マグノリア
ポール・トーマス・アンダーソン
マトリックス
ウォシャウスキー兄弟
真夜中のサバナ
クリント・イーストウッド
マルコヴィッチの穴
スパイク・ジョーンズ
マルホランド・ドライブ
デヴィッド・リンチ


●マグノリア 
  Magnolia 99 ポール・トーマス・アンダーソン(銀座シネパトス)

 映画にあるべき姿などない。必要なのは人々の心理を映す鏡をどうやってつくるのかだ。 この作品をつまらなく思うことは簡単だ。誰か一人の人物または事件を嫌いになれば良いのだ。しかし、逆に言えば、それほど相互の事件や人物が絡み合いながらストーリーが怒涛の如く曲線を描きながらラストに向かって突き進むのだ。そこにはステレオタイプの人物は一人としていない。ストーリーの進行役もいない。
 切れ目無く、三時間近く拘束し続ける力は大したものだ。シナリオがどれくらい拘束力があるかは不明だが、P・T・アンダーソンの演出力は賞賛に値する。 彼の大胆な「人生」に対する解釈をみると、コーエン兄弟のオフビートさえ滑稽なものに思えてしまう
 ラストの解釈だが、あそこでダメという人が多いが、アメリカ文学の人を食ったほら話の系譜に入るので、あの話法は良いでしょう。音楽の使い方、センスも抜群です。個人的には、ジュリアン・ムーアが唄いだすところが好き。
(角田)


●マトリックス
 THE MATRIX 99 ウォシャウスキー兄弟(渋谷ジョイシネマ)

 眼を開いて観よ。『マトリックス』は確実に90年代の映像を代表する映画となることは、間違いない。官能的で言ったら『スターウオーズ』をはるかに凌ぐエロチックな表現でエクスタシーを味あわせてくれること間違いなし。
  ここまで、完璧に映像が(特殊撮影)が物語とマッチしたSFXはいままで無かった。久しぶりに心地よいダイナミックな快楽を感じさせてもらった。スローモーションのコマ数もカットによって全部スピードを変えたに違いないと思えるほど、タイミングが心地よい。ストーリー、アクションと一体になっているのだ。
  ストーリーは目新しくない、特にコミックやアニメを観ている日本人にとっては、アイディア的に盗作されたと感じるかもしれないが、少なくとも、SF映画は進化すると思う。そういう意味では画期的な作品とは思う。あるゲームメーカーの社長は「ゲームは映画の進化したもの」と言っているが、『マトリックス』を観ると、逆にゲームやマンガをも吸収してしまう映画の懐の深さを感じた。 ストーリーを語るのに邪道とされていた手法が時間・空間・構図の全てを再構築して映画としていく様が感じられた。映像表現の一つの可能性としてこの映画は充分に楽しめる。
(角田)


●真夜中のサバナ
  Midnight in the Garden of Good and Evil 97 クリント・イーストウッド (ビデオ)

 150分を越える映画と言うことで今まで敬遠していましたが、見始めたら、いやあこれが面白い。イーストウッドの演出に酔いました。物語はそれほど、目新しいものではなく語り口でこれだけ持たせられるアメリカ映画監督はいないだろう(爆発シーン、CGなしで)。
 サバナという南部の静かな小さな街。そこの大金持ちのクリスマスパーティーで殺人事件が起きる。たまたまクリスマスパーティーを取材に来ていた雑誌記者が、この事件を題材に本を書こうと取材を始める、そこで出会う不思議な人たち、時間が止まったような街に住むのは、一癖も二癖もある連中。いつも身体中にアブをまとわりつかせている老人。主人の犬が死んでも、首輪だけ散歩につれていく召使い。ほとんどサザン・ゴシックの世界だ。やがて始まる裁判。そこで明らかになる事実。保守派のイーストウッドがなんでこの映画を作ったのかは良く分からないが、静かではあるがなかなか挑発的なひねくれた映画だ。他の人が撮ったら面白くもなんともない映画が出来たに違いない。
 全体のトーンを統一した語り口はもはや名人芸といえる。『パーフェクト・ワールド』あたりで完成した演出は安定していて観ていて安心できる。 視線による切り返しが無駄なくこれだけ的確に出来、画面にでている全員から的確な演技を引き出して様子は指揮者のようだ。移動撮影も最小限で気負ったカットもほとんど無い。ものすごいアップも無いし淡々とカメラは的確な位置に置かれる。
 ある点では、ハワード・ホークスを越えたんじゃないかとも思える。ただ叙情派なので、どうしても演技のテンポでカットの長さを決めていくために映画がどんどん長くなっていくのだと思う。もともとアクション映画が上手い監督でないからそれで良いと思うが、でも省略法などは若い監督などよりは良く知っているから映画は決してだれない。
 この独自の語り口、たくさんのカメラで撮って編集で切り刻むような安直でない職人技に酔うつもりで借りるといいです。
 (角田)


