ファイトクラブ
デビッド・フィンチャー
ファンタジア2000

フォートレス 未来要塞からの脱出
スチュワート・ゴードン
ブギー・ナイト
ポール・トーマス・アンダーソン
復讐 消えない傷痕
黒沢清
復讐は俺に任せろ
フリッツ・ラング
豚の報い
崔洋一
二人が喋ってる
犬堂一心
ブッチャーボーイ
ニール・ジョーダン
プライベート・ライアン
スティーブン・スピルバーグ
ブラックジャック
ジョン・ウー
ブラック・ホーク・ダウン
リドリー・スコット
プルガサリ伝説の大怪獣
申相玉
ブレア・ウイッチ・プロジェクト
ダン・マイリッチ/エド・サンチェス
ブレイド
スティーブ・ノリントン
ブレーキ・ダウン
ジョナサン・モストウ
プープーの物語
渡辺謙作
WHO AM I?
ジャッキー・チェン ベニー・チャン


●ファイトクラブ
 THE FIGHT CLUB 99 デビッド・フィンチャー(渋谷シネ東タワー)

 “レスザンゼロ”な世代が描く小説は、ありとあらゆるブランドと固有名詞で出来ていて、そこから登場人物の内面を引きずり出す作業をしている。そこには、過度の暴力とポルノと幻想が渦巻いている。 よく言う言葉では、「こんなの映像化不可能だ」となるのだが、デビッド・フィンチャーは、それを映画化してしまった。それだけでもこの映画は観る価値があると思う。
  SFXを本当に効果的に使える監督の作品として、あえて“裏スターウオーズ”とでも呼びたい。ジョージ・ルーカスの想像力もここまで使えるんだぞという見本みたいな作品だと思うからだ。別に宇宙船だけ描けば良いってモンじゃないだろう。
  そう、問題はフィンチャーだ。前作『ゲーム』は、ひどかった。『セブン』にしたって、オープニングのカイル・クーパーのタイトルが良いだけで映画としてはどうってことはない。僕の考えでは、フィンチャーには演出力は無い。いわゆる映画言語を駆使した演出は出来ないと見ている。オリーバー・ストーンもその系譜に連なると思うのだが、でもなぜか観てしまうのは、映像に対する演出力があるからだと思う。ハリウッドで、デジタルを使って作る映像には限界はほとんどないんじゃないか。そこで問われるセンスが、良いのがフィンチャーだと思う。ある種の汚れの美学を作り上げつつあると思う。蛍光灯を光源とした照明はまだ上手く行っていない感じがするが、飛行機の撮り方なんぞは大したものだと思う。
  話を戻すと、結局脚本が良くないと、映画は満足したものに仕上がらないのが、彼の限界だと言えよう。ただ今回はシナリオも良いので充分に楽しめます(ちょっと、ハリウッド的でわかりやすすぎる展開ではあるがね)。
(角田)


●ファンタジア2000
 FANTASIA 2000 00(新宿アイマックスシアター)

 アイマックスってどう考えても、体験する映像と音というアトラクションとしか思えない人間には、誰か天才が現れて、アイマックス映像のスタンダードを作ってくれないと、なんか居心地悪くて「なんでアイマックスなの」という疑問に誰かに答えて欲しいと思うんだけど、この作品も結局同じような結論だった。抽象イメージの最初のベートーベン(だったと思う)は、CGとセルアニメの合成に眼がちかちかして慣れる頃には終わってしまった。眩暈はしたけどトリップはしなかった。前作の『ファンタジア』の「トッカータとフーガ 二単調」がLSD体験に極めて近いと言われた衝撃からは遠いなあ。次のクジラのイメージはラッセンかと思うわかりやすいイメージ。それなら、前作の「春の調べ」の恐竜の方が世界ではじめて恐竜の動きを映像化した革新性が欲しかった(『ジュラッシク・パーク』観ているんだから衝撃少ないよな)。「ラプソディー・イン・ブルー」も悪くないんだけどさ、オムニバス・アニメ『メモリーズ』の大友克洋の一話1カットの作品を連想しちゃって較べちゃうんだよね。結局何が残ったというと、前作で出来なかった企画で、「ワルキューレの騎行」のイメージ画がちらりと出てきたのが一番想像力を刺激した。ひねくれすぎか?
(角田)


