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刷り込まれた奴ら
since 98/08/15


  本格的に引越し(だけど片付いていないです)
Date: 2006-05-03 (Wed)
ようやくメドが着いたので、お知らせします。お手数ですがブックマーク、アンテナの変更をよろしくお願いします。
一部、いままでの記事で移していないものもあります。
少しずつうまく移したいと思います。ここは自動消滅にするので、消すことはない、…はずです。


http://d.hatena.ne.jp/ryotsunoda/


  ニューワールド
Date: 2006-05-01 (Mon)


テレンス・マリック監督作品。『シン・レッド・ライン』とどこがちがうと言われても、『天国の日々』とどうちがうと言われても、同じだと答えるしかない。それでは退屈なのかと言われると全然退屈ではない。

映画とは、実に単純なものが集まって、とてつもなく複雑に豊かになると言ったのはゴダールだったと思うが、これはいまの劇映画の饒舌さの百分の一も無い、むしろ説明不足だろう。劇的な要素もほとんどない。ただただ単純にすべてが進む。そこに時間が溢れ、空間が満ちてくるのだ。

テレンス・マリックは、いつもほとんどがスティディカムによる手持ち撮影だ。これはたぶん監督はシーンの状況だけを作り上げ、あとは役者に任せているためだろう。カメラが先回ってドラマの感情演出することは無い。役者だけでなく、スタッフもその場に放り込むのではないか。カメラが戸惑っているのがわかる。ここでは作為的なものはなにも求めていない。求めているとすれば、自然が醸し出す絶対的なスペクタルの時だけだ、それも控えめに。

いまのフィルムは控えめな些細な表現、それすら饒舌に撮れてしまうから、美しすぎる画は極力避けている。役者のメイクも無く、照明も自然光だけにしている。撮影監督はさぞ困ったことだろう。それでも、いやそれが故に映画がここまで光り輝くのだ。そして映画の可能性をまた押し広げることができる、そういう勇気を示してくれているのだ。

音楽のひどさはプロデューサーの指示ということにしておこう。ありえない大音響や西洋クラッシック曲(モーツアルトの「ピアノ協奏曲第23番イ長調」とワグナーの「ラインの黄金」)全体に流れる自然音を消し去り、メロドラマを強調する役割しかないから不自然過ぎる。うーんでもそうとも言えないセンスがあるからなあ、この監督は…。

徹底的な象徴と対比を取り入れたため、やり過ぎなくらいわかりやすい、入植(侵略)の貧しさと原住民の豊かさ、文明の対立。あまりにストレートなメッセージだ。その対比が衝突した時、夢か寓話の世界が、一転して恐ろしい寓話に変化する様子が、画の説得力と一緒に物語を飛び越えて迫って来る。

  ウェブ進化論
Date: 2006-03-25 (Sat)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062858/qid=1143256698/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-6217346-6860237

自分のこのサイトだけど、数年前にblogが現れてから、サイトの更新ができなくなった。今もまあ細々と続けてはいるが、実際はmixiで私事日記もどきを書いている方が多い。
まわりを見ても、ほぼ同時期に匿名批評サイトをはじめた人たちが、ほとんど同じ頃に休止状態になってしまったのも不思議な妙な符牒だった。

そのあたり本書を読むと、ちょうどweb1.0からweb2.0への転換期にいたのではないかということに気づく。ある時代の潮目だったということだ。
web2.0は概念であって、これがという規定ではない。
http://japan.cnet.com/column/web20/story/0,2000054679,20090039,00.htm
そうは言っても、数年間書き続けた批評文が無駄になるのではという感触から、「ブログなんて、日記じゃねえか。流行りモンだよ所詮は!」と毒づいていた。その結果、自分のサイトは塩漬けのまま放置されている。

web1.0時代の、サイトの主宰者だけに編集権があり、コミュニケーションを規定する手法が、じつはもう古い考え方だということ。いわば、電子ガリ版の延長にある、自慰的行為に過ぎないことを明らかにしてしまったのだ。キツイいい方だと偉そうなことが勝手に書き連ねるだけで、本当にコミュニケーションを取ろうとはしていなかったということですね。まあヲタクの典型ですな。
主宰者は、その仕組みに気づいているのだが、次のリアルの段階に進む一歩を躊躇している間に、何も考えないブログ主宰者たちが気軽にコミュニケーションを成立されながら追い抜いていった事実。ここまでが、小さなところで起こっている大騒ぎだと思う。

