■活字読了日記



●新耳袋 現代百物語第五夜 木原浩勝 中山市朗:メディアファクトリー:¥1,200

 この第五夜には「山の牧場」が掲載されている。有名な話らしいが、日本の「Xファイル」といった面持ちか。この新耳袋は、内容もさながら、語り口が絶妙である。まさに怪談の話法。
 どこかで起こった事件なのに、読み手が勝手に想像力を自分に引きつけてしまうようにしてしまう技法がいままでの恐い話とは一線を画している。スティーブン・キングのいう「日常の裂け目の、まさか」を読者に感じさせ信じさせるのがホラーの王道としたら、まさにこの本がそうではないか。読後は「ウルトラQ」のような余韻が残る。
 
 
 
 
 



●トンデモ超常現象99の真相 と学会:洋泉社:¥1,545

 結局1999年7月に、地球は滅亡しなかったけど、この本をもっと早く読んでいたら気が楽になっていたのにと思う。昔から信じていたことが明らかになった。ヨハネの黙示録は、使徒ヨハネが書いたんじゃなく、紀元一世紀にどこかのヨハネさんが書いたとんでも本だったことや、バミューダ海域などなかったなど、手品の種本のようで面白い。でも、とんでもの話の部分も面白いんだよね。需要があるから供給があるのだろうね。
 
 
 
 
 
 



●テイクダウン 若き天才日本人学者VS超大物ハッカー(上)(下) 下村 努・ジョン・マーコフ:徳間書店 :\1,500

 結局、テレビ映画で、レンタル・ビデオ(『ザ・ハッカー』)になったようだが、やっぱ、コンピュータものは、企画としては面白いが、話は地味だモンね。大物ハッカーとされている、ケビン・ミトニックは、相手のパスワードはどうやって盗むのかと聞かれて「一番確実なのは、盗みたい相手の声色で秘書に、パスワードを忘れたから読み上げてくれないか。と頼むことだ」。これじゃあドラマにならないよね。押収物もフロッピーにハードディスクだもん。まあ、コンピュータオタクの世界の物語は地味だよね。
 
 
 
 
 
 



●CIA「超心理」諜報計画 スターゲイト デヴィッド・モアハウス:翔泳社:\2,300

 陸軍兵士は、作戦中の事故で、頭部に怪我を負う。そしてときから彼は、あるビジョンを見るようになる。身体から幽体離脱して、宙を舞い、時空を越えて動きまわるのだ。陸軍はその能力を利用し、スパイに仕立てようとする。その課程が描かれる。
 ホントかウソか分からないが、こういう途方もない話って好きだなあ。いかがわしくてさ。
 
 
 
 
 
 



●血族 アジアマフィアの義と絆 宮崎学:幻冬舎:\1,800

突破者がアジアに向かったのは必然といえるのではないだろうか。中国語圏を牛耳る・客家・。彼らの持つ義を重んじる結社としての強さに魅力を感じたのだろう。ここでは、数人の中国人、その矛盾に満ちた戦後から今。そしてその舎弟となった日本人の姿が描かれる。「[中国マフィア]日本人首領の手記「幇」という生き方」と併せて読んで下さい。
 
 
 
 
 
 
 



●突破者の母 宮崎学:西原理恵子、画:青林工藝舎:\1,500

作者の中では一番軽い読み物。博徒の娘であり、やくざの妻だった母の姿を描いた、一筋縄ではいかないグレートマザー論。説教くさくないです。
 
 
 
 
 
 
 
 



●[中国マフィア]日本人首領の手記 「幇」という生き方 宮崎学:徳間書店:¥1,600
●突破者の痛快裏調書 宮崎学:徳間書店:¥1,500
●突破者の条件 宮崎学:幻冬舎:¥1,600
●突破者の日本ウラ経済学 宮崎学:アスペクト:\1,500
神に祈らず 大杉栄はなぜ殺されたのか 宮崎学:飛鳥新社:¥1,600
●「反・市民」講座 資本主義を生き抜く行動学 宮崎学:リトルモア:¥1,500
●生きる力 宮崎学 梁石日:柏書房:\1,600
「資本主義社会は未来を担保にしてやってきたんだと言うことですね」と反市民講座の対談相手の上野昂志は語った。宮崎とは週刊現代の記者仲間だった。
 「突破者」以来、過剰とも言える著作、ネットでの活動、メディアへの露出。確実に宮崎学は“時代と寝よう”としている。そこには、彼自身の持つ皮膚感覚。ヤクザの家に生まれたこと、学生運動、グリコ森永事件、バブル時代と通して、カネに狂騒する日本人、マイノリティーを排除する、権力と裏表にある市民運動。これらを白いファシズムとして嫌悪していきながら、騒動屋として、ちょっかいだし続けるキカン坊の姿を借りて言いたいことは言う。
 どこか学生運動、共産党細胞であった根っこはありながら、単純に過去を隠したりするのではなく、落とし前をつけようとしている。たぶん、彼にとって著作を出すことは、出さないのと同じくらい何でもないことだろう。
  ただ存在として、(上野なら「肉体」と呼ぶだろう)どこまでも今と対峙する潔さを見せている。それを美学と呼ぶか、カッコ付けとよぶか、は私たちへの鏡像となるだろう。
 



●グリコ・森永事件 最重要参考人M 宮崎学 大谷昭宏:幻冬舎:\1,500

 かの怪人21面相、キツネ目の男が、ジャーナリストと対決。といっても別に敵対するようなスリリングな展開が見られるわけでもなく、宮崎氏による犯人像、事件の動機、犯罪の方法、目的などの推理が述べられている。
 そこは、「レディー・ジョーカー」ではたどり着かなかったアウトローたちの闇の世界の入り口が見える。また宮崎氏は犯人を推定している。この事件の研究本の一冊にはなるだろう。
 
 
 
 
 
 



●17ナイフ歳のバタフライ-突破者 犯罪を語る 別役実/宮崎学:発行三一書房労働組合 発売青林工藝舎:\1,400

 別役実の80年代の傑作評論「犯罪症候群」を読んだときの衝撃はすごかった。犯罪をこのように繙く本などなかったからだ。しかし、やがてグリコ森永事件が出てきて、一億総犯罪評論家になって犯罪が陽を浴びてくると同時に別役の犯罪評論は色褪せていった。
 今回、倒産した三一書房の労働組合が、会社側の襲撃から会社財産である在庫倉庫を守っている状況のなか、この二人の緊急対談が組まれた(それは最後の部分だけだが)。
 ここでグリコ森永の容疑者、宮崎学と一緒に、かの事件から西鉄バスジャックまでを語ることで、久々に切れ味の良い犯罪評論を得ることができた。事件発生からほぼ一ヶ月後に語られたバスジャック事件などは、決して拙速ではなく的確な評論として残るのではないだろうか。
 お座敷芸と化したありきたりの犯罪評論を語る、朝倉喬司山崎哲小林久三有田芳生とはレベルの違う対談を味わって欲しいです。90年代が見えてきます。



●もろびとこぞりて 思いの場を歩く 与那原恵:柏書房:¥1,600

 多くを雑誌「宝島30」などで読んだので、いいかと思っていたけど、本書は徹底的に加筆されて全く別の本になっている。いまの30代後半のライターとしては、もっとも優秀なひとり である著者は、90年代の日本を歩く。事件に出会い、出会った違和感を自分の言葉で解釈して行く。ここまでなら、田口ランディと同じだが、著者はさらに突っ込んでその裏にあるものを探ろうとしている。そこが、加筆された部分なのだが、戦後日本の歪みを、現代の病を読み解いていく好書だ。
 ドクターキリコ事件では、メールをやりとりしていた人物に会うが、実は彼らは本当に死にたいのではなく、「自殺するぞ」というのを切り札にして自分に注目を向けさせて生きている、命を弄んでいるだけなのだと気づかされる。インタビューの最後で、著者が将来なりたいものは?と問うと「いつまで生きているか分からないけど、フリーライターとかやりたいですね」と言う。著者は心の中で「人に興味が無い人間がライターができるか」と斬る。他にも、不妊治療の現場、政治家になりたい人たち、オウム対地域住民を取材し、この国の人が忘れて見ないふりを「人権」とか「市民」とかを理想と現実のギャップを見続けている。
 文京区で起こった、東大卒の父が家庭内暴力の息子を金属バットで殺した事件については、マスコミでは、全共闘世代の父を支持する論が多かったが、実はそうではなく、凡庸な地方のエリートの父は東大に入り、有名出版社に入るコースを選んだ。荒れる息子に対して、理解しよううと本を読み、無抵抗が良いと書いてあったから反抗しないでいた。いわば、物言わぬ壁になったのだ。息子はより荒れた。そして殺人が起こった。現在刑務所にいる父は、答えを捜そうといまも読書を続けているという。
 与那原は、失われた感性、倫理性、時代を経て読み変えられていった様々な人間の関係を捜し続けている。その違和感は、東京生まれの沖縄人である自分に向けられた視線でもあるように思われる。



●消えた子どもたちを捜して! 続発した行方不明事件の謎  近藤昭二:二見文庫:¥495

 著者の近藤昭二は、森崎東の『生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』、『ロケーション』のシナリオを書いている。また、スーパーテレビなど、国内犯罪ものについての番組に多く参加しており、NHK特集の吉展ちゃん殺しの取り調べ室の模様のテープを元に構成した番組を構成している。
 新潟の監禁事件が発覚したタイムリーな時期に、いまだ未発見の時間を何件も追っている。こんなに日本でも失踪事件が多いのかと驚く。中には40秒目を離した隙に消えてしまったなど信じられない事件が出てくる。アメリカで失踪事件が多いのは知られているが、日本もこんなに多いのは、車社会など、社会がアメリカ型に変わってきている証拠なのだろう。



●洗脳原論 苫米地英人:春秋社:¥1,500

 オウム・シスターズと電撃結婚したトベッチ。警察庁長官狙撃容疑者のビデオをテレビ局に流したり、やることは派手である。
 彼が自らの脱洗脳の手法を明らかにした。克明に書かれているのは、オウムの幹部、都澤の洗脳を解く様子だ。いとうせいこうの「解体屋外伝」にその様子が書かれていたけど、より具体的に書かれている。この部分だけでもスリリングで一読の価値はある。
 脳内でのヴァーチャルな闘いを描いていてほとんどサイバーパンク。ホントにここまで出来るのかと思うくらい人間を解体してしまう手法自体、逆洗脳だ。
 
 
 



●アジアパー伝 西原理恵子 絵 ・鴨志田穣:講談社:\1,400

 カモちゃんこと、サイバラのダンナのカメラマンの若き日のバカ放浪記。カメラマンになろうと単身タイに渡るが、その日にバクチで機材を全部カタに取られ、再度渡っても仕事が無く、ヤク中毒になったり、カンボジアの内戦に巻き込まれたり、こういう人の回りには不思議な人が集まる、その(悲惨な)交遊記など。読んでいて飽きない。妻サイバラのマンガも冴えてる。
 
 
 
 
 
 
 



●山谷崖っぷち日記 大山史朗:TBSブリタニカ:¥1,300

 山谷に20年近くも暮らす作者による記録。そこには何の脚色、誇張もなくただ淡々と描写される人間と街の姿がある。作者が必要以上には自分のことは語ってないのでどういう前歴を持っているか分からないが、初老で厭人癖がある男。こうやって生きていける世界もあるのだと覗き見させてもらいました。
 
 
 
 
 
 
 



●素敵なダイナマイトスキャンダル 末井昭:角川文庫:¥300

「写真時代」、「パチンコ必勝ガイド」、「笑芸人」、「野球小僧」と白夜書房を支える数々の雑誌の編集長、発行人である末井氏の自伝。絶版の文庫本。これも 幻冬舎アウトロー文庫候補だ。「写真時代」などはいまや古本屋でプレミア価格になっている。
 タイトルは彼の母親が不倫の果て相手とダイナマイトで心中した、事実から来ている。ね、すごい話でしょ。
 芸術をやりたくて、絵を描きたかったのだが、キャバレーの立て看板をかいていた末井氏はある日気がついた。「自分は描きたい表現したいという情念はあるが、実の所表現したいモノは何もない」 ことに。そこで書くことをやめ、編集者末井の快進撃が始まる。
 この本では「写真時代」までだが、その後を書いて欲しい。なにしろパチンコをやらなかった男が「パチンコ必勝ガイド」を大ヒットさせたのだから。まあ小豆相場で何億かの借金があると西原理恵子は書いていたけどね。



●ラヴ&フリーク ハンディキャップに心惹かれて 北島行徳:文藝春秋:¥1,619

 障害者プロレスの第二弾。その後の「無敵のハンディキャップ」だ。
 彼らが有名になればなるほど、歪んだ自己愛が吹き出してくる。それは唐突で直線的なのだが、それだけに悲惨だ。どこかで人間関係が壊れている。他人に甘えることが当然だと思っている奴、利己的な奴、せこい奴など、出てくる。何が、誰が醜悪なのか。偽善というなの偽悪のようにしか思えない。
 
 
 
 
 
 



●凡宰伝 佐野眞一:文藝春秋:¥1,619

 「先生、このままで行くと日本は滅びますでしょうか?」。これは、ある識者会議でこの宰相が聞いた言葉だ。聞かれた学者は 即座に「あなたは、そんなことは聞いてはいけない」と返した。素晴らしすぎる一国の総理である。
 佐野眞一は、小渕に対する徹底的なインタビューで、彼の政治・屋・人生と、彼自身の人間を掘り下げていく。そして、彼の父親、保守王国群馬で、中曽根、福田に挟まれながらも生き残ってきた、そのためには汚職は当たり前という風土の中で生きてきた背景。
 恐るべき凡宰がどのように生きてきたのか。彼はどこに行こうとしていたのか。それを余すところ無く書いたよく調べあげられたノンフィクションである。これを読めば、今の自民党型、小選挙区制型、政治の仕組みと土壌が見えてくる。どうして自民党が、政権政党でいられるかもだ。
 
 



●笑え!五体不満足 ホーキング青山:星雲社:¥1,600

 大川興業が大好きで、お笑い芸人となった、五体不満足なホーキング青山。乙武クンに対抗意識(ヤッカミ)を抱き便乗本を出す。
 そこには、身障者が、アタマは普通でも養護学校に入れられる悲惨さが描かれている。「こんな奴等と一緒にいたらこっちまでおかしくなっちゃうぞ」という環境を切り抜け、よけいな街のババアの親切を「うるせえんだ、黙ってエロ本も買えないじゃないか」と切り返す。これを笑うか、怒るかは、お任せします。ただし僕は「五体不満足」は読まないだろう。
 
 
 
 
 



●不肖・宮嶋 踊る大取材線 宮嶋茂樹:新潮社:¥1,500

 どうもこの人というか、報道カメラマンと称する人間には、胡散臭さを感じてしまう。どこがパパラッチと違うのか分からない。確かに現場を押さえるためには、何でもやる。その課程が面白いのは確かだが、それは、カメラマンのアドレナリン分泌による高揚感。バックにフライデーなり、週刊文春が付いている心強さでしかない。
 ようは、兵隊と同じなんだ。考えず、ターゲットを捕らえる。そこにはターゲットは敵としてしか認識されず、兵隊は発表後のことや倫理のことは考えない。それは編集部まかせっていうこと。どう大義名分をつけても覗きと変わり無い。
 「読者が望むから」というのは免罪符でもない。まあ、カメラマンが時代を切り取る役割は終わったのかもしれない。ロバート・キャパやLIFE誌などに発表していたカメラマンと、同列に置くことに無理があるんじゃないだろうか。特ダネ写真をどう撮るかを知るには面白い読み物です。
 
 



●悪人志願 本橋信宏:メディアワークス:¥1,800

 マイナーな人好みの作者は、江頭2:50にインタビューする(これ自体貴重な資料だと思うのだが)。ヘアヌード写真集の仕掛人や、元麻薬中毒者、もちろん村西とおるも。そんな人たちのインタビューは面白い。ただそれだけだけど。
 
 
 
 
 
 
 
 



●修羅場のサイコロジー 本橋信宏:講談社:\1,600

 あらゆる中毒、クスリ、睡眠薬、アル中、うつ。作者とそのまわりの人々のずたぼろの記録。幻冬舎アウトロー文庫にぜひ入れて欲しい。中毒性のある物質が精神・肉体に与える影響。そして社会的に沈んでいく様子を主観的に冷静に(いや冷静ぶって)描いている。最後に森田療法に行き着くのはいいが、祖先に自分の性質の原点を持っていくのはなんだかなあという気がする。
 
