■映画についてまだ語ることが何かあるか

タランティーノ・バイ・タランティーノ ジェイミー・バーナード:ロッキング・オン:\1,800

 決定版「成り上がり」もの、タラちゃんの評伝。と言っても恰好良さ、アメリカン・ドリームとは全く距離を置いた貧乏人の這いあがりかたを描いている。 タランティーノは、悪趣味ではないし、美的センスもある。ただし、育ちの問題で結局はマクドナルドのビッグ・マックが一番うまいものだと身体が反応してしまうところがあるのだろう。ここ数年の彼の沈黙はその過去を消していく作業になると私は睨んでいる。
 数点のモノクロ写真を見ると、彼が映画を学んだと言う伝説のレンタルビデオ店「ビデオ・アーカイブ」は、郊外のショッピング・モールの片隅にあった狭い店舗で店の経営もルーズで、バイトの彼らがレジの金を借りたり、勝手に仕入れを決めたりしていたらしい。どいつも典型的なオタク層で、店番しながらポテト・チップ食ったりして、デートの時の金にも事欠くようだったという。
 おもしろいのはタランティーノの目指す地点で、ハリウッドじゃなくて、ビデオレンタルされるようなB級アクション、テレビ東京で放送されるような映画を監督したい というのを目標にして、そのためのシナリオ書いたりエージェントを探したりしていたところだ。何がなんでもハリウッドじゃないところがその前の世代と違ってビデオ世代なんだと思う。
 結局のところまわりから後押しされて『レザボア・ドッグ』を監督したように書いているけど、真相はどうなのだろうか?ただ読みとれることは、彼が有名になってからも、まわりのかつての友人たちは、相変わらずビデオを見て暮らしていたりする、そのギャップの部分だ。未だにタイプが打てず、誤字も多く、ノートに殴り書きをしてシナリオを書いている男は次の映画をいつ撮るのだろうか。ロバート・ロドリゲスの『ハリウッド頂上作戦』と併せて読むことをお薦めします。



ジョージ・ルーカス ジョン・バクスター:ソニーマガジンズ:\2,600

 1998年、映画100年記念でカイエ・デュ・シネマの「20世紀のシネマ」というようなタイトルの20世紀の一年一年を振り返る、ムックがあって、スターウォーズの年の項に、・スターウォーズが誕生して、ルーカスが消滅する・とあった。きわめて象徴的な言葉だなあと思った。ジョージ・ルーカスほどわかりにくい映画人もいないだろう。よく口も利かないシャイな監督と言われ、その反面辣腕プロデューサーとも知られる。大学時代からアート映画、ドキュメンタリーに傾倒していてカメラマン、コンラッド・ホールのもとで働いたり、観念SF映画『THX1138』を作っていた。ワーナーでリメイク版『THX1138』を作って首脳部の怒りを買った時、擁護したのはフランシス・コッポラだった。しかし、コッポラのスタジオ、ゾエトロープが倒産しそうなとき、ルーカスは救いの手を差し伸べなかった。代わりに製作工房、スカイウォーカーランチ、ILMを設立していった。
 『スター・ウォーズ』のヒットがいかに偶然の産物であったかは、一作目が成功してからルーカスは神話世界の書物を読みだし、サーガとしての世界観を打ち出す。 『レーダース』の成功以降、スタジオから高額なプロデュース料を引き出すことが出来、次第に自分の王国を築くことに熱中し出す。そのあたりの批判する者たちの切り捨て方はすごい。ほぼ、唯一の理解者だった妻で編集者のマーシャも触れることがタブーとなっているくらいで過去からの変節を言う者は近づけない。完璧な映画と他人のコントロール、そして自分の静けさの確保。そんな孤独な首領となった男の姿が読みとれる。



映画が幸福だった頃 田中徳三映画術 田中徳三:JDC:¥1,800

 いま結構気になっている映画会社がいまは名前はあるが残ってない「大映」。あまりに渋い会社は職人的な映画を残してる。そしてどこか監督のタッチを残している。「座頭市」、「眠り狂四郎」と勝新太郎、市川雷造の“カツライス”と呼ばれた定食=「プログラム・ピクチャー」を撮ってきた、広池一夫、森一生、三隅研次、そして田中徳三。彼の自伝と作品録で構成された大映史。田中徳三の演出自身はあまり面白くないけど同期の監督の助監督から監督へと移り変わる時期。当時の大映京都の模様がおおらかに描かれている。



EYES WIDE OPEN スタンリー・キューブリックと「アイズ ワイド シャット」 フレデリック・ラファエル:徳間書店:¥1,800

 『アイズ・ワイド・シャット』はとんだくわせものの映画だったが、どうしてそうなったかがこの本を読むと少し分かってくる。キューブリックほど映画の脚色に命を懸け、原作者を怒らせた映画監督はいないだろう。そのことは脚本家との間でも同じ様だ。
 作者は、小説や戯曲も書くイギリスの作家で、ヨーロッパ教養人なので古典に対する知識も多い。また別に映画のために書かないといけない立場でもないのでキューブリックと対等な位置に立てる。
 キューブリックは作者にいきなり、原作を読ませ感想を聞く。作者は一度で原作者名を当て、改定案を出す。ここからキューブリックとの作業が始まる。しかし、お互いが会ったのは二度だけ最初と最後だけ。しかも会話はキューブリック家のキッチンで。その間は、連日のようにキューブリックが電話を掛けてきてあれこれ意見を言う。そのあたりに 自らを神格化しようとするキューブリックの姿が見える。結局、キューブリックも謎の人物で脚本も謎な形のままこの作業は終わる。





ティム・バートン 柳下 毅一郎 編:キネマ旬報社:\1,600

 このキネマ旬報のフィルム・メーカー・シリーズはいつも書いている人の選択がいつも謎だ。リンチの滝本誠とウーの宇田川幸洋とこの柳下くらいは納得行くのだけどね。まあ前のシリーズと同様、このシリーズの賞味期限は各監督の新作が出るまでということだよね。
 最大の欠点は監督本人のインタビューがないこと。だから結局は「群盲象を撫でる」なものになっちゃうんだよね。ホント。まあ予算と時間が無いという柳下氏の日記記述を信じるなら、地方の高校生をだますようなこんなシリーズ止めたほうがいい>キネマ旬報。









日本のみなさんさようなら リリー・フランキー:情報センター出版局:\1,400

 かつて「ぴあ」が月刊で、本社がお茶の水、猿楽町の崖の下の陽のささない古いビルの二階にあったなんて知っている人はもう少ないかもしれない。それはもう20年も前の話なので、そのころは、街にも名画座とかオールナイトとか普通にやっていて映画青少年は、「ぴあ」を片手に飛び回っていた。その頃の「ぴあ」は、にっかつロマンポルノ、ピンク映画、自主映画などきちんと載せていた。そういえば、「ぴあテン」「もあテン」を憶えている人はいるかな。この本はそんな頃を知っているリリー・フランキーが日本映画について書いたコラムの単行本だ。 わかるひとにはわかる。



