ちば 近所田舎行part.2

【2002.2月某日】

今回、写真が無くてすまぬ。
■日曜日は早起きをして
 2月にしては暖かな日曜日に日帰り東京近辺でカネを使わないことを第一信条にしてふたたび千葉へと出掛けた。今回は太平洋に面した銚子、潮来(イタコ)のイタロウに近い佐原というコースだ。銚子は何度か通っているが佐原は初めて。この目的地の選択理由は追々言うとしてとにかく出発。
 クルマで行く場合、高速道路を使う代わりに早朝に出ていくのが鉄則。とはいえいつもは午前中を無為に過ごすことが多い我らが身としては結構つらかったりもする。休日は都内を抜けるのに時間がかからなくていい。「休みの日に都内を走れば運転上手くなるんじゃない」と同乗のMが言うが、渋滞のときに走らせないと結局は都内は運転できるようにはならないと思う。と言いながらも皇居、国会議事堂、日本橋と名所を抜けながら、東に向かう。
 隅田川、荒川、中川と橋を渡りるとともに景色が変わる。かつての町工場の跡は、マンションに変わって来ているが、墨田区のペンシルビルに比べ、江戸川区の方が大きいなものが多い。これはかつての工場の敷地の違い、職人の町工場と駐車場や倉庫付きの工場の違いではないだろうか。これだけ新しく出来ても売れるんだからなあ、だれが買うんだろうかねえ。
 そういえば、はじめて上京してきた人は、西の出身の人は東京の西の杉並中野あたりに住み、東北方面の人は足立江戸川などの東側に住むんじゃないかと話し合う。なぜか大阪周辺の人は都心部に住みたがる気がする。無意識の帰巣本能なのだろうか。

■上総之国街道考
 やがて国道14号線は江戸川を越えて千葉、市川に入る。なぜか千葉の古い国道は片側一車線がほとんどで、昔ながらの街道と言った感じが多い。バイパスや拡張された道路が少ない。ゼネコン王国千葉はほとんどが湾岸部の埋め立て地にばらまかれているようだ。
 市川を抜け船橋の手前から成田街道・国道296号線へ入る。習志野の自衛隊駐屯地の横を通る。レンジャー部隊の訓練なんかが行われているはずで帝国陸軍からの基地だ。戦前から軍事教練を行なっていて東京出身の作家たち(神吉拓郎など)が少年期のトラウマ体験として恨みがましく書き残している。
 街道沿いには昔からの構えの家が並び庭に大きな樹木が見える。今風の店も無く、時々極彩色の看板のコンビニがあるくらいだ。良い意味で昔から変わらない、悪く言えば取り残された感がある道が続く。他県に比べてのんびりしたように見えるのは、電柱に看板が少ないこと。大体、地方のどこに行っても、その地方の酒蔵の看板が多いのはなぜだろうか。そして街路樹が違う。どこでも葉っぱが落ちる落葉樹が多いなかここは(たぶん)常緑樹だ。葉が落ちて道路が汚れる感じが無い。
 でもこの光景も国道16号線を越えるあたりから一変する。このあたりから京成成田線が並行して走るために新興ベッドタウン化しているからだ。遠くの売り出し中の高層マンションのあたりにアドバルーンが見える。早い話が成田あたりまでがすでに通勤圏内になっているということ。なのでファミリー向けの店舗(まあチェーン店ね)が展開されていて、どこでもないがよくある風景になっている。
 そろそろあちこちに畑が見え、トラクターが耕している。菜の花も盛りだ。長嶋茂雄の出身地の佐倉は城跡公園もある古い街。日本国内の民族学を一気に扱っている民俗博物館は一見の価値ありだが今回は通過。
 このあたりから成田にかけては台地がいくつもあってアップダウンの道路が続く。それ以外は落花生畑と竹薮。新東京国際空港が無ければいまものどかな風景だったろう。ここでは、バックヤードの倉庫群とトレーラーが目立つくらい。

■実録Vシネ「九十九里交通抗争」
 成田を過ぎると、平野はさらに開け、畑から田圃へと変わっていく。ホントに平らなところだ。国道を外れ、より整備されている広域農道を走る。九十九里浜に出ようと、東に向かい、単線のローカル線を越えてしばらく行くと海岸に出る。太平洋だ。
 夏の間だけ賑わうだろう民宿や土産物屋が点在している。小さな漁港を横目に見ながら進む。停まって椎名林檎気分を味わおうかとしたが、Mに「見るモンないんで通過」と言われる。……確かに、ワカリヤスイ行動原理である。
 途中、工事現場の片側相互通行を抜けようとすると、突っ込んでくる外車がある。クラクションを鳴らそうとしたけど、中古のリンカーンに乗っていたのは、助手席に反り返って座るジャージの上下に金のネックレスのアニキと、ハンドルを握る若い衆のヤクザ屋さん。うーんVシネから出てきたようだ。素直に道をゆずる。