 
 
 
 
 



●スローフードな生活! イタリアの食卓から始まる 島村菜津:新潮社:¥1,600

 喰うことに意地汚く無い人は、どこか信用できない。うまいものがわからん人は悲しい。まあ、それがグローバリゼーションとか、マクドナルド化する世界と呼ばれるんだろう。本書は、そうでない方法があるんじゃないかという、イタリア人によってはじめられたシャレの運動である。内容は、スローフード協会の宣言文にすべてが書かれてある。丁寧な取材にも好感が持てる。

 快楽の保持と権利のための国際運動
  我々の世紀は、工業文明の下で発達し、
  まず最初に自動車を発明することで、生活のかたちを作ってきました。
  我々みんなが、スピードに束縛され、そして、我々の観衆を狂わせ、
  家庭のプライバシーまで侵害し・ファーストフード・を食することを強いる
  ・ファーストライフ・という共通のウイルスに感染しているのです。
  いまこそ、ホモ・サピエンスは、この 滅亡の危機に向けて
  突き進もうとするスピードから、自らを解放しなければなりません。
  我々の穏やかな悦びを守るための唯一の道は、このファーストライフという
  全世界的狂気に立ち向かうことです。この狂乱を効率と履き違える
  やからに対し、私たちは完成の悦びと、ゆっくりといつまでも持続する
  楽しみを保証する適量のワクチンを推奨するものであります。
  我々の反撃は、・スローフードな食卓・から始めるべきでありましょう。
  ぜひ、郷土料理の風味と豊かさを再発見し、
  かつファーストフードの没個性化を無効にしようではありませんか。
  生産性の名の下に、ファーストフードは私たちの生き方を変え、
  環境と我々を取り巻く景色を脅かしているのです。
  ならば、スローフードこそは、今唯一の、そして真の前衛的回答なのです。
  真の文化は、趣向の貧困化ではなく、成長にこそあり、
  経験と知識との国際的交流によって推進することができるでしょう。
  スローフードは、より良い未来を約束します。
  スローフードは、シンボルであるカタツムリのように、
  この遅々たる歩みを、国際運動へと押し進めるために、
  多くの支持者たちを広く募るものであります。



●マラソンでたらめ理論 小出義雄:ベースボール・マガジン社:\1,300

 次の参議院選挙候補、小出監督の語りおろし。この段階ではまだ高橋尚子は無名の選手でしかない。だからたいしてつっこみのない良くある、指導者とはなにか本に終わっている。結局はこの国のスポーツ・ジャーナリストはスポーツ界OBか、選手ヨイショのどちらかしかない、いびつな形のまま進んでいくのだろうか。
 本の内容はって?オリンピック便乗で出ている他の本も変わりないと思うけど、現役の人はホントのノウハウは語りませんな。
 
 
 
 
 



●タンポポ・ハウスのできるまで 藤森照信:朝日新聞社:\2,400

 80年代、都市を歩き回り建築探偵として衝撃を与えた藤森氏の自宅を作るまでの奮闘記。評論家から建築の現場へ、あらゆる今の建築の手法に反して作り上げる、現場のとまどいがおもしろい。
 建築界には「赤系」と「白系」があるのを聞いた。「赤系」は、コンセプトより住み心地、住むためつまり血の通った部分を重視する。反対に「白系」はコンセプト重視の訳のわからん建物類を指すという。とは言え藤森氏の家は「赤系」を目指したわりには「白系」になった感がある。惜しむらくは、一体いくらかかったか明らかにしてもらいたかった。
 
 
 
 
 



●ブックオフと出版業界 小田光雄:ぱる出版:¥1,800

 ここだけの話、重宝してますよ、新古本屋。問題は、探している本が見つからないことだ。そういう本はどこにあるのだろうか。とふと思う。大体、最近ではCDは中古屋で買うという人が多いらしい。本にもそれが当てはまるんだろうけどね。文藝春秋に書かれていたけど図書館がベストセラーのリクエストで埋まって、本が買えないらしい。ああ無情な世界だ。
 本は80年代に、「書物」から「情報」になった。だから、所有して読むのではなく、目を通すためにはブックオフは最適だろう。しかし、問題は、在庫がはけない限り、それは買い入れだだけの古本でしかない。売れないと意味がない。だから市場が飽和に陥ると新古本屋は壊滅する。すると本は紙屑となるのか。
 
 
 
 



●火の見櫓の上の海 東京から房総へ 川本三郎:NTT出版:¥1,300

 休日の朝、早起きする。今日は急ぎでやることはない。外は雨だ。そうだちょっと千葉まで行ってみるか。両国から汽車に乗り、ゴトンゴトンと各駅停車の旅。東京にとっては“ 近所田舎”という言葉がぴったりの千葉。明治時代から静養、学生の徒歩旅行、臨海学校にと昔から賑わっているにも関わらずあか抜けない場所。つげ義春が好きだった風景と言えば分かりやすいだろうか。そんな風景を作者は歩く。銚子、野田、外房、内房。歩く速度がちょうど良い具合だ。



●鉄の胃袋中国漫遊 石毛直道:平凡社:¥1,600

 大阪万博公園にある歴史民族博物館は、日本で数少ない世界に誇る博物館だ。ここでは、生きた展示がなされているし展示の内容、並べ方も素晴らしい。梅棹忠夫をはじめとする京都大学学派に始まる民族学の結果が出ている。しかもここは、変な学者をたくさん出している。現館長の作者もそのひとりだ。この本は、80年代後半、まだ中国の自由経済策がようやく効果を表してきた時期、まだ自由に中国を旅行出来ない時期。この時期に上海、広州、杭州、四川、広東、と中国中を食い散らかしていきながら、思索する。まさにフィールド・ワークである。料理の写真も美しく。食欲をそそられる。一冊だ。
 家庭で出来る本格チャーハン。
 具材を切り、サラダ油で炒め、鍋から引き上げる。
 再び鍋にたっぷりの油を入れ鍋が温まったら、とき卵を入れてかき混ぜる。
 卵が少し固まったところでご飯と具を入れて、ひたすら炒める。チャーハンとは炒飯だからだ。
 ごはんが炒められたら、塩胡椒で味を調えてできあがり。



●「こころの時代」解体新書 香山リカ:創出版:¥1,500

 雑誌「創」に連載されていたもので構成されているが、この時代の早さでは、手を入れないと話が陳腐化していく。17才の問題も早くも風化してしまう。その場合、マッチ・ポンプ的にあるいはワイドショー的にコメントとも取れる文章を発表していくことが良いのか疑問だ。
 メールマガジン もずっと購読しているけど、作者本人が自覚的であればあるほど、この手の問題は目の前の現実に役に立たない。
 そこが80年代に出てきた人の弱点なんだけどねえ。ようするに本業と副業を使い分けようとして、みんな現実に玉砕してるんだよね。オウムと中沢新一とか、湾岸戦争といとうせいこうとかね。
 彼らの問題はメディアを使って何人かに影響を与えたにも関わらず、それをなかったことにして結局アカデミズムに逃避していることだ。なにもそれについて作品やアンサーとしての評論、一冊の本さえ(コメントでも良いが)出してないことだ。
 「それは、頼まれた仕事で、本業の私には関係ない」と言ったって、現にメディアを使い、今もこれからも使い続けるだろうに。
 香山氏も「私、困っているんです」女の子的なスタンスはみっともないから止めて、香山リカとしてのきちんとした著作で答えを出すべきじゃないだろうか。



●サバービアの憂鬱 大場正明:東京書籍:¥3,300

 大体、日本の犯罪パターンは、アメリカの10年遅れだと考えて良い。なぜならアメリカ型都市づくりが(別名コミュニティー破壊)、日本に10年遅れて入ってくるからだ。
 本書では、郊外という言葉をキーワードにして、映画の中の郊外に暮らす人の感情、生活の移り変わりとアメリカ社会の変遷を読みとっている。アメリカンドリームであった郊外の一戸建て。電化製品、車。新たな社交世界。
 それを守ることが目的となり、脅迫観念になっていく。『シザース・ハンド』はそこら辺うまく描いている。(ティム・バートンも郊外出身だ)。これを読むと映画の見方もちょっと変わる。



●放談の王道 呉智英・宮崎哲弥:時事通信社:\1,500

 50代、30代の評論家の対談だけど、刺激は少なく、互いに議論としての突っ込み方が中途半端なのでテキストとしても物足りない。注釈の付け方もいまいちなので、せっかくの対談が拡がりが足りない。しかし、最近やっと世間で出てきた「 立花隆は一流知識人か?」、「脳死判定の是非」などの問いかけは面白い。でも意見の対立や立場の違いがあんまり出てこなかったけどね、そこが残念。
 
 
 
 
 
 



●新世紀の美徳 ヴァーチャル・リアリティー 宮崎哲弥:朝日新聞:¥1,700

 ラディカル・ブッディストと彼は自分を定義する。そう、西洋的価値観が蔓延するアホ戦後民主主義の世界で、歴史的視点から評論活動するためには、自らの定義からし直さなければならない。そこで、東洋哲学の基準として仏教を選んだ。だから彼は脳死を認めない。人間をモノとして扱わない。そのあたりの“ずれ”の感覚を、非常に大切にしている。本書は、採録が多い彼の著書の中では、きちんと一冊の流れになっている好書であり、いま読む価値のある本だ。
 
 
 
 
 
 



●情報化爆弾 ポール・ヴィリリオ:産業図書:¥2,100

 いま邦訳で読める本で一番刺激的な哲学書を書く著者の最新作。なんでそんなに買うかというと、まず冷戦の消滅によって、ほとんどの思想はダメになった。かろうじて資本主義を語ったジャン=ボールド・リヤールも、湾岸戦争でミソをつけ、インターネットに対応する事ができなかった。なんか言えそうなドゥルーズは投身自殺しちゃったし、アメリカ的価値観の前に立ちはだかる人はもういないかと思われたんだけど、ヴィリリオは違った。
 それは、彼が都市計画者であり、戦争テクノロジー、映画=アメリカ=テクノロジーについても考察していたからだ。「速度と政治」 「純粋戦争」 「戦争と映画」「電脳世界 最悪のシナリオへの対応」と著作を見ても、一人勝ちのアメリカについて、アメリカはどこまでもフロンティアを求め、地理上のフロンティアが無くなって、ヴァーチャル上のフロンティアを目指している。と指摘する。
 インターネットについても「歴史は現地時間(ローカルタイム)の消滅とともにその具体的な基礎を失ってしまった」と、距離・時間の喪失によってもたらされたことが何かを告げる。またアメリカの新しい地政学について「90年代のはじめ頃から、ペンタゴンでは戦略地政学は地球を手袋みたいに裏返しにすると考えている。」と述べて、世界認識の変化を指摘している。
 また「<グローバルなもの>とは有限世界の内部のこと<ローカルなもの>は外部、周縁に位置づけられる」と「民生化された軍事目的の情報ネットワーク 」=インターネットおよびGPSについて定義する。
 また、機械による、自殺装置や、クローンの是非については、「無実な科学者などいない。精神分析学は問題を解決せず、問題を移動させるだけで満足している、とはよく言われたことである。技術・産業の進歩についてもおなじことが言えるだろう。」と産業、効率によって失われようとする倫理性を訴える。
「セックス=文化=広告」の加速度的意味あいの変化を捉え「広告は十九世紀には単なる製品の宣伝であり、二十世紀になると欲望を喚起するための産業的広告となったが、これは二十一世紀には純粋なコミュニケーションとなるだろう。そして、地球上の可視的なるすべてを包括した地平線全体に広告空間がひろがることを要求するだろう。」 と予言する。まだまだ引用をしたいけど、21世紀について考察するには、一番の書だと確信します。



●だいたいで、いいんじゃない。 大塚英志 吉本隆明:文藝春秋:¥1,238

 なんの刺激もない企画意図が不明な本。一冊の本にするほど内容がないな。対談時間も少ないと思うし、ヨイショのし合いで、大塚英志の宣伝本って感じ。別に保守になりましたって宣言しなくても良いのに。逃げ道の確保(言い訳)としての吉本隆明かもしれないけど。
 
 
 
 
 
 
 



●レディー・ジョーカー(上)(下) 高村薫:毎日新聞社:各\1,700

 ようやく読みました。高村薫は文章がしっかりしているので、最後まで飽きず読める。もちろん「グリコ森永事件」を下敷きにした話であるのだが、実際の事件もこのような展開をしていたのではないかと想像させられる。ただ、主人公の刑事が格好良すぎて興ざめ部分もある。読み物としてはお薦め。
 高村薫の小説の男たちって、ヤオイ調っつうか、妄想系が入っていてそれが、人物造形の最後の詰めですごく甘くなるというか、逆に言えば読みやすいものになると思う。男性作家が書いたとしたら、もっと凄惨な描写やストーリーの持って行き方になるだろう。その点で宮部みゆきなどと同じ大衆作家(死語か?)の部類に入るだろう。
 
 
 
 



●ライン 村上龍:幻冬舎:\1,500

この短編連作集は、ライン、あるいは電波でつながれた若い都会の日本人の外と内の二面性、その切り替えを電波による指令または通信が来て、暴力という表現に駆られていく姿を描く。リサーチとハッタリ好きな作者だから、それぞれの話にへーえという不思議な登場人物を配置しているが、表面上の情報であって、感情がようわからん。
 村上龍の近作は(いや全部か)人物設定と受けるネタに振り回されるあまりに、(まあ褒めてもらいたいってことだろうか=売れたい)読者を情報の目新しさ、人物の奇異さに頼りすぎて物語がどこまでも収束しない。筆力があるのでそうは見えないが、実はほとんどが破綻していると言って良いだろう。
 
 
 
 



●悪党パーカー/ターゲット リチャード・スターク:早川文庫:\660

 ちょっとパターンに陥っている。それも良くなかった頃のパターンだ。シリーズ中断の前までは『殺人遊園地』、『殺戮の月』という壮絶な話まで行ったのに、『裏切りのコイン』の頃の単調なストーリー展開に戻ってしまっている。困ったものだ。パーカーが強すぎ敵が弱すぎ。
 
 
 
 
 
 
 



●最高の悪運 ドナルド・E・ウエストレイク:早川文庫:¥840

 いつもついてない泥棒がつきまくったら、とシリーズものの裏を書く読者にとっては喝采したくなる出来。読みふける快楽に久々に浸れた。細かくは書かない。読んだ者だけの悦びとしておこう。
 
 
 
 
 
 
 
 



●フューチャーマチック ウイリアム・ギブスン:角川書店:¥1,500

 ギブソンの新三部作の最終話は、近未来の新宿地下道の段ボールハウスの中からはじまる。そこに横たわった死にかけているアメリカ人はゴーグルをかけサイバー空間をさまよっている。
 そこに「ヴァーチャル・ライト」「あいどる」の登場人物が絡まり、大地震で壊れたサンフランシスコ・ベイブリッジへとストーリーは飛んでいく。初期三部作のようなわかりにくさガジェットが少ないのでSFな人はつまらないかもしれないけど、軽い物語としては楽しめます。
 
 
 
 
 



●コンセント 田口ランディ:幻冬舎:\1,500

 何年かに一度はこういう人が出てくる。女性雑誌の隅っこに書いていたのが、いつのまにか口コミでバッと広がっていく。時代の寵児というやつだ。しかし、そのなかで残っている人は少ない。林真理子くらいじゃないか。メールマガジンをはじめた頃は、あ、この作者ちょっと面白いなと思ったけど、すぐにダメになった。小林よしのりと似ているね。 勘違いした教祖タイプね
 ようするに書くことが無いのに書いている。だから狭い視野でしか描けないけど、それを「私の等身大の感性で等身大の読者に向けて書いている」とのたまい、「読者が付いて来るんだから私は正しい」と論理の飛躍をもって、あさっての方へ行ってしまう典型的なパターンだ。
 まあ、相手を取り込むのも芸だけどね。渡部直巳ならさしずめ「電通文学」というだろう。
 ちなみに続編は読んどりません。
 