デイビッド・リンチ クリス・ロドリー編:フィルムアート社:\2,600

 趣味が「猫の解体及びその組み立て」とのたまう変態映画監督だけど、リンチって私には未だもって良く分からない。結構、熱狂的な影響を受けた映画の作り手としてあげる人が多いけど、そんなに刺激の強い作品を作っているという意識は無いなあ。
 リンチのある種即物的な刺激部分の衝撃よりも、根底にある、保守さ加減(あるいは強迫観念「ボタンダウンのシャツの第一ボタンを締めること」)が、透けて見えるところが違和感を感じる部分なのだろうか。だから、現代の映画作家であっても、本当の作家かどうかは分からない。分かりやすく言えば 現代アートの作家に対する違和感という私の意見と言うことだろうか。
 本書は、リンチに徹底したインタビューをしているので、彼の作品以外の映画産業との葛藤(「砂の惑星」から「ブルー・ベルベット」に至るディノ・デ・ラウレンティスとの関係)など素顔の部分が覗けて興味深い。



日本映画史100年 四方田犬彦:集英社新書:¥720

 近頃、ヨモタ先生は、金井美恵子の「目白シリーズ(?)」に出てくる某私立大学英文学助教授のナカノくんにますます似てきた。学者がこんな新書に手を出しちゃおしまいだよ。内容が粗い粗い。そりゃ、浜野保樹に比べりゃましだけど、こんなの読んで、授業受けてる学生諸君がいたらそれは悲惨だ。
 たかだか100年の歴史をこんなに歪曲しちゃいかんじゃないの。普通の学生に読ませるモンじゃない、トンデモ映画本 じゃないの。私論とつけるべきじゃないのか。










日本映画のラディカルな意志 四方田犬彦:岩波書店:¥3,000

 彼の師匠は総長でアガリとなった。それが出来ない私学の教授はどうするのか?答えがこの本に隠されている。1.岩波書店、2.分厚く、殴られたら怪我するほど堅い表紙の単行本、3.表紙がマンガ(丸尾末広)、4.テーマが90年代の日本映画。
 わかりやすいよね、いわゆる岩波文化人コースだ!しかも、ちょっと未だに若手ってイメージで、海外に対しては日本代表の学者として売る。ニューアカの時代じゃないんだからさ。時代錯誤じゃないの。
 まあ次々へと悪口は出てくるけど、最大の欠点は、日本映画の監督について書いているのだが、ひとりの監督のインタビューも無い (従って資料的価値も無い)。
 お前は何人じゃあ!!と言いたくなるほど悲しい。「電影風雲録」に比べてのこの落差はなんだ。この高飛車なものの言い方は。
 かつて、彼は学芸大にもぐりの聴講生として、小泉文夫氏の授業で聞いた言葉を書いている。「民族音楽を研究するために必要なことは、音楽の知識ではなく、まず馬に乗ることを憶えることだ」その言葉をまんま著者に返したい。フィールド・ワークしろよな。所詮は日本人なんだからさ。




テリー・ギリアム イアン・クリスティ編:フィルムアート社:¥2,600

 ゴシック調の華麗な美術と風刺が利いた内容が交錯する大監督と思われがちだが、実は予算を守る手堅い職人監督であることが良く分かる。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」「バンデットQ」、「未来世紀ブラジル」、「フィッシャー・キング」は、低予算で、いかにイマジネーションを膨らましてミニチュアや、スタジオ合成で幻想的な世界を作ったかが分かる。
 ギリアムにとっての悲劇は、プロデューサにも魔法をかけてしまい、バカプロデューサーが自分でそれを作り上げたかのように錯覚してしまい、 作品を滅茶苦茶にされそうになってしまうことだ。
 フィルモグラフィーをみればすぐに分かる。「ホーリー・グレイル」の後の「ライフ・オブ・ブライアン」のアフリカロケ、「バトル・オブ・ブラジル」は有名な話だけど、それも始まりは「人生狂想曲」の「クリムゾン終身雇用会社」からでもあった。「バロン」の巨額ロケは語り草だし、それらはみんなギリアムのわがままという風説が行き交っている。しかしこの本のギリアムの発言からは、まったく別な話が聞かれる。 いかに低予算で、自分の世界を守るか。そんな映画を作りたい人に薦めます。





映画は語る 淀川長治・山田宏一:中央公論社:¥2,300

 長い本であるけど、二人の関係を示すには、あとがきに書かれた山田氏が淀川氏とのはじめての対談の場の描写で充分だろう。緊張していた山田氏の前に現れた淀川氏は、食事をしながらの対談中、山田氏の残したごはんを見ると「あんたこれ食べないの」と言い、山田氏がうなずくと、 ごはんに塩をかけて、皿から手で食べた。これだけで充分でしょう。
山田氏の得意の聞き書きで淀川氏の映画との出会い、ハリウッド行、日本映画、好きな女優まで縦横無尽に語り尽くされている。昔のTBSラジオでの「淀川長治映画劇場」の口調を思い出した。







映画狂人日記 蓮実重彦:河出書房新社:¥2,000

●映画狂人、神出鬼没 蓮実重彦:河出書房新社:¥2,000

 国際的映画総会屋である彼の90年代の総長賭博は成功し、ついでに北野武バブル転がしも成功し、外国映画界にも片足残している。このいやらしいヌエの様なやり方は、昔から変わってないけどね(物事を相対化してしまう、評論家のやり口)。
 表紙の装丁は、次は黒沢清プロモートの宣言か
 ところで、東大総長室には、巨大ビデオプロジェクターがあるらしいんだけど、ホントか?素晴らしき日本教育界。
 というところで学長退任の報が入ってきた。頼むから映画界にしゃしゃり出てこないで欲しい。(言わなくても出てくるだろうけど、きっと外人相手に仕事すんだろうな)







すべてはブラッドシンプルから始まった ロナルド・バーガン:アーティストハウス:¥2,000

 まず最初に最終章にある、本書に対する映画学科教授の反論から読んで欲しい。これに大笑い出来る人は、本書を読むことが出来る。 コーエン兄弟。ディレクターズ・カットで、初公開バージョンよりも短い映画を作る作家。アカデミー賞授賞式前日に死んだ彼らの編集マン。徹底的にストーリーボード通りに映画をつくることを是とする。謎が謎を呼ぶオタク映画作家。
 彼らがいなければ、タランティーノも、スパイク・ジョーンズもウォシャオスキー兄弟もいなかったと言えるだろう。作家的エンターテインメントがいかにして作られたかが分かる(ただ、本人たちはそんなこと知ったことじゃないと言うだろうけどね)。







シネマで夢を見てたいねん 芦屋小雁:晶文社:¥2,800

 日本屈指のホラー映画のコレクションを持っていた作者。彼の体験的ホラー映画の歴史を語った好書。B級映画の入門書にも最適。
 僕の気に入ったのがこの作品。
 ホラー・エクスプレス(未)72年 
 全編汽車の中クリストファー・リー、ピーター・カッシング満州で発見された氷づけのミイラをシベリア鉄道で運ぶミイラが起きあがり乗客を襲う。やっつけたと思っても別人に乗り移る。超古代に来た宇宙人らしい。そこに女スパイが絡む。はたして全員がゾンビかするのか イギリススペイン合作
 どうです、観たくないですか?






