近所田舎への季節外れの夏休み


【序章】  何気なしの一言から……

 「海に行こう」とMが言ったのは、暑さも厳しい八月の最中だった。「終わり頃だったらどこか空くからさ、一泊二日くらいでどう?」。「そうだなあ、行きますか」と僕。Mとは今年の六月、思いつきで沼津へ魚料理喰い旅行していた。それがコンパクトで結構楽しくおいしく安くあがったのだ。その第二弾を我々は考えていた。
 そして、電話があったのは九月のアタマの夜。「明後日からなら大丈夫なんだけど。その前に終えていなきゃならない仕事があるからさ。宿とかは行ってから現地で決めよう」。と言うわけで千葉房総への旅は始まった。なぜ千葉かというと、最近読んだ 川本三郎氏「火の見櫓の上の海 東京から房総へ」(NTT出版)で、千葉のことを「東京の近所田舎」 と書いてており、漫画家の つげ義春が幾度も通い、 「ねじ式」 その他の舞台にもなっていると紹介していたからだ。

 ドライブルートは僕の担当となった。宿はMの魚の食べられる温泉宿というリクエストに応えるため、さっそく房総半島の南の外れ、 千倉町のHP で探すこととした。千葉は温泉が少なく、しかも沸かし湯である。イラストレーターの安西水丸は、身体の弱かった幼少の頃を千倉で過ごしたそうだ。彼の推薦する 村上春樹も泊まったという温泉旅館「千倉館」に電話。一泊二食付きで、\15,000からとのこと。しかも刺身等の特別料理は別料金。著名人とは違い、我々の目指す貧乏旅行では 基本は一泊\10,000なのだ。他はほとんどが伊東ハトヤ型コンクリートづくりホテルで無意味に高い。時期外れの民宿で、てきとーなところに泊まって居酒屋に出るかとも考えたが、民宿では温泉がない(Mのリクエストには、若いすれていない娘のいる民宿というのもあったが、それは無視する)。最終的には、\10,000で料理付き、電話に出た女将によると、豪華伊勢エビの活け作りがでます、という 温泉宿「矢原荘」に決まった。(旅行ルートはこちら)



【9月3日()】 美少女と電柱激突……

 翌日、台風一過晴天のなか、「仕事を片づけちゃわないと、精神衛生上良くない」 というMの仕事終わりを待って、出発する。車は、中央自動車道、首都高速環状線からレインボーブリッジを渡り、羽田空港を経由して、 東京湾アクアライン へ。僕は一度、川崎駅から木更津行きのバスに乗って途中下車して行ったことがあるが、自動車でははじめてだ。わかりにくく曲がりくねったジャンクション、川崎のコンビナートの先の埋め立て地、浮島地区あたりに手塚治虫ミュージアムが出来るらしいが、そこを抜けて行くと海底トンネルが始まる。どこまでも一直線で面白味のないばかでかい10キロほどの長さのトンネル。海の下という感じもしない。どうせなら品川水族館のようにガラス張りならいいのにとアホなことを言い合う。車の数も少なく約10分で抜けてしまう。海上に出て橋を渡っていけば20分ほどで千葉県木更津まで着いてしまう。 「男女七人夏物語」で名前が知られた今は廃止された東京湾フェリーだったら70分。近くなったもんだ。しかし、料金は値下げしたとはいえ\3000は高いんじゃないの。

公共事業の遺物アクアラインと海ほたる
 海ほたるは、海上にあるただのサービスエリアだ。下が駐車場で、おみやげ物屋、簡単なレストランと他のSAと変わりない。東京湾がぐるりと見渡せて眺望は良いが他に見るところなし。羽田に着陸する飛行機が良く見える。
観光コースの定番となっているのか、ほろ酔い加減のおっさんたちがぞろぞろと歩いていたり、記念写真を撮っていたりしていた。昨今は記念写真も撮る方も慣れているのか、なかなか笑わないようでカメラのお姉さんは、 「ハイ、笑って〜、笑って〜、ハイ、チーズ!!」大声を張り上げて笑いをとって営業をしていた。
他には、日本語の通じない金髪のお姉ちゃんたちと店外デートらしいオヤジが目立った。それを観察している我々も我々だが。昼食はなんだか分からないが、ロイヤルホスト系のレストランでアサリのカレー。可も不可もなし。トンネル記念館は、土木工事の記録がこじんまりと記録されている。トンネル・フェチにはたまらないだろう(そんなのいるか)。