●百器徒然袋 雨 京極夏彦:講談社:¥1,150

 妖怪シリーズのもうひとりの直感探偵。榎木礼一郎の活躍する短編集。スピンオフした登場人物の相変わらずのバカ騒ぎ、事件の不思議さは相変わらず冴えている。京極の残酷な美しさの世界はますます冴えている。
 
 
 
 
 
 
 
 



●バゴンボの嗅ぎタバコ入れ カート・ヴォネガット:早川書房:¥2,400

 久々の作品!と思ったら長編が出る前に書き散らした短編を集めた作品集。かなり手を入れているということだ。ここにはSF色は薄く、悲観的な見方がずっと増している。SFという枠が無いとどのジャンルにも入らない作品だったんだろうな。難しくはないけど、読みづらい本です。
 
 
 
 
 
 
 



●スパイの誇り ギャビン・ライアル:早川書房:¥2,300

 ライアルって、なんで評価低いんだろう。私は内藤陳がすべて悪いと思っている。あと日本人のまじめな性格。冒険小説がこういうモノだと勝手に作り上げてしまったからだ。初期の作品があまりに神格化されているので、後半の作品の軽味というか、ユーモアが理解できないのだろう。 「マクシム大佐シリーズ」はダーティー・ハリーなんで面白いと思うんだけどなあ。
 さて、本作は、舞台は第一次大戦前の欧州。まだ、優雅さが残る世界で、戦争は正々堂々と言うのが基本の時代。汚らわしいスパイとなった童顔の元貴族の大尉、大尉の兵役時代の部下でアイルランド義勇兵で裏世界に強い部下。そしてひょんなことからふたりとかかわり合いを持つようになった、アメリカの大富豪の娘。この三人が他国スパイと戦う。古式床しい浪漫だ。
 藤田某が、何百頁も費やして冒険小説とやらを書くのと対照に、簡潔にまたミステリーの謎解きもトリックも良くできていて二度も三度も楽しめる会心作。表紙の絵が良くないな。ちょっと買う気になりにくいのが難。



●つるつるの壷 町田康:講談社:\1,400

 ついに芥川賞を取ってしまった町田康のエッセー集。このごろ主張だけで芸のないエッセーの書き手が多い中、過度ともいえるサービス、自虐的なまでの諧謔精神。平成の戯作者と呼んでも良いだろう。筒井康隆がつまんなくなったいま、坂口安吾のヒロポン打ちながら書いたエッセーが滅茶苦茶な文体ながら滅茶苦茶おもしろいのと同じく、酔わせてくれるおとこである。内容は重複しているのがあるのが難。
 
 
 
 
 
 



●最良の日、最悪の日 小林信彦:文藝春秋:¥1,429

 週刊文春に連載されているコラム。相変わらずの怒りに満ち溢れた正当な随筆の価値ここにありという感じだ。昔から言っている「サマータイム導入反対」から、 TBSラジオ「アクセス」(月〜金22:00-23:45)の面白さをいち早くピックアップ。など、縦横無尽に斬っています。やっぱこのヒトの小説はともかく評論・コラムは一流です。
 
 
 
 
 
 
 



●インターネット自殺毒本 相田くひを:マイクロデザイン出版局:\1,400

 例のドクターキリコ事件をレポートしたルポルタージュ。というか作者自身がインターネットで事件の掲示板とか眼に触れる部分にリアルタイムで参加していて、事件後に裏では何が動いていたかを改めて取材したもの。ある種、既存マスコミが事件を歪曲して報道していたかが、分かったし、ドクターキリコもそれほど知識のある人物でもないことが明らかになる。では、真実はどこにあるのか?それは残念ながら深く解明されていない。インタネット利用者の世界までには深く立ち入った考察はされていない。その点ではインターネットって何?と言う人にしか薦められない。
 
 
 
 
 


●ファイトクラブ チャック・パラニューク:早川書房:\1,600

 今秋公開される映画の原作。自動車会社のリコール調査係(リコールするのと黙って事故死者に補償金を払うのとどちらが安いか査定する仕事)の平凡な日常が、臨時雇いの映写技師と出会ったことから、ファイトクラブ(喧嘩倶楽部)の設立、それが拡がりバイオレントな刺激を求めて日常に飽きたらない男達が集まりだし、最後には破壊活動まで拡がっていくという暴力的な内容。レス・ザン・ゼロの世代が書いた虚無的な単語とぎょっとする露悪的な描写が満載している刺激的な読み物。文章は映像的だけど、映画としての出来はどうなのだろうか。

追記:映画はデヴィッド・フィンチャーが無機質な部分と肉体的バイオレンスをうまく描き分けた傑作になった。
 
 
 


●わが母なる暗黒 ジェイムズ・エルロイ:文藝春秋:\2,476

 1950年代のアメリカン・ドリーム神話。そこには世界中の人間が憧れる夢の世界があった。しかしその裏に貧しい白人たちの夢の50年代神話の闇たる暗部が存在していた。舞台は、ロサンゼルス郊外、訳有りの貧しい人間とヒスパニック系の人間が住む離婚した女性が息子と暮らすには、少しいかがわしい界隈であった。離婚した母親は、酒を呑み、男を家に引き込み、そして殺された。作者ジェイムズ・エルロイの赤毛の母親だった。事件は迷宮入りをした。

  年老いた父親に引き取られた少年は、犯罪に異常にのめり込む性癖を持つようになった。犯罪小説を読み夢想することが彼の生活となった。父親が死に天涯孤独となった彼は、軽犯罪を繰り返し、最後には刑務所送りとなる。生きているのが不思議なくらいだった。  作家となり成功した彼は、事件を自分のトラウマを解放するために、母親の事件を独自に捜査する。一年近くをかけて。相棒は、引退した刑事。彼とは全く反対の、しかし犯罪への情熱は同じ様な感覚を持った男とともに30年近く前の事件の夜を再現しようとして。  はたして、作家に心の平穏は訪れるのか?

  今まで見たことのないアメリカのもう一つの顔、写真家ロバート・フランクが撮った『AMERICANS』の世界が拡がる。救いのない現実がぽっかりと深い穴を見せている。ただ作家がノンフィクションの書き方ではなく、彼の作風(ある種のハードボイルド形式)で綴ったために、主人公=作家の視点が少しぼやけたことは否めない。他者が書けば、『心臓貫かれて』のような感動があったかも知れない。が読みごたえのある力作だ。


●スター誕生 吉田司:講談社:\1,800

 天下のひねくれノンフィクションライター、吉田司の新刊。綿密な資料の読みこなしと強引な大胆な仮説で読ませてくれる人です。  戦後に、四人の龍がいた。それは、美空ひばり、中村錦之助、石原裕次郎、渥美清。なぜ彼らは戦後のこの時期に世に出て、そして伝説化されたのかを検証していくスリリングな内容となっている。

  美空ひばりとは明るい敗戦後の希望の歌ではなく、実は戦前からの川筋者と呼ばれた最下層の人たちや、浅草の芸能の世界を結ぶ者としての存在だったから爆発的な人気が出た。しかし、子供らしくない大人の真似をしたいやらしい歌手としてのレッテルを良識派と呼ばれる人たちからバッシングを受けてしまう。その裏には母親の芸能に対する隠された情念があったと推理する。そしてその人気も高度成長が本格的に始まる前まで、農村と都会が分かれ戦前を引きずっていた時代までの栄光だとも言い切る。そして次に、高度成長時代は石原裕次郎を必要としたと言う風に、暴論と推論と事実の積み重ねで時代とスターの必然を新たな視点から切り取っていく。なぜ戦後日本は彼らを必要としたか。そこから日本人の深層心理が見えて来ます。


●生意気 東京下町青春期 大橋巨泉:三天書房:\1,500

 東京の下町のカメラ部品販売店に生まれた、大橋巨泉の高校時代の日記。朝鮮戦争の頃の時代。家業と進路について悩み、学校がばかばかしくて行けないなど、硬派な面があったり、非常に生意気で観念的な偽悪者ぶっているところが微笑ましくもある。だいたいこのころの性格や考え方は根本的には一生変わらないんだと読んでて思う。
 
 
 
 
 
 
 


●コラムは誘う エンターテインメント時評 1995〜98 小林信彦:新潮社:\1,600

 相変わらず、厳しい批評と先物買いの目利きはさすがだ。早い時期に爆笑問題を褒めているし、『踊る大捜査線』のライターの君塚良一が萩本欽一の弟子筋だとは初めて知った。しかしエンターテインメントを見る目が全然ズレていないのはすごいことだと思う。ただ好みが偏っているので、受け付けない人には全くダメだろう。個人的にはNHKで日曜の深夜にやっていた 『マーフィー・ブラウン』がどこかでやらないかというのに一票。
 
 
 
 
 
 


●夜光虫 馳周星:角川書店:\1,900

 台湾プロ野球界に渡ってきた日本人が八百長事件から、黒社会へと導かれ、自分の過去と血族の秘密が交錯する、馳周星お得意の世界へとストーリーは展開する。『不夜城』が好きな人にはお薦め。筆力一気に読ませてしまうが、ホントこの人は救いのない話を書くのが好きだなあと思う。三池監督作品を想い出させる。
 
 
 
 
 
 


●業火 パトリシア・コーンウエル:講談社文庫:\857

 女性検死官シリーズの最新刊。今回は放火がモチーフとなり、火災事件に関する情報が随所に挟み込まれる。ただ、事件が何作か前から繋がっているので、出来れば一作目から読まないと分からない部分が多いだろう。作者もそろそろこのシリーズにも疲れ始めているらしく、主要な人物を殺したりしている。私生活でも同性愛を公言している作者に対する風当たりもあるのだろう。シリーズもこれで終わりかもしれないとも思う。
 
 
 
 
 
 


●カネに死ぬな掟に生きろ 宮崎学:徳間書店:\1,500
 

 今の社会、みんなで渡れば恐くないとか、自分の所が良ければそれで良いというエゴがむき出しで、何となく流されて世の中動いているような気がする。そんなことアホくさ、と言い切ってアウトローの生き方を綴っている。右も左も関係ない。自分の中の掟で生きろ、その度胸で乗り切れ負けたらアカンと言い、市民運動なんて素人のやることなんか危なっかしくて、そんなもんに価値観を見出すなと手厳しい。ヤクザじゃなくてもアウトローはいる、イモを引くなと痛快に書き飛ばしている。スケールの違う話だわな。


●インターネット・マザー 香山 リカ:マガジンハウス:\1,500

 今年が99年で90年代が終わってしまうとき、果たしてどんな時代だったと問われた時になんと答えられるだろう。ネットの膨大で迅速な情報の海を漂い現実感覚が稀薄になった、正しくもあり、間違っている答えだと思う。コミュニケーションが変容したのかと尋ねられると、変容したのは私たちの方かもしれない。好きか嫌いかに係わらず、現実にそういう社会になっている事が大前提なのだろう。仮想空間が現実を越えたとか、そんなことは議論の対象にならない。この社会とどう個人が付き合っていくのかが本書の大きなテーマとなっている。神戸の少年Aやドクターキリコの部屋で交わされる電子の言葉は、既に日常の延長でしかない。その中で等身大の自分を探しているのが90年代じゃないだろうか。テレビや街で見かける何の根拠もないのに自分の感性に対してやたら自信を持っている若い世代、彼らの中には、本当の自分は既に完成していて誰かがどこかでその隠れている才能を発掘してくれるのを待っている、オーディション依存というか、そんな安易なサクセスストーリーを求める傾向(電波少年や華原朋美の例を上げるまでもなく)がどこかにあるのだと思う。でないとあの自信は出てこないのではないか。全ての価値観が変化していく現在、子供達を含め漂う自分とは何だろうかを著者は問い続けている。


●我輩は施主である 赤瀬川原平:読売新聞社:\1,500

 一軒の家を建てるのに、ありきたりでない個性的な建物にしたいと考えたとき、知り合いに建築史家がいた場合、設計をお願いするのがいいのか。ただし、その建築史家、F森氏は、従来の概念なんか屁とも思ってない、一見乱暴と言うほどの革新的な発想と実践を同時に行うT大教授なのである。柱を自分の実家の裏山から切り出して来たり、屋根にニラを植えるという(食べるのではなく咲く花を観賞できるということ)ぶっ飛んだ設計で、施主を慌てさせる。F森教授は、藤森照信氏のことで、自分の家もタンポポハウスと名付けた春になるとタンポポが家を覆う(らしい)家を建てた。その記録も本になったらしいので読んでみたい。
 
 
 


●石油ポンプの女 立川談四楼:毎日新聞社:\1,500

 小説も書ける落語家、立川談四楼の中編小説集。業界人じゃないと書けない裏側から見た落語の世界が愛情を持って書かれているが、そこはシャレの世界、人情噺もあるかと思えば、与太郎噺もある、同じ選挙区の対立候補の両方の応援演説をする「噺家遊説隊」、噺家がレコードを出して歌手デビューする「寿下無ズ」、アフリカの奥地のダム建設現場で人情噺をする「ジャングル寄席」など、ひねくれた落語家たちの物語がなかなか笑えます。楽屋噺なんだけど、古典落語の語り口もあって思わず読んでしまう。

 
 


●素人包丁記 嵐山光三郎:講談社:\1,300
 

 グルメなどと言う言葉が無かった頃、好奇心と洒落で悪食と紙一重の飽くなき食への想いと実践を綴った記録。なんでもかんでもぬか漬けにしてしまう「メロンのぬか漬け」や入院したときの病院メニューについての考察や、中国に行くときは、ごはんですよを山ほど持って朝食にごはんにのせて食べるなど、気取ったレストランで出てくる料理でなく、自分の足でアタマで考え、どうしたら美味いモノが食えるかを追求した一冊。出来合いのウンチクじゃないのでこっちも想像しながら読むと、食欲がでます。


●血まみれの月 ジェイムズ・エルロイ:扶桑社:\560
 

 ロス市警のロイド・ホプキンズ部長刑事と詩人と呼ばれる連続殺人鬼との対決を描くホプキンズ・シリーズの第一弾。印象で言えば途轍もなく暗い。全編を覆うこの憂鬱さはなんだ。ストーリー的には、適当にサスペンス有りのサービス満点の読み物なのだが出てくる人物、特に主人公がスーパーマンのマッチョなのだが、一筋縄ではいかない複雑な性格の持ち主。犯罪者と紙一重じゃないかと思うところもある。それは作者の偏執的なところに起因しているのではないかと推理するがどうだろうか。


●つるつるの壷 町田康:講談社:\1,400

 エッセー、書評を集めたもので出来ているが、どこが書評なんだかわからない、全く自分の世界で書かれた文章が続く、小気味よいと言えば良いがファン向けにしちゃ、ちと高すぎるんじゃないのかとも文句のひとつも出そうな本。町田ワールドに浸かりたい人にはどうぞ。
 
 
 
 
 
 
 



●檻のなかからのダンス 鶴見済:太田出版:\1,400

 覚醒剤不法所持でつかまった体験談やロンドン、アムステルダム、ベルリンのレイブとドラッグの体験が満載。でもルポなんで、カタログ的な効果を求めちゃダメです。

  小学校のスピーカー音量の騒音についての学校との対決が偏執狂的で笑えた。引っ越しをすればいいだのに。トラブルが好きなのだろうか?
 
