グッド・フェローズ   
マーティン・スコセッシ
グラディエーター
リドリー・スコット
グリ−ン・ディスティニー
アン・リー
クルシメさん
井口昇
狂わせたいの
石橋義正
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦
原恵一
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
原恵一
クレヨンしんちゃん電撃!ブタのヒヅメ大作戦
原恵一
黒い太陽七三一 戦慄!石井細菌部隊

黒の天使 vol.2 
石井隆
 

●グッド・フェローズ   
 GOODFELLAS 90 マーティン・スコセッシ (ヴィデオ)

 やはりニューヨークのチンピラを描かせるとスコセッシに敵うものはいないな。何者かに影響されて、パシリから組織 の一員になり、主人公が狂気に駆られ、逆に破滅するのがかれの映画のスタイルだ。そこから外れるとおもしろくない し、主人公の成り上がりぶりがなんとも言えなくヨロシクと言いたくなるのはどこでも同じらしい。走り出したら止まらな い、その狂気こそがスコセッシだ。
 ポップミュージックの使い方として、ものすごくセンスの良い映画だ。かつてファスビンダーのカメラマンであり、本作 でも撮影担当のミヒャエル・バウハウスは、『アフター・アワーズ』でスティディ・カムの移動速度とタイミングでモーツアル トのリズムについて議論したという。その移動ショットはここでも健在だ。
(角田)

●グラディエーター 
 GLADIATOR  00 リドリー・スコット(ビデオ)

 ここ何年かの間で、テレビ番組のBGMでサウンドトラックが使われることが多くなった。それまではタブー的にオーケストレーションは使われなかったのだけど、いまは一般的になってきている。わかりやすいのは「料理の鉄人」の『バック・ドラフト』だ。音だけ荘厳なイメージは一般化している。わたしはこれを 作曲家ハンス・ジマーの功罪と個人的に呼んでいるのだけどね。
 さて、『グラディエーター』である。このサントラも良く使われている。重厚なまでに盛り上げるが無意味。CGも演技も同じレベル。話も直線過ぎる。ただ勝手にイメージが膨らんで行く効能はある。だから半年後に、アカデミー賞が取れるのだろう。そこら辺はリドリー・スコットのねちっこい計算勝ちだ。インパクトのある印象深い画と音響で繋いである。あとで観客がものがたりを反芻するとき困らないようにしてある。というか、 じつはそれしか映像がないのであるが、観客はもっとあるように感じてしまう、CM的効果だ。ここらが、『アルマゲドン』組とは、ちがう老練さ。じっくりみなければ愉しめる一品です!
(角田)


●グリ−ン・ディスティニー
 臥虎藏龍CROUCHING TIGER, HIDDEN DRAGON 00アン・リー (ヴィデオ)

 劇場で観たらもっともっといい気分になれたろうな。映画の持つファンタジーの力を、いま最大限に利用しているの がワイヤワークであることは異論はないだろう。それをここまで磨き上げた香港のチームとここまでドキドキするシーン を作り上げた製作チームに脱帽。
 お伽噺をこのような解釈で甦らせてくれる映画のマジックは、かつての黄金期のミュージカルに匹敵する。そしてそれ を支えるスターの顔が説得力に満ち溢れている。彼らなら空を飛んでもおかしくない。これこそが映画におけるスターの 役割なのだ。昔なら中村錦之助の役をチョー・ユン・ファが演じる。そうストーリーは東映時代劇なんですよ。美術も違和 感がないし音楽も素晴らしいです。映画の持つ力を久々に感じさせてくれる映画です。
(角田)

●クルシメさん
 97 井口昇(ビデオ)

 56分のビデオの中に込められた想いは存在するのか。この作品に関しては答えはイエスである。ビデオという日常というか、どこまでも被写体に肉薄するメディアを巧み使い、登場人物の存在を少しづつ露わにしていく過程がそこには映されている。
  ストーリーは、大きな公園で落ち葉清掃をする女の子たちの話。一人は、好意を持つと相手が一番嫌がることをする発作を持っていて、もう一人は、可愛いが、普段は見えないところに身体的な欠陥を持っている。この二人を軸にして話はダラダラと進む。
  演出はフィルム効果で撮られているが、時々ビデオの生の画が挿入される。それも感覚的に不意打ちで入ってくるので結構どきっとする。その生々しさが映画における、いや ビデオにおける リアリティの境界を曖昧にしてスリリングなのだ。ビデオだから生々しいのか、映画としてきちんと成立させようとする事がリアリティなのか混乱してくる。そして映像は容赦なく観ている者を物語のドロドロの関係の中に引きずり込んでいく。
  よくある女の子映画とは全く縁のない奇妙な関係性だけで物語は進む。アップと手持ちを多用したホームビデオの世界のような映像の中に入り込んでいく奇妙な感覚に取り込まれていく。そう、引きずり込まれる要素は、監督自身の撮影の構図と編集の巧さにもある。ともに映画的構図とは無縁のマンガの構図、コマの流れに従った編集、なめらかではないが観ている者の欲望に従った編集は斬新だ。Vシネマとも、テレビドラマともちがう、 『映画ビデオ』とでも『ビデオ映画』とでも言うべきジャンルが出現し始めている気がする。そこにはマンガの影響が見え隠れしている。ビデオで作品を作ってみたい人必見。
(角田)
 