●フォートレス 未来要塞からの脱出
  FORTRESS 93 スチュワート・ゴードン (ヴィデオ)

 なんでクリストファー・ランバートって一時期あんなにたくさん映画の主役をしていたのだろうか?あまり上手いともハン サムとも思えないし、それほどカリスマ性も見出せないのだが。 誰も出ることが出来ない地下要塞監獄からの脱出を描く SF作品は、いかにもな作りのセットとやる気の無い役者の ためか、安っぽいテレビ・ムービーのようだ。美術もいかにもSFな作りなので照明もベタにしか当てられず、芝居に説得 力を与えられない。そこには『スペース・トラッカー』のような細部のジョークの入る余地も無い。 刑務所長の変態的な キャラクターのみが、ゴードン映画らしい。
(角田)


●ブギー・ナイト
 BOOGIE NIGHT 97ポール・トーマス・アンダーソン(シネシャンテ1)

 オシャレな宣伝がメディアでされているが、そんな映画だと思ってみると泣きを見るぜ。この2時間30分の映画は70年代から80年代までのアメリカンポルノ映画の盛衰を描き、その産業に集まった人たちを描いたおかしくて悲しい作品だ。
 見ていて、なぜかボブ・フォッシーの『レニー・ブルース』を今は亡き三鷹オスカーで見た時の、そんな記憶を呼び戻された。70年代を描いているだけじゃなくて、映画の精神も70年代だからか。今の観客には乗れないところは多いだろうが、かつてこういう映画がたくさんあったぜ、という歴史を知っている者たちには是非見て欲しい。
 すごく駄目な奴等がそれでも生きているんだというのが、長回しの部屋中を動き回るカメラによって同時に幾つものドラマが交錯していく。どこがどうというのではなく、映画の素敵さ加減を再確認できる貴重な作品だと思う。アメリカン・ニューシネマだね。
 バート・レイノルズのポルノ監督はすごく良いです。彼の『シャーキーズ・マシン』も良かったね。なんでアカデミー助演男優賞取れなかったのかなあ。
 (角田)


●復讐は俺に任せろ
 THE BIG HEAT 53 フリッツ・ラング(三百人劇場)

 古典も観なくちゃイカンかなと思い、観客数が10人の劇場に向かう。しかし、寝てしまった。10数年前にビデオでちょっと観ていたけど、その時とそれほど印象は変わらず、なんでこれがフリッツ・ラングの最高傑作と呼ばれるのかわからない。個人的な好みとしてはもっと様式的な照明を施した『暗黒街の弾痕』や『死刑執行人もまた死す』の方が好きだけど。演出がうまいことは確かだけど、今観る映画じゃ無いな。ちょっと退屈だった。
(角田)


●豚の報い
 99 崔洋一(テアトル新宿)

 崔洋一の作品は、黙っていると時々登場人物や物語の説明を省くために、観客が置いて行かれる事がある。アクションものの場合はある程度定型の流れがあるために全くついていけない事はないが、『東京デラックス』とか、本作のような場合、背景にいろいろ複雑な物語や人物と土地の物語が隠されているのかも知れないが、何の提示も説明もされないために分からない。シナリオの段階から失敗しているとしかいえない。
  10年前に死んだ父の骨を埋めるために島に戻った大学生の息子と知り合いのホステスたちの道行きをロードムーヴィーではなく、沖縄というか、南の島を舞台とした生者と死者の狭間で起こる登場人物のドタバタを描いた、如何にも売れない文芸作品の映画化というのがピッタリする舞台設定なのだが原作のイマジネーションが貧しいのか、それとも説明がないためか、主人公が最後まで何を考えて行動しているのかわからん!物珍しいエキゾチズムに過ぎない。
  たぶんに確信犯で、こういうシナリオを書いたと思うのだが、こういうシナリオをチェック出来ないプロデューサーにも問題があると思う。確か、WOWWOWから派生した映画製作会社の第一作だと思うのだが、監督至上主義だけで(それがすべて悪いとはいわんが)作品を作るのも如何ものだろうか?プロデューサーのやる気を疑う。自己満足的でいやだなあ。
(角田)