京葉工業地帯                アンニョンハセヨのおねえさん

 ここから、道路は、海上橋となり(「ウルトラマンティガ」のオープニングで使われている)一気に千葉県に突入。館山自動車道から一般道に降りて、養老渓谷に向けて走る。こちらは暖かいこともあり、早くも稲刈りが行われていた。途中抜けてきた工業団地、かずさテクノパークは、アクアライン効果もなく、企業が来なくてがらんとして土地だけ空いていた。結局、アクアラインは、接待ゴルフの時だけに使う道路みたいだ。それほど千葉は、ゴルフ場が多い。看板がずらりと並んでいる。道路はあまり整備されていなく、狭くくねくねとしているが、交通量はそれほど多くない。半島の奥まったの山あいに向かうと、思い出したように集落や、山城とその城下町!(久留里という町)が突如現れたりする。
 千葉は昔は、南のほうから安房、上総、下総となっていて、江戸が湿地だった頃は、東北に抜けるには、相模から舟で安房に渡るルートがあった。そのためか、鎌倉時代の史跡が残っていたりする。またここは南総里見八犬伝の舞台だ。
 山間部の温泉街、 養老渓谷 は、一本の国道の片側に数軒の旅館が並び、昼食に山菜と川魚の定食を出すらしい。近くにはローカル線小湊鉄道の駅もあるが、にぎわっているのは川辺のキャンプ場くらいだ。養老渓谷自体は広く点在しているため散策するといってもハイキングになってしまうため足腰の弱った我々は行くのを断念した。

 代わりに近くにある出世神社を参拝することにした。残暑の中だらだらと歩く我々の前に、一台のタクシーが止まり、ピンクの服にハイヒールでびしっと決めた、ちょっと 年齢不詳な藤山直美似の女性が降り立った。彼女は脇目も振らずに、ひたすら出世神社への参道を歩く。この参道は、ちょっとした急な登山道になっている。が藤山直美は、速度を落とさずハイヒールで土の道を上っていく。男の足でも追いつかないほどの速さだ。境内にたどり着くとさい銭を投げ、パンパンと柏手を打ち、身体を九十度曲げて、そのまま二十秒祈っていた。その迫力に、近くにいた家族連れや、女性二人連れは固まっていた。我々も一応参拝をして、帰路に着いたが、先ほどの女性の正体は何だろうと推測した。やたら歩き慣れていたけどあれは毎週のように通っているに違いないだとか、あの派手な感じじゃ、お店を持つために商売繁盛するように祈ってるんじゃないかとか、いやきっと美容院を始めたいんだが資金が足りないんだとか、どうでもいい詮索をしていたら地面をヤマカガシが横断していった。吃驚したが、蛇なんか久しぶりに見た。ちなみにMは、参道歩きで翌日筋肉痛になった。

 ここからは、狭い切り通しのような岩盤をくり貫いた隧道のある狭い山道を抜け、一気に外房を目指す。BGMは『山口百恵ベスト』。植林された森を抜け、山を下り始めると、ぽんと視界が開け、海が広がる。太平洋だ。この日の気温は三十七度の暑さ。海沿いの国道は車の流れも良く快適に走れる。気がついたのは、他県ではこういう国道沿いに必ずあるファミリーレストランや、ホームセンターが全然見あたらなかったことだ。鴨川だけが、何軒か建っていただけで、全体的な雰囲気が昭和の時代で停まっている感じが懐かしくホッとする。
 途中、和田の海水浴場に車を止めて海を見に行く。海水浴客はさすがにいなかったけど、サーフィンやサーフボードをしている人がラッコのように波を待っていた。和田は、鯨漁をしているところなので、鯨のお土産が売っていたりする。鯨といえば、南紀だが、江戸時代に紀州の漁師が房総に来たらしい。勝浦という地名は和歌山と千葉の両方にあることからもうかがえる。


波に乗るラッコたち
ボディーボードの女の子を観察中のM

 夕方になり、千倉に入る。宿に行きたいのだが、漁村によくある街の作りで、港を中心としていて、駅からの道が分かりづらく迷う。途中、強引にUターンしたため、ドスッという鈍い音を立てて木製電柱にバンパーをぶつけた。とほほ。
 とある駅前に出たはずなのだが、駅舎がない。あるのは、貨物のコンテナだけだ。しかしこれが駅だった。ホントの無人駅。夕日の中、はしゃいでいる年齢不詳の男二人の横を、赤いTシャツを着て自転車に乗った、あか抜けた少女が通りすぎていった。


