キッド21才の生涯』)が変わらない性格俳優をしているのが見られて良かった。
 (角田)


● デス&コンパス
 DEATH AND THE COMPASS アレックス・コックス (ビデオ)

 昨年、ユーロスペースで公開された、日本資本も入ってる、アルゼンチンのルイス・ボルヘスの原作を翻案した作品。すっとぼけた、冒頭からテロリストの襲撃が延々と長回しで撮られたりする、メキシコを未来都市的に捉えたところは格好良い。それとカットバックする、元警察署長の架空のインタビューの言葉でつないだ編集のシーンが異様な違和感を感じさせる。ピーター・ボイルの演じる、直感と衒学で事件を解決する刑事の何故か青いスーツに白いコート、黒のトレンチ帽という真剣にやっているんだか良くわかんないけど、キマッテいる姿がアレックス・コックスの探偵映画に対する外さないところを示しています。なんか迷路のような警察署のセットを見て、オーソン・ウエルズの『審判』を思い出した。官僚組織と迷宮というテーマも近いものを感じているし、これは、カフカとボルヘスの問題なのかな?事件はどこまでもネジ曲がり、そしてあっけなく終わる。小品というか、実験的な映画だね。シュールな気分を味わえます。アンチ・リアリズムの刑事ドラマ?なのです。
(角田)


●DEAD OR ALIVE 犯罪者
 99 三池崇史(中野武蔵野ホール)

 「ワン・トゥー、ワン・トゥー……」とのカウントする始まる竹内力と哀川翔の二人の運河の水辺に佇むショットから(ここは即興で撮ったシーン・ゼロらしい)、いきなり大音響と映像の洪水が溢れ、予告編の疾走するスピードで本編が突き抜け、これは予告編でしたというオチかと思う間もなく、4点ほどのカットバックがひとつに収束していき物語の下地がすべて提出される。映像の過度の過信というかCGに対する監督の意地というか姿勢を伏線として見せられる。
  竹内力と哀川翔はそれぞれVシネの中の自分を過度にならない程度に演じきっている。オープニングでリアリティー無視する宣言が現れてからは、一気呵成に映画の世界に強引に引きずり込まれていく。竹内力の親が眠る墓地の風景、『日本黒社会』でも出てきたけれど、小雨の中、色調がブルーに煙り、奥にどこまでも続く電信柱が続く不思議な光景(どこで撮ったのか気になる)がしょぼく美しい。裏切り者を射殺するクレーンを使った夜のワンシーン・ワンカットも静寂に満ちたなか銃声が鳴り響きあっさりと倒れる計算尽くのシーンで登場人物のそれぞれの葛藤が凝縮されているのでハッとさせられる(最近流行りの意味なくバタバタ死んでいくのととは違う)。哀川翔の刑事という役柄もなかなかはまっていて、妻が杉田かおるで、娘が臓器移植が必要な身体で父親は軽蔑されているなど、非常に細かい。細かいと言えば、脇役も全て一癖二癖ある設定で描かれて、警察は無能で、日本のヤクザは間抜けで新宿がまったくの無法地帯となっている。哀川翔の部下の寺島進のとぼけた味が出ている。哀川翔が密偵する横浜中華街の描写がすごい。ほとんど日本に見えない。いままであんな風に中華街を撮った人はいないんじゃないだろうか。説明できないけど、横浜が台湾のように見えるんだよね。不思議なことに、不思議だ。
  中国残留孤児の血族の話は竹内力に引き継がれ展開していく。暴力殺戮シーンはギャグなのか、美学なのか大いに議論が分かれるところだが、そのスレスレの線が監督の狙いだったんじゃないだろうかと思う。ここらから、映画が加速するスイッチが入りラストまで暴走していく。ラストは書けないのだが最初からこれを計算尽くでやられていたら、Vシネと言うジャンルを越えたVシネ。映画を越えたVシネの誕生じゃないだろうか。竹内力と哀川翔を使った段階で確信犯なのに、しかも観客の期待の裏をかいてこんな傑作を作る三池崇史は恐ろしい。ちなみに大勢の観客で楽しんで率先して拍手して観るとより堪能できます。(思わずバカ笑いをしてしまった観客として)
(角田)


●DOA2
 00 三池崇史(ビデオ)

