いきすだま 生霊
池田敏春
生きない
清水浩
イグジステンズ
デビッド・クローネンバーグ
犬 走る DOG RACE
崔洋一
インビジブル
ポール・ヴァン=ホーベン
 

●いきすだま 生霊 
 01 池田敏春 (池袋文芸坐)

 伝説的なホラービデオ『死霊の罠』で和ホラーというジャンルを日本に定着させた監督だが、今回はどうも調子が出ていない。撮影ではフジフィルムを使い、フィルターワークとラボの処理で全体の色を押さえ、モノトーンに近くして、現実感を微妙に無くしている。これは、撮影条件が悪いときに天候を統一する苦肉の策でもあるのだけど。池田のような映画育ちだと、間を持たせるために、カメラの回り込みなどが多くなる。下手な役者の演技を持たせるときなどがそうだけど、いまやテレビドラマの定番のカメラの動きなので、観ている方が予感してしまって、古く感じ間が持っていない。恐怖演出も、SFXが限られているので、血みどろシーン等控えめだ。音で驚かせる方法が、『リング』、『CURE』で確立してしまった今では、物足りない使い方。
 ドラマの構成が一直線で恐怖以外を排除している。いわば身も蓋も無い話ってやつです。中篇なのでそれなりの緊張感が出ている。これ以上長くするには、もうワンアイディアが必要なため適当な長さだ。
 (角田)


●生きない
 
98 清水浩(テアトル新宿)

 宣伝のせいか、観客は入っていた。が、今作る映画なのか。今見る映画なのかと聞かれると、NOと言うだろう。どこに監督がいたのだか全然分からなかった。これは同じく助監督をしていた人が撮った『教祖誕生』でも同じ事を感じた。真似してどうするの?
 シナリオはCXの世にも奇妙な物語でやればちょうど良いストーリーだと思うが、もう少しクスグリの笑えないギャグ部分をふくらますよりも本質的な死んでいく人間達を突き放しても良いからきちんと描いて欲しかった。
 演出に関しては全く見るところはない。演技に関しても。どこを見たらよいのか全く分からない。集団も個人もどちらも描けていない。何の突出した部分が見えない。不条理な設定が、観光映画としてしか成立していないんだよね。自殺志願者を乗せたバスが観光を装い事故を起こしてみんな死ぬ、そこにたどり着くまでに描くことがたくさんあるだろう。ここでも淡々と時間が流れているのみだ。やはり予定調和だと思う。
 この手の話には、どこか神の存在、不在が出てこないと成立しないのではないか。一種の奇跡について語らないと行けないと思う。そうするしか登場人物の心の変化は描ききれないのではないか。
 やはりロカルノ映画祭の陰謀の噂は本当なのかと考えてしまう。
(角田)


●イグジステンズ 
 eXistenZ 99 デビッド・クローネンバーグ(新宿ピカデリー3)

 出来の悪いテレビゲームだなあ、クソゲーだよこれは。強制イベントが多すぎて、自由度が少なすぎる。こんなに分かりやすいヴァーチャル・リアリティーの解釈をクローネンバーグがするとは思えない。オチがすぐに見えてしまいすぎるよな。現にストーリーの仕掛けが『デッド・ゾーン』、『ビデオドローム』(そういえば初公開はユーロスペースだったな)から進化してない。いやむしろ退化している。傑作『クラッシュ』の次がこれとはおかしい。何か原因があるのではないだろうか。
 例えば、ファイナルカットが無かったとしたらどうだ。もっと、自由度が多いというか、現実との境界が曖昧なシーンが多く含まれていたとしたらどうだろう。監督は別にヴァーチャル・リアリティーの世界を描きたいとは思わないしね、ぐちゃぐちゃのブツはうれしそうだったけど。プロデューサーとしては分かりやすくしたがるだろう、そのため曖昧な部分を切って直線的にしたら分かりやすくなりすぎた。と推測するのだが一概にそうともいえないしなあ。 ジェニファー・ジェイソン・リーはやらしくて良いです。でもこれだったら『アイズ・ワイズ・シャット』の撮り直しに参加した方が良かったかもね。
(角田)


●犬 走る DOG RACE
 
98 崔洋一(ビデオ)

 久しぶりに冴えているぞ、東映セントラルフィルム。細部に力が入った作品で、おかしくも滅茶苦茶に弾けている悲喜劇。歌舞伎町を管轄としている刑事の岸谷五朗と気の弱いヤクザの舎弟らしき在日の大杉漣がしたたかな中国人女性を挟んで三角関係のような四角関係のような(女は大杉のボスの情婦でもある)ぐちゃぐちゃの関係が続く。岸谷は全く職務に熱心でなく、外国人から麻薬を取り上げ自ら打ち、ぼったくりバーを壊す。一緒に行動をする後輩の真面目な刑事、香川照之もキレてハイになって暴れまくるところがおかしい。
 二人の情婦が殺された辺りからストーリーは加速度を増して裏切り合い、死体をかついで新宿をうろちょろするあたりは、隠し撮りで、そこはかとない不思議な良いムードだ。
 こういう映画が、海外に出ていって欲しいね。観念的な格好付け映画じゃなく。新宿の歌舞伎町のゲリラロケも頑張っている。しかし、やっぱ、歌舞伎町って狭いねと感じてしまう。今の歌舞伎町なのだが、今の歌舞伎町に見えないと思うのはボクだけだろうか。歌舞伎町らしい風景が少ないと思った。路地とか裏道があまり効いていないんだとね。美術の今村 力の力の入れすぎかもしれないが。 脚本は秀逸。横浜映画祭で何か獲れるんじゃないかな。でもね、岸谷ってそんなに上手い役者じゃないからな、そう思いません?精いっぱいやっているのが見えちゃうというか、遊びがないんだよな。松田優作の為に書かれていたことを考えるとうーむと思ってしまうが、でもこの水準でも出来る役者はいないよな。崔洋一アクションが好きな方には是非お薦め。飽きません。
(角田)


●インビジブル 
   The Hollow Man 00 ポール・ヴァン=ホーベン(新宿トーア)


 ハリウッドでいま、画面を見ただけで映画監督が分かるのは、ジョン・マクノートン(『ヘンリー』、『ワイルドシングス』)とこのヴァン=ホーベンだけだ。なんでバーホーベン映画の登場人物は、あんなに色つやが良く、たくましく映るのだろうか。カメラマンも毎回違うんだよね。どこに秘密があるのだろうか。好むと好まざるとそれだけでも才能だと思う。それ自体映画の魅力になっているのだから。
 つねにメインストリームの三文小説を映画化してきた彼だが、屈折したシナリオの読み換えがある。誰もが善人とはいえない。悪人は出てくるがその魅力は、対立する善玉をかき消してしまう。また善玉も灰色に近い邪悪さを持っている。
 バイオレンスは感情の吐露の表現でしかない。だから必ずしも男同士の戦いとは限らず、男女間でも死闘が繰り広げられる。それは永遠に受け入れられることのない、すれ違う愛情の表現の変形とも思える。怒りが愛情の表現なのでどこかSM的な様相を呈する。非常にえぐいポルノの表現だと思う。自らの欲望、目的のためなら悪の側(ダークサイドね)に進んで入り込む。これがヴァン=ホーベン映画の美学、決して受け入れられない美学だ。
(角田)