●二人が喋ってる
 96 犬堂一心(ビデオ)

 吉本の高校を卒業したばかりの女漫才師「トゥナイト」のオハナシ。
 全編喋りっぱなしで、大阪の街を歩きっぱなしなんだけど、映画がそれで跳ねているかというと、そんな事もない。たぶんデジタルビデオで手持ちでほとんど撮った大阪の街でしゃべくりまくる二人のどうでも良い会話が、それ自体が漫才のテンポになっているので飽きないが、目指す方向がどこに行くのかまったくわからん。
 思いつきで撮った割には練られたシナリオで良く出来ているし、構成を時系列をバラバラにしたことで単調になりやすい話を引き締めている。でもさ、映画って状況以上のものを観たいと観客としては思っているわけさ。誇張もせずに淡々と撮っていく中からなんか
見つけてよというのは、ずるいんじゃないかなあ。そりゃ、コンビが決別しそうになる危機について、二人が死ぬほど語り合っているのは良く分かるけど、そんな事は、アクション一つで解決することじゃないの?
 スタイルが違うと言えばそれまでだけどそういうのを見せてくれますかと言う感じだ。面白い映画なんだけど、図々しさと大胆さに欠ける部分が(別名、いい加減さ)こじんまりとまとまった印象を受ける。
 市川準の新作でシナリオを書いたそうだがどうなるか、期待しています。
 (角田)



●ブッチャーボーイ 
 The Butcher Boy 97 ニール・ジョーダン(ビデオ)

 作品に統一性が無かったり、ヒット作を撮ってしまうため、不当に評価されていない監督ニール・ジョーダンの未公開作品。この人の場合、血とアイルランドにこだわった方が面白いモノが多いと思うのだが、平均的に面白いモノ作るよね。今回は少年犯罪がテーマ。しかし印象は薄い。
 (角田)



●ブラックジャック
  BLACK JACK 98 ジョン・ウー(ビデオ)

 ジョン・ウーもなかなか新作の声が聞こえない『ミッション・インポシブル2』とか噂が流れているが、どうなるのだろうね。香港アクション映画の巨匠も、ハリウッドではまだ、キワモノめいたものしか撮れないと言うことだろうか。撮った作品群自体は嫌いじゃないけど、どうも観ていて消化不良の思いがする。そこら辺がアジア人との違いだったりしてね。
 ハリウッドに来てから非常に禁欲的でアクロバティックなアクションも少なく、身体張ってますっていうものが少なくなっていたり、親兄弟との葛藤なども薄くなっているんだよね。そこがドラマの一要素でもある訳なんだけど。『フェイス・オフ』で善悪の交錯と
いう部分が少しは出たけれど、まだ欲求不満なところがあるのではないだろうか。
 これも、テレビのパイロット版の筈だ(でもその割には、血がドバドバ出て、アメリカのテレビ放送コードに充分引っかかると思うのだが)。ドルフ・ラングレンの扮する凄腕のボディー・ガードが変質者から狙われるスーパーモデルを守る話なのだが、登場人物一
人一人に過去のトラウマがあって、話がなかなか進まない。ちょっと、スローモーションが多すぎるとも思うが、アクションシーンが立っているから許そう。(相変わらず手際よく上手い)脇役に料理の上手い片目の元ギャングなんかいるとホッとするね。ユーモアが
あるので殺伐としすぎないのが救いだ。でもテレビ・シリーズ化は難しいだろうな。全部、ジョン・ウーが撮らないと番組の水準は保てないだろうね。エグゼクティブ・プロデューサーにも名前を連ねていたからやる気はあったみたいだが、アジア人、チョー・ユン・ファを出すにはアジア人の壁は厚いんだろうね。
 (角田)