くたばれ!ハリウッド ロバート・エヴァンス:文芸春秋:¥2,857

 『ある愛の詩』、『ゴッド・ファーザー』、『チャイナタウン』、『コットン・クラブ』を製作してきたプロデューサーの自伝。ものすごく痛快。ここまで書いて良いのかというくらい ハリウッドの裏事情を描き出している。
 売れない二枚目俳優としてハリウッドに来て、初主演でアーヴィン・タルバーグを演じて緊張のあまり、NGばかり出していたとき、共演のジェームズ・キャグニーが、ウインクして目の前で 『ヤンキー・ドゥードゥール・ダンディー』のステップを踏んでくれた話。またヘミングウエイの映画化で闘牛士の役をしているときには、エヴァ・ガードナーやアルバート・フィニーに嫌われ、エロール・フリンとは売春宿に入り浸っていた話。プロデューサー、ダリル・ザナックが来て現場をじろりと見て、「こいつは降ろさない。KID STAYS ON THE STAGE」と言って帰っていった話。
 プロデューサーに転向したときにはパラマウントで全権を委譲されたけど、そのころは、倒産寸前で親会社は撮影所を閉鎖して売り出そうとしていた。
 何本かのヒット作で盛り返したが、妻のアリ・マグローに逃げられたり、「ゴッド・ファーザー」でアル・パチーノに出演させるとき、闇の世界の弁護士を使ったり、麻薬キャンペーンで捕まったとき、反麻薬番組を作ったり、「コットンクラブ」の製作では殺人事件に巻き込まれたり、キッシンジャーとの交遊。
 何しろ波瀾万丈で飽きさせない。ジャック・ニコルソンを「アイリッシュ野郎」と呼びながらもお互いに良き友達で、スキャンダラスまみれの著者をニコルソンは一緒にアカデミー賞授賞式につれていった。金の心配だけしている最近のプロデューサーとひと味もふた味も違います。



人間の証し  金正日 :角川書店:¥2,000

 「金ちゃんのどこまでやるの」のおっさんだけど、朝鮮総連側から見た翻訳なので信用できないけど、噂の金正日による、「映画理論書」
 内容は別に読むほどの内容はない。しごく当たり前でかつ抽象的だ。だから、これを読まされた北朝鮮の映画人は苦労しただろうなあ。










ここまで知れば面白いアメリカンTVドラマ120%ガイド 岩井田雅行:求龍堂:¥1,600

アメリカのテレビ番組には、最終回が無い。視聴率が悪いとすぐ打ち切りになる。契約の問題で役者が降りると話の展開がおかしくなる。夏休みシーズンの半年は休む。「ツイン・ピークス」、「Xファイル」はヒットしなかった。アメリカで受ける番組は日本では受けない。などなど、BS、CS、ビデオで多くが見られるいま、その裏側を知るには恰好の一冊。









おかしな男 渥美清 小林信彦:新潮社:\1800

 芸人評伝シリーズ。前半のリアルタイムでの渥美、小林の交流はいいけど、後半はつきあいが無く伝聞でしかないから迫力に欠ける。自分の知っている部分しか書かないのなら、後半は入らないのに。横山やすしのときもそう感じた。
 興味深いのは、フランキー堺が川島雄三死後、浮きまくって方向性を見失って写楽の映画化に固執して死んでいった部分だ(写楽は川島がフランキー主役で撮るはずだった)。車寅次郎を演じきった渥美とは対照的だ。







任侠映画伝 俊藤浩滋 山根貞男
 改めて、俊藤浩滋プロデュース作品群を見ると任侠映画のほとんどが、その中に含まれていることがわかる(『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ、『緋牡丹博徒』シリーズなど)。今まで日下部五郎の製作作品と区別がつかなかったが、日下部が実録物以降で辣腕を振るい、俊藤があくまでも任侠映画に拘泥していることが良く分かる。彼の破天荒な半生(元々東映の社員ではない)の部分から、ひょんなことから映画の世界に入り、任侠映画というジャンルをつくり花開かせた過程は痛快ですらある。

 現場に貼り付いて最初から最後まで全てに眼を光らせたり、賭場のシーンには本物の博徒を呼んできたりとか、警察の山口組壊滅作戦の最中に『山口組三代目』を撮ったりするなどプロデューサーのセンスもピカイチだ。鶴田浩二、高倉健、池辺良の起用や、監督を見る目「加藤泰はクセがあるけど良い監督」と言ったりするが、ちゃんとわかっている。ただ好みは山下耕作だろうな。俊藤浩滋の方針は、あくまで事実は素材であって、それをいかに美しく、格好良くまとめるかという美意識にかかっていたから、リアリズムは好きでなかったみたいだ。山下耕作の様式美に惹かれていたと思う。

 面白いのは、マキノ雅弘の位置だと思う。俊藤浩滋は完全にマキノ監督を信用していたが、1972年の『関東緋桜一家』を最後にコンビの解消というか、マキノは映画を撮れなくなってしまう。東映任侠映画というカラーを作った男が、自らのカラーで映画が撮れなくなってしまう。ちなみに『仁義なき戦い』は翌73年である。ここでマキノ雅弘は変わり切れなかったんだと思う。俊藤浩滋もそれを感じていたから、それ以後一緒に撮っていないのだろう(ちなみに山下耕作とは『修羅の群れ』等でその後も組んでいる)。

 任侠映画にそれほど思い入れはなくても、とにかくなるほどと楽しめる映画の現場の証言だ。


クロサワさーん! 土屋嘉男:新潮社:\1,500  
 本多猪四郎の映画になぜ土屋嘉男がたくさん出ているのか、それは黒沢明と本多猪四郎の交友関係からで「黒沢映画以外の時は本多映画に出て良い」という許可があったことが分かった。なるほどねえ。

 本書は、『七人の侍』で出会い、一年に及ぶ撮影の間、黒沢家に居候し、晩年まで交流のあった著者のエッセイ。著者はかわいがられたので好意的な視点で語られているが、やはり端から見たら黒沢天皇だっただろうな、と思わせる撮影時や酒席のエピソード。最後までロシア文学の影響から抜け出れなかった様子などが描かれている。しかし、『影武者』以降の作品については、やはり歯切れが悪く評価していない様子が分かる。変に神格化していない黒沢像を知るには必要な一冊。




のり平のパーッといきましょう 三木のり平:小学館:\2,000
 いま読み終わって思うのは、のり平さんの芸を舞台でちゃんと観ておきたかったなあ、と痛感する。というのはのり平さん自身が、インタビュアーに対して、映画で残っている宴会部長の芸なんて全部忘れちまった、映画は監督のものだから、あれが自分だと思ってもらっちゃ困る。ボクの唯一の後悔は、自分の最盛期の舞台の芸を記録できなかったことだと言っている。だから骨の髄まで舞台の人だったんだなあと思う。

 コメディアンとういより芸人、演出家、舞台役者としての誇りを持って、戦後エノケン、ロッパ、森繁たちと対等に組んでやってきた自負が伺われる。三木のり平の「三木」は、冗談音楽の三木トリロー・グループにいてそこから付いた名前だったとか、トレードマークの鼻メガネを大村昆に譲った話などエピソードが満載だ。あまり編年体でなくのり平さんの一人語りのように構成して、向島の下町育ちから始まる、生涯とともにウンチクを挟んで読ませる構成は好感が持てる。




