ソード・フィシュ
ドミニク・セナ
双生児
塚本晋也
ゾンビコップ
マーク・ゴールドブラット


●ソード・フィッシュ
 SOWD FISH 01 ドミニク・セナ (熊谷ワーナーマイカル)

 才能あふれる高校生が書いたシノプシスを、ハリウッドが映画化したとしかいいようがない。アイディアはものすごく面白いんだけれどディテールがなにもないというのはいただけません。シナリオが完成する前に見切り発車したとしか思えない。監督に力があってもあらはどうしようもないでしょう。おかげで主人公の行動には一貫性はないわ、登場人物の感情はまったくわからないわ。まあ、なんにも考えずに映像だけ観ている分にはおもしろいかもしれないけどね。普通は欲求不満が溜まりますわ。
 試写を見たスタジオのおえらいサンがつまらなさに唖然として、ストーリーの中ほどにあった、あの爆破シーンを冒頭に持ってきてなんとか持たせようとしたんだろう。まあ、 あのシーンってまったく意味ないよね。大体なんで犯人が人質つれて外でなきゃいけないの?
 ラストはあれで今度はランボーシリーズのようなカタチで続編作ろうとしていたんじゃないのか。いまとなってはこれを肯定するか否定するかはジレンマとして面白いね。 そこら辺を強調すると、70年代っぽくなったんじゃない。
(角田)



●双生児
 99 塚本晋也(有楽町スバル座)

 乱歩の耽美世界を再現するのに、簡単なのは、風俗とガジェット(小物)の仕掛けでごまかす方法だ。しかし、この作品は真正面から繊細で大胆な色彩設計でその世界を造形したことで、結果、深みがあると同時に塚本ワールドが構築できた作品だ。あるものを撮影するのではなく、油絵か彫刻のようにひとつひとつごつごつとした厚みを持った手触りで作り上げていく世界。撮影を監督本人がやったのも大正解だ。
  ひたすら限定された空間の中で展開されるストーリー、人物の配置によって日本家屋の薄暗さ重厚な黒を基調とした映像が作品に深みを与えている。
  反対に、白と極彩色を基調とした貧民窟と川辺の外の世界は喧噪と猥雑さが際立って、日本家屋の静謐なシーンと正反対な白日の悪夢の世界を作り上げている。
  どちらにも共通したエロチシズムは『鉄男』の時から変わらない、人間と内部、外部を問わない異物の混入による人物の心理や外見の変化というテーマを押し進めたものではないか。双生児である二人は陰と日向の存在がやがては融合して一つの人格になってしまうのだから。まぎれもなく塚本ワールドの人物であると言えよう。
  メジャー映画でありながら大胆な個人映画を築きあげられる方法を塚本晋也は獲得した。
(角田)


●ゾンビコップ
 DEAD HEAT88マーク・ゴールドブラット(ヴィデオ)

 ヴィデオ・バブル期には、思いがけないおもしろい映画が転がっていたりする。スティーブ・カーバーの『テキサス SWAT』(83)。デニス・ホッパー『アウト・オブ・ブルー』(80)。ジャック・ショルダー『ヒドゥン』(87)、フレッド・デッカー『ドラキュ リアン』(87)。
 ちょうどコーエン兄弟やサム・ライミが認められる前後の微妙な時期、きつい予算でありながらきちんとした安定した作 品を作るチームをよく観ると ロジャー・コーマン の名前がやはり出てくる。AIPの活動に続き、NEWWORLDというヴィデ オ市場中心の会社をはじめる。確か後に経営から手を引いたはずで、その後NEWWORLDも潰れたと思うが。
 その会社からリリースされたのが本作だ。監督はこの作品の前に、ポール・ヴァーホーヴェンのハリウッドデビュー 作の『ロボコップ』の第二班監督 を務めている。この作品の執拗な銃撃戦はその影響があるのではないか。 ロジャー・コ ーマンらしい「もし刑事が死んでゾンビになったらどうか」というアイディアを手堅く撮っているとともに、二人組刑事もの の定番の軽いセリフの応酬などを押さえ90分にまとめる手腕はまだB級映画の法則が生きている時代のものだ。
 特別出演のヴィンセント・プライスも自らのコーマン演出の作品がテレビで放映されていたり、その出演の扱いがピ ーター・ボグダノヴィッチの処女作『殺人者はライフルを持っていた』のようであり、わかる人にはわかる軽い遊びが入っ ている。この手の作品が消滅してしまって悲しいのは私だけだろうか。(jkさん、お薦め多謝)
(角田)




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