●ブラック・ホーク・ダウン
  BLAC K HAW K DOWN 02 リドリー・スコット (ワーナーマイカル熊谷 )

 タイタニック症候群にはまったプロデューサー、ジェフリー・ブラッカイマーは、『パール・ハーバー』と同時にこの映画の企画を立ち上げたに違いない。企画書のタイトルだけを書き換えて ……。負け戦に翻弄される人間を描けば感動して 客が入るに違いないと、自らもタイタニックに号泣しただろうプロデューサーは考えた。
 しかし、この映画ではもっともそれから遠い映画監督を選んだようだ。リドリー・スコットは『ハンニバル』が当たらな かった結果、自分は『グラデュエーター』の監督だと納得することにした。派手で残酷な戦闘シーンにこそ、観客が求め るものがあると考えた。元々登場人物が何を考え、 感情を明らかにしたりすることに興味を持たない監督は、兵士 を徹底的な戦闘マシーンにすることにした。
 あまりに本物らしさにこだわりすぎるために、兵士がみな坊主刈りでだれがだれだかわからなくなった。ストーリーも別 に負け戦はどうでも良かったので戦闘シーンに力を入れることにした。内蔵がドバッと出ないと受けないからな。
 主人公のアメリカ人たちの視点から撮るために、アフリカ人の様子はステレオタイプに撮ることにした。あの大阪の日 本人どもと同じようでいいだろう。道頓堀を封鎖してスモークを炊いたのと同じく、モロッコの廃墟と工事現場を封鎖して 撮影しよう。ヘリコプターのシーンはストーリーボードを用意してその通りに撮るようにB班に命じよう。つながりは考えな くていい。やっぱり夕陽をバックに出撃した方が恰好良いからな。 夜間のグリーンのフィルターはなかなか良い効果 が出た。今後も使うことにしよう。
 と、妄想するが最後にこの映画を捧げられた亡きリドリーかあちゃんは天国でどんな気分なのだろうか。
(角田)


●プライベート・ライアン
   Saving private ryan  99 スティーブン・スピルバーグ (新宿スカラ座)