みんな日活アクションが好きだった 大下英治:廣済堂出版:\2,000
 「東京中日スポーツ」に連載されていたものをまとめたもの。石原裕次郎の出現に始まり、原田芳雄らの日活ニューアクションまでを、スター中心に日活アクションの流れを追っていく構成で、裕次郎、小林旭、宍戸錠、高橋英樹、渡哲也、吉永小百合、和泉雅子ら主役級や、中原早苗、金子信男らの脇役もフォローしている。

 監督では、鈴木清順と美術の木村威夫の作業(『刺青一代』『東京流れ者』)の制作の様子が、どこまで本当か分からないが細かく書かれている。読み物として、日活アクションの時期を概観するには分かりやすい一冊です







本多猪四郎「ゴジラ」とわが映画人生 本多猪四郎:実業之日本社:\1,800

 ゴジラをはじめ東宝SF映画を円谷英二とともに支えた監督は、実は40歳で監督デビューした、プログラムピクチャーの監督だったことが分かった。SF映画の合間に色々な歌謡映画やメロドラマを撮っていた事を知った。SF映画も上手さはあっただろうがローテーションで回ってきていたらしいことが分かって驚いた。

 インタビューを読んでいて、本多猪四郎の映画のバックには、軍隊経験と自然ドキュメンタリーに対する関心が『ゴジラ』の作風を生み出したことが分かる。あまり突っ込んだインタビュー本ではない。


ロバート・ロドリゲスのハリウッド頂上作戦 ロバート・ロドリゲス:新宿書房:\2,800

 23歳。7000ドルで映画『エル・マリアッチ』を作った男、ロバート・ロドリゲスの構想から公開までの痛快な日記。大学の夏休みに友達から借りた中古の16ミリカメラで、メキシコの片田舎で撮影をしてスタッフ無し、出演者全員素人。よってギャラ無し映画。初めはメキシコのビデオ会社にオリジナルアクション・ビデオとして売ろうとしていた。そのために、ビデオに落としてオンライン編集して、編集用のワーク・プリントも作らなかった。

 本編の前に予告編を付けたデモビデオを持ってハリウッドに乗り込む。結局、メキシコビデオ会社は、25000ドルで買おうと言うが、小切手が届かない、あきらめていると偶然知り合った大エージェントが予告編を気に入り、彼と契約をして、ビデオのコピーをばらまく。するとあっと言う間にハリウッド中のスタジオから連絡が来る。そして新作の脚本を書くことと、『エル・マリアッチ』の公開を決める。 しかし、そのとき映画は公開用35ミリプリントどころか3/4テープにしかなってなかった!やがて、数々の映画祭の賞を取り『エル・マリアッチ』は公開される。

 初めて、ハリウッドに行ったときは一日一食、ハンバーガーだけで過ごしていたのが、契約が進むと、ファーストクラス、リムジン、ホテルのスイートとまるで変わっていく様子がホントの話なのでおかしい。

 面白いことに、ロドリゲス自身はまったく映画作家になろうとは思っていない。それは『エル・マリアッチ』以降の作品が、普通の職人芸のハリウッド映画になっていることからも分かる。たぶん、出てきたタイミングもぴったりだったと思う。大手スタジオは日本企業に買収されたりして、ハリウッドも企画に困って弱っている時期で、そこにロドリゲスやタランティーノが絶妙なタイミングでオフビートなアクション映画を持って登場したのだ。それ以後若い作家たちがハリウッドに進出してくるのだが、その先陣を切った者の記録として痛快で楽しく、勇気の出る一冊。最後に10分間映画講座のオマケ付き(^^)。


ブラックシープ 映画監督「中平康」伝  中平まみ:ワイズ出版:\2,600

 中平康については、同じ作者の『映画座』がフィクションとして書かれているが、映画の本として書かれたのはこれが最初だ。ただし実娘が書いた方が良かったかは問題だ。評伝としては客観性に欠け、インタビューも質量ともに不足して突っ込みが足りない。役者とかのインタビュー中心で、スタッフの証言も助監督だった西村昭五郎や加藤彰とかくらいで、技術スタッフや、脚本家、プロデューサーの証言が少なく、中平康の世界の秘密に達していない。

 とキツく書くのは、中平自身が書いた評論が数段優れているのだ。はっきり言って今の監督でこれだけの技術理論構築して実践して撮れる人はいないだろう。その部分は本人が自嘲気味に書いている。 「評論家は技術については無知で、芸術映画の方が退屈でテンポがのろくても評価されると、私の映画が速いのではない、他の映画が遅すぎるのだと」。その言葉に対する結論は出ていると思うがどうだろうか。中平康、増村保造がスタンダードになる時代はもう来ていると思うのだが。


一少年の観た<聖戦> 小林信彦:筑摩書房:\1,500

 作者の屈折した視点は、生まれたときから戦時中の少年が、アメリカ映画や太平洋戦争中の日本映画をどのように捉えていたかを克明に描き出す。 ハッキリ言って個人的な執着の結晶だと思うので、そこから普遍的な結論ないし感想を持つことは難しい。よって読者は小林少年の追体験に付き合うしかこの本の読み方は無い。

 昭和10年代、日中戦争が始まった頃、東京はエログロナンセンスの時代であり、そこでは、軽演劇が盛んであり、エノケン、ロッパを始めとする芸人達がシノギを削っていた。彼らにはアメリカ映画の影響が多くみられ、受け入れる観客側にもそれを了解事項として受け入れていた事実が指摘されている。また、エノケン全盛期の映画を多く撮った監督は山本嘉次郎で、その時の 助監督が黒澤明であった。後年、彼が喜劇役者を上手く映画の中で使う素地はここで育まれたのではないだろうか。一方、日本映画の面白さを小林少年に教えたのが、日活をやめてフリーになった マキノ正博だった。脚本家の小国英雄と組んだ、『明日なき男』など、欧米ミステリーを基にしたバタ臭い演出がストーリーが、映画の面白さを教えたという。  ここで、作者が指摘するのは、メディアは新聞と、NHKラジオしか無かったことだ。従って戦局はニュース映画館で、数週間遅れで観ることになる。そこで併映されるのがアニメーション短編映画であった。そこから、 和製アニメの歴史が始まっている。

 概観すると、アメリカ映画を根っこに持つ日本映画が戦争中にいかなる方向へと発展していったか、日本映画に引きつけられる作者は、そのからくりに気付かずに、戦時中を過ごしていたが、これは矛盾ではないところに、学術的では資料としての価値があるのだろう。

 当時、73分と決められていた映画だったが、『無法松の一生』を「これは私は切れません」と言った検閲官や、当時、監督も試験制で、新人監督、黒澤明の『姿三四郎』が米英的と言われて、黒澤が青ざめていると、試験官の 小津安二郎が「おめでとう、百点満点の百二十点だ」と言ったというエピソードなど、良い話もある。結構予備知識を必要とする一冊だ。


フリッカー、あるいは映画の魔 セオドア・ローザック:文藝春秋:\3,810

 映画には数え切れない謎がある。技術的に言うと、フィルムに映された一コマ、一コマは動いていない。しかし、映写機にかけるとそれが一瞬、映写面で停まり流れ、結果として残像現象として私たちの目には動いているように見えるのだ。

