僕の小さな恋人
ジャン・ユスターシュ
ホークB計画
ブルース・ロウ
ポストマン・ブルース
SABU


●僕の小さな恋人 
 ジャン・ユスターシュ(渋谷ユーロスペース)

 ゴダール以降、重要な作家として、小難しくされてしまった感があるジャン・ユスターシュだけど、彼の作品を解くカギは、彼が労働者階級出身の監督であり、ゴダールのようなブルジョアジーでないところにあるのではないか。
トリュフォーの場合は、ブルジョアジーになろうとしていたので、ユスターシュの描こうとした世界を近親憎悪していたのではないだろうか。
 結局、ユスターシュは、この映画で自分の少年時代、いなかの生活、別れて暮らしていた母親と彼女の男との暮らし、高校へ行かず働く毎日、おんなを口説くこと、しか描いていない。たぶんこれがすべてだったのだと思う。退屈なまでに退屈。暴走するでもなく劇的でもない日常。その日常がスリリングなことを描きたかったのではないか。あえて物語を夢想するのでなくて、 ひとつひとつの立ち居振舞いに自分が「確かにいた」ことを再確認しているのではないだろうか。そうやって記憶していかないと自分が生きてきた証がないと。ブルジョアジーなら、思い出作りという手段があるかもしれない。しかし、労働者たちにはなにも残っていない。だからそれを物語で誇張するのではなく、そのときに感じた感覚をもう一度、画面で切り取り、編集で繋ぐ時に、自分だけのストーリーにして行こうと考えたのではないだろうか。それは、ありとあらゆる誇張したみずみずしさとは無縁のものだけど。
(角田)


●ポストマン・ブルース
 97  SABU (ビデオ)

 郵便配達人は走る。自転車が冬の京浜の街を疾走する。物事には退屈と偶然と冒険しかなく、それが渾然一体となったときに映画が生まれる。
 郵便配達人がヤクの売人と間違われ、病院で出会った少女と恋いに落ち、殺し屋とも友達となる。そして警察に追われるハメになる……。脚本は穴だらけだが、それにもまして力任せの演出がねじ伏せている。ギャグが滑っているところも目をつぶろう。みんなが大人しく上品な映画を作ろうとしているときに自主映画としか言えない映画を作る情熱はどこから来るのだろうか。この疾走感はアメリカンニューシネマ(バニシングポイント)のようだ。
 このまま大人な映画は撮って欲しくないなあ。ラスト、泣けます。全てはそれで許される。あと、監督のクレジットが出てくるところが滅茶苦茶格好良い。 お見逃しなく。
 (角田)


●ホークB計画
 ブルース・ロウ  (新宿ジョイシネマ)

 『プロジェクトA』に対抗して、B計画なのか?まあいい。期待しすぎるとこけるけど、香港映画としてみれば楽しめる。人がバタバタ死んでいくんだけど、虐殺って感じでいまひとつ盛り上がらない。テレビ局に行ってからは、どうしても話が止まっちゃうし、逃げる気がないと分かるとサスペンスになりようがない。バッタものとしてもっと早く公開されるべきだったなあ。
 (角田)




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