 「必見」という情報が来たので、先行オールナイトに並んで(夜中なのに結構の人数が入った、これが!)3時間の上映時間、飽きずに見ました。と言っていいのか分からないけど、この作品では、スピルバーグの二つのトラウマが融合して出来上がった記念碑ではないだろうか。ハッキリ言って面白い。その面白さがどこから来るかというと、『ジュラッシック・パーク』的な面白さであり、『カラー・パープル』的なものではない(『シンドラーのリスト』を見ていないのでこの比喩が適切かどうかは分からないが)。
 まず、戸惑ったのが、スクリーンサイズが戦争映画なのに、ヨーロッパ・ビスタビジョサイズだったこと(1:1.66)。普通アメリカ映画、特に大作だったらシネマスコープサイズ(1:2.35)、最低でもアメリカ・ビスタビジョンサイズ(1:1.85)のスクリーンの大きさを選択するはずだ。まあ、スタンダードサイズ(1:1.33)がかかる小屋があるとは思えないから、それは現実的ではないけどかなり意図的な選択だと思う。それと、見れば分かるのだが戦闘場面の随所に、動きがぎこちないところがあるのだが、カメラのシャッター開角度を狭めてわざとコマ落とし風、ぎこちない動き、分かりやすく言うならニューズ・リールを意識した画面づくりになっている。でもそこまでやるならなんで白黒にしなかったのと言う疑問も出てくる。『シンドラーのリスト』はモノクロだったのにね。カラー撮影は頑張っているという人がいるかも知れませんが、わざと画調を合わせなくしたりする仕掛けをしたりしてますが、そういう部分は愛嬌としても、情緒的な部分とか、さりげない部分での撮影が雑で必ずしも成功しているとは思えません。そこが相変わらずの、金をかけるシーンと、かけないシーンを露骨に描き分けるスピルバーグのプロデュース感覚の賜物でしょう。ジョン・フォードといわなくともあの逆光のシーンはもうちょっとどうにかで来ただろう、と思いましたね。なんか時間に追われて撮影している感じがして落ちつかないんだよ。天候の変わりやすいイギリスで撮影したとは言ってもね
 ここで、分裂したスピルバーグのトラウマが炸裂する。そう、ひとつは映画は全てエンターテインメントであるということ、その一番の観客が自分であること、だからなんか新しいことしなきゃ気が済まないんだボク症候群。その為の上記の撮影技法だし、『ジョーズ』から『レーダース』にかけての観客に過剰な痛みを伴う呵責ない残酷的描写の徹底。ここまでやるかという計算には脱帽しましたが、特に細かいドイツ兵が撃たれるところ着弾、血の飛び方なんて最近のハリウッド映画の中じゃスローモーションも使わずに撮られた中じゃ一番洗練され美しかった。勿論、ヲタクも唸る武器、戦闘車両のレプリカをきちんと作ったところも偉い。そこに費用をかけすぎたんじゃないかとも思うが……。そう、 前述したけどさりげないシーンの撮り方が雑だから、いつまでたっても誰が誰だか最後までよくわからん。たぶん脚本では書かれていたと思うのだけど、スピルバーグが先を急いだために無くなったんだろう。『E.T.』までは、なんとかストーリーを止めても登場人物の感情を描こうとしていたが、(『ジョーズ』では船内で3人が酔っぱらいながら、過去を語り合うシーン、『未知との遭遇』では、デビルタワーの模型を作るところ(最も『特別編』ではカットされてたが、『E.T.』では夜空を飛ぶシーン……)最近の作品になるにつれ、ヒステリー的にそういうシーンは削られていく。レコードを聴くシーン?あのシーンに何か感じますか?
 ボクは今回スピルバーグがたどり着いたところは、映画にとって、今や映像なんかどうでもいいんだという心境のような気がして仕方がない 。確かに映像は迫力があります。戦車が近づいてくると地面が振動するなど、すごくリアルです。でもそれはスピルバーグにとっては小手先のことで本人は大して面白いとは思っていないでしょう。他の監督が手抜きしているくらいに思ってるくらいでしょう。 カット割りもほとんど最低限のモンタージュしか使っていません。映画学校泣かせの無茶苦茶なカメラワークです。それよりこの映画の最大の見所?は音響効果の出来だと思います。どうやったら画面以上の効果が出てくるのかものすごく計算していると思う。その編集が的確だと思う。戦闘シーンなど、たくさんの音が混じるんだけど、どれもがクリアに聞こえ細かい瓦礫の崩れる音や、叫び声なんかも聞こえるの。この映画がリアルに思えるのは、音の力が60%と考えても良いんじゃない。あの緊張感は画面だけの効果じゃないよ。そこまで計算している。劇映画の文法を意図的にぶっこわして詰め込めるだけの情報を詰め込んでいるから、観客も戦場にいるのと同じ混乱を味わうことができる。だからこれも『ジュラシック・パーク』の系譜に入る体感ムーヴィーなのだ。
 それがエンターティナーという彼自身の資質だと思う。別名やりすぎとも言う。そしてもう一つのトラウマ、偉大なアメリカ映画監督でありたいという願望。いい年なのに良い子になりたいというコンプレックスがどこかにまだあること。これについては、僕自身が『シンドラーのリスト』と『アミスタッド』を観てからちゃんと答えを出したいと思うのだが、スピルバーグの不幸は、全てをどうしたら受けるかでしか考えられないエンターティナーであることだと思う。たぶん、ストーリーで言えばノベライゼーションの方が感動的なのではないだろうか。それは脚本がどうも未消化のような印象を受けるからだ。まだスピルバーグには脚本をそのまま撮るという作業は出来ないのだろう。だからいつも飽きない映画を見せてくれるのだけどね。彼にとっては諸刃の剣だろう。
 (角田)


