レクイエム・フォー・ドリーム
ダーレン・アロノフスキー


●レクイエム・フォー・ドリーム
 ダーレン・アロノフスキー ペイテレビにて

 人を不快にさせる映画というほどのインパクトはない。なのに、なぜ気分が良くないかというと、実はドラッグに溺れる人々を描いているのではなく、 「反ドラッグの教育映画の枠組でしかない」ことが不快感なのだ。あまりにも高みから眺めている様子がいやだ。ドラッグは身を滅ぼし地獄に落ちると喧伝するCMとどこが違うのだ。
 その点ははっきりしている。ドラッグの快楽がまったく描かれていないのだ。というと誤解を招くから言いなおすと、背徳の快楽を魅力的に描く演出力がまったくないのがこの映画の致命的につまらなくしている点なのだ。ただ、CGで画面いじったり、コマ落としで、ドラッグの効力を示そうとしたってギャグにしかならない (しかもドラッグを打つと瞳孔が開くシーンを何度もくりかえすアタマの悪さ) 。悪が魅力的に描かれない限り、映画は説得力や魅力を持たない
 基本的に人に対する演出が出来ていない。単純な切り返しの会話の演出もマトモにできていない。母と子の結婚をめぐる会話のシーンなどぼろぼろ。こいつ現場でモニターしか見てないんじゃないかと思うほどひどい。恋人との楽しいシーンもシリアスな売春をするかどうかの瀬戸際のシーンも全然トーンが一緒。だめだねえ。
 基本ができていないから、いくらエフェクトで凝っても面白くない。もっと言えば、そのエフェクトだって、毎回同じパターンだし、音と画の編集も単純に音と画をあわせてドッカンという大きな音つけるだけじゃセンス無さすぎ。だから編集がいくら細かくいろんなことやっていてもすぐに飽きてしまう。
 はっきり言えばこんなことさ、60年代の終わりにニューヨークでスコセッシやデ・パーマ、カサベテスはとっくにやっていたんだよね。
 (角田)