●狂わせたいの
 98 石橋義正(ビデオ)

 京都発のインディーズ映画と言うのだが、頑張っているとは思うんだけど16ミリでモノクロで撮っている力強さが無い。奇妙な夜を過ごしたサラリーマンの話なのだが、照明の限度もあるのだろうし、ワザと匿名の街と言う設定で撮っている為なのか、ヒキの画が無いために観ていてつらい。発想は面白いし、70年代ド歌謡曲の使い方も面白かったのだが、リズムがたるく撮り方も普通なので、不思議な世界観が出なかった。
(角田)


●クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦
  02 原恵一 (ワーナーマイカル熊谷)

 前作は掛け値なしの大傑作だったけど、今回はまた難しいモノ作ったね。曰く「クレしんでやる必要があるのか」「アニ メでこんな作品を作って良いのか」。
 答えは、監督の意図に乗るか、乗らないかの二通りあって、それぞれ正解だと思う。アニメ・ヲタクの、「ここはいい けどあれはダメ」という部分的な賛成を封印しているのだ。まるごと好きか嫌いかしかない踏み絵のような映画。その意 味では前作を引き継いでいるともいえよう。非常に個人的な映画でありながら、その佇まいとアピール先は大衆向けの 形式を取っている。そのバランスの取り方が 名人芸に近くなってきているんじゃないだろうか。
 監督が、こう思わせたい作品世界を実現するのに要する、映画内時間やファンタジーを感じさせる仕掛けが実に上手 い。眼を閉じるだけで念じるだけでタイムスリップするなんて、 恐くて普通は考えてもできない。それを難なく演出して しまう力に恐れ入った。戦国時代の合戦の細かい描写などこだわりの世界感によってさらに内容が厚みを持つ。
 当時の倫理感の葛藤を物語の軸に据えながら実にあっさりと進む。アニメーションのシナリオの感情を描き込まない でもいいという、大雑把さを逆手に取って、物語を大胆に進める確信犯的な作業。アニメーションの世界ではものすごい 完成度だと思う。
 だから、それに同意して楽しむかどうかで評価は分かれるんじゃないだろうか。お約束ごとを見事にクリアしているけ ど突っ込むところもたくさんあるということです。そりゃ、アニメだモン。
 けど、おらはしんちゃんが活躍する、おバカ・アクションがもっと観たいぞお。
(角田)

●クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
 01 原 恵一(熊谷ワーナーマイカル)

 30男は、女房子供を質に入れてでも観ろ。30女は舅姑を縛ってでも出かけろ。21世紀がこの先99年、なにもなくても、この映画があっただけで、この世紀は救われる。しかも、これはいま観ないとダメなんだ。永遠の名作っていうんじゃなくホント、ぼくらひとりひとりのために作られた映画なんだ。
 不覚にもなんども涙してしまった。映画を観るときには絶対にセンチメンタルな気分になってしまうものか。現実を離脱するために観に行くんだけど、こんなに 最後はどうにかなっちまうんじゃないかと思うくらい動揺した。あと30分長かったらもうどうなっていたかわからない。この時ほど、100分の長さでよかったあと思ったことはない。
 なんでこんなことを考えたのだろうか。ストーリーがあまりにはまりすぎていたことは確かだけど、それ以上のものを表現しようとしていたからじゃないだろうか。ものがたりはここには書かないのでみなさま、各自情報を断片的に集めること。
 「ノスタルジーは病気であるか」 とムーン・ライダーズの鈴木慶一が書いていたが、ぼくに言わせれば「不治の病」だと思う。なぜか。もし治療が完癒されるようなことがあれば、そのひとがそのひとでなくなり死んでしまうからではないか。「無意味な人生だったな」のひとこと終わってしまう。そんなことを抱えながら日々暮らして行くわたしたちは、あらかじめ宣告された死者のようなものではないだろうか。もちろん日々こんなことを思って暮らしている奴はいないんで、突如そんなことが降りかかる瞬間、ひとはその時の歳にかかわらず、はっとする経験をする。
 夕方になって、陽がくれようとしてまだ遊び足りないのに、みんな帰ってしまったとき。商店街のコロッケを揚げる総菜屋や、きらびやかな新製品であふれる電気屋の前を走り抜けたとき、 田舎道を自転車でほこりまみれになりながら全力疾走したとき、人ごみのなかで迷子になって心細い思いをしたとき。その時々の瞬間に揺れた感情があふれ、観ている自分を思いきり直撃する。
 この映画に仕掛けられた、ギャグでもありマジな設定におかしくってうんうんとうなずくしぶさがありすぎる。いつもながら悪役がいいのがこのシリーズの特徴でもあるけど、今回はすごすぎる。このネーミングには参ってしまった。しかも声優が、津嘉山正種(!)。この説得力の持っていき方はものがたりを信じさせようとする心意気を感じさせる。
 今回のキャラクターにつけた動きが、おざなりとか、デフォレメや様式化したりしているのではなく、過不足無く動いていることにも注目してほしい。まさに演技という形になっている。その細かさを観て。しんのすけが階段を駆け登るところは、一切手抜きをせず、全部手書きの動画だけで表現しているところも良く観て。久しぶりにおもいが乗っている画を観た。小堺、関根のコサキン・コンビのギャグも聞き逃さないように。あと、「国会で青島幸男が決めたのか」は赤塚不二夫のギャグだからね。
 余計なことを書くとしたら、これで原恵一は宮崎押井庵野を越えたというか、全然別の答えを出してくれたことに感謝する。 ここで描かれているのは、むやみに慰撫してくれたり免罪符でも言い訳でもない、ひとつの時代を生きていることをただただ感じさせてくれる<作品>なのだ。
 そんなことが次々に波状攻撃されて、どうにかなりそうになったとき吉田拓郎の歌が流れて、感情の堰が切れてしまった。いままで彼の唄をいいと思ったことないんだけど、うわっという感じでダイレクトに入り込まれてしまった。この映画の音楽のセンスも秀逸だね。
 こんな奇跡のような想いをさせて堪能できる映画はまずない。ぜひ劇場へ行って観てほしい。
さいごに、こんなに映画館で泣いてしまったのは、『超高層プロフェッショナル』を観て以来だ。約20年ぶりかもしれない。そのときは映画がよかっただけではなく、その日通っていた学校の同期生が自ら命を絶ったということを聞いたことも関係あったんじゃないかな。どっかで、生きていればなんかいいこともあるんじゃないか、というのが20年前のぼくの考えだったけど、そんなことはだれにも言えずに、映画館の暗闇でその映画に遭遇してしまった。整理できない感情をそのまま受け止めてくれたと思った。そんなことを思い出した。
 まあ、なにはともあれ、この映画はあなたのためだけにつくられたぜいたくな映画なことだけは確かなのだから。
 (角田)