結論からいうと、blogは無くならないし、流行りでもない、インターネットの潮流の主流に位置づけられる仕組みになる(なっている)。

いま起こっていることは、ネットの「あちら側」で深く静かに進行している。ネットの「こちら側」だけの動きを見ていると、いつのまにかその変化に気づくことはないだろう。
例えば、google。ただの検索エンジンと思っているのは間違い。googleの目指し、行っていることは、ネットの「あちら側」に情報発電所を作ることなのだ。目には見えないが、ネットの情報インフラを作り上げようしている。これは、別に光ファイバーとかじゃない。ありとあらゆるネット上の情報が絶え間なく、等しく行き交うようにする仕組み作りだ。
その究極は、人工知能を積んだ自動翻訳になるだろう。コミュニケーションを阻害する最大の難関の突破。バベルの塔を再構築することだと思う。世界中が瞬時に知識を共有することができるシステム。『マトリックス』の人間ポッドにも近いかもしれない。あれはデストピアだったが、もしユートピアとするならば、世界の頭脳がネットを介してみな繋がることだろう。

それが可能か、不可能かは、web2.0の動きを追うとよく理解ができる。
作者は「次の10年の三大潮流」を「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」と定義する。
そこでは、これまでの、ネットの「こちら側」の方程式は通用しない。web1.0は、いわばネットの「こちら側」の仕組みをそのまま使い、ネットで効率化のみを追求し儲かる勝利の方程式だった。しかしweb2.0への変化を読み解くときには、その常識は通用しない。しかもアナロジーで解釈しようする自体無理なのだ。

情報を一部の既得私企業が囲い込み、数人のプログラマーが考えた不完全な商品を無理矢理使わされ、その結果富の偏重が起き、あくまでも従順な消費者の姿を求められる世界に住むことを強いられる私たち。web1.0はその世界を補完し、強化しただけだったかもしれない。

web2.0の世界は、ある意味究極の性善説の延長上にある。開かれた誰でも参加できる世界だ。なんかネットでモザイクが出てきて、マイクロソフトが参入する前のネットの可能性が拡がった、あのわくわくした時代を思い出す。

いま日本ではネットの「こちら側」の利権争いが行われているが、アメリカはネットの「あちら側」にシフトしているという。最終的にはどちらが主流になるかは明らかだろう。その流れに遅れないようにしたい。

一体何ができるのかまだわからないけど、ここもweb2.0のサイトに移行します。もっとわくわくできるサイトに戻していくつもりです。

長年アタマの中に巣食っていた言葉がある。それはポール・ヴィリリオの「情報化爆弾」に書かれた言葉で、私はblogがこれではないかとずっと考えていて、それがようやく確信になった。
「広告は十九世紀には単なる製品の宣伝であり、二十世紀になると欲望を喚起するための産業的広告となったが、これは二十一世紀には純粋なコミュニケーションとなるだろう。そして、地球上の可視的なるすべてを包括した地平線全体に広告空間がひろがることを要求するだろう。」

  撮影監督 高村倉太郎
Date: 2006-03-05 (Sun)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898301908/qid%3D1141565121/503-6118271-9280734