千歳駅とホーム

 ようやく、今夜の宿に着く。何度も近くまで行ったのに迷ったのは、あまりにも入り口が狭い道だったからだ。宿は大きく、民宿と旅館が同じ敷地に建っている。団体客が泊まりそうで、夏合宿などで賑わいそうだ。釣り船や地引き網の手配もしてくれるとパンフレットには書いてあった。
 二階の奥の十二畳の部屋に通される。窓からは、手前の畑、その奥に海が見える。客は我々と、あと二人だけ。なにはともあれ早速、温泉。浴室は広く、タイル張りではなく、コンクリート張りで、浴槽というより生け簀って感じ。なんか、小学生のころ海水浴に来た田舎の旅館の雰囲気。湯はぬるめでやや茶色。ぬるっとした感触がする。ナトリウム鉱泉とのこと。いやあ、お日様が高いうちに風呂に入るなんて人でなし気分倍増、たまりませんなあ。
 食事は、部屋じゃなく、宴会場の座敷で食べる。刺身、さざえの壷焼き、伊勢エビの活き造り(ただし、エビはザリガニ大)など、量はたっぷりある。それをビールで流し込む。極楽。刺身のネタを仲居さんに聞いたら「今日は板さんが帰ってしまったのでわかりません」。ここの専属の料理人はいないらしい。オフシーズンだからだろうか。それでも全部食べてしまい。満腹にて部屋に戻り、布団にダイブ。夜は、冷房を止めて、窓を開けても風があり涼しいくらいだ。酔いがまわり、プロ野球ニュースを見ないうちに就寝する。



【9月4日(月)】  海づくし、捜し物は……

 翌日、快晴であれど波高し。であったが、自然と早起き。午前六時には、町内放送が大音量で流れる。じゃあ、朝メシ前に散歩でもするべと車で浜まで五分。途中、会社や学校の保養所が目に付く。
 漁港の活気をレポートしようとしたが、誰もいない。食堂もない。どうやら、近海ものなので、朝早く出ていって、午後帰るようだ。海岸は岩場と、砂浜が交互にある。ここで北野武の 『あの夏一番静かな海』のサーフィン大会のシーンが撮影されたという。しかし今は遊泳禁止の旗がはためいていて、地元の高校生らしき坊主狩りサーファーが懸命に波に乗ろうとしていた。


遊泳禁止の旗が

 朝風呂に入り朝メシ。手抜きの民宿メシ。昨日からの作り置きのようで、海の幸は無し。部屋に戻り一寝入り。この朝寝がたまらない。

 宿を出てまずは観光案内所に行く。暇そうなおばちゃんが新聞を読んでいる。道を聞いたりしたが、なかなか話に乗ってこなかった。でも地元出身のハリウッドスター・ 早川雪州 のことに触れると、「今は何も残ってないが、「知ってるつもり」が取材に来たんです」と饒舌になった。「再現シーンとかで町役場を動かして、人を集めたりしたのかなあ。テレビはこれだからやだやだ」などとMと二人で言い合う。

 観光案内所で聞いた、料理の神様を奉ったという、高家神社は小高い丘の中腹にあった寂れた社だった。駐車場に停めてあった品川ナンバーのごついベンツは誰が乗って来たのだろうか。ここは、延喜式にも載っている古い神社で、江戸時代に料理人の神社として有名になった。いわば当時の観光スポットのようなものだろう。毎年十月に鯛を包丁で切って奉納する祭りが行われる。本殿は建て直して茅葺きが新しかった。昨今の料理ブームで多少は有名になったのだろうか、数億円かけたとのこと。本殿の脇には、包丁塚があった。





  延喜式による神社由緒と包丁塚

 ここから館山までは海岸沿いの道がフラワーラインとして花が四季みられるように整備されているというがこの時期は目立った花はなかった。湘南のように海が良く見えると言うわけではないが、見通しが良く運転しやすい。千葉の地元ドライバーはのんびりとしていて、遅い軽トラックが追い越してもいいよというサインにウインカーを左に出して減速する。そのタイミングが後続車がいらいらしない程度で快適にドライブできる。
 ウチの家族から房総のアサリを買ってこいとの指令があったので、物産館に寄る。道の駅風なのだが、入るとなんとも商売気が無く、中央に大きな生け簀があり、サメや鯵が泳ぎ、サザエやあわびが沈められていた。生け簀を囲うように魚屋、海産物屋、軽食屋、土産物が売られていた。活気が無いので新鮮なものは無いんじゃないかと疑ってしまう。笑えたのが 伊勢エビキャッチャー。噂に聞いていたけどこんなところに設置するかね。結局何も買わず。