 スクリーンに影として映された、そのセルロイドの塊に私たちは何故、心を動かされるのだろうか。 この謎を解いた人間はいない。いや、この本のの魅力はその永遠の謎に、一人のB級映画監督を通じて迫ろうとするミステリー形式を取ったゴシック・ロマンであり、ミステリーであり、とんでも本でもあり、映画史を知る者にとってはゾクゾクするくらい楽しめるゴシップたっぷりな一流の娯楽作品に仕上がっている。

 マックス・キャッスルを紹介する。ドイツの孤児院で育てられ、第一次世界大戦後、表現主義の時代に間に合い、 『カリガリ博士』に携わり、19歳で、当時世界で一番の撮影所ウーハーで監督になる。しかし、ヒトラーの時代を迎え、映画が検閲を通らなくなる。絶望した彼は、ハリウッドに渡り聖書を題材にした作品を作るが失敗。やがて、B級ホラー映画の監督へなって行く。最後に彼が賭けたのは、 天才オーソン・ウエルズの未完の『闇の奥』の実写撮影と、『市民ケーン』の技術顧問だった。彼の生涯は、第二次世界大戦が始まってヨーロッパに渡ろうとしてナチの魚雷で沈められてその生涯を閉じる。

 しかし、彼の再評価が始まる。ロスのボロボロの名画座で、パリのシネマテークに通い詰め、ゴダールやトリュフォーと激論を交わした女、ゴダールのあの作品のモデルとなったかもしれないアメリカ女の経営する劇場からだった。時代は、誰も映画を学問の対象としていない時代。60年代初頭、主人公の青年は名画座の彼女の恋人でもあり、UCLAの学生でもあった。単なるホラー映画監督と思われていたマックス・キャッスルの、偶然発見したドイツ時代の未公開作品を観たことから、次第にのめり込む青年(やがて大学教授でマックス・キャッスルの論文を書くようになるが)、一方、距離を置く彼女(後にアメリカ屈指の映画評論家になる)。ともにおぞましいものを映画から感じながらその秘密を明らかにしていこうとする。そこに現れる過去の亡霊のような、往年の女優、キャメラマン、プロデューサーたち。 その後ろに見え隠れする謎の集団。

 「映画とは、何か」を形而上の問いでは無く、エンターテインメントに仕上げる手際の良さ。そして、作者の趣味の良さには敬服する。映画が好き!と言っている人に試すような知識の羅列。それもまた映画の快楽と受けとめよう。知識のある方が数十倍面白いこと請け合いです。手元に『映画の教科書』(フィルム・アート社)を置くことをお薦めします。


映画は頭を解放する ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー:勁草書房:\2,300

 興味本位で、読みましたがライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの大回顧展をしたときの下資料として、役に立ちそうな覚え書きが羅列されてあるだけです。私自身は、ファスビンダーは雑なだけであまり興味を引く存在では無いのですが、 時代的に70年代初期を駆け抜けた世界的同世代人なのだろうと思う。日本なら、大島渚とか、寺山とかね。ニュー・ジャーマン・シネマはそんな流れの集大成でしか無かった、みんなバラバラだったことが読んでいてよく分かった。しかし、いかにもドイツ人っぽい理屈をこね回した文章が多い。女優、ハナ・シグラの誕生の秘話「ハナ・シグラ スターにあらず、われわれ皆と同じ弱い人間(興味をそそるある女性についてのまとまりのない考え)が当時の空気を感じさせてくれる。

 赤坂のドイツ文化会館の図書館では「ベルリンアレクサンダー広場」(6時間だっけ?)のビデオが観られるらしい。


日本映画に愛の鞭とロウソクを 快楽亭ブラック:イーハトーブ出版:\1,500

 本業、落語家、しかし、戦後の日本映画を全部観ることを目標に、毎年365本以上映画を見続ける男。しかも、邦画はアニメからピンクまで全部観るけど、洋画は招待券があれば行くという姿勢。彼の91年から98年までの毎月の映画日誌をまとめたのが本書だ。観ている本数とタイトルの羅列を観るだけでめまいがするが、すぐにビデオになるような作品も、きちんと劇場に足を運んで観る。

 年末にはベストテン、ワーストテンをやっていて、これがまた普通の基準からちょっと違って面白いです。ちなみに98年は、ベスト10が 『ラブ・レター』『JOKER疫病神』『カンゾー先生』『踊る大捜査線THE MOVIE』『流星』『HANA-BI』『F(エフ)』『チャカ』『ラブ&ポップ』『狂わせたいの』。 ワースト10が『異常暮色』『鬼畜大宴会』『プロゴルファー織部金次郎5/愛しのロストボール』『BEAT』『酔夢夜景』『新・唐獅子株式会社』『OTSUYU・怪談牡丹登龍』『モスラ3・キングギドラ来襲』『大怪獣東京に現わる』『プライド・運命の瞬間』 とよく分からない結果です。師匠とは、各論は同じなんだけど、総論になると意見が違いますね、私は。

 しかし、どれを観ようかレンタルビデオで迷うとき、他には無いガイドブックとして役に立ちます。『極道記者』を借りるかどうか迷うときなんかね。

 巻末に、岡本喜八監督との対談があります。また時代を追っていくと、東京の消えていく名画座への鎮魂歌にもなっています。


若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ 山城新伍:幻冬舎:\1,500

   ふたりの正反対の兄弟に最期までそばにいた一人の俳優が書いた、彼らと映画に対する敬愛に満ちた本だ。若手の頃、若山富三郎について「おにいちゃん」と呼ぶ付き合いをはじめて、若山が異常に几帳面、神経質で、朝起きるとまず曲がったテーブルを真っ直ぐにするとか、甘党で酒を飲むとひっくり返ってしまうとか、帝大出身の山下耕作監督を「将軍」と呼んで尊敬していたが、新伍が『不良番長シリーズ』を一緒に撮っていた野田幸男監督も、京大出身と聞かされ考え込んでしまうエピソードなど最高におかしい。

 対照的に酒は飲む、サービス精神満点の勝新は、無理難題を言ったりするが、何でも映画に結びつけてしまうアイディアを出し、それが酒の席でもどこでも、面白くて思わず引き込まれてしまうなど、 ホントに映画のことしか考えてなかったんだなあと思う。活気があった時代の東映京都、大映の様子が、スターたちのエゴや様子、が分かる、たぶん客観的なポジションを失わなかった、山城新伍だから書けた一編ではないだろうか。泣かせます。




ガメラを創った男 評伝 映画監督・湯浅憲明 唐澤俊一/編著:アスペクト:\1,400

  新ガメラ・シリーズは面白い。しかし、良く観ると如何に旧ガメラにオマージュを捧げているか良く分かる演出がある。監督の湯浅は、「ゴジラと同じことをしていてはダメだ」と一から大映特撮を作り上げた。映画が斜陽になってくる時期、『ガメラ』というシナリオを渡されて「ああ、みんな断ったからオレに回ってきたのか」と思ったという。親、親戚も役者で、自身も子役だった湯浅は(大映は家族的経営をモットーにして、血縁関係で社員を集めていたらしい)、役者に見切りをつけ監督の道を選ぶ、助監督時代、 衣笠貞之助、川島雄三、井上梅次などいわゆる外様の監督に多くつく。