●プルガサリ 伝説の大怪獣
  PULGASARI 85 申相玉(ビデオ)

 北朝鮮の特撮怪獣映画。私たちは笑いながらこれを今観ることが出来るけど、封切られたときには北朝鮮ではみんな吃驚しただろうな。なんせ、娯楽映画で、しかも怪獣まで出て来るんだから。これからどんなプロパガンダを読み取ればいいのか、アタマの回線がみんなショートしたことは間違いないだろう。
 しかし、これは金正日のメッセージではなく、申相玉監督の「娯楽映画はどこでも作れる」というメッセージとして読むのが正しいんじゃないかと思う。実際、特撮と実写のつなぎなんか職人技を感じたし、『ラスト・エンペラー』を撮ったのと同じ、中国・北京の故宮での撮影などの力が入った部分が多々見られる。さすがにカンフーは入っていなかったけどね。
 着ぐるみのなかは、ゴジラ俳優だけど、自衛隊が出てくると東宝「ゴジラ」、農民だと大映「大魔人」、子供だと「ガメラ」と連想してしまうのはなぜだ?
 (角田)


●ブレア・ウイッチ・プロジェクト
 THE BLAIR WITCH PROJECT 99 ダン・マイリッチ/エド・サンチェス (新宿ミラノ座)

 やらせ映画を作るときに最も重要なことは、なぜ死にそうなときなのにカメラを回しているか?ということだ。だってそれがないと映画にならないじゃないか、というのは尤も意見であり、結局は映ってなかったら何の意味も無いという当たり前のことからは誰も逃れられず、この映画もその辺の作りが下手な分アラが見えてしまう仕掛けになっている。森で道に迷ったのに何で相手のことを撮影しているのか、そんな余裕は無いじゃないかと思ってしまうのが、まあ普通だろう。もうちょっと出来の良い監督だったら、何かしら動機付けを考えて撮り続けさせるだろう。
  映っているものも、リアクション狙いなので肝心なものが映ってなかったり、説明不足になりがちなのだが、その辺を2台のカメラでカットバックして補おうと単純に撮っているので、非常によく切り返しが出来ているので説明過多ともいえる。編集が上手く繋がりすぎていて想像力をかき立てられる部分が無いのだ(特にラストは下手過ぎる。プロの編集者だったらあんな繋ぎはしないだろう。あそこはきちんと演出すべきだったと思う)。音もドルビーサウンドにするなよなと言いたくなる。
  受けたのは、アメリカの都市伝説的な要素が、インターネット時代にマッチしたんだと思うけど。そういう意味じゃ「電波少年」のほうが上手い。あれは日本人に受ける感動と涙が上手くあわさって旅のモチベーションを盛り上げているよ。
(角田)


●ブレイド
 BLADE 98 スティーブ・ノリントン(新宿オデヲン座)

 バンパイアに犯された母親から生まれたバンパイア・ハンター、ブレイド。アメコミの映画化だが単純に楽しめる。夜の世界を何百年と蠢いてきたバンパイアを完全武装と日本刀で殺戮しまくるのは、CGを上手く使って殺陣もなかなか格好良い。ブレイドを助ける老ヒッピーのクリス・クリストファーソンのバンパイアに恨みを持つ武器屋もいい味出している。ストーリーの骨格は荒いのだがディテール、美術も含めて頑張っているのでコミックの映画化はこれくらいはやって欲しいって感じです。
(角田)


●ブレーキ・ダウン
 Breakdown 97 ジョナサン・モストウ(ビデオ)