 道に点在する一坪の小屋は花の直売所。花摘みのできるらしいが、今は閉まっていてどういうシステムなのか良く分からなかった。
 千葉の最南端、野島岬に着く。のんびりとした午前中の時間、灯台のある岬の前のロータリーに車を停める。野島灯台からは晴れていれば三宅島まで見えるそうだが、噴煙をあげた三宅島は曇って見えなかった。その代わりに、近くの岩場では、十人近くの海女さんが潜っていた。軽トラでやってきて漁をするらしい。ひとりはテングサを取って干していた。



灯台から南を望む

 コーヒーでも飲むかと観光客目当ての食堂に入る。今日は涼しくもうかき氷の季節でもない。海女さんも九月十日で今年のアワビ漁は終わりだとのこと。なぜか店の隅に隠れて 竹之内豊のサイン入りカレンダー。テレビドラマ「ビーチボーイズ」のロケがここだったことを思いだし、おばちゃんに聞くと本物だという。ロケの最初の頃はみんな食堂に来てメシを喰っていたらしいが、ロケ現場がここだとわかり見物人が増えると、ロケして、そのままバスに乗って宿に帰るようになったとのこと。どこでも無粋な野次馬はいる。反町、竹之内と広末が食堂でアワビ定食を食っていたらいい話ではないか。

 隣のテーブルではさきほどからきこしめた近所の知り合いらしいジイサンがさらに酒を頼んでいる。呂律が怪しい。見ていると、勘定を何とか払って軽トラに乗ったが、キーが入らないほど酔っぱらっている。ようやくキーを入れエンジンをかけたと思うとものすごい勢いで発車していった。イイノカネ。店の人もあーあという表情で見送っていく。すべてがおおらかだ(ほんとか)。おおらかといえば、近代洋画家の 青木繁 が「海の幸」を描いたのも、ここ房総の布良(めらと読む)で見た当時の漁師たちの姿だった。一見、ミクロネシアの現地人に見える裸の人々は一世代前の、房州漁師の姿だったと言うわけだ。あまり宣伝してないのは、土人と同じだったと思われるのがイヤという地元の配慮があるのか。

 車のところに戻ると、カップルが血相変えてこちらに来た。なんと我々の前に駐車していた車が、バックするとき当て逃げしたという。しかし良く見てみると、昨日僕が電柱にぶつけたところだった。目撃したふたりはずっと待っていてくれたらしい。男の方は「ちゃんとナンバーも控えましたから」という。こちらは昨日のことを話し、礼を言って出発する。しばらくしてMが「あの男はこれでポイント上げたね」とポツリ。うーんそういう見方もあるか。

 車は平らな道を、電波が届かないのか途切れ途切れに流れるFM館山のモーニング娘。の曲を聞きながら、快適に飛ばす。まだ時々観光客の姿もちらほら見える。やあー、いい旅行気分だねえ。しかし、我々にはまだ残された目的があった。そのためにMが先ほどから窓に顔をつけて海岸線を眺めている。
 房総最西端、東京湾に突き出た洲崎を過ぎた頃、Mがここらでちょっと降りようという。道路際に車を停め、砂浜に降りる。白い砂の海岸線。海の色は外房とは違うような気がする。水平線の向こうにはもう、三浦半島が見える。浜に白いパラソルを発見。 「これで、この旅の目標はクリアした」とMが言う。


ちょっとつげ義春入っている風景

 近くの自衛隊の基地から飛び立つヘリコプターの爆音が聞こえてきた。館山が近づくと、街が姿を現わし、人も車も多くなる。といっても典型的な地方駅前だ。駅舎は新しくなっていて、一階に観光案内所がある。カウンターの向こうのおねえさんに、安くておいしい地ざかなの食べられる寿司屋を教えてもらう。
 駅の反対側は、人気がなく、パチンコ屋、不動産屋と、目指す一階が寿司屋で二階にイタリア料理屋が入った、いかにも最近オープンしました、都会には負けないグルメスポットだぜと言っている感じの店しかない。ランチタイムのためか、座敷席はほぼ満杯。ファミリーレストラン風の写真入りのメニューを見て、 地魚の寿司\1,600と鯵のなめろう、Mはビール、僕は味噌汁を頼む。出てきた寿司は八個。ネタは板前さんが教えてくれたが、忘れた。きんき鯛の赤いネタの寿司が不思議な感じだった。味は良かったし、なかなかリーゾナブルな値段ではなかったかな。店の名前は失念。