 
 
 
 


●怪獣王 唐沢なをき:ぶんか社:\1,400

 昔、『ウルトラQ』一挙上映オールナイトというのに付きあわされてあのテーマ音楽がしばらく耳に残って仕方がなかったときがあった。「観に行こう」と誘ったのが女性だというのもおかしいが、(最近までケーブルテレビの『怪奇大作戦』にはまってたという)やっぱ、どこかでそういうものが好きなところが自分たちの中にあるのかなあ。

  本書は、怪獣好きの怪獣好きによる、怪獣、超獣、怪人などなどのための本。その辺のムック本とも違い、資料的価値もあまりない。ただただ駄べるためにクククとひそやかに楽しむ本。誰も覚えてないようなCSチャンネルや、中古LDで集めてきて見終わってだからなんなのだといわれると、なんでもないんだよなといったシロモノを楽しんで対談している。永野のりこ(マンガ家)、岩佐陽一(怪獣研究家、まんが秘宝編集長)、開田裕治(怪獣画家)の三人がそれぞれ第一次怪獣ブーム、第二次怪獣、変身ブーム、そして今を語っていてバランスが良い。うんうんとうなずきながら読んでいる君は立派な怪獣王だ。 限定掲示板アリ。
 


●寂しい国の殺人 村上龍:シングルカット社:\1,800
 

 酒鬼薔薇事件があり、『イン・ザ・ミソスープ』を書いているときに構成された(半分のページが写真のデジタルコラージュ 『TOKYO DECADENCE』 のノリね)、テクスト集である。箴言というほど過激ではない彼自身の想いが、自問自答しながら進んでいく。

  そこに導き出されていく解答は、日本における近代化の終焉であり、個人の新しい価値観を確立するための模索の時代に突入したこと を明確に言い切っている。だから、今の日本を『寂しい国』と呼ぶ。それをどうするかは、小説家の興味から発せられる答えであって正解とは限らないのだが、非常に説得力がある言葉に思える。


●心はどこへ行こうとしているのか 大澤真幸(社会学者)、町澤静夫(精神科医)、香山リカ(精神科医):マガジンハウス:\1,500

 三人のクロストーク。時代はオウムから酒鬼薔薇を経てナイフ事件のころまで。彼らが専門分野からそれぞれに“心”を解いていこうとするのだが、比喩になっているのが、エヴァンゲリオンだったりしている。分かりやすい比喩だが、現実の方が進んでしまっている現状があり、あるべき姿の社会ないしは家族ひいては日本というものの価値観が個人レベルでも、国家レベルでも崩壊していることが良く分かる。原因は明白だが、治療法がないというのが現状だ。

  読んでいて、電子メディアを肯定的に捉えるか否かはまだ議論の余地がありそうであり、それが主体となる精神病理学の本を読んで観たいものだ。ボードリヤールは『透明な悪』(酒鬼薔薇じゃん!)で、ウイルス化をひとつのメタファーとして捉えているが、欧州を中心とした文化、文明圏という既存の価値観と、電子メディアがもたらす価値観との融合、あるいは戦いは始まったばかりと言えよう。

  しかし、日本に於いては価値観の病理は深く、誰も序章に掲げられた、Q.14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたらあなたは何と答えますか、この質問に答えること自体が難しいのが現状で、それに答えられずビクビクしながら生きているのがいまの日本人であろう。

 追記:最後の質問について、野坂昭如が「これは質問でなく、疑問である。質問には答えが必要だが、疑問には必ず答えがあるとは限らない」と述べていた。


●悪党パーカー エンジェル リチャード・スターク:早川文庫:\620
 

 パーカーが帰ってきた。今のやたら銃を撃ちまくり強引に警察の突破網をくぐり抜けるような、ご都合主義的な犯罪小説とは一線を画した厳しい細部に満ち溢れた世界が帰ってきた。ディテールの細かさ。人物描写の紋切り調だけどクセのある人物、犯罪のプロとアマの区別を厳密に分けた知能合戦。裏切りとドンデン返しの意外なプロット、語り口。ああ、パーカーの世界だ、こういうのを読みたかったんだと思った。

  宗教団体の寄付金強奪から逃走、裏切り、お互いの腹のさぐり合い。さりげない撃ち合い。全てが簡潔に充実している。全然執筆のブランクを感じさせない。

  パーカー物が書けなくなった理由として作者は、「現金じゃなく、クレジットカード決裁になったために多量の現金が存在しないため」と言っていたが、それだけではないと思う。パーカーのシリーズは多くが地方都市が舞台であり、その街のディテール、住民の職業やどんな車に乗っているか、警官がどんな性格の奴等かなどを書き込み、その情報を元にして強奪、逃走の計画を立てるところが見せ所になっている。それが、ドートマンダー・シリーズのNYの描写と違った世界だ。

  小都市が、郊外にハイパーマーケットができ、画一化していく間はアメリカ自体が不況で、強盗犯罪物の舞台装置が固まらなかったのかも知れない。だから、ただ撃ちまくり麻薬とマフィアの金を盗む小説が横行していたのかも知れない。

  ここに来て、アメリカ自体が落ちつき新しいライフスタイルを手に入れられたために、細かいディテールが復活できたと思う。ホンダのアコードを盗み、犯罪者はピザを食べる。古き良きではないもっと、スタイリッシュで現代的な描写でこれからもパーカーを活躍させてくれることを願う。


●テレビを旅する ブラウン管の私生活 瀬戸山玄:小学館文庫:\457

 瀬戸山玄は私が一番好きなノンフィクションライター兼カメラマンだ。彼の仕事『東京ゴミ袋』、『彼女の居場所』、『寄る辺の時間』等優れた仕事がある。どこが良いかというと、 日常の切り口からファインダーや嗅覚を通じて感じたモノから今の日本を切り取ってくるからだ。一歩間違うと、単なる変わった商売や町の風景の紹介に終わるのだが、彼の場合はその中に息づく人、その奥の日本という病(時にはそうではないが)を無造作にここにも転がっていましたと見せてくれることだ。その切り口に読んでいる方はドキリとも、ニヤリともさせられる。確かな目線を持ったライターです。

  本書は、テレビという生活に入り込んだ異物が今、どんな地位を占めているだろうか、そこから疑問は始まり、日本中のテレビのあるところを訪ね歩く。荒川の橋の下のホームレスがテレビを見ていれば、そこに行き、与那国島の衛星放送しかは入らない家にも訪ねに行く。また盲目の夫婦のテレビの楽しみ方を聞く。そこから浮かび上がるテレビと共に過ごした日本の45年が見えてくる。そんな本だ。惜しむらくは文庫本のために写真が小さいことが残念。


●立川談志独り会 第一巻 立川談志:三一書房:\3,500

 談志は難しい。噺を聞けばそうでもないのかも知れないが、活字で読むとガチガチに理論武装されていて手も足も出ない。わからない部分が多くてなかなか先に進めない。落語がこんなに文字で残しにくいものだとは思わなかった。今まで読んでいた落語の本とは全く違う。しかし、談志自身これを残すことがベストと考えているのだろうか。自分でも余命10年と言っている男が、理解されないままではいささか寂しくはないだろうか。映像できちんと残すべきじゃないだろうか(もうあるのかなあ)。
 
 


●ナイフ 重松清:新潮社:\1,700

 タイトルは、物騒だが「いじめ」、「親子」の微妙な関係が淡々と描かれている。今のいじめをいじめられる側から描いたもの。いじめられる息子への苛立ちをあらわす父親を描いたもの。昔と言っても25年くらい前のいじめを描いたもの。子供と親のすれ違いを教師を通して描いたもの。そんな短編で構成されている。作者は1963年生まれ。小市民の生活感と個人のすれ違いの様子を安定して描いている。それほど強くないツッコミなので短編にはちょうど良いだろう。新しさはないが。
 
 
 


●フィジカル・インテンシティ’97-’98season 村上龍:光文社:\1,500

 サッカーのW杯予選から、中田のペルージャでの活躍までのレポート。それを日本という国家が置かれた状況と対峙させて書いている。作者は、“インテンシティ”を「恒常的な強さではなく、スポーツなどで発揮される瞬間的な肉体の強度のことだ」と述べているが、「しなやかさ」といっていった要素をくわえてもいいのではないか。硬直した日本を、確かな技量を持った選ばれた者たちが、フィールドを駆け抜けていく。そんなイメージを彷彿させられる。

  ルポとしては、客観的な旅行記風に描かれサッカーを観る楽しみと、どこが素晴らしく、なにががダメかを的確に指摘する、それもサッカー・ファンとしての感覚には好感が持てる。それと、並行して書かれる日本の特殊性への目の配り方も素晴らしい。個人と組織の闘いを例に挙げながら、そんななかから出てきた新しい世代の選手を見極める。 サッカーを通じた現代日本及び日本人論だ。

  「(前略)歴史というのは本来、ある一貫した価値観を持つ個人・集団・国家の、他者との遭遇とその反応の連続だ。歴史とは単なる過去ではない。歴史は現在に連なり、未来とも連続するものだ。れきしとは「終わってしまったこと」ではない。日本人にとって歴史とは、内輪の栄枯盛衰の物語に過ぎない。閉じられた共同体の中での、時間の流れに過ぎない。(中略)一定期間の空白を置きさえすれば、(中略)復帰できる。彼らの失敗や誤りは、連続して現実の一部になっているはずなのに、それは問われない。(後略)」


●オウムと私 林郁男:文藝春秋:\1,857
 

 地下鉄サリン事件の実行犯の手記と言ったらいいのだろうか、弁明書ともいえる性格を持った本書は、危ういが頑固な基盤に立っていて、今もオウム信者は絶えないことと関係があるのかなあと言う気になった。あまりに言い尽くされたことが多いので、新しい発見は無かったが、林が今も被害者への反省と信仰は別のことと考えている様な気がする。麻原のいうことに、いちいち自分の考えを記しているのだが、そこには行動とか自立した、自己という存在がない。

  早い時期に「池田大作ポア事件」でオウムが非合法活動に進んでいるのを知りながら、それに対する行動は取らなかった。その割には一緒に出家した妻子の事についてはやたら心配するといった、肉体言語が伴わない存在へとなっていく。マインドコントロールだけの問題じゃなく、それにかかりやすいというより、自らかかろうとしている姿がみえる。非合法を知りながらも残ったのは、宗教上の修行が出来るのはオウムしかないということと、 自分が特権的な組織の中の存在になれたからだと思う。本書では、自分が違法を知りながらと書いているが、そんな気持ちを抱いて何年も同じ様なことができる神経が分からない。そう思えるのもこの人が、ずっと、自分の中の世界から出ずに、組織の中にいようと、その中で尊敬される身分になろうという、まあ、普通の考え方かも知れないが、結局は従属する組織に潰されたという簡単な図式にも置き換えられる。組織に埋没するのは簡単だ。


●村上龍自選小説集3 寓話としての短編  村上龍:集英社:\
  村上龍料理小説集 恋は未知なもの ニューヨーク・シティ・マラソン 悲しき熱帯

 作者は、中編の書き手だと思うのだが、中編にしても良い題材を強引に現在性とつなぎ合わせて物語にしていくのが近作の特徴だと思うのだが、 この小説集に収められた物は、80年代に書かれた物で前記の自覚の上に書かれる以前の作品と言える。ここでは、幾度となく、作者も解説も、中上健次について、その相似を言及する。村上龍は中上がやり残したというか、出来なかった90年代を描くことに専念する。だから、短編は彼にとって、多少のインスピレーションとはなるかも知れないが、中編の助走では無く全く違った物だ。短編では貧困しか描けない、快楽も孤独も違和感も充分に描ききれないとこの短編集は、語っているようである。村上龍は、 寓話としての短編より、透明張りの無機質な空間のような世界で生きる人間を描ける中編の方がお好みのようだ。


●東京異聞 小野不由美:新潮社:\1,500
 

 評判の『屍鬼』は、まだ読んでいないが、本作で作風は分かるような気がする。

  江戸から東京になった頃、まだ陽の光が落ちると、闇の世界は別の顔を見せる。そんな時代と、華族の跡目争いにおどろおどろしい魑魅魍魎が跋扈する伝奇ものと、それを調べる新聞記者と香具師の親分。

  読み物としては、『帝都物語』+京極夏彦の妖怪ものだ。エンターテインメント性に探偵小説部分を入れているので、そこに無理があり話が破綻している。伝奇ものでも骨格は海外エンターテインメントだということはよく分かる。こういうものを読むと、『安吾捕物帖』とか横溝正史の戦後直後の本格もの(『蝶々殺人事件』『本陣殺人事件』『獄門島』)を読みたくなる。


●六の宮の姫君 北村薫:東京創元社:\1,300

 個人的にこのシリーズは、好きなんで個人的な趣味で書きます。本に関する話ってどこか良いんです。

  ある出版社でバイトをする主人公が、老大家が話す、芥川龍之介の呟いた一言の謎を解いていくという、間に近代文学の作家たちの横顔や文章の引用が嫌みなく、適度に入ってくるので、本好きには堪らない。

  芥川と菊池寛の交流が謎を解くカギとなるのだが、芥川の息子、比呂志が菊地寛の「寛」であるとか、文藝春秋を興した菊池寛の当時の姿とかが分かって興味深い。イギリスの本格物の味わいがある。
 
 
 


●隣家全焼 ナンシー関・町山広美:文藝春秋:\1,286

 なんで、文藝春秋社から出ているというと『クレア』に連載されていた、辛口トークの連載をまとめたものらしいからです。ナンシー関は、お馴染み消しゴム似顔絵の人、町山はバラエティーの放送作家(今だったら「夜もヒッパレ」など)でちなみに『映画秘宝』の元編集長の町山智浩は兄だ。

 このふたりがテレビを中心に芸能ネタで世の中をぶったぎっている痛快な本。96年から長野オリンピックが終わる頃まで、取り上げるネタはほとんどワイドショー、まあ、 ワイドショーじゃ言えない危なネタのオンパレード。人の悪口言い放題。読んだ後、何にも残りません。引用すると長いんだモン。
 


●レベル7 宮部みゆき:新潮社文庫:\720
 

 1990年に出版された本書には、いろんな時代がジグソーパズルのように描き込まれている。その社会的背景が、突拍子もないストーリーにリアリティーを与えていることは確かだ。 ミステリーとしては(?)なのだが、エンターテインメントとしては最後まで飽きずに読ませることで充分に作者の筆力は感じられる。オウム事件を連想させるところが多々ありそれも興味深い。

  男がとあるマンションの一室で目覚める。隣には女。男女は自分の記憶が消されていることに気付く。部屋には五千万円入りの鞄と拳銃、血のついたタオル。彼らは何者で、何が起きたのか。

  一方、十歳の娘と暮らす未亡人は保険会社のやっている電話相談の仕事をしている。たわいのないお喋りをするそこは「ネバーランド」と呼ばれる。そこで知り合った美少女と仲良くなったが、彼女は失踪をしてしまう。

  この二つの事件が絡み合い進んでいく。登場人物が個性的なのだが、行動が作者に操られているようで少しぎこちない。その分余計な感傷が入らないのでエンターテインメントとしては良いのだが。まあ、最後まで読んじゃったのだから何を言っても作者の勝ちだ。


●どうせ曲がった人生さ 立川談四楼:毎日新聞社:\1,400
 

 お馴染み立川流の本格派、小説も書ける落語家、談四楼のエッセー集。といってもこの人の芸風でもある、罵詈雑言に満ち溢れていて、洒落半分本気半分の怒りが伝わってくる。 裏返しの落語への思い入れ。曲がったことが嫌いで、よくケンカをするなんて、良いじゃありませんか。落語の世界ですな。そんな、「おかしくて、やがてかなしき」と読ませる芸風がまた粋だ。


●鎮魂歌 馳星周:角川書店:\1,500

 これは「不夜城」の続編です。前作を読んでいない人は全く楽しめないので、ご注意下さい。

  前作の主人公が後ろに下がり、新しく台湾のヒットマンガ主役になるが、ちょっと役不足。プロットに、アクションとして描かれないオフの部分が多く、欲求不満になる。各人のキャラクターがどうしても、大陸人のプロト・タイプになってしまって、前作の「不夜城」の衝撃は薄れている。どうしても、ゲーム的な展開、ひねりすぎになっているので、一体感を持って読んで盛り上がりたいなあという人には肩すかしの感がある。ただ、刑事くずれのキャラクターは異彩を放っていた。実際にはいないけど、納得させられるキャラクターだ。この筆力が作者の強みだろう。
 
 


●アップル 世界を変えた天才たちの20年(上)(下) ジム・カールトン:早川書房:\2,000

 アップル社、及びそのまわりの信奉者が作り上げた象牙の塔を、いとも簡単にこのウオール・ストリート・ジャーナルの記者である作者は崩す。サブ・タイトルの世界を変えた天才たちの20年というのは嘘 で、描かれているのは、重役室でのパワーゲーム、「いかにして会社を失敗する方向に迷走させるか」。自分がCEOになるためには、誰に失敗を押しつけるか。そして、現場は、世界一の研究施設、予算を浪費しながらプライドを持って好き勝手やっている奴等、だれもそれを制御できないという、とんでもない会社の概略を淡々と描いている。

  いかにアップル社がプライドが高く、鼻持ちがならなかったか、そのために、合併、ライセンス供与に失敗して自ら窮地に立つ。その連続が書かれている。経済記者らしく、アップルの広報に負けない個人崇拝でなく、組織のダメさを描いている。決して、天才達の言葉が聞けるわけでもないし、楽しいエピソードや、輝かしい未来が見えるわけでもない、(例外的にビジネス的成功モデルの人物としてマイクロソフトとビル・ゲイツが好意的に描かれている)事実の羅列があるだけだ。iMac以降は、触れられていないが、アップル関係の本としては、非常に暗い本だ。