●マルコヴィッチの穴
   Being John Malkovich 00 スパイク・ジョーンズ (渋東シネタワー)

 ビョークのPV「It's so quiet」や、ニューヨークのど真ん中でアガシとサンプラズがテニスの試合を始めるNIKEのCM。新しい才能のように言われて映画デビュー。でも買わないんだよね。バカじゃないけど狂気が足りない。
 アタマにハッタリかますのは結構なんだけど、アイディア勝負のところがあって、電通とスポンサーのオヤジは騙せるだろうが、それを展開して行き観客を誘導する才は無いとみた。というか本人が必要としていないのかもしれない。それは、完成度やこだわりが低いからだ。「おお、すごいじゃん。それで……(息切れ)」。 今の観客は映画を観に行くんじゃなくてチェックしにいくんだから良いのかもしれないけどね。まあ、ハリウッドの技術力なら、監督が思い描く世界を映像化することは簡単だろう。その時にスパイク・ジョーンズがなにが出来るのかが問われるんじゃないだろうか 。映画は20分ほどで飽きてしまいました。だって、単調なんだもん。生真面目に撮ってるだけでさ。論理の飛躍がない。すべてはシナリオに書いてあるとおりなんじゃないだろうか。
 (角田)


●マルホランド・ドライブ
 MULHOLLAND DRIVE 02デヴィッド・リンチ (DVD)

  リンチももういいと言いながら観ちゃうんだよねえ。『ロスト・ハイウェイ』はひとりコスプレだと思ったが、今回は露骨な 夢オチ。みんな他人の夢の話を聞いてて面白いかぁ。手塚治虫はマンガには夢オチは禁じ手と言っていたが、まさに 今回はそれだなあ、ハナシがどう転がってもいいんだもん。作っている方は楽だろう。彼の場合はその夢が面白いのと その語り口が秀逸なので許されているのだが。まあここに現代美術、抽象芸術との関係を持ってくるのは野暮というも んだとは思いますがね。
  夢なんでどこで終っても良いといえば身も蓋もありませんがそんな感じ。ところどころに分岐 点があって、こうなると悪夢だよなという方へと流れて行く。その意 味じゃ80年代前半の筒井康隆の作品群に似てい る。まあ夢だからいいじゃんが、面白くできているので それはそれで芸というものだけども危ういよね。ひとネタギャグと 同じでそれが古い!とみんなが思っ た瞬間に整理されて無かったことにされてしまう可能性がある。『ツインピークス』 なんてそうだよね え、乱獲消費という感じ。細かい部分は凡百の類似品よりは全然楽しいのだが、パターンが見えちゃ う というか、表現が過剰にはならない人だから観ている方がいつか冷めてしまう。職人芸の難しさです な。
  と言いな がらもリンチの本性は職人芸でも芸術肌でもないと思うんだけど。なにいかといわれるとテレビ・ウォッチャーだと思 う。発想の基本がそこから来ていて決して映画のカタチに拘泥してはいないんじゃないだろうか。似たようなテイストとし てタランティーノと三池崇史が思いつく。彼らも細部に こだわりながらも時々トンでもないやり方でストーリーの語り口を 変えてくることを平気でやる。通常映画で重要とされる繋がり(コンティニュティ)とすっ飛ばす手法を大胆に使うんだよ ね。これはテレビでCMが開けると全然別のシーンになってまたストーリーを進める手法(まあ安易な転換と言う場合 も 多いが)で、それで30分とか60分番組にするのは映画とは違う語り口になるのだけど、その自由さを積極的に取り入れ ているのが上記の彼らだと思う。テレビを観なれた我々にはその辺りに付いて行くこ とがそれほど難しくないのは馴れ ているからで、でもなんとなく物足りなく感じるのは「映画にしては」という思いがどこかにあるからだろうか。この現実の 緩用でイメージを作り上げる節約手法は『ブルー・ベルベット』以来のものですが、いざとなれば『エレファントマン』のよう に普通の演出もできるので心配はしてませんが、画家のように突然スタイルを変えるかもしれないので、その辺りにも 興味があります。
(角田)