そして、初監督をするが、理論派の増村保造に貶されてほされる。そして、回ってきたのがガメラである。このあたりの人の巡り合わせがスリリングである。特撮の手作りの苦労の部分は本文を読んでもらうとして、ガメラ以降、湯浅はテレビに進出する。 『奥様は18才』、『刑事犬カール』、『コメットさん』の演出である。ここで湯浅は脚本の佐々木守を絶賛しています。最後に監督は面白いものを作って当てたら勝ちだとまっとうな意見を言っていますが、本書を読むと非常に説得力がある言葉として読めます。


仁義なき戦い浪漫アルバム 杉作J太郎、植地毅編著:徳間書店:\1,800

 強力なメンバーが絶対的な情熱をそそぎ込んで作った冗談みたいに濃い本。映画を見ていない人には、何のことだかさっぱり分からないが、見た人にとっては宝物のような ロマンアルバム、そのものです。

 収穫は、スタッフ、キャストへのインタビュー。いかに様々な偶然が重なって作られたかが分かる貴重な証言が満載。 北大路欣也の熱いインタビュー

「でも、映画の凄いところは25年経ってもこうしてインタビューされるところだね!(笑)これは凄いことだよ。25年経っても共通の話題が出来るなんてね。映画って言うのはやっぱり………凄いなあ!これはある種の誇りですよ。「僕はこの作品に出られたんだ」っていうね。後、年代に関わらず共鳴してくれる作品は僕は素晴らしいと思うから。物凄い魂がその中に込められていて、一見それは荒々しく暴力的かも知れないけど、その裏側には悲しい哀愁があって時代の背景がきっちり出ているドラマだと思いますよ。ちょっと過小評価されすぎていると思うんですけど」

格好良い素晴らしいコメントではないか。千葉真一も山城新伍も梅宮辰夫もみんな 当時の台詞を覚えているなんてすごい。本書を読んでいると、定型化した任侠映画のパターンから外れた若いスタッフ、キャストが集まり一気に爆発した産物がこのシリーズだということが良く分かる証言集だ。


今ひとたびの戦後日本映画 川本三郎:岩波書店:\2,400

 作者は、「戦争未亡人」、「復員兵」、という具体的な舞台、人物設定を通してその類型のなかから「戦後民主主義」を映画の中に見出す。そこで単純に、戦前と戦後を分けるわけでもなく、その二つの間の葛藤や人物の行動を読みとる作業をしている。

 誰かがやっておかないと戦後になって、日本映画は単純に「アメリカ式民主主義」を導入した明るさと希望があった時代と片付けられてしまうのを別の方向から明かりを当てている地味であるが作者のこだわりが伝わる一冊。

 なかで紹介されている、清水宏監督の『蜂の巣の子供達』(S23)という戦争孤児と復員兵のロードムービー。オールロケ、役者は素人という映画が観たい。まるで、ロッセリーニじゃないか。


ハリウッド・ガイズ 美しい男の言葉はダイヤモンド  集英社:\1,800

 取り上げられた、男優はブラッド・ピット。ジョニー・デップ。クリスチャン・スレーター。アンソニー・ホプキンス。ジャン=クロード・バン・ダム。ティム・ロビンソン。メル・ギブソン。ハーヴェイ・カイテル。ジョン・トラボルタ。ブルース・ウイルス。ニコラス・ケイジ。リーアム・ニーソン。クリント・イーストウッド。アル・パチーノ。クリストファー・ウオーケン。いずれも「プレイボーイ」のインタビュー。

 人選は、いいだろう。ゴシップも、例えば、アンソニー・ホプキンスはアル中だったとか、ニコラス・ケイジはコッポラの甥だとか。クリント・イーストウッドには無数の隠し子がいるとか、 メル・ギブソンは、進化論を信じてないとか、格好の暇つぶしにはもってこいの一冊。






●映画秘宝  ファビュラス・バーカーボーイズの地獄のアメリカ観光   ファビュラス・バーカーボーイズ :洋泉社:\1,380

 アメリカにはトランジットだけで空港から出たことはないけれど、アメリカってどのアメリカをイメージすれば良いんだろう。映画が描いたいろんなアメリカがあるけど、ここでは『サンセット大通り』的なノスタルジアと、ハリウッドの崩壊というより、 『エド・ウッド』的いかがわしい裏ハリウッドがよく似合う。ここには、夢の映画の世界(表の世界で出回っているような)は全く出てこない。タランティーノ映画に出てくるコーヒーのまずいファミレス・ツアー。LA、NYのビデオ屋、古本屋リスト。ラス・メイヤー、ジョン・ウオーターズ、フォレスト・アッカーマンのインタビュー掲載。 これで、燃えない奴は読むな。30代のヲタクが見たアメリカ映画裏面史として長く記憶されよう(たぶんに10年後も変わらず残っているものは少ないだろう。その頃には、え、それって誰のことという時代になってるだろう)。 ピカピカの安っぽい下品なアメリカにようこそ。でも、これほど注釈が必要なガイドブックは無いぜ。手元に『季刊 映画宝庫 アメリカ映画=旅の絵本』 という1978年の本があるのだが、読み比べてみるかね。


デジタルSFXの世界 有田勝美:日経BP出版センター:\2,900

 SFX(特殊撮影)さいきんではVFXと言うようになっているらしいが、ご存知のようにハリウッドを中心としてデジタルを使った撮影が日常茶飯事に使われている。しかし最近では不景気らしく、どんどん潰れていく会社も出てきているらしい。もう、コンピュータを使ったCG合成画面だけじゃ誰も驚かなくなってきていることも確かだよね。こういう情報もなかなか日本にいると入ってこない。

 『日本版ファンゴリア』もシネファンタスティック日本版『HEAD+』 もいつの間にか休刊だし、今読めるのは 『日経01』の“最新Visual World”か、CG雑誌の片隅にちょっと載っているくらいなものだ。 『スターログ日本版』 で20年前に目覚めた者としては、唯一、銀座のイエナ書店に通い、『FANGORIA』、『CINEFANTASTIQUE』、 『AMERICAN CINEMATOGRAPHER』 などパラパラとめくって溜息をつくしかない。

 で、この本はデータ的にはちょっと古いが、平成ゴジラの撮影助手を務めていた 特撮大好き男が裸一貫ハリウッドに乗り込み、SFXアニメーターとして成功するまでの軌跡を描いている もので、映画、特撮について知らないとちょっとキツイかなと言う部分はあるけど興味がある人にはお薦め。

 特に現場の声として日本のハイビジョンは駄目で、日本はVTRベースで特殊撮影を考えているが、アメリカでは徹底的にフィルムで勝負しているなど示唆に富んでいる記述がある。95年の当時なのでAppleのクアドラ950が最新マシンとして活躍しているのがご愛嬌。CGが特撮映画の全てと思っている人が読むと今も通用する職人の世界が見えてくる。実際日本でも同じことは出来るが金がかかりすぎることは確かだ。


映画史への招待 四方田犬彦:岩波書店:\2,400

 四方田先生はどこへ行こうとしているのか。これを教科書にして授業を受けた生徒は映画が好きになるのだろうかと、ふと思ってしまった。 小東大総長 にならないためにはどうしたらいいんだろうと悩んだ結果がこの本としたら哀しい。そんなに今私たちは映画について語るのに困難な時代にいるのだろうかと疑問に思う。