 この映画を観てみんな沈黙してしまうのは、掴みどころが無さ過ぎることもあるけど、僕は 三池SIDE-AとSIDE-Bの混乱にあると思う。オリジナル脚本のSIDE-A、原作モノや企画モノのSIDE-B。これまで二つは明確に分かれてきたけど、『DOA』の続編となるこの映画は三池ワールドでありながら、役者が決まった企画モノの性格もある。だから、 両者を存続させるために統一性から程遠くなったと思われる。
 竹内力と哀川翔が捨てられた子どもで、殺し屋として生業を営むという三池・オリジナルワールドの住人でありながら、役者セッションのアンサンブルのみで作ってしまう部分を多く残しているのは、企画モノで多くみられる突っ放した演出部分のそれである。そのため天使という恥ずかしい設定が最後まで消化されずに画として残ってしまうし、ふたりが役じゃなく、いつまでも本人を演じているままである。
 三池ワールドの本質は、役者がその存在を超える「えっ」という瞬間 にあると思うのだが、最近のかれはどうも役者をいじっているだけで、それ以上のものを引っ張り出していない、“スター隠し芸大会”チックだといえる。
 監督はダメなシナリオをダメなままに拡大解釈をしながら、自分のテリトリーに強引に引き寄せる ところにその真骨頂があると思うのだけど、近頃その作業を放棄している感がある。新宿歌舞伎町の世界に安住したくないと思いながら、渋谷や他の街を描こうとしながら中途半端に陥っている。ちょっと 時代の切り取り方が雑になっているのではないだろうか。
 しかし、他の人と違い、SIDE-Aのオリジナルの世界ではなく、SIDE-Bの 企画モノの世界を描くと観念的になるのはなぜなんだろう。 SIDE-Aでは、観念的世界(在留孤児の世界など)が見事に具体的に昇華されバイオレンス、エロス につながるのだけど、SIDE-Bはどうもテクニックやはずかしい世界(これだと天使、『アンドロメディア』の海岸の桜の木)になってしまうのはなぜなんだろう。これって、映画作家としては例外な存在だよね。 映画作家としてオリジナルな世界に自分のルサンチマンが出てこない人というのは珍しい。企画モノの場合に観念を託すというのもあまりいない。そこがわかりにくいところじゃないのだろうか。
 観客が、かれのこのふたつの方向の才気走りを統合へと進ませないで、ただイジラレテいるだけで喜んでいるだけだと、監督自体空中分解していく可能性がある。
 だからこの映画、細部に上手いところ、楽しめるところはあるが、全体としては冒頭に述べたようにばらばらであり、ばらばらならではのハチャメチャな楽しさもない。しかしこれだけ撮れる人はいないので必見だ、そしてずっと観ていなければならない監督だ。これだけ文句を考えられるだけの監督が新作を撮りつづけているだけでぞくぞくするし、わたしたちは幸せだと思う。(最後ちょっと腰砕けか?)
(角田)


●DOA ファイナル
  01 三池崇史 (ヴィデオ)

 ファイナルと言うことでSFになってしまったが、まあそのままの設定のお約束通りのストーリーをものすごいスピードで 的確に撮り上げるのは相変わらずの上手さ。 三池映画を成立させている隠れた要因って、実は ベタベタの家族もの の部分だと思う。要するにアクションの速度に観客がついて来れなくなる頃に、ギアを落として情愛のシーンを入れてく る、それをかなり本気で入れて来るので、観客は登場人物に追いついたような気になる(そんなことは最後までないの だが)。いわば シナリオで言えばクサイ部分である。普通アクション系の人なら飛ばして描くのを彼は丁寧に描く。逆 に情緒系の人なら過度になる湿り気もない。そのバランスの取り方が抜群だと思う。そこが和泉聖治なぞとは同じような 題材のシナリオでも出来が違うところだし、誰のシナリオでもこなせる自信でもあろう。
 そこは監督本人がたぶん一番自覚的で、その軸はブレることがないように思える。あくまで具体的に描くこと。そしてス トーリー的に結末をどうつけるかという計算ではなくて、シーンの充実の総体としての映画を作って行く、独特のカタチは まだまだ続きそうだ。
(角田)


●てなもんや商社
 98 本木克英(ビデオ)

 松竹生え抜きの監督第一作。まだ若い監督なのだが、頑張っている。中国の工場に洋服を作らせている商社、横浜にある萬福商事に入社した小林聡美と会社の人たち、が中国の会社とのトラブルと悪戦苦闘しながらも働いていく姿をカルチャーギャップを細かいネタとして散りばめてユーモラスに描いている。
  時代としては、曖昧にしているのだが天安門事件を挟んだ前後10年間、中国が成長していく過渡期と重ね合わせられている。無理矢理盛り上げようとせず、時間が淡々と過ぎながら主人公達が成長したり去っていったりするのを優しく見守っている姿に久しぶりの松竹映画じゃんとも思った(ちょっと地味かな)。後半になると、ほとんど中国ロケで第一作にこんな難しい撮影せんでもいいのにと思いながらも、結構街の描写にも気を遣って(遣いすぎて意味が良くわかんなかったところもあったが)中国の姿をちゃんとステロタイプにならない風に撮っている。
  華僑の上司役の渡辺謙が好演で、お金儲けに罪悪感が無く遣り手でいながら気配りが細かいまめな男として「ボクは中国人からは日本人、日本人からは中国人として見られてるんですよ」などポロリと言うが、全く嫌みのないキャラクターとして、謎の中国人とは一線を画したキャラクターとして成り立っている。中国の工場を視察に良く途中、 夕暮れの湖で休憩しているときに渡辺 謙が突然、あずさみちよの『二人でお酒を』を中国語で歌いだし、ロングショットになると湖の向こうに古い寺の塔が見えるシーンは美しい
  軽い気持ちで見ていると気分も軽くなる、そんな気負ってない映画です。
 (角田)
 

●天使のはらわた 赤い眩暈 
 88 石井隆(ビデオ)

 竹中直人の「少々、おむつがりのようで」に、この映画に出演するいきさつが出ている。事務所が没にした台本を拾い、石井隆に会いに行くところがとても良い。赤い天使シリーズのようだ。このころの竹中直人は、森崎東の『ロケーション』という傑作にも助監督役として出ているが、声がやたら良いけど、ぎらぎらしている存在だった。
 この石井隆のデビュー作ですでに石井組ができているのが印象的だ。そして、演出も完成されている。
(角田)