「争議あり 脚本家 荒井晴彦全映画論集」も読んでいるけど、たぶんそれについては書かないと思う。

主に日活の全盛期を支えたキャメラマンといえば、わかりやすいでしょうか。インタビュアーが、色々と撮影監督の役割や、監督との確執だったりする部分を聞きだそうとするのだけど、プログラムピクチャーのキャメラマンとして、誰のどの作品でもこなしていく姿勢が前面に出て、それはそれで爽快なのだけど、逆に一辺倒な答えになっているような気がする。語るべき熱い想いや、技法、技術に対する偏愛も見られないので内容がアタマになかなか入らない。偉い人なので、なかなか本音というか、悪口というか、人物評が出てこない。その点はヌルイです。
ただ撮影技術や撮影所についての証言は面白いです。映画の一時代の当事者のみに語れる貴重な発言ですね。
付録の作者のエッセーが面白いので、全部書かせた方が良かったのではという気もする。
資料編のフジフィルムの フィルムの歴史も面白かった。近年疑問に思っていたことの一部が解けたんじゃないかな。

  ビッグ・ピクチャー―ハリウッドを動かす金と権力の新論理 ハヤカワ・ノンフィクション
Date: 2006-02-26 (Sun)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152087005/503-6632130-8060721

みんながぼんやりと思っている、「映画会社は映画館で観る客のことをなんにも考えていない。本音はビデオとDVD、ケーブルテレビで収益を上げりゃなんでもOK」という事実を数字で詳細に明らかにしている。
ハリウッド初期を支えたスタジオシステムが、独占禁止法により、製作と配給を分離させられ儲ける仕組みを失い、さらにテレビの出現で観客激減で崩壊し、企業コングリマリット傘下に成り下がった時代を経て、いま実はハリウッドの経営の中枢を占めている人物たちがテレビ界出身者であることをクロースアップする。
往時、テレビ局はFCC(米国連邦通信委員会)の規制により、自局でテレビドラマを作れなかったために、ハリウッドのスタジオに製作を発注していた。時代が変わり、ケーブル局や衛星放送ができたり、FCCの規制緩和により、地方局の保護政策がなくなり、大きなメディア企業(ニューズ=フォックスなど)が出現するようになった。そしてコンテンツが不足したときに出てきたのが、映画だけじゃなくて、昔のテレビシリーズだった。結果儲けるのは、三大ネットワークじゃなく、ハリウッドのスタジオ=メディアコングロマリットになる。ディズニーによるABC局の買収などはわかりやすい例。
そして日本企業によるビデオ、DVD攻勢により、ハリウッドが世界のエンターテインメント業界のデファクトスタンダードになった(DVDのリリース時期や、リージョンだって内輪で勝手に決めただけのもの)。さらに各社がホームビデオ部門を作って、グループ会社の間でレンタル規約や、販売手数料をやりくりしたり、レンタルビデオの出荷本数を調整する仕組みを巧妙に築き上げる。なにがどうなったかというと、ハリウッドのスタジオ各社が製作部門と配給部門の両方の収益を独占する時代がふたたび来たということです。独占禁止法などいまや骨抜きなのですね。
そのあたりの経済側から見たハリウッドの仕組みと流れを整理するのには最適の書です。雑誌とかを丹念に拾えば出てくるネタが多いのだけど、よくまとまっています。

ちょっと古いのですが、関連書として、「メガメディアの衝撃―日本ひとり負けの構図」をお薦めします。ネット界とテレビ界、映画界の融合がはじまった最初の時代が書かれています。タイム=ワーナーの合併や、東芝や伊藤忠の進出のころのお話です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198603944/qid%3D1140921704/503-6632130-8060721

  沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね
Date: 2006-02-12 (Sun)
今さ、テレビで『キャシャーン』を観てたんだけど、なーんだATGじゃねーか。田舎の秀才が作った、だれもオレのことわかってくれない、みんなキライだ映画だったよね。(ハナシもよくわかんなかったけど…)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898300960/qid%3D1139754756/503-2495772-4741558
この一年以上、東映時代劇にハマッテ、NHK-BSとビデオでかなり観ているのですよ。そのあたりはここに書くのもネエとmixi日記に綴ったりしてたのですよ。
それというのも、東映時代劇のパースペクティブがよくわからなかったわけで、特にその中心の沢島忠の位置が、この本を読むまで理解できなかったというのが大きかった。
戦後の二大スター、美空ひばりと中村錦之助から信頼された映画監督・舞台演出家が、早撮りの神様、渡辺邦男の助監督からそのキャリアがはじまったというのが面白い。頑迷でがさつな監督と思われていた渡辺が、実は漢学をたしなみ、因習を鼻で笑っていた合理主義者でもあったというのには驚いた。
沢島演出の、もう少し具体的な秘密も知りたかったのだけど、職人技、ヒッチコックをはじめとするハリウッドの娯楽映画の達人たちのように、観客を飽きさせない映画作りをひたすら目指し、観客の方だけを向いていたゆるぎない姿勢に頭が下がる。
時代劇映画という娯楽のなかで、いかに忠臣蔵、遠山の金さん、水戸黄門、一心太助、新撰組を解釈して、いかにスターを配し、いかにお客を満足させるのか。
映画ってそれしかないよね、そういうものじゃんと思うこの頃。まだ沢島舞台って観られるのかな。

  大俳優 丹波哲郎
Date: 2006-02-11 (Sat)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898301703/qid%3D1139628610/503-2495772-4741558

痛快痛快。日本映画界の快男児、タンバのインタビューを基に構成されいる。良家のお坊ちゃんがいかにして映画界に入ったのか。伝説のGHQ勤めで英語を覚えたのはウソで、後年外国映画に出た時に覚えたとのこと。国際俳優と言われるようになった、007のときには喋れなかったのだ!
まあ本人もそんなタンバ伝説を楽しんでいるようで、「オレが黙っているから本当のことににゃっちゃうんだよな」と笑う。その豪快さがあるから、新東宝を辞めた後も、五社協定の時代にフリーとして渡り歩き、テレビドラマのスターとしても君臨できたのではないでしょうか。
その一方で霊界の案内人としての、客観的な人物評もまた面白い。その視点から彼の演技論、アンサンブルという考え方を読み取ると納得できる。

  ミュンヘン
Date: 2006-02-05 (Sun)
タイトルだけを聞いたときには、「イスラエル万歳!」な内容なのかと思っていたけど、「標的は11人」が原作と聞いて俄然観る気になる。あの新潮文庫のノンフィクションはかなり衝撃的で、一挙読了して感嘆した。いまも部屋のどっかに眠っているはずだ。
ただね、この映画は失敗作ですね。『カラー・パープル』や『シンドラーのリスト』と同じ意味で。背伸びしただけで、カタチだけでそれ以上のモノがなにもない。あまりに表面的であり、70年代風俗だけ再現して、70年代に対する敬意もなにもないのが残念。
そもそもオリンピック村の襲撃と顛末の処理がいただけない。あっさりとエグイ描写をせずに淡々と物語を進めたときに「ああ大人の映画にするのだな」と思ったのもつかのま、回想シーンで微に入り細に入りアタマに穴を開け、血飛沫が上がる様を延々と描くに当たって、唖然とする。これって誰の回想なのよん。これは試写をしてみたら、冒頭のシーンがやたら『プライベートライアン』のように派手なだけで、あとは尻つぼみなんで、きっとバランスを考えてバラバラにしたのだろう。だからまったく回想の人称がわからないのだと思う。なんで世界一自由度のある映画監督がなぜ自主規制するのだろうか。
きっとあまりに露骨な虐殺ムービーにしかなっていなかったのだろう。まあ2時間30分以上あるので、アカデミー賞作品賞のため、退屈なアカデミー会員ならきっとビデオを最初の30分で止めるだろうからその対策なのか。
そういう姿勢の映画なのであとは察する通りの弱腰腰砕けです。フランケンハイマーの『ローニン』とかが傑作に思えてしまう。それ以上に70年代の映画がいかに同時代的に対峙していたかを改めて考えてしまった。ジョン・フリンの『ローリング・サンダー』やシドニー・ルメットの『狼たちの午後』やちょっとちがうが『ジャッカルの日』などアメリカンニューシネマに一括りされた映画群の豊かさを再認する次第。
スタイルにしては雑すぎる照明は、元祖フィルムノワールというよりは、香港ノワールのようです。単なる低予算ということでしょうかね。
観ていてやたら70年代というよりは、ヒッチコックの60年代後半のエスピオナージュ映画『引き裂かれたカーテン』『トパーズ』などを思い出したのはなぜでしょうか。きっと視線が冷戦の大枠の部分から、個人に降りきれていないのだと思う。視点が「被害者―加害者」という部分だけで表現しようとするのでね、もっと踏み込んだ人間の本質的な狂気「どちらがテロリストわからない」という視点を逃げている。原作はそういう部分を拡大していった気がする。まあその程度の理解なのでしょうね。その意味でも『プライベートライアン』よりも後退している。やればできると思うんだけどネエ。