「映画にとって歴史とはなにか」と格好良く書いてあるのだが全くのアカデミズムであって挑発的でもなんでもない。『映画はもうすぐ百歳になる』、『人それを映画と呼ぶ』、『電映風雲』など好きな著作はいっぱいあるのだけど、本書が決定的に欠いているのは、 絶対量なんだ。観念的な言葉は、言えば言うほど空回りする、というか映画に負けてしまうんですね。

 映画に対しては、客観的な立場というのは存在しなくて、全ての映画評論は八百長であるという、当たり前のことに気付くまで映画を見続けるしか「映画史」に対しては答えは無いんじゃないの。

 今、手元に『FILM HISTORY AN INTRODUCTION』というウイスコンシン大学から出ている全857ページの本があるのだけど、ちゃんと日本映画のスチルも小津の『お茶漬けの味』から『夢見るように眠りたい』、『お葬式』まで、直接画面を撮影したんじゃないかと思うほどきれいではないが全てを載せるというアメリカ的な発想で圧倒される本です。誰かヒマがあったら翻訳しませんかあ。こういう 体系的な言葉が圧倒的に不足しているのが現状なんだと思う(一歩間違うとヲタクなのだが)。だから、外国に行って映画を見た、監督に会ったというのが未だに幅を利かせている評論というのが哀しい。辞典をちゃんと出すべきだと思う。

 今までだと、『映画の教科書』(フィルム・アート社)が一番マシだけど。結局は個人の体験、特権に頼っている映画評論はつまらないね。それが、芸で終わりなんだよな。日本語は、体系的に語るのには、難しい言葉なのかも知れないけど。お気楽に読んで欲しい本。


ゴジラが見た北朝鮮 薩摩剣八郎:ネスコ:\1,200

 今夏の話題作『ブルサガリ』を見ていないで書くのは気が引けるけど、今から13年前の北朝鮮のルポ。怪獣の着ぐるみに入ったゴジラ役者の見聞録というところと、当時北朝鮮で金正日の絶大な信頼を受けた監督・申相玉の生の姿が垣間みられるところが拾いもの。後はよくある撮影所失敗談、カツドウヤのバカ話、身の回りの人との交流くらいかな。北朝鮮はたぶん今も変わってないんだろうなあと思うのだが、それは別の感傷でこの本の中味とは関係ない。本書のB面(A面?)として申相玉夫妻の北朝鮮拉致から亡命までを綴った 『闇からの谺(上)(下)』(文春文庫)をお薦めします。


日本映画を歩く 川本三郎:JTB:\1,600

 一人旅、ちょっとした鄙びた温泉、路線バス、カウンターのある居酒屋。これらが好きな人には堪らない本です。

 雑誌『旅』に連載されていただけあって、旅の紀行の雰囲気が横溢しています。別にふれあいの旅とか、感動の旅、旨いもの食べたいという動機は二の次にして、あの映画のあの場所を暗く一人で歩きながらほくそ笑む不気味な中年男の姿が見えてきます。

作者は、街が変わったとか、何かが消え去ったことに愚痴は言いません。まだ残っている何か、そこに住む人たちが「ああ、あの映画のロケですかそれならここですよ」と誇らしげに昨日のように語るのを見て、今では誰も知らない映画のタイトルとその話が繰り広げられる幸福に読者まで誘う。川本氏はそんなノスタルジックが今も魔法のように生きてひょこっと姿を見せる。そんなルポを書かせると天下一品である。



●『 Shall We ダンス?』アメリカを行く 周防正行:太田出版:\1,800

 この映画については、「良い映画」だというのがあるけどさ、アメリカ横断ウルトラクイズのようなこのレポートは別に面白くもないし、単なるテープ起こしによる旅行記という混乱した産物にしか過ぎないね。なんの仕掛けもございません。強いて言えば大江健三郎の『アメリカ日記』(だっけ)。小田実『何でも見てやろう』とどこが違うのっていっても、わからない。アメリカと日本の感性の違い。でも映画は受けました。それ以上の考察は無かったような気がするけどなあ。いわばキャンペーンは映画とは別物だと思うんだけど。これは、本人でなく第三者が書くことで面白くなる題材だとおもうんだけど、格好良くなるんだよね。そんなモンじゃないだろうと思うがこれも世渡りですかね。そういうドトバタがアメリカで映画を売るときにはあるという情報は手軽に入る。ただ事実を連ねただけじゃルポにはならんよ。好奇心がないと。周防氏の敬愛する伊丹氏は 『ヨーロッパ退屈日記』(文春文庫、絶版?)という観察日記を書いたではないか。





美女と殺しとデイヴィド 滝本誠:洋泉社:\1,850

 近頃、洋泉社の本ばっか買って読んでる気がする。著者の前作『映画の乳首、絵画の腓』(タゲレオ出版:\3,000)もジャンルをどこまでも横断して、絵画、音楽、モダンアートへと、もはや映画評論じゃなくなる映画評論というとんでもなくスリリングな怪作だったが、今回もそのマガジンハウス・ブルータス系の香匂を漂わせながらも、実は書き散らされた普通、評論集を編む時には真っ先に捨てられて二度と読めないコラムがセレクトされている。 真面目な人が読んだらたぶん怒ると思うことを確信犯的にしている。いわば、スカした映画評への強烈なパンチ。90年代の落ち穂拾いと言っても過言ではない。どこらへんがそうかということを前書と併せてお読みいただきたい。ヤヌスの鏡のようにピタリと表裏一体の変態的、偏愛的な映画へのスタンスが見え隠れして面白い。

 著者も良くOKしたよな。どう考えても自分がアホにみえるという奇書なのにね。ま、そのへんの人柄の垣間見えていい味だしてるんだけど。コラムの密度から言ったら113本のレビューがなされている辺り、単純な連想として関係ないけど、橋本治の 『デビッド百コラム』(河出文庫だと思ったが)を思い出した。あれは今となっては80年代の記録じゃないかな。

 あと興味深いのが、今の裏ハリウッドを形成しているスタッフが微妙に重なり合っていて、質の高い個性的なクセのある作品を作り出している人脈の見方なんかへえと思う。

 読んで、一粒で二度オイシイ、映画コラム集です。好き嫌いが極端に分かれると思いますがそれはそれとして………。


ウルトラマンの東京  実相寺昭雄:筑摩書房:\1,100

 何冊もウルトラネタで書いていて既に『夜毎の円盤』、『ウルトラマンのできるまで』と書かれているがこれはその番外編。ロケ地であった東京が如何に変わっていったかを綴ったエッセー。高度成長期前夜に作られた作品の東京は今ではその姿をほとんど留めていない。これも東京論のひとつなんだろうな。川本三郎のエッセーと同じく、歩いて見て、かつての姿を思う郷愁が心地よい。

 余談だが、『ウルトラQ』って35ミリで撮られて、『ウルトラマン』は日本初のテレビ・カラー作品になるはずだったそうだ。

 実相寺氏には、他に『ナメてかかれ』という怪作がある。これははちゃめちゃなヲタク監督の姿がうかがえるエッセーあり、寺田農との対談ありという豪華な本だ。まあ、それはいずれまた別の所でご紹介します。


クラックポット  ジョン・ウォーターズ:徳間書店:\1,400

 1983年に書かれたこの本に書いてあることがようやく近頃分かるようになってきた。そう思って読むと数倍オモシロイ。何が面白いかと説明しづらいので、目次を引用します。