■いつきても港町純情シネマな街
 銚子市内に近づくと、道路は混雑し始める。醤油蔵元の看板が目立つ。有名なヤマサ、ヒゲタとかだけじゃないメーカーもあることに気づく。銚子はいつ来ても変わらずのんびりとした街。なぜか歩道も車道もものすごく広く取られている。市場までは駅から歩くと10分程度。時間停まったような映画館やダンスホールが映画セットのように点在しいかにも港町の雰囲気。活気はないけれど安定した感じが心地よい。犬吠埼灯台に向かう小さな銚子電鉄の無人駅も江ノ島電鉄と違うローカルな感じでいいなあ。春キャベツが収穫期のようで大型トラックに満載に詰まれている。
 目指す、第三セクターの水産物即売センター「ウオッセ21」は市内の外れ漁港の余った場所に作られたようで殺風景この上ない。隣接するバブルの遺産たる総ガラス張りの展望タワー「銚子ポートタワー」からは海しか見えない。これで200円も取るんだぜ。海上保安庁からの密入国防止のチラシが貼ってあった。沖合いでプレジャーボートや漁船に乗り換えて来るらしい。さっきのヤクザなんかが絡んでいるのかしらん。
 唯一の食堂も第三セクターのレストランらしくサービスはなってない。メニューも少ない。ここまで来て洋食じゃねえだろうということで、地魚の刺身盛り合わせ、メヒカリの唐揚げ、イワシのつみれ汁にごはん。という変則メニューにしてみた。厨房はしっかりしているようで料理はうまい。刺身には、数種類の冬の魚の他に取れたての生マグロがちょびっと並べられるが、鮮度が良いだけでこんなに違うのかと思う。イワシのつみれ汁も、生臭さが全くしないので吃驚。あの生臭さがつみれ汁と思っていたら大間違いだった。これが4つ入っていたということは4匹分かな、潮汁に生海苔にネギを添え大きなスープ皿に盛られる。メヒカリはこのあたりの地魚。形はキスのようだ。唐揚げは丸ごと頂く。あっさりとした食べ心地。一人2000円ほどだったが満足。今度は市内の市場周辺の店に行ってみたい。帰りに市場のそばを通るとこちらの方が食堂や店が充実していて賑わっていた。
 季節を変えれて来れば、また別の味が楽しめるだろう。ゆっくりと来て東京からここまで約6時間。両国から各駅停車でもこんなにかからないだろうね。ビール呑みながらもいいんじゃない。天然温泉も出た様だし。あとイルカウォッチングなどもさ。

■ノスタルジックなロケ地
 今度は国道356号線で東に進路を取る。利根川沿いに一時間、斜光の土手に葦が生い茂っている。遠くに鹿島臨海工業地帯が見える。街道沿いには天然鰻を食べさせる店もちらほら。鹿島神宮、香取神宮などがあるので、神社が多い。この一帯も神社参りや舟運で川が主要交通の頃は栄えたのではないだろうか。
 東関東自動車道をくぐるとやがて佐原の街に着く。この街の名前をよく聞くようになったのは映画のロケ地として使われているのを知ってからだ。『うなぎ』、『赤い橋の下のぬるい水』、『月光の囁き』、『死びとの恋わずらい』という作品がここを舞台としている。
 時刻は4時過ぎで陽も傾きかけて来た。道路の案内表示に従って、有名な祭りで出す山車会館の無料駐車場にクルマを停め、交通量が多いメイン通りを歩く。といってもここもゆるく曲がりくねった道。骨董店や農具などを売る店が軒を並べる。
 といきなり何気なく土蔵造りの建物がごちゃっという感じで現れる。いかにも雨ざらしで百年前からここにある佇まい。なかは自然化粧品などが並んでいる。その二軒先は本屋だ。その向かいには煉瓦づくりの銀行があり、堀にかけられた橋が見えその向こうにも畳屋と看板が掛けられている。いきなりセットのなかに放り込まれたような感覚。いやそんな整理されてはいない。セット裏の倉庫に行き当たったと言った方がいいだろう。別に土産物屋がこれみよがしに並んだり、きれいな建物があったりするわけでもない。ひっそりと生活を続けている感じが好感が持てる。
 堀にかかる橋に立ってみる。ここが中心のようだ。欄干は木製で、両側に柳の並木が続く。石が積み上げられた塀、堀の水は緑に澱み舟が浮かぶ。堀のカーブの具合も完璧である。江戸時代には利根川から引いて来た水路で賑わったらしい。古い宿も見える。いくつもの家が修復をしていた。引っ込んだところに佐原出身の伊能忠敬記念館がある。スケールでいうと、倉敷の堀よりも立派だと思う。
 のんびりと駅の方に歩くと、明治期の病院が現れたりもする。時間はすでに昭和30年代で止まっている。この感覚が心地よい。今が21世紀というものが見あたらない。たぶんバブルはここまで届かなかったようだ。それがかえって良かったんじゃないだろうか。あるいは地元の団結が強かったのではないだろうか。本屋が多かったり、医者や弁護士が立派は家屋を持っていたりするので郷土愛のレベルが高い(あるいはプライドが高い)ことも考えられる。観光地化する前のいまが一番良いかもしれない。映画のロケ地としては、面白いけれど、どの時代と限定されると難しい。大林の尾道チックな使い方ならいいだろうね。裏道に出てもひとつひとつがドキドキするくらいノスタルジーに駆り立てられる風景。