 腹ごなしに駅周辺を散策するけど、寂れた商店街と、店が旧街道沿いに点在していたので、賑わっている中心部、ここぞ館山というところも見あたらなかった。仕方なく、土産物屋に入り、定番、鯛煎餅と落花生を買う。Mは、酒のつまみにとクジラの缶詰を買った。どこの地方に行ってもロケハンの癖の抜けない我々は、駐車場のおじさんに取材をしたところ、 歓楽街は駅の外れの自衛隊の近くに飲み屋がたくさんあるという。そういえばさっき、東南アジア系の女の子たちが闊歩していたなあと思い出す。そこは、次回の夜にでもということで、館山を後にして内房の曲がりくねった国道を行く。

 僕の方にはまだ買い残しているミヤゲがあった。活あさりだ。そのためにクーラーボックスも持参している。しかし、そんな店は見つからず、逆に道に迷ったりしているうちに、 浜金谷に着いてしまった。フェリーの出発するのを待っている間に、買い出しに出る。幸い、魚屋があり、おかみさんがアサリは夕方入ってくるのね。と言いながらアサリを選別してくれる。一袋\700。これだと寂しいのでイカの一夜干し四枚を買う。
 浜金谷から久里浜までは、三十五分の船旅。平日の夕方でも結構乗る人がいる。ゴルフ場帰りや親子連れも目立った。売店のかわいいアルバイトの高校生からジュースを買い、デッキで風に吹かれる。海から見ると、浜金谷の後ろの鋸山は、垂直の断崖のようにそびえているのがわかる。東京湾も結構船の行き来が激しい。


鋸山                  逆光の男

 神奈川に上陸すると、街を行く人の服装もあか抜けていて、活気がある。車ものんびり走ってない。その速度のギャップにしばらく着いていけない。都心に近づくと人、車はどんどんと増えていく。わぁ日常にもどってきちゃった。でも、のんびりしたい東京人には安くちょっとしたせいたくな気分になれる隣の田舎への小旅行。房総はなんにもないからいいのかもしれない。
(T)



リフレッシュできましたでしょうか

MからTへ「旅日記」の感想メール

おかげさんで、旅日記、見せていただきやした。
いやあ、いいね。
何がいいって、自分の参加した旅がちゃんとメディアに載ってリポートされるなんて経験、したことないもんね。
「M」かあ。ムフフフフ……。
これを見ると、あの旅がいかに充実していたかがよく分かる。
よく紀行モノのエッセイなんか読むと、「一日のうちに、こんなに色んなことが起きるわけない、きっと何日か分の出来事がツギハギされてるんだ」なんぞと思ったものだが、一日のうちに我々が見たり聞いたり体験したりする出来事というのは、こうしてみると本当に多いんだなあ。
しかも印象として「インスピレーションに富んだ」旅であったことが伝わってくるところが、よいです。
月曜朝の海狙いの写真、あんなのいつ撮ったの? カッコいいじゃねえか。
強いて要望を言うと、「千歳駅の美少女」のところと「海のパラソル」のところ、どうも照れが見られますなあ。特に「パラソル」の方は、Mが 何故あそこで旅の目的が達せられたか というところを、もっと押して欲しかった。いえ、単に「この夏最後のナマ水着」ってことだけなんだけどね。
あ、でも、それを書くとトーンが変わるか。とたんにオヤジ旅になってしまうものな。う〜ん、難しいところだ。
でも、これまでのTの文章のタッチからすると、今までで最もライブ感のある、というか、「手持ちカメラ風の」味があるような気がした。実は今回、そこんとこが一番驚いたりして。
「M」氏のキャラクターも、こうやって読んでみると、まるでユニークな人みたいで、嬉しいですな。土産モノの、酒のつまみの鯨缶なんぞ、たまらんね。これだけで人物造形にちょっとした深みが出るもんなあ。いい。
岬のパノラマ写真にも、ラストの地図(おおッ、なんか大島合宿の8ミリ思い出したぞ)にも「へぇ〜!」とうなりました。
いやあ、とにかくありがとさん。
面白かったでしゅ。
また、どっか行きましょう。リフレッシュというか、インスピレーションの旅でんな。


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◆旅のルート