 ジョン・ウォーターズのLAツアー/ショーマンシップはどこに行った?/刑務所行き/めった切りコーナー ぼくの目のかたき101選/愛しのナショナル・インクワイアラー/ピア・サドラ物語/舌先稼業/よいしょのコーナー ぼくのお気に入り101選/ナイセスト・キッズ・イン・タウン(ヘアスプレーの原案)/名声への近道/恥ずかしい娯しみ/クリスマスが好きなわけ/映画はこうして作られない/ゴダールのマリア/有名人はもううんざり/

まあ読んでみてとしか良いようがない抱腹絶倒なひねくれたエッセー、病みつきになること間違いなし。


●ジョン・ウォーターズの 悪趣味映画作法  ジョン・ウォーターズ:青土社:\

資料貸し出し中につきしばらく待て。

 


スコセッシ オン スコセッシ  ディヴィッド・トンプソン、イアン・クリスティ編:フィルム・アート社:\2,060
●スコセッシはこうして映画をつくってきた メアリー・パット・ケリー:文藝春秋社:\3,600

 フランシス・コッポラが「今のハリウッドのトップ・テン・ディテクターの名前を隠して見せたら、どれが誰の作品か誰も区別が出来ないだろう」言ったらしいが、まあ、ハリウッドに10人もまともなディレクターがいるかどうかは置いといて、問題はマーティン・スコセッシだ。確かに彼の映画は日本でほとんどすべて公開されている。

 でも、なんで2冊もインタビュー研究本が翻訳されているわけ?『ミーン・ストリート』 が良いとか『タクシー・ドライバー』『レイジング・ブル』が一番だと言う声はあっても、監督マーティン・スコセッシに興味ある人なんていないと思うんだけどさ。それはたまたま、ハリウッドの映画監督で、生き残って大作に巻き込まれずに大コケせずに映画を撮っているだけじゃん。別に無理矢理祭り上げることはないよな。映画関係者がそういうアメリカ人監督を欲しがっているのは良く分かるけど、それって荷が重すぎるんじゃないだろうか。

 はっきり言って2冊とも大したことは書いてありません。『スコセッシ・オン・スコセッシ』の方が具体的にインタビューされているのでテクニカルな部分を含めて客観的にふむふむという感じで読めます。学生向けのテキストとしても、引用された映画とかオモシロイものがあるのでまんべんなく編集されています。

 『スコセッシはこうして映画をつくってきた』はどうしても、祭り上げたいらしい人が書いているので、観念的インタビュー集になってしまい読んでて飽きます。近頃雑誌とかで観るのはこっちのタイプが多いよな。相手よりも聞き手の思い込みが独り走っているの。

 映画業界のスポークスマンとして必要な存在なのだろうね。彼の映画よりも存在が必要ということなんだ。ある種、最後の良きハリウッドというか良心的映画監督の役割をさせられているのだろうな。まあ、それを裏切るタイプの監督でもないしな。今後、何を作ってもハリウッドの良心になっちゃうんだろうね。ビデオ育ちの時代が気に入らない人たちの最後の砦にされているんじゃないのかな。


愛は死より冷たい  映画嫌いのための映画の本  柳下毅一郎:洋泉社:\1,600

 特殊翻訳家であり、映画評論家である作者が書き溜めた映画評論集。タイトルはちなみに、ドイツの映画監督、RWファスビンダーの処女作から来ている。心の病んだ人の暗い、ひたすら暗い魂を慰撫してくれる他には何の役にも立たないところが素晴らしい評論集です。紹介されている映画をもしビデオで借りてきてもただただ後悔するだけだと思う。映画って不幸も描けるんだと当たり前のことをハリウッド映画コードに慣れた私たちをどん底に落とすことを主眼に置いているんじゃないだろうかと思える内容です。

 もちろん、メジャーではティム・バートン、タランティーノ、クローネンバーグについての作家論、インタビューがあったりするが、ボクはファスビンダー論が一番印象に残った。「彼は登場人物が不幸になる映画しか撮らなかった。それは彼の自伝でもある」38才で死ぬまでに44本の映画を作った男。真面目に見たのは一本だけだけど、予告編を見てもう辟易と言う感じが多かったので避けていたが、もう一度見てみたい。きっと後悔するだろうな。後半の映画日誌はホームページに掲載されていたものを編集したので結構笑えます。本文は こちらをどうぞ。

 不幸な気分、嫌な気分になっても、それでも映画を見続ける人には必読の書です。


ジュディ・ガ−ランド  デ−ヴィド・シップマン:キネマ旬報社:\4,466

 一人の天才の物語というか、身も蓋もないショービジネスの世界の暴露本、と何とでも形容できるが堂々と書いてあるので読んでいる方がどうしていいか分からなくなる。

 ジュディ・ガーランドについては『オズの魔法使い』という毒々しいほどの人工的なテクニカラーのファンタジーのドロシーか、ライザ・ミネリの母親としか印象が無かったが、いやはやすさまじい一生だね。

 4才から舞台に立ち喝采を浴びることに総てを費やし、子どもの時からあまりに才能がありすぎたためにそれがまわりにとって普通となり、本格的に認められる事がなくなり、精神が崩れていきヤク中になる。マリリン・モンローも真っ青の遅刻の常連であったが、集中が出来ると(それが夜中の4時であっても)完璧な出来で人を感動させる。愛憎の間を一生行き交い5度の結婚を繰り返す。2度目の夫、監督のビンセント・ミネリは同性愛者であった!(この作者によると誰も彼もがホモセクシャルになってしまうのだが、ホントかね)

 自殺未遂を繰り返しながらも、カメラの前やステージに立つ国民的なスターであったとは知らなかった。MGMのミュージカルの大プロデューサーであったアーサー・フリードが単なる無能な男として描かれていたり、舞台裏が興味深い。読み終わって、アメリカ人と映画の裏の顔の部分が見えてくる。分厚いけど読む価値あり。今度、まじめに歌を聴いてみないとね。


私説内田吐夢伝 鈴木尚之:岩波書店:\2,300

 内田吐夢の作品は、全然観ていない、それで本だけ読んでどうするんだと言われても、この人の歩んだ道が面白いのだから、これから大いに観ていきたい監督のひとりだ。と偉そうに書いても仕方がないので、作者を紹介すると内田吐夢の東映時代に組んだ脚本家で個人的にも親しかった人である。一番興味があったのが、戦争の終わり近くに満州に渡り、敗戦の時、理事だった甘糟が自決する現場に居合わせた時の描写の部分と、戦後の東映の時代劇監督で『宮本武蔵』を撮影するときに、夜明けの襲撃のシーンを撮るときに、本当に夜明けに撮ったので一日に数カットしか撮れず、何カ月もそれに費やしたなど、壮絶な話(『宮本武蔵』については橋本治の『完本・チャンバラ読本』に詳しい)。『飢餓海峡』の上映するには長すぎるから短くするカット事件のあたりは、助監督だった太田浩児の『夢を吐く 人間内田吐夢』(社会思想社)と読み較べるのも良い。立場が違う助監督が会社と監督の間に挟まれてフィルムを短縮するくだりはぞっとするくらいに非情な風景に描かれている。本書では、内田吐夢についてまだ浪漫ある見方がされている。









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