●クレヨンしんちゃん電撃!ブタのヒヅメ大作戦
 98 原恵一(ビデオ)

 「クレヨンしんちゃんが面白い」との噂は聞いていたが、初めて見てなるほど子供向きと言うよりは大人向き(ということは手を抜いていない)に出来ていて、ウルトラマンや仮面ライダーで育ったお父さん、お母さんも楽しめる 宮崎駿映画から説教を抜いたらこんな風になる(違うかな)というエンターテインメントのお手本だ。 国際的秘密結社の陰謀に埼玉県春日部市の野原一家が巻き込まれるといった、何の説得力もないこの二つを強引にくっつけてストーリーを生み出していく手際の良さ、銃や爆破シーンが出ても誰も死なないし、血も流れない。世界を混乱に陥れようとする秘密結社ブタのヒヅメ団と闘うSML(せいぎの、みかた、ラブ、の略)にしのすけたちが巻き込まれると言ったストーリーが単調だけど、あれくらいでちょうど良いのかも知れないな。
 結構見せ場もスペクタクルも豊富です。ゲーム世代も納得の「ファイナルファンタジー・シリーズ」のパクリではないかと思うようなメカ設定や秘密基地、映画ならではのスケール感を出そうとスタッフが頑張っているのが分かる。子供に見せるのはもったいない。
 (角田)


●黒の天使 vol.2
 99 石井隆(シネマミラノ)

 石井隆の世界はどこまで有効なのか。これには、前から疑念があった。彼の作る世界が独特で強固であればあるほど、時代から乖離していくのではないかという不安。『死んでもいい』から『GONIN』の頃までは、バブルからバブル崩壊の時期を通じて人間を描いていけたと思うのだが、しかしその場合も冷静になるとどうしても時代がかった台詞や設定が嘘臭く感じることもあった。まあ、劇画チックという死語を使えばその辺りは分かって頂けると思うのだが。その辺りがリアルを越えてしまうとつまらないVシネになってしまうのだが、そこは演出で抑えられたと思う。
  問題はこの「黒の天使」シリーズである。前作も葉月里緒菜で失敗した部分が、天海祐希でもクリアされていない。ひとつは彼女たちが劇画のように動けない、アクションが出来ないこと。そのあたりをカッティングでごまかすのは石井演出ではないので、余計に動きが悪いのが見えてしまう。もう一つは、この 殺し屋という稼業が上手く描き切れていない部分にあると思える。石井隆の真骨頂は謎の男女が事件を通じて過去に翻弄されながらも、のたうちまわっている姿を描くところだが、今回も背負っている過去の部分が浅く嘘臭いし、映画にとって殺し屋の過去っていらないんだよね。そこが作品として成立させるためには齟齬をきたしている。だったら、名美と村木みたいに過去に会って今は敵同士の大和武士との関係を全面に押し出した方が良かったのではと思う。片岡礼子の起用にも?が付くしね。ちょっとストーリーをこなそうとして空中分解しているところはある。
  撮影と照明は、石井節が全開で、天海のアップなどロマンポルノのころのフィルムの質感があって良いです。石井隆にはもっと情けない男が主役の映画を撮って欲しいものです。
(角田)



Make your own free website on Tripod.com