●フリッカー、あるいは映画の魔 セオドア・ローザック:文藝春秋:\3,810

 映画には数え切れない謎がある。技術的に言うと、フィルムに映された一コマ、一コマは動いていない。しかし、映写機にかけるとそれが一瞬、映写面で停まり流れ、結果として残像現象として私たちの目には動いているように見えるのだ。

  スクリーンに影として映された、そのセルロイドの塊に私たちは何故、心を動かされるのだろうか。この謎を解いた人間はいない。いや、この本のの魅力はその永遠の謎に、一人のB級映画監督を通じて迫ろうとするミステリー形式を取ったゴシック・ロマンであり、ミステリーであり、とんでも本でもあり、映画史を知る者にとってはゾクゾクするくらい楽しめるゴシップたっぷりな一流の娯楽作品に仕上がっている。

  マックス・キャッスルを紹介する。ドイツの孤児院で育てられ、第一次世界大戦後、表現主義の時代に間に合い、『カリガリ博士』に携わり、 19歳で、当時世界で一番の撮影所ウーハーで監督になる。しかし、ヒトラーの時代を迎え、映画が検閲を通らなくなる。絶望した彼は、ハリウッドに渡り聖書を題材にした作品を作るが失敗。やがて、B級ホラー映画の監督へなって行く。最後に彼が賭けたのは、 天才オーソン・ウエルズの未完の『闇の奥』の実写撮影と、『市民ケーン』の技術顧問だった。彼の生涯は、第二次世界大戦が始まってヨーロッパに渡ろうとしてナチの魚雷で沈められてその生涯を閉じる。

  しかし、彼の再評価が始まる。ロスのボロボロの名画座で、パリのシネマテークに通い詰め、ゴダールやトリュフォーと激論を交わした女、ゴダールのあの作品のモデルとなったかもしれないアメリカ女の経営する劇場からだった。時代は、誰も映画を学問の対象としていない時代。60年代初頭、主人公の青年は名画座の彼女の恋人でもあり、UCLAの学生でもあった。単なるホラー映画監督と思われていたマックス・キャッスルの、偶然発見したドイツ時代の未公開作品を観たことから、次第にのめり込む青年(やがて大学教授でマックス・キャッスルの論文を書くようになるが)、一方、距離を置く彼女(後にアメリカ屈指の映画評論家になる)。ともにおぞましいものを映画から感じながらその秘密を明らかにしていこうとする。そこに現れる過去の亡霊のような、往年の女優、キャメラマン、プロデューサーたち。 その後ろに見え隠れする謎の集団。

  「映画とは、何か」を形而上の問いでは無く、エンターテインメントに仕上げる手際の良さ。そして、作者の趣味の良さには敬服する。映画が好き!と言っている人に試すような知識の羅列。それもまた映画の快楽と受けとめよう。知識のある方が数十倍面白いこと請け合いです。手元に『映画の教科書』(フィルム・アート社)を置くことをお薦めします。
 


●朝霧 北村薫:東京創元社:\1,400

 北村薫のこの落語家探偵シリーズはずっと読んでいるが、派手な殺人事件や過激なシーンも出ず、文学と大学、出版の世界、そう、本を中心とするちょっと黴臭いが、懐かしいが新鮮な静謐な世界 が魅力だ。トリックというより、判じ物と言った方が良い日常の中の事件を解いていく鮮やかさ。シリーズを重ねるうちに主人公達の間でも時間が経過して成長するところなど、安定して読み通せる。まさに表紙の高野文子のイラストがぴったりあう世界だ。

  今回は、主人公の私が大学を卒業して(僕はモデルが青山学院大学じゃないかと思うんですが)、出版社に就職して起きる3つの事件が謎解きされます。

  「山眠る」はこのシリーズ特有のちょっと切ない市井の人の行動の謎を解きあかす一編。

  「走り来るもの」はリドル・ストーリーをめぐる謎。(「女か虎か」という話の系譜)

  「朝霧」は、祖父の日記に書かれた言葉に、忠臣蔵を絡めた暗号の謎。

  このシリーズは、軽いチェスタートンと言う感じで、ソフトな文章の割には、読者に知識を求めます。文学と探偵小説のファン向け。出来れば、文庫になっている『空飛ぶ馬』から読んでみて下さい。
 


●ふたりだけの秘密 ---あるいは、自転車・写真機・警報機 佐野史郎:筑摩書房:\1,400

 佐野史郎の初監督作品『カラオケ』の原作、というか映画はかなり変わっていて原案らしいが。思った通りの世界と言えばそれまでだけど、中学生の男の子の感じる夏の数日間、二度とは体験できない感覚。大人と子供の狭間で揺れる感情をかなり突き放した視点から描くと思うと、次の瞬間には彼の内部にまで入り込んでしまって読み手を虜にしてしまう手法。どちらにせよ、無関心ではいられないように仕掛けられた作者の罠。

 この世界にはイノセントというあからさまな感覚がひしめき合っていて、悲鳴を上げている。丘の上の中学校から下る自転車の受ける風。幼なじみの女の子から風に吹かれて漂う甘い香り。ビートルズ、ドアーズ、2001年宇宙の旅、寺山修司詩集。踏切の横の古びた写真館。作品の魅力は、懐かしいが古びない感情の吐露を文字にすることに費やしていることだ。 感覚的な描写が無機物を通じて、永遠のノスタルジーに変わっていく有り様は見事だ。さすが役者、内面と外見を描き分けていると感心した。(これは、危ない人が世間と折り合いをなす凍りついた微笑みと同じようなもんだ)。

  これを読むと、著者は、状況劇場より、天井桟敷に行った方が良かったのではないかと感じたが。
 


●松本坊主 松本人志:ロッキング・オン:\1,200
 

 お手軽な、ダウンタウン、松本の生い立ちインタビュー本。

  お笑いに関してはずっと自分が一番だと思っていたとか、ネタは受けて当たり前とか、自惚れているのかわからんが、死んでから評価されるんだろうとか、(そんなことはないとは思うのだが)、やたら冷静なところもある。

  ただ、松本は今までのお笑い芸人とは違うタイプで、「テレビやビデオで完成品を作って自分を売る」という、自分の笑いの世界観を売り物にすることに執着する芸人だと言うことが分かった。 それまでの、舞台が一番とか、ノリだけで笑かすのとは一線を画している。そこを受け入れるかどうかが松本の笑いが好きかどうか分かれるところだろう。(ダウンタウンとしての評価は、あれはフリートークだと言い切っている。その場で面白いネタをその時考えられるかが勝負と言う)。

  松本の言う、切ない笑い(オチ)の世界がどこまで行くのか、『一人ごっつう』とか観ないとアカンのかな。
 
 


●火車 宮部みゆき:双葉社:\1,600
 

    宮部みゆきは読んでいなかったので、見当違いなことを書くかも知れないがご寛恕願いたい。達者な構成力が日本人と言うよりもアメリカのベストセラー作家の手法に影響を受けているのは間違いない。

 (D.R.クーンツ著『ベストセラーの書き方』(朝日文庫)を見るとご理解いただけると思うのだが)主人公の孤独さ、過去にトラウマを持っている部分。現在は安定しているまわりの人々の暖かい援助があり、失ってはならないもの「家族」という身近な物があること。コメディー・リリーフ並みのちょっと変わった脇役が出てくること。これが主人公のまわりの条件。まあ、捕物帖とかにも通じる基本的な設定だけどね、現代的なのはそこにどれだけの情報を詰め込めるか、それも 読者より一歩半先を行く情報を物語に組み込めるかがポイントになる。その世界に読者がついて来れたら成功だ。

  休職中の刑事、妻を交通事故で失い息子とふたり暮らし、近所の主夫が力になってくれる。が失踪した妻の従兄弟の子供の婚約者を訪ね歩く。そこにはサラ金、破産というカード地獄の世界が待っていた。という展開で読んでいる者を飽きさせない筆力は見事である。いまとなっては、すこし情報が古いかも知れないが、謎が一つ解けると新たな謎が現れるように作られているので先が全く読めずミステリーの醍醐味を味わえる。


●われよりほかに 伊吹和子:講談社:\3,900
 

   作者は、谷崎潤一郎の口述筆記者として、晩年の12年間を過ごした。その当時の思い出と、作品の出来上がる過程における事実関係を正確にしようと書いた真面目な書だが、こちらとしては文豪と呼ばれた谷崎とその一家の暮らしぶり、執筆の様子、昭和30年代の文壇(と言うものが機能していた)の様子が克明に描かれていて、そちらの方に野次馬的な興味がある。

  谷崎が健啖家であり、分厚いステーキをあっと言う間に平らげてしまうとか、若いお手伝いさんが好きで、すぐ散歩のお供をさせ、何か買い与えるとか、気分屋で気に入らないことがあると「もう、ここに来なくてよござんすよ」などと言いながら、自分が困ると謝りもせず、下らない用事(例えば、居のある熱海の消しゴムより、東京の丸善の消しゴムの方が消えるのですぐに家って来て欲しい)などと言い、作者を呼び寄せて、来ると消しゴムなどには、目もくれず仕事を命じるのだ。

  まるで、意地悪爺さんで、ほとんど他人の都合を意に介さない思い込み型な作家だったことがわかる。それでも、日常生活と世間に対する好奇心をまぜこぜにして小説に作り上げていくその想像力と観察力は見事だ。作者は編集者の立場から書いているので、事実に基づく客観的な視点から書いているのだが、それでも谷崎の人と作品の出来ていく秘密、作家の考え方などが垣間見えて、飽きない読み物に仕上がっている。


●OUT 桐野夏生:講談社:\2,000

 4人のそれぞれの人生を抱えた女達がいる。彼女らが一日に一度会うところがある。武蔵野の外れ、畑の中にぽつんと立った工場。24時間フル操業のコンビニ弁当工場だ。深夜12時から、朝6時が勤務時間だ。それぞれの人生を忘れて、夜勤をする。そこでは、ラインに沿って出来ていく食べ物と言うよりは工業製品。その無機質な、蛍光灯の下で行われている作業の細かい描写が気怠く印象的だ。

  夜明けと共に疲労した身体でそれぞれの家に帰るが、帰ったらまたそこで待っている別の疲労。無気力な夫、口を利かない高校中退の息子。ローン地獄。死に損ないの姑。ギャンブルと女に入れ込み貯金を食いつぶすダメ亭主。

  作者は、淡々と殺人事件を挟んで彼女たちの関係が変わっていくのを追いかける。見たくもない世界、それは現実にあり、日常とその境界線を私たちも歩いているということを嫌と言うほど丹念に描いている。 現にコンビニで弁当が山積みになり、それを買って食べている人間がいるのが日常のように、殺人と死体処理も同様に描かれる。どちらが狂気の世界なのか、読み進めていくうちに分からなくなっていく。

  ミステリと言う枠で書かれたために、どうしてもわざとらしさというかマッチョな部分が出てくるのだが、物語と設定の新鮮さで、社会派エンターテインメントの収穫であるといえる読みごたえがあります。
 


●この顔で悪いか! 伊東四朗:集英社:\1,400

 交友録と自伝で、へーという発見もありで拾いモンの一冊。

 高校は出たけど、就職が決まらず、アルバイト生活を3年もしていた、演劇青年は通い詰めていたストリップ劇場で、「ちょっと出てみない」で舞台に上がってそのまま仕事になっちゃったという始まりからしていい加減。てんぷくトリオで人気が出て、次のブレイクが電線マン。その後、ドラマ『ムー一族』や恐い顔の役(悪役、刑事)が増えたが、喜劇役者にこだわる伊東は、その後のTBSのドラマ、『ダブルキッチン』から、今のNHKの『お江戸でござる』で、喜劇役者をやっていると実感しているらしい。いつも、出ているイメージがあるが、結構長く続く番組に出ているのが多いのかも知れない。『笑って笑って60分』なんて、ずうとるびなんて覚えているかい?

  意外だったのが財津一郎とのつきあいが40年近くになるということだ。進駐軍まわりをしていて、スタンダード・ジャズ、ディキシーランドを唄っていたという。ちなみに伊東も唄が大好きで、森繁久弥の唄を本人より知ってるという。 伊東、財津のふたりがスタンダード・ジャズを唄うドラマがあったというのだが是非見たかったなあ。いまなかなかそんなスタンダードな芸が見られないからね。還暦を過ぎても元気な伊東四朗に新境地を期待!♪チュチュンがチュン、電線に…………


●シャレのち曇り 立川談四楼:文藝春秋:\1,500
 

 立川流真打、立川談四楼の自伝と落語協会脱会事件を軸に語られた、一方的なノンフィクション。立川談志が好きな人なら大笑い出来ます。落語協会を滅茶苦茶に貶しています。

  そもそも、落語協会事件は、真打昇進試験が原因だ。多すぎる二ツ目問題を解決しようとして始められたが、第一回試験で10人中、8人が受かり2人が落ちた。談四楼もその一人だった。落ちた2人は既にコンクールなどの受賞実績があり、何を基準に試験をしているとなると全然審査員の落語協会理事達はしどろもどろで、談四楼がキレる。報告を受けた談志もキレ、落語協会脱会となる。痛快なのは、理事の柳家小三治などぼろくそに書かれていたり、親分の理事長の小さんさえ、「理事でも噺の下手な奴はいる」とか発言したり無茶苦茶。円楽のことが全く書かれていないのは何か理由があるに違いないとボクはみている。試験でこぶ平が受かって、真打なんて考えられないよな。そんなに噺を持っているとは思えないもんな。

  事件と一緒に、入門から前座、二ツ目と変わっていく間の物語が語られる。以外に感じたのは、寄席と言うのには権威みたいなものはあるが、なかなか高座にあがることは出来ない。何故なら落語家が多すぎ、寄席が少なすぎるからだ。じゃあなんで稼ぐかというと、結婚披露宴の司会や、ラジオのレポーターの営業活動だというところだ。談志はマスコミ活動は、規制しないし煽っているくらいだ。ただ、真打になるには噺百覚えるのをノルマと課している。

  師匠の談志の粋な計らいが随所に見られ、格好良い。談四楼は二ツ目の時に独演会を開く。客席は、親が地元群馬からバスを仕立ててやってきて満席。自分の出番が終わると談志が袖で聴いていて、「声がデカいのは大変ケッコウ。現代はな、ボルテイジの高いビートの強い芸でないとまず保たんのだ。その点はクリヤーしてると言えるが、あの一本調子は何とかしろ。いいか、お前のはだたらに声が大きいんだ、少しは引くことも覚えな。つまり緩急だ、わかるか。オレが選挙に出た時、駅頭の客が泣きながら聴いてたろ。オレはあのとき人情噺をやったんだ。振り絞り、訴えるオレの声に客は泣いたんだ。これが感情移入だ。わかるな。それでいてオレの喉は楽だときている。まあ、そういう声帯のテクニックもあるというこった。ましてや寄席の客だ、甘いもんだ。 客を自在に操ってみろ、ゾクゾクするほどの快感を味わってみろ、これ覚えたらたまらんぞ。ま、感性の問題ではあるが、キャリアが解決することもある。お前も二ツ目だ、その辺のところを頭に置いて喋ってみろ。それから言うまでもないことだが、ネタだけは増やしておけ。それだけだ」と言い残して高座へと出る。なんともハード・ボイルドではないか。

  落語協会分裂については三遊亭円丈(今、、どこへいったの?)の『ご乱心』というのも別の角度から見ていて比較すると面白いかも知れない。読み終わると落語が聴きたくなること間違いなし。


●嗤う伊右衛門 京極夏彦:講談社:\1,900

 四世鶴谷南北が書いた、『東海道四谷怪談』はもともと、仮名手本忠臣蔵の裏バージョンとして書かれたひねくれた、南北の世界の集大成と読んで良いのだが、京極夏彦は、 現代人の論理からもう一度解体して、新しい物語を作り上げてしまった。

  原作を読んでいると余計分かるのだけども、読んでいなくても分かるようにしてある。そこが現代人の目を通して書かれた狂気の愛というか、論理が故に論理が通じない時代に生きるとどうなるのか、というほとんど、 歌舞伎の作り上げてある「情念」の概念を再構築させ、蘇らせているのには唸ってしまう。しかも、登場人物を変えないで物語を変えるという歌舞伎的な遊びもきちんとこなしている、そこに作者の稚気も感じられる。とにかく大した本です。脱帽の一言。