 なぜかこっそりと公開されたままになっていたけど、気になってようやくビデオで観たら、なんとこれが大当たり。製作、『キンゴ・コング』のディノ・デ・ラウレンティスとその娘。主演カート・ラッセルと豪華だが、それ以外は誰も知らないし、あんまりお金がかかってない映画。 敢えて一言で言えば、『激突』+『悪魔のいけにえ』だ。あ、分かった?君の予想は外れていないよ。
 でも、93分、かっちりと丁寧に撮っていて、ディテールの描写がなかなか迫真に迫っているんで緊張感があるし、悪役は悪役でそれなりの落とし前がついて、そうだよなと納得して観ていられる。最近のハリウッド映画は、悪役でも死ぬと嫌な気持ちになるけど、この映画では「ヤッタレー!」とカート・ラッセルを応援したくなる気分にさせられる。滅茶苦茶正当派のアクション映画です。監督の演出力も大したもの。
 15年くらい前に監督、フレッド・デッカー(『ロボコップ3』)が『ドラキュリアン』で、またはスティーブ・カーヴァーが『超高層プロフェッショナル』で見せてくれた、熱いB級映画魂に通じるものがあるね。必見。
 (角田)
 

●プープーの物語
 97 渡辺謙作(ビデオ)

 封切りの時も、どうしようかなと思いながら結局、観なかった。レンタルビデオ屋でも回転してなかった。なんでだろう?何を危惧していたのだろう。タイトルを含め、売り方があまり上手くないと言うのはあるとしても、何の匂いを感じたのだろう。極論を言えば、何の情報も口コミも流れて来なかった世界に、何のとっかかりも見いだせなかったのだと思う………。そう、観終わった今も、つかみどころがどこにもないのを感じている。 要するに 何したかったの?
  映画が面白くなるであろう要素が抜け落ち、テクニックが目立つという最近にしては珍しくケレンのある映画なのだが、問題はそのケレンがどっかで観たことのあるものばかりのような気がする。映画のケレンをストーリーの中に入れることは危険だ。オールマイティーで魔法のようにケレンで事件を解決させることが出来るので、余程の巧者じゃないと使っちゃいけない。でないと、ストーリーを楽しむことが出来ない、それをご都合主義と言うんだけどね。それが多すぎる。
  確信犯にしては、下手だと思う。スタイルまでも行き届いていない。鈴木清順を出しちゃイカンと思うが、そこら辺が清順との、皮一枚の違いだと思うのだけど、 繊細さと大胆さの組み合わせ。大胆さが粗雑に見えてしまったのが失敗。ストーリーでなく、画だけで見せようとしたのが失敗その次だろう。感情移入をわざとさせていないのだが、登場人物が馬鹿に見える。格好良くもないしね。一作目からこんな事をいうのは酷だが カメラポジションがことごとく違っていると思う。監督の空回りが映画の面白さを削いでいると思うが。こういう映画があっても良いと思うのだがのれないんだよな。それが欠点。押さえる部分は押さえないとアカンと思う。
  具体的には書かないが、観た人はどう思うのだろう。ストーリー的には状況があって、女の子ふたりのロードムービーで話は勝手に進んでいるんだよね。そこに関係のないエピソードがポツリポツリと入る。相変わらず、話はわからん。それが最後まで続く。ハアー。
  監督は画が撮りたかったので、映画を作りたかったんじゃなかったのだろうか。それで成立すると思ったのだろうか。それは10年前の自主映画までだよ。プロの作品の水準じゃない、映画を目指すのだったらね。
(角田)


●WHO AM I?
 ジャッキー・チェン ベニー・チャン(新宿オデオン)

 やぁー、観る映画が見つからずにジャッキーでも観に行くかと思ったら、これが面白かった。それほどジャッキー・チェンの映画って意識して観てないんだけど、これだけ身体が動く俳優って世界中探してもやっぱりいないんじゃなかろうか。アクション・シーンのアイディアの豊富さ。手を抜いていない部分など飽きずに楽しめました。
  最近の映画は、世界中移動していてもそのスケール感が出ないものが多いんだけど、この映画は、アフリカ、アムステルダムへのシーン転換や、ラリーのドライブアクションシーン、などなどハリウッドが無駄金を使っているのを少ない予算で確実な効果を上げているのを観て「伊達にアクション映画を撮っているんじゃないな」とニヤリとしてしまいました。正当派アクション映画、変わらないジャッキー映画の魅力を堪能できました。
(角田)






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