■サイバーパンク・チバシティー
 暗くなってきたが、のんびり貧乏旅は初志貫徹で高速道路は使わない。佐原の出るとすぐに国道51号線のバイパスに出る。ここはもう現代。いくつものファミリーレストランなどの郊外店が続き、アタマがくらくらする。
 成田空港が不意に近づくと空から次々に飛行機が降ってくる。この非日常的が好きだ。何もない畑との対比がいい。成田市街に入ると急にビルが立ち並ぶ。大きな郊外住宅地と言う感じだ。
 ここから別の国道454号線へと抜ける。いきなりクルマの流れが消え、街路灯も消え、延々と暗闇が広がる。なにも目印が無くなり闇しか見えない。しばらく行くと、夕闇に水たまりが広がる。印旛沼だ。どす黒い陰々滅々とした景色がなんとも言えない。うーん『青春の殺人者』的だなあ。あれもこの辺の話だけど。
 まがりくねった国道という名ばかりの道路が急に開け、鉄道が脇を走る。北総・公団線だ。かつての成田新幹線の用地でいつまでも未完成の路線だ。住宅都市公団が白紙に図面を引いただけの非人間的スケールの街千葉ニュータウンが広がる。多摩ニュータウンの千葉版というところだ。どこまでもまっすぐな道路と、立ち並ぶアパート群。人の姿が見えないのは、J・G・バラード的か、あるいはウルトラセブン的な風景か。レゴで作られた都市だ。なぜかこのあたりは通信販売関係のコールセンターが多い。たぶん地価の安さ、パートの人員の確保が容易なことと関係があるのだろう。
 公団線が東武野田線と交わる頃突然景色は下総の台地となり建て売り住宅が並ぶ。ここが境界線なのだろうか。そういえば千葉が発展しないのは、大地主が多いからじゃないだろうか。だから細々と土地が売られたりしないのではないか。北総ニュータウンなんて土地はだれが持っていたんだ。あんな大規模開発なんてそうそう出来るモンじゃないだろう。まあだから成田空港も出来たんだろうがね。
 そうこう考えているうちに都内に出る。一日たっぷり千葉三昧してしまった。かなりディープな見方をしたけど今度はもう少しアルコール付きでのんびりでもいいですなあ。
 



恒例「同乗者Mのツッコミ」
 またまた今回も、これを読んで「コンパクトに内容のつまった旅だったのだなあ」と思いますた。やっぱりメインはあのつみれ汁だったのだろうなあ。本当にちゃんとしたものを食べると、しばらくお腹がすかない、ということもよく分かった。次は確かに市場付近の食堂に挑戦、だな。
 あと、余談ですがあの数日後に、偶然、MXTVで銚子電鉄の旅、みたいなミニ番組を観ました。あの時、車で通りかかった小さな駅も紹介されとりましたわ。あれから線路は犬吠を過ぎて、その先まで行くのだけど、終点の駅舎がまた風情があって、よくプロモーションビデオやグラビア撮影、ドラマなんかでも使われるらしい。
 あと、銚子電鉄はわりと最近、親会社が倒産して、それがニュースで流れた日には銚子市民が大騒ぎしたらしい。「あの銚子電鉄がなくなるのか?!」と。でも、銚子市長が「いや、我々も応援するし、絶対につぶさない」と言ったり、とうの電鉄も「うちは副業のぬれせんべいがヒットしてるから大丈夫」なんていう訳のわかんない声明を出して、みんなを安心させたんだとか。
 この辺の事情は銚子電鉄のホームページにのってます。実際に駅のすぐ目の前で焼いてるおせんべとか、鯛焼きとか、電鉄会社の副業としてはユニークなんで、よくテレビなどでも紹介されたらしく、有名な話らしいけど、オレは知らんかった。
 なんかあの町は、そういう意味でもちょっとのどかというか、懐かしい、家族的な感じがしますなあ。


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