  これを、舞台でやることできないだろうか。考えただけでゾクゾクするね。
 
 


●兄弟 なかにし礼:文藝春秋:\1,619

 テレビドラマ化を楽しみにしている。兄はやはりビートたけし。うん、適役だ。

  特攻隊の生き残りで、祖母の家を担保にニシン漁の網を買い。見事にニシンを得るが、欲を出して運ぼうとして、シケの海に全てを捨ててしまい、借金で一家離散。次に合うときには米軍キャンプの通訳。そのあとは上京して訳の分からない事業に手を出し、潰した会社は10以上。家には帰らず、女のところに入り浸り。その頃、なかにし礼が歌謡曲で売れ始めると実印を持ち出し、借金三昧。結局億単位の借金は礼が返すことになる。

  これから先は書かないが、ノンフィクションならではの肉親の好憎悪の感情が入り乱れて行く様は背筋に寒いモノが走る。他人には決して分からない世界なのだろう。

  「兄貴、死んでくれて本当に、本当にありがとう」

 追記:テレビは可もなく不可もなくだった。
 


●東大オタキングゼミ 岡田斗司夫:自由国民社:\1,300

 岡田氏の東大ゼミシリーズの一番古いもの、半年間の講義録から出来ている。図版が多く載っているので分かりやすく企画書の枕に使えます。

 内容は「テーマパーク」、「インターネット」、「ゲーム」、「映画」、「マルチメディア」を解体・解説しています。プレイステーション発売前の時期なので、いまも使えるのは「テーマパーク」、「映画」、「マルチメディア」かな。映画の欄では制作費、興行収入がどう分配されているか書いてあり、なんでみんな映画に投資するかとか実際的なことが書いてあります。

 学生向けじゃない本です。エンターテイメント・ビジネスの入門書よりは為になります。
 
 


●<超>読書法 小林信彦:文藝春秋:\1,400
 

 本を読むのには、いろんな方法があるが著者は一貫して、寝ころんで面白い他人が取り上げない書評から漏れてしまうような本を読む。これは出来そうでなかなか出来ないことだ。このタイトルに騙されて読むと著者の気難しさに圧倒されるだろう。それが好きか嫌いかは好みが分かれるところだが、昔に比べると屈折の度合いが増して、映画、ラジオ等のサブカルチャーへの言及も減ったことは確かだ。それで、小説が面白くなっていればいうことはないんだけど。それは別の話として。

  今の時代では、一、二を争う書評家でもある。現物に当たって頂くのが一番良いのだが、章立てでいけば「<お稽古事>派批評の差別主義について」 で偏狭な純文学の枠に怒り「山下達郎からロッド・サーリングまで」で大滝詠一と一緒にコンサートを観るのを落語に見立てたり、「マニアックな映画本のマニアックな読み方」 でウディ・アレン研究本をスエーデン人が書いているのを読んで、「『マンハッタン殺人ミステリー』では、アレンがボブ・ホープのスタイル(芸風)で笑いをとろうとするのは歴然としている」。 とか分かる他人にしか分からないネタを披露していたり、『日本映画における外国映画の影響』(山本喜久男:早稲田大学出版部)で「エルンスト・ルビッチやフランク・キャプラが昭和初年の日本映画にいかに影響を与えたかがくわしく書いてある……先人たちのアメリカ映画からのアメリカ映画からの勉強ぶりはお見事というほかない」。他にも芸能から悪趣味ぎりぎりまでの本の紹介がぎっしり詰まっています。面白い本を読む目が養われます。


●極秘捜査 麻生幾:文藝春秋:\1,748

 サブタイトルに“警察・自衛隊の[対オウム事件ファイル]”とある。その通り、マスコミ側ではなく捜査当局側から見たオウム事件の記録である。

 オウム事件が興味半分以上の本気の作戦として、刑事部と公安部という犬猿の中の組織が初めて協力するなどかなり大がかりなものだったことがわかった。国に対する「テロ」として明らかに位置づけていたことがあれだけ過剰なまでの徹底的な作戦になったと言えるが。

 ただ、明らかになるにつれ尻つぼみになったことも確かだけど。警察では、オウムサティアン突入を5作戦(フジサンロクニオウムナク)と名付けていたのには苦笑した。
 


●負犬道 丸山昇一:幻冬舎:\1,600
 

 タイトルは、「まけんどう」と読む。作者の丸山昇一は、映画脚本家として特に、松田優作とのコンビのものも何本か作っているはずだ。興味のある人は、 『松田優作+丸山昇一 未発表シナリオ集』(幻冬舎アウトロー文庫)をお読み下さい。

  ハード・ボイルドながらどこかしょぼくれた人物を描かせると、シナリオだと生き生きとするのだが出来上がった映画の中にはあまり残らないのがこの人の評価の定まらないのとどこかクロスしている。日本でハード・ボイルド描けるのは崔洋一だけじゃないかな。

  さて、ストーリーは、映画の現場のフリーの製作主任、伊原啓一40才(いつも低予算でアクション映画専門)が尊敬する監督、高村道夫(この監督の経歴がすごい。アクション映画を職人的な手際で量産しながら、年に一本文芸映画を作る。若い頃、フランスに留学して帰国後、今は鎌倉に居を構える温厚な性格だが決して妥協しない強靭な男ととして描かれている)の妻と過ちを犯し、娘が出来てしまう。高村の妻は2才の子供を置き去りにして投身自殺する。お陰でプロダクションは出入り禁止。収入も断たれる。仕方なく、娘の宇威(うい)を連れて、知り合いの高円寺の中華料理屋の空き部屋に潜り込む。そこには、寡黙な老主人と口やかましい妻、20才の時駆け落ちしたが相手の男が事故で死んで戻ってきた手首に傷跡が残る、片足を引きずる26才の娘。長男は映画の世界に入り助監督を務めている。そんな明日も知れない伊原に、内密でプロダクションの社長から、探偵まがいの人捜しの仕事を依頼される。無論断れる身ではない。 人間のしがらみと映画と現れる伊原と同じような奴等。彼らとの交流から事件は解決していくがしがらみは深まるばかり、そんな苦い小説。ハード・ボイルドの構成としても良い出来です、あとは好み。


●ナベプロ帝国の興亡 軍司貞則:文藝春秋:\1,600
 

   かつて、日本最強の芸能プロダクションがあった。そのナベプロがどのようにして成り立ち、頂点を極めて全てのメディアをおさえたかを追ったノンフィクション。知らないうちにテレビ=芸能界=ナベプロという構図が出来ている人は、「シャボン玉ホリデー」世代だろう。ボクはどちらかというと、日本テレビ、ナベプロ全面戦争以降、「噂のチャンネル」がナベプロを降ろしたために作られた苦肉の策と知った、ここからタモリが出てくるのが、今の時代まで続いているんだろうなあと思う。

  どちらかというと、ワンマン経営のナベプロのやらなかったことで、成功しているプロダクションが反面教師にしている部分が面白い。芸能界初の月給制を考えたナベプロも、それだけでは売れなくなったことが分かっていった時代。ホリプロが株式上場したり、アミューズ(ナベプロ出身)がメディア・ミックスを仕掛けたり、松田聖子をCBSソニーが山口百恵の後釜に同じように売ろうとしたりしたなど逸話は面白い。あまり深いインタビューは取れていないが芸能界興亡を鳥瞰するには良い本だ。



●ナムアミダブツ 立川談志:光文社:\933
 

   家元が「カッパノベルズ」にまとめた天下の暴論。たけしも近頃、雑誌にゴチャゴチャ書いているが、元祖毒舌でホントに国会議員をやっちゃった人には所詮かないませんな。(その辺がたけしの限界でもあり、戦略でもあるんだけどね)。真面目な不良老人の正論?に溢れている一冊。げらげら笑いながら読めます。いわく「老人にピストル持たせて、悪ガキを撃たせろ!」など正しい暴論がつまってます。


●骨董市で家を買う 服部真澄 中央公論社:\1,400

 小生、幼少の頃から不動産広告のチラシを見て家の間取りをじっと研究しながら家の値段を当てるのが得意だったが、原田芳雄のエッセー集「B級パラダイス」にも同じようなエピソードが載っていて感銘を受けた覚えがある。しかし、バブル以降、値段がぐしゃぐしゃなのでもうそういう遊びはしていないのだが、東京に育った悲しい性だなあと思う。

  で、この本だが、そんなボクには滅茶苦茶面白い。作者は、品川に築80年くらいの焼け残りのボロ屋敷が付き土地があり、折角だから改築しよう。印税もあるので、好きに作りたいねと、骨董市に出掛ける。そこには、全国の廃屋、民家のカタログがあり、解体、材料を使って移築、新築をしているのだ。値段を聞いたとき、 「一軒250万円」で即決。福井の民家を選び、梁を活かした漆喰壁の家造りとなるが、作る方も勝手がなかなか分からず完成は延びに延びる。もともと養蚕していた家なので2階が低かったりする。というのを読んで、「これって、ログハウスじゃないのか」と思った。2階を吹き抜けにして部屋を作らないことで家が呼吸するのだ。

  完成した家の写真もなかなか風情あります。土地があれば、マンション一式の資金で良い家買えまっせ。
 


●逃げ出した秘宝 ドナルド・E・ウエストレイク:早川書房:660
 

   瑞花さん、渥美くん、ゴメン。ドートマンダー・シリーズで読んでないのがあった。不覚。ボクとしてはドートマンダーが出てくればいいので、内容は拘らない。(ということはあまり………………)。今回は、盗まない泥棒の話だからちょっとノリが悪いなあ。ドートマンダーが市警、FBI、テロリスト、NY中の悪党に追い回されるのは面白いアイディアなんだけどな。というところでご勘弁。


●野球人 落合博満:ベースボールマガジン社:\1,400

 彼のインタビューは、はまった時は大変面白い。基本的に正論を吐くのだが、その行為が野球界では大騒ぎになるのが良かった。特に球界OBとの技術論、調整法の言い合いや、解説者時代の野村克也批判、ヤクルトの故松園オーナーとの低レベルと言えば低レベルの争いは楽しませて頂いた物である。引退後でも 「村田兆治以外のピッチャーは同チームでも敵だ!奴等俺のライバルにあっさり打たれるから。大体俺はピッチャーが嫌いなんだよね。」なんてテッド・ウイリアムズ張りの名発言があった。

  で、この本だが、「日本では旧野球人の書いた本に面白いのは無い。」と言うジンクスを破れなかった。落合、お前もか。私みたいにまっとうな野球ファンが、¥1,400−(+税)も出して読んだのだから、とやかく言う資格は有ると思う。こっちは一生懸命野球本からネタを拾おうと日夜本屋で努力しているのだから。

  先程のジンクスに当てはまらないと私が勝手に考えているのが豊田泰光と、大下 弘、ウォーレン・クロマティ、レジー・スミス。後半二人はアメリカ人だけど、別に外人枠が有る訳ではないし。後、河村英文の「西鉄ライオンズ 最強軍団の秘密」は大変面白かった。こう見ると、西鉄OBはグラウンドから離れても文化人として通用している人が多いなあ。巨人OBはどこへ行った?

(森山)


●宣戦布告(上)(下) 麻生幾:講談社:各\1,600

 夜明けの若狭湾、そこに北朝鮮の潜水艦が打ち上げられていた。乗組員は全員上陸した後だ。彼ら11人の特殊部隊はロケット砲を始めとする重装備で若狭国立公園の森の中に潜んでいる。その近くには、「もんじゅ」を始めとする原子力発電所が3基。彼らの目標は原発か?

  情報を受け、数時間後、諸橋内閣は警察の特殊部隊の投入を決める。しかし、北朝鮮の特殊部隊の前に無惨に破れる。残るは自衛隊しかないのか。この世界有数の装備を持つ軍隊は、最高指揮官総理大臣の命令があっても、戦車一台、銃弾一発撃つことが出来ない。そういう法律なのだ。舞台は霞ヶ関の官僚と、敦賀の現場をカットバックで描写しながら、 物凄いリアルなポリティカルアクションとして書かれている。面白いと思いながら、背筋が寒くなる本だ。はっきり言って、どうしたら自衛隊が出動できるのか、それがどれだけアジアに不均衡をもたらすかを書いたシュミレーションなのだ。

  実際、韓国に潜水艇が上陸しようとしたり、日米安保問題が非常にキナ臭いし、もしこんなことが起きたら自衛隊が軍事行動を取るときに自分はどういう意見を持つのだろうとか、考えてしまった。現実は考えているよりも、進んでいるんじゃないかな。

  2月号の『文藝春秋』の亡命した黄氏の「金正日への宣戦布告」も併せて必読。
 


●息子ジェフリー・ダーマーとの日々 ライオネル・ダーマー:早川書房:\1,600
 

 ミルウオーキーで17人を殺して、死姦、食人、頭部コレクションなどしていた大量殺人鬼、ジェフリー・ダーマーの父親が、息子の誕生から刑務所に入った息子に面会するまで、その間に何が起こったかを内省的に綴ったもの。(ちなみにジェフリーは服役中に刑務所内で撲殺された)。

 被害者側からのアプローチは多いが、父親自身が書いてあるものが売名行為ではなく内面に重きを置かれたものは少ないのではないか。とはいっても決定的な事件、印象的な出来事は何も描かれない。息子が少しづつここで壊れていったのではないかと冷静に自問している。ただ、 父親自身が持つ内気で内に秘めた衝動を少しづつ露わにしていくところが、スリリングだ。しかし父親は科学者(研究員)らしく最後まで、遺伝子の問題とか、妻の睡眠薬の常用に遠因があるのではないかと書いている。

  我々が見る、アメリカ人のイメージから遠く、内面をほとんど明らかにしない父親。中流階級に育ちながら殺人鬼になってしまう自分の息子に対して、膜がかかったような距離の置き方が父親自身に取って普通であり理性的であり、父親として自己を肯定する方法だったのだろう。

  『心臓貫かれて』が、アメリカン・ゴシックの系譜に連なるノン・フィクションだとしたら、本書は“黄金の50年代・アメリカンファミリー”のネガの部分、TVドラマに代表される、『ソープ・オペラ』のパロディに近づいたものではないか。非常に殺菌された透明感があり、『ブルー・ベルベット』の世界があり、それが逆に、ゾッとさせられる本です。


●別冊宝島  投稿する人々 宝島社:\933

 誰もが、何か書きたい病にはまっている。訳の分からない善意の、自己主張が投稿という形として現れる。それは何なんだろうね。

 コミュニケーションが云々とか、訳のわからんことはコメンテーターと言われる人間に任せとけばよいのだが、 結局は媒体の上で遊ぶことに過ぎないのではないだろうか。そこに編集者がシンパシーを感じることによってメディアにスイッチが入って、投稿という機能が働き出す。一種の磁場を生み出すことだと思う。そこに我も我も投稿してくるのは、一銭にもならないことであり、顕示欲かも知れないが(これは否定する人もいるだろう)遮断されている充実しているように見える世界が脆く、実はひとりひとりはちっとも個性的でないということの露呈でしかないと思う。一般論過ぎる答えかな。

 ただ、投稿することが目的になったら止めた方がいい。それは、自らが“サイレント・マイノリティー”から“サイレント・マジョリティー”に変質してしまうことだから。ネットの危うさでもあるんだけどね、それは。


●屈辱ポンチ 町田康:文藝春秋:\1,143

 「けものがれ、俺らの猿と」「屈辱ポンチ」の2本立てである。町田 康は、無頼派の人なのかと思ったけど、これを読むと実はとんでもない、泉鏡花もびっくりの幻想(妄想)作家でもあることがわかる。

  「けものがれ、俺らの猿と」は妻が突然、イギリスに留学してしまったシナリオライターのところに、老人の死にかけのかつて名作を作った映画プロヂューサーが現れ、社会派とバイオレンスアクションの混じったような破天荒なシナリオを依頼する。妻の父から借りているボロ家に住む金に困っている作家はこれを幸いに、シナリオハンティング(取材)に出掛けるが、その先々でトラブルに巻き込まれ、それが普通では考えられないような不条理な出来事ばかりで、高慢ちきな本屋の店員に嫌がらせをしてやろうと大声を出すと警備員にぼこぼこにされ、ホームレスのいる空き地に捨てられたりするとか、たまたま行った祭りで喧嘩に巻き込まれるなどが起きる。巻き込まれる理由も主人公の妄想と不条理が一体となった物で読んでいる方は、 そのおかしさにげらげら笑って読むしかない。