  キング・コング
Date: 2006-01-09 (Mon)
ペキンパーのDVDッス。
日本で発売になるんでしょうか。
http://www.amazon.com/gp/product/B000BRP4B2/002-9414421-2649632?n=130

やーあれだよね、『タイタニック』症候群というかさ、アカデミー賞な方へと行っちゃったくせに、結局自分の得意分野でショーブしようとするから物事おかしくなっちゃうんだよね。おとなしく文芸モノでもやればいいのにさ。 その点ではキャメロンは潔かったね。
ということで、アクションシーンはサイコーです!!やっぱ巧いよね。どーしたらあんなコンテを切れるのかとただただ感嘆する。本気でこちらも力が入る。最後のシーンは素晴らしすぎる。それがピーター・ジャクソン映画じゃ当たり前のレベルなんで、みんな不思議に思わないんだよね。他に誰があれを撮れますか?
それが全体の2/3で、あと残りが退屈な「美女と野獣」通俗ドラマ。
だいたいピーター・ジャクソンが女をキレイに撮ったことがあったか?上滑りなドラマと感情がちっともこちらに伝わらない。まあ元々のハナシがそんなに高級なものじゃないからね。そのあたらいはバッサリとやって欲しいんだけど、そ引っかかっちゃったようですね。そのあたりの演出の単調さ。『ロード・オブ・ザ・リング』も複雑な心理ドラマシーンの演出がつまらなかったものね。あれは物語の枠組みがしっかりしているからね、それほど違和感は無い。
そもそもアクションからすべてのドラマと感情を発想してくるヒトなのだけども、そこをもしかしたらケッコー巨匠か?と間違っちゃった気がする。原点に戻れピーター。
でも観に行った方がいいです。3時間もあるけど。


『Mr.&Mrs.スミス』
テレビで放映してたら大いに観る映画です。

  ブラザース・グリム
Date: 2005-11-03 (Thu)
「ハリーポッター」(読んでないけど)の原作者が、映画化(観てないけど)の際はぜひこの人に監督させたい、と言ったらしいのがテリー・ギリアム。その企画をパクって作られた(?)のがこの映画じゃないでしょーかね。ワーナーが手を出さず、ワインスタイン兄弟が手を差し伸べる構図、ギョーカイ的には『未来世紀ブラジル』の呪縛がまだあるのでしょうか。
それはともかく、テリー・ギリアムの職人芸が、『バンデットQ』に近い形で表現され、それなりの低予算で仕上げられた快作。シナリオが良くできていて、中盤からかなり盛り上がる。まあハリウッド調といったら、それまでなんだけどさ。SFXにしても殊更強調しているわけでもなく、相変わらずの森なんかの撮り方も、閉所恐怖症のように狭く狭く撮っている。
わたしは『未来世紀ブラジル』や『ラスベガスをやっつけろ』の殺伐としたスタイルのほうが好きなんだけど、どちらかというと『フィッシャーキング』のような微妙なヌルさが漂うのですね。ファミリー向けと解釈すれば、良いんでしょうが、ギャグがオチないのが痛いなあ。スティーブン・ソマーズあたりが撮ってもよかった気もする。

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