  主人公は気が短い割には優柔不断で、酒を呑んでしまうともうどうでも良くなり全てその場の状況を受け入れて(自分の都合の良く解釈して)、またそれがトラブルを呼ぶという、町田作品に出てくる共通した性格の持ち主。金には細かくないが、やたらこだわったり、家に得体の知れない昆虫が住み着きそれとの攻防戦が延々と書かれたりして、どこまで妄想の世界なのか現実の世界なのか分からなくなっていく混乱がやたらおかしい。この想像力には脱帽だ。

  「屈辱ポンチ」は売れないパンクバンドのリーダーが、知り合いのフリーライターの家に酒をたかりに行くと、ある男への嫌がらせを依頼される。翌日、男は姿を消し、フリーライターの手伝いをしている頼りない奴が現れ、20万円で嫌がらせをするように言われたという。それから、金の続く限り、くだらない嫌がらせを考えては失敗して、それでも他にやることもないしとだらだらと不条理な見たことも縁もゆかりもない人物への嫌がらせを続ける、間の抜けた話だが、 細部のばかばかしさが悲しいとは違う、哀しさがあって他の人には書けない雰囲気がある。一気に読むのにちょうど良い長さの中編集です。
 


●三日やったらやめられない 篠田節子:幻冬舎:\1,500

 作家のエッセーは、サービス精神が多いものと、そうでないただ再録したものを編集して出すものがあるが、これは後者の方。八王子に住む、元公務員、朝日カルチャースクールで学び、作家としてデビューして直木賞を取るまでのことと身の回りのことについて書いてあるだけ。

  面白かったのが、小説を書くことと小説を志すことは違うという視点だ。カルチャースクールで教えられたのが、「原稿の〆切を守れ」ということで、小説を書くことは、意に沿わないジャンルのものでも架空戦記でもジュニア小説でも書くことであり、悩んで書けない、温泉に逗留して放浪する坂口安吾などは「あれは小説家じゃない」と言う。 そういう考えの小説家が出る時代になったのかねえ。


●グリーン・マイル スティーブン・キング:新潮社
 1 ふたりの少女の死:\440  2 死刑囚と鼠:\440  3 コーフィーの手:\419  4 ドラクロアの悲惨な死:\419  5 夜の果てへの旅:\419  6 闇の彼方へ:\419

 “私は恐るべき真実を悟ったーー救済と呪いのあいだには、本質的なちがいなどなにひとつありはしない、と。”

  この言葉が「グリーン・マイル」の全てであり読者はたどり着くまでの長く暗い旅をするのだ。それは、読書の本質的な快感。ドキドキするようなだけではなく、深い洞察と運命に翻弄される人々の姿。善悪の違いが力を持っていた時代。いささか19世紀じみるが、大向こうどころを唸らせる 傑作が書かれたと思う。

  グリーン・マイルとは死刑囚が収容されている棟に敷き詰められた緑色のリノリウム。人生の最後の時を迎える囚人は必ずそこを通るのだ。物語は大恐慌の時代にそこで主任を勤めた男の回想の形で進められる。そこで起きる出来事、囚人達、看守達の話だ。でも一筋縄ではいかない、小説作法、伏線なにをとっても欠けているところはない。 ただ読書の快楽に身を委ねることが出来る。

  ただ全体を流れるペシミスティックな雰囲気が馴染めない人、19世紀の小説の読めない人、DWグリフィスの映画が苦手な人には不向きかも知れない。ここには、お馴染みのキングの世界は見えない。分冊という形式に惑わされずに読むと何かが残るはずだ。キングも上手くなったと言うより、遠くまで来たなあと思った。
 


●突破者それから 宮崎学:徳間書店\1,600

 80年代中期から90年代初頭まで、バブル経済が日本を襲った。ようするに金あまりでその金を、全部土地購入代に回したために、土地が高騰して、街がボロボロになって、風景が一変してしまった時代だ。

  そんな時代を突破者はどう生きたか。「どうせ、生きてるなら面白いギャンブルしてやろう」それがこの男の行動原理であり、美学であった。やるかやられるか、その勝負に賭ける場に自ら突入していった。いわゆる「地上げ」だ。

  ここでは、神保町の東洋キネマ跡地、群馬のゴルフ場建設地、そしてそれに携わったバブル弁護士のすさまじい守銭奴ぶりが描かれている。日本中が狂乱して価値観が全ておかしくなってしまう様子が億単位の現金が飛び交う世界の修羅場の勝負を金の多寡じゃなく、勝つか負けるかの視点から書いているから陰湿にならない。こういう現実があったし、みんなが乗ったバブルの時代。そんな現実の前に大抵の小説は吹っ飛びますから。滅茶苦茶面白い。日本人の姿が見えてきます。
 


●天才伝説 横山やすし 小林信彦:文芸春秋\1,429

 やすしきよしはMANZAIブームの時には既に別格の存在、扱いであったことは覚えている。そのあと、芸能賞を総なめにして押しも押されぬ昭和の名漫才コンビとして語り継がれようとしていた時代、作者、小林信彦の 『唐獅子株式会社』の映画化の話が持ち上がった。

  本書はその時期に個人的に係わった(係わらざるを得なかった理由も含めて)いきさつを通して横山やすしという男を描いている。この早熟の天才肌の人生は勝負事、勝つか負けるかしかないという、異常なテンションとコンプレックスに付き合っていく様子を抑えた筆で丹念に追っている。

  ボクが興味があり、面白いと思うのは、どちらかというと横山やすしよりも小林信彦の方だ。映画の見方、芸の見方、粋さを本を通して教えてくれた存在であったが、近年の小説はことごとくダメになっていた。週刊文春に掲載された本書は、小林の丹念なメモを元にしている。映画に対して直感的な批評センスを持っている小林は同時に邦画に対しては、不信感を持っている。著作にある『われわれはなぜ映画館にいるのか』を改題した『( 書名失念) 』(早川書店)に前田陽一監督と組んでシナリオに参加した『進めジャガーズ、敵前上陸』のメイキングを読めば、ここまで執念深く何が起こり、映画が上手く行かなくなるのかが克明に書かれている。そこには、映画に対するアンビバレンツな感情が出ているのがよく分かるが、本書でも同じようなことが再びここまで書くかね、まるで偏執狂のアリバイ証明だというほど時系列に沿って書かれている。そこまでする必要があるのか、そうしないと横山やすしについて書けないのかというところに、作者の焦りのような感情を感じるのはボクだけだろうか。書き急いでいる印象が拭えないのだ。

  確かに本書が面白く、やすしについて(芸人について)書かれたものでは、最上のものの一つであることを認めるには吝かではないが、小林信彦自身、自分を追い込んでしまっているような印象を受ける。それは本書の評価とは全く関係ないのだが、気難しい老人の作家として書き続けていくのだろうか。そこが彼のギリギリのセンチメンタリズムを抜いた頑固な書き方(生き様)でもあるのだけど。
 


●せどり男爵数奇譚 梶山季之:夏目書房\1,400
 

 今となってはほとんど、忘れられた作家になってしまった感があるというか、本が手に入らない梶山氏の不思議な中編連作集。せどり男爵と呼ばれる古本屋の主人を通して、古本の世界に生息する人々のどこまでが実話であるか分からないとんでもない初版本の手に入れ方とか、古書の見分け方が主人公を通じて語られる。1974年の作で古い部分もあるけど、京極夏彦や紀田順一郎の古本屋探偵もの(創元社)が好きな人にはたまらん本です。


●ヴェテラン 海老沢泰久:文芸春秋\1,200

 野球選手の寿命は短い。その短い時間の中でも30歳を過ぎるといつの間にかヴェテランと呼ばれる存在になってしまう。ここで、選手は考える。「このまま、目立たず、怪我をせず生き残り、引退後はコーチとなってまたは、解説者になって過ごしていこう」と生活者として考える選手。それとは逆に 「一瞬の爆発を求めて自分が何者かであることを証明して記憶に残る」ために戦う男達もいる。

  本書に取り上げられた選手は、雑誌Numberに掲載されていたときはまだ現役だったけど、今は引退している。西本 聖、平野 謙、石嶺 和彦、牛島 和彦、古屋 英夫、高橋 慶彦。いずれも我々にいずれ劣らぬ目に焼き付いて離れないプレーを見せてくれたユニホーム姿は忘れられない。取り上げられたすべての選手がトレードに出され、似合わないユニホームに馴染めずに現役を退いてもあの勇姿を忘れることはできない。それこそがプロ野球の醍醐味ではないだろうか。ベテラン選手はそれを教えてくれる。そして、グランドには9人の選手しか残れない過酷さも。作者は抑えた筆で淡々とその模様を彼らの言葉を借りて描く。同作者の 『監督』も必読。ライオンズの広岡をモデルとしているのだが、泣けるんだなこれがモデル小説と分かっていても。


●拳銃天国ニッポン 佐久間哲:同朋社\1,600

 旧ソ連が作り上げた軍用拳銃、トカレフ。破壊力は、至近距離では防弾チョッキも役にならないほどの殺傷能力をもつ。いまでは、中国製の人民解放軍の星印のついた黒と銀の2種類が主に日本中に出回っているらしい。相場も40万〜150万(弾丸付き)とあるらしく、組織暴力団構成員全員に一丁はある計算らしい。

  本書は、裁判傍聴記から事件を掘り起こしていく。覚えている人も多いだろう、病院の医師が患者に狙撃された事件。精神不安定な被告が暴力団事務所に行き、直接拳銃を買って、ラッシュ時の駅構内で発射したという事実。拳銃事件の裁判の記録を見ていくと、手を尽くせば拳銃は手に入り(値段は別だが)、短絡的に人を脅す、金を取るという犯罪がご近所的に日常の延長線上に起きているところに衝撃を受ける。身近な犯罪の一つの方法になっているのが印象的だった。この分じゃ、拳銃を持っている高校生、アンちゃんなんか結構いるんじゃないの。ただ日本人同士に拳銃を向ける習慣が無いからそれがかろうじて抑止力になっているような気がする。単なる凶器のひとつとして浮上するのは時間の問題だろう。そんな事件もおきるだろう。


●ゼニの幸福論 青木雄二:角川春樹事務所\1,200

 『ナニワ金融道』で大儲けした作者が語る。ゼニがあっての幸福や、という至って正論、ただし誰も言わなかったアブナイ本。ビートたけしもそこまでは言わないが、この作者、いまのところ仕事する気ないので言いたい放題である。ゼニのない奴はいつまでたってもゼニはできん。と言い切る明快さ。それは日本のシステムがおかしいんだ。だからこんなもんぶっこわれちまえばいいんだ。幸福について考えたかったらまずゼニのこと考えんとアカン。その反対はないと話は、「観念論」と「唯物論」へと飛んでいく。と言っても講演なんかでいっている内容らしく難しいことは言ってない。新興宗教すれすれである。結論は自分でゼニを勝ち取れ。おかしいことは変だと言え、そうしないと何も変わらん、と至極まともな内容。
 


●破線のマリス 野沢尚:講談社\1,500

 テレビドラマ『眠れぬ森』を書いた脚本家、野沢尚の江戸川乱歩賞受賞作品。

  舞台は、あるテレビ局。「ニュースステーション」を思わせる、ニュースショーのワン・コーナー『事件検証』の5分のVTRをつなぐ女性編集マンが主人公。彼女の編集は、さりげなく客観を越えた、主観の入った確信犯的な編集をするのだが、それが番組の視聴率アップや、社会への反響も大きいので誰も何も言えない。ある日、見知らぬ男から一人の郵政官僚の汚職、殺人の隠し撮りしたVTRを渡される。彼女はそこに映された映像を観て、官僚の殺人犯説を取り、ニュースで流す。しかし、VTRは偽物だった。官僚は何の取り柄もない小役人でしかなかった。そこから、二人の運命が転がるように崩れていく。

  一見、社会派推理だが、サスペンスや主人公の心理描写に重点が置かれているので飽きさせない。現場に行かない編集マンによって映像が構築され誰もチェックせずに、放送にのることは、ないとはいえない。 ニュースが如何に主観を含んだ恣意的なモノか作者はよく知っている。ドラマの脚本家が敢えてこのような題材を選んだことが興味深い。


●カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」 佐野眞一:日経BP社\1,900

 これはダイエーの中内功の半生と戦後日本の消費社会をオーバーラップさせた構成で出来ている。

  神戸に生まれ、文学青年だった青年はフィリピンで餓死寸前の壮絶な体験をして帰還する。戦後、神戸の小さな薬局を皮切りに、「大栄薬局」を開き、「主婦の店・ダイエー」と発展させていく。その攻撃的な商売に執念とも妄想とも思える過程を見る。

  独占欲が強く、人を信じず、勘だけで商売をしてきた中内は4人の兄弟とも決裂する。その模様は、劣等感とも私怨ともつかない不気味なものを感じる。対して、自分の血を引く子供たちにダイエーを継がせる世襲制を引こうとする、矛盾に満ちた性格の持ち主でもある。

  著者は、その様子や中内ファミリーの持つファミリーカンパニーを暴き出し、警告をする。日本を代表するスーパー、ダイエーは今瀕死の象だと。このままでは遅かれ早かれ死んでしまうと。戦後消費社会が生み出したカリスマとしての中内の魅力と、そのアンビバレンツさは、そのまま戦後の縮図にも繋がる。不況の中、業績が上がるイトーヨーカドーとどこが違うのか。 答えはこれから出るのだと思うが、流通業という世界に生きた男たちのルポルタージュとして読みごたえはある。


●夢ビデオ 渡辺浩弐:アスキー\1,000

 別に、読んだモノについて全部書く必要はまるでないのだが、私的な日記として御勘如頂きたい。

  最新テクノロジーとそれに合わせたショートショートの組み合わせた連作集なのだが、どうして未だに未来を描こうとすると、星新一のように、真鍋博のイラストの入った朝日新聞、正月特別版21世紀はこうなる的な世界からどうしても抜け出せないのだろうか。そこに描かれているのは暗い未来の図なのだが、カタストロフィーとは無縁の少年ドラマシリーズのような世界、手塚、藤子Fの世界なのだ。つまり日常は20世紀なのだ。

 サイバーパンクが描く世界の中で現実的に日本人は21世紀に向かう準備はまだ出来ていないのではないだろうか。その覚悟が出来ているとは思えない。ま、状況は世紀末だからね。どうも“新世紀”というキーワードをだすとセーシンセカイに行ってしまいがちな気がする。覚悟を避け現世利益を追求するとそうなるんだろうなあ。この続きは別の形でフォローしますわ。
 


●酔人・田辺茂一伝 立川談志:講談社\1,500
 

 紀伊国屋書店の社長だった。田辺氏の鞄持ちとして、夜の盛り場をうろちょろしていた、若き日の談志とその回りの人々のエピソード。田辺氏については何にも分からないけど、独特の語り口調で何となく読んでしまう。注釈に出てくる、昭和の文人たちの名前は今も通用するのかねえ。文庫本もでてないし。梶山季之とか結城昌治を知ってる?


●シングル・デイズ 川本三郎:リクルート出版\1,200
 

 バブルの頃、東京論が出始めた88年の書。何となく借りたけど、この人くらい変わらずに淡々と個独(誤字ではない)について、書いている人はいないのではないか。個独の優雅さ創造性、またそれと一対のからっぽの感受性と名付けた寒々とした風景、地上げ前夜を描いている。まあ言いようによっては同じことを延々とこだわって書いている人とも言えそうだ。私は、嫌いじゃないですよ。


●コレデオシマイ。 山田風太郎:角川春樹事務所\1,800

 天才作家山田風太郎先生のインタビュー集。関川夏央のは、インタビュアーの思い入れが鼻についたのでいやだったが、これは、何の衒いも無く、様々なことについて書いている。

  書くことに全くストレスが無いとか、好きなことをしているより、嫌なことをしないのが良いなど。風太郎ワールドの真骨頂ここにありと思える台詞が心地よくポンポンと出てくる。ファンは必読。個人的には、もう明治モノを書かないのかなあと思う。
 


●Dブリッジ・テープ 沙藤一樹:角川書店\1,000

 97年日本ホラー小説大賞短編賞作品。未来の廃棄物置き場となったDブリッジに残されたテープを再生する。その描写のグロさを読む小説。残酷はスティーブン・キングの短編と橋の描写はウイリアム・ギブソンの影響がある。
 
 


●殺す J・G・バラード:東京創元社\1,300


今から10年前に書かれた作品。数年前に福武書店が出そうとしたけどポシャった経緯があるらしい。まあ、当時この内容では無理だったろうな。それがなぜ、今出たか。

  ストーリーは、ロンドン郊外のエリートが住む24時間セキュリティに守られた超高級住宅地。ある朝、大人達全員32人が殺され子ども達13人が誘拐される。 なぜ、誰が、どうして、が精神分析医の目を通して次第に明らかになって行く。たぶん、今の日本ではもう結末は分かるだろう。酒鬼薔薇クン、ね。

  バラードは常に予言的なSFを書き、もはやそれはSFとは言えないんじゃないかとも思う。『クラッシュ』(ベヨルト工房)、 『第三次世界大戦秘話』(福武文庫)、『ハイ・ライズ』(早川文庫)らが、今手に入りやすいものだ。いずれも、全く古びてないし、まさに今を描き切っている。その着眼点には唸らされる。こう言うのが小説の想像力だと思うのですが如何なものでしょうか。でもSFだからと言われちゃうんだろうな、きっと。始めは取っつきにくいがいずれは逃れられなくなる、バラード・ワールドお試しあれ。


●トンデモ世紀末の大暴露 と学会:イーハトーヴ出版\1,300

 読んでも役に立たないし、時間の無駄遣いであるし、知ってても自慢にもならない。人からも褒められない。合い言葉は「だあって、オモシロイじゃないかよ」そんなトンデモ本やグッツを紹介すると学会の例会を口述体で綴ったのが本書。これを読んで脳味噌のどこら辺が痺れるかによってお互いの人間性と本性、氏素性を知る リトマス試験紙にもなるというオソロシイシロモノでもある。

  ちなみに97年度、日本トンデモ本大賞にノミネートされたのが『霊界と天上界の大真実』、『巨大惑星は全ての地震の原因だった』、『宇宙人遭遇への扉』、『宇宙人大図鑑』、『発情期ブルマ検査』。さて大賞は、読んでのお楽しみです。

  こういう本気の冗談って大好きなんだけど、言葉上の分類で言えば同じ分野になる『ウルトラマン研究本序説』や柳田理科雄の『空想科学読本』とかには反応を示せないんだよね。嫌悪感すらいだいてしまう。こんなことはどこかに愛すべきジョークなんだから楽しもうよ。しかたねえなあこのヲタク野郎はよ、って笑えるところがないと冗談も論争も成り立たないと思う。ま、騙されて騙されて、授業料払って目利きが少しはできるようになったら笑って楽しめるようになるんじゃないの。 この本は読み手を選びます。


●いざとなりゃ本ぐらい読むわよ 高橋源一郎:朝日新聞社\1,400

 高橋源一郎先生の啓蒙シリーズ第何段目か。今回は競馬の予想の合間に書いたらしく、第一作目の『文学がこんなにわかっていいのかしら』 のようなあらまこんな読みとり方もありなの的な衝撃は無いが、手堅い読書案内エッセーとして仕上がっている。惜しむらくはこれを読んで本屋に飛んで行こうと言う気にはならないことだ。取り上げている本の多くが“面白い”と言われている話題の本が多いのが難点だということだけどね。真面目に 最近の話題の本を読書したい人は読んでね。そうでない人は………………(上へ)。
 


●これは恋ではない 小西康陽のコラム1984-1996 小西康陽:幻冬舎\2,200

 日本の歌謡曲の水準を一気に上げ続ける『ピチカート・ファイブ』の小西康陽が書いた、音楽と映画の本。これはお得な一冊です。
  レコーディングスタジオにゴダールのビデオを持ち込みBGVとして流したりする男でもあり、桜田淳子のベストセレクションテープにはまる男でもある。自分がなんでピチカートファイブのボーカリストの野宮真貴でないかを悩んだりして。
  書かれたコラム、全てが60年代映画のワンシーンのように見えながらも、輝きを失わずに格好良く見える、このセンスがよいのです。
  『右側に気をつけろ』で(映画青年だけではなくて、デザイナーも編集者もミュージシャンもみな一度は「ゴダールみたいに」作ってみたいのに、うまくいかない。そして今度も「やられちゃった」り、「俺は次にこういうのを作ろうと思っていた」りさせる映画)。
  何とも明快じゃないか。………ソウカ彼はこういう風にして今の彼にナッテいるんだと分かります。
 


●未来地球からのメール エスター・ダイソン:集英社\2,940

 今や誰もがデジタルな未来について語るが、語ったその場で言葉は古くなり3カ月で昔の話になってしまう。そんな中、未来学者でもないコンサルタントである著者が描こうとする未来図はバラ色でもなく 地に足が付いている言葉で書いてある感じがする。
  かなり広く抽象的にしているのと、遥か未来から見ているために分かりにくいところもあるが、デジタルな未来について重要なことがなにかを語りかけている。
  それは決して金儲けの手段についてではなく、生活がどう変わっていくか人間がどう変わっていくかである。本書は今はあまり価値が無いが数年後に価値が出てくる と思われる。機械的短絡的な未来予想図ではなく、21世紀の一人一人の生活について書かれています。
 


●32台のキャデラック ジョー・ゴアス:福武文庫\857
 

 アメリカのジプシーの王が倒れ、高齢のためにその後継者を選ぶために全米のジプシーが捧げものとして32台のキャデラックを盗む。そんな荒唐無稽な設定 に立ち向かうのが、お懐かしいDKAの面々だ。サンフランシスコに本部を持つ私立探偵事務所『ダン・カーニー・アソシエイツ』の個性豊かなしたたかな探偵達の活躍。探偵と言っても彼らは、殺人事件を扱うハードボイルドな展開はなく、銀行からの依頼で、車の(アメリカ人のステイタスシンボル)ローンを滞納している奴らから強制的に合法的にと言いながら半ば強引に口八丁手八丁で車を回収するのを専門にしている“リポマン”なのだ。

  作者は今回、このとんでもないプロットを見事にこなしながら、肩の力を抜いて大いなるユーモアを持って全体を包んでくれる。なんていうかアメリカのほら話に近いな。読んでいてニヤニヤと笑いが絶えない、読み終えるのが勿体無い一冊。お馴染みのキャラクターが回収と事件の謎(といっても大したことじゃないけど)を解決するスケッチの積み重ねの一つ一つのエピソードが冴えている。痛快だ。ジョー・ゴアスにこんなにユーモアがあったのかと思うくらい面白い。DKAシリーズを読んでいない人は、そう、正月休み読むのにちょうど良いんじゃない。まず短編集 『ダン・カーニー探偵事務所』(新潮文庫)を読んでからとりかかるのが良いでしょう。ミステリーとして読まなくてエンターテインメント小説としてお薦めします。


●定年ゴジラ 重松清:講談社\1,800

 定年を迎えた、かつての猛烈サラリーマンは何をすればよいのだ。新宿から電車で2時間の「くぬぎ台ニュータウン」では散歩をしても駅前にはパチンコ屋もないし、喫茶店もない。見えるのは家、家、家ばかり。

  今から30年前に越してきて、いつの間にか子供たちは独立して、そこには今まで深く考えたことのない生活と退屈という事実が待ちかまえていた。そんな山崎さん一家と散歩仲間の町内会長、若い頃は転勤ばかりしていて話しているといろんな方言が飛び出す野村さん。この町を設計した藤田さん。みんな同じ様なでも微妙に違うそれぞれの生活とちょっとした事件をもっている。そんな淡々とした物語。作者は1963年生まれ。あまり読んだことのない本です。 でも紛れもない今のオハナシなのです。なかなか良い話です。

  それをちょっと小津映画風にしたのが神吉拓郎の『フツーの家族』(新潮文庫)です。こちらはほのぼの系短編連作です。


●奴らは渇いている ロバート・R・マキャモン:扶桑社文庫(上)\680(下)\640
 

 ロサンゼルスに吸血鬼の王子が現れて、都市が壊滅していくのに、4人の半端者が立ち向かう。そんなモダンホラーです。スティーブン・キングの 『呪われた町』とどこが違うというと、違いません。同じです。でも、こんな小説が好きです。言い訳はしません。長編エンターテインメントを書ける作家は少ないのです。
 


●アダルトビデオ 村西とおるとその時代 本橋信宏:飛鳥新社:\1,700

 あの狂乱のバブルの時期に呼応したレンタルビデオ、アダルトビデオの勃興の時代があった。今は、男達の記憶の隅にしか残ってなく、記録もビデオの存在も定かではない。
  本書は前述した『裏本時代』の続編にあたる。この本には期待される猥雑さ、エロさはほとんどなく、かと言って過剰なセンチメンタリズムという視点でもなく、ただただ流されていく主人公と、対称的に自分が破裂してしまうまでがむしゃらに突き進んでいった「ナイスですね」で一世を風靡した村西とおるという男が描かれている。
  そこには、エネルギッシュであるがゆえに虚しいというバブルの時代を反映した姿が伝説でなく等身大で現れている。これを読むとあの時代が甦り、村西とおると、麻原彰光と、どこぞのバブル成金の社長はどこが違っていたのか。日本中が発情していたんではないかと思わせる証言に満ち溢れている。
  この時代を乗り切った者はほとんどいないだろう、あとは死屍累々。今の風俗、援交の時代が一方にあって、もう一方では、『AV女優』がNHKでドラマ化されるらしいという捻れた構造になってきている。ただ、あのお祭り騒ぎだった時代に目を瞑って無かったことにして、センチメンタルに性風俗を語ろうとしても、今という時代は捉えられないだろう。ただ人は今の時代を納得できる物語を欲しているだけなのだ。
  その意味では、貴重な時代のクロニクルである。まあ『顔面シャワー』の元祖だったとか、元フォーリーブスの北公次にジャニーズの暴露本を書かせた のも村西とおるだったとか面白いエピソードも出てきます。
  やっぱり、現場にいた人でしか書けなかった本だと思う。村西とおるがいなかったらAVがここまで、浸透したかも疑問だ。その意味では偉大な存在なのだろう。今の可愛い顔のAV女優(?)について、ホントかウソか分からないオハナシを聞くよりは真実の強さが、一枚裏の脆さが見えます。日本版の 『ブギー・ナイト』だぜ、これは。
 


●マイン  ロバート・R・マッキャモン:文春文庫:(上)(下)\550

 80年代にヤッピーになった者と、ピッピーを引きずった者。一方は、マネーゲームに興じる夫の貞淑な妻として子どもを産もうとしている女。一方は身分を隠し、未だに「ドアーズ」を聞き、バーガーキングのウエイトレスして来るべきブルジョアせん滅の指令を待つ女。今となっては何の接点もあるはず無い二人が関わり合いを持つようになるのは、赤ん坊の誘拐。
 かつての同志の子どもを死産してしまい、いつかは彼の元に子どもを連れてあの70年代を再現しようと憑りつかれた女は、生まれたばかりの赤ん坊を連れ去る。そして偶然見つけた「ローリング・ストーン」誌の読書欄の暗号に答えて、アメリカ大陸を横断する。一方、子どもを奪われた母親は、 人殺しのプロたる女を追いかけハイウエイを疾走する。ただただ、その描写が圧巻。説教臭いところもマッチョなところなく、淡々と描くサスペンスの連続と構成のうまさはスティーブン・キング以上を約束します。(褒め過ぎかなあ)
 
 


●外道の群れ 責め絵師・伊藤晴雨伝  団鬼六:幻冬社アウトロー文庫:\495
 

 団鬼六の文章は、闊達として滅滅とせず、的確になにものにもおもねずに書く。そんな肩から力の抜けた文章とユーモアを持って、ぐいぐいと読み手を引きつける。そう、山田風太郎のように軽やかに大嘘を書ける貴重な作家である。大衆文学という懐かしい響きを思い起こしてくれる書き手だ。
  本書も、責め絵師、伊藤晴雨と、同じモデルを竹久夢二と取り合う(あの代表作『黒船屋』のお葉)の鞘当てに大杉栄の日陰茶屋事件が交差したり、事件の発端が晴雨の言にあるような面白く書かれていて、ばかばかしさ(ユーモアとはちょっと異質な)人間って仕方ないねえとおおらかに描かれて少しも陰気にならない。不遇の天才棋士 『真剣師 小池重明』の悲惨なエピソードも、団の自伝の『蛇のみちは』も同じトーンで描かれその透明なあっけらかんとした文体がぐいぐいと読む者を引きつけて止まない。これだけ色気のあって具体的な描写が出来る作家は少ない。


●ファイティング寿限無  立川談四楼:新潮社:\1,500

 これは、今年のベストワンかも知れない。小説も書ける落語家、立川 談四楼の平成青春スポーツ小説。出てくる奴等がみんな味があって清々しくていいし、筋の運びや細かい遊びに溢れ、ぐいぐいと一気に読まされてしまった。
  落語家協会を離脱した橘家一門の二つ目の橘家小龍は、まだまだ駆け出しの20才。毒舌家の師匠に言われ、落語以外にも何か取り柄を見つけろといわれ、ふとしたきっかけでボクシングの世界に足を踏み入れる、リング名「ファイティング寿限無」。ここから、スポ根か、悩める青年の話になるかと思いきや、すんなりと両立をさせてしまう爽快さ、あれよあれよと言う間にボクシングで頭角を現しながら、テレビ出演などのタレント活動もこなす。そのさっそうとしている部分が理屈じゃなく喝采を浴びせたくなる。何度も、落語とボクシングどちらを取るかと迫られるが、どっちも本気じゃん、当たり前じゃんというスタンスで、卑屈さがない。そこがあからさまにしない奥ゆかしい古典落語の手法でもあるのだけど。
  描写も無駄が無く、語り口にもすごく味があり、文学に媚びてないところがすごい、クライマックスをすっ飛ばして、次のシーンに飛んだりするサスペンスの技法なんてこっちがドキドキしてしまうほどだ。現代の若者を観念的でなく描けるなんて若い精神を持った作者だと思う。
  ボクシングに専念させろ、世界チャンピオンになる、と迫るジムの人間に対して、最後に談志がモデルの師匠が二つ目にこう言う。「人生成り行き。それしかねェんだ。ヤツは負けりゃポイという半端な存在だ。増々マスコミ活動に精を出すだろう。今のうちに恩を売りコビを売っとけば、それが負けたときの保険になるわけだからな。だからあいつは、売れたきゃマスコミにしがみつくだろうし、チャンピオンになりたきゃボクシングを取るだろうし、芸が上手くなりたきゃ落語に打ち込むンだよ。どれを選ぶか全部取るかはあいつ次第さ。 あいつの不幸は、平成を生きる落語家であることなンだ。そしてあいつは平成を生き抜くしかねェんだ」こういうお噺しです。
 


●重箱のすみ  金井美恵子:講談社:\2,000

 隅を突ついても、残念なことにあまり校正段階で手を加えなかったようで、かなりぬるい内容に出来上がっている。あまりにもどっかで読んだことのある内容がエッセーとして書かれているのを読んで、パワーが落ちているのか。どうでも良いけど文体のみの作家として書いていくのかなあと思ったりする。
  以前の『本を読む人読まぬ人』とか『おばさんのディスクール』などの怒りに満ち溢れた文章は身を潜め、炬燵で蜜柑を食べながらダベっている感じだ。今や、作家にとって、本を読んでいることは大して強調して言うほどのことじゃなくなったのかな。時代が変わったと言えばそれまでだけど。中で言及されている大岡昇平の 『成城だより』は80年代の貴重なモダンボーイの老後の記録だと思う。ご一読あれ。
 


●接触   パトリシア・コーンウエル:講談社文庫:\762

 絶対ハズレの無い希少な作家として読みごたえのある作家。一作目から時系列が繋がっているので、飛ばし読みは禁物です。検屍官という捜査組織の一員でありながら、立場上は客観的な位置にいるので警察小説の類型からは外れて自由に振る舞えている部分と、女性の成功者であり(アメリカ的なスタンスだと思うが)、逆差別と戦う人間としても描かれている。作者自体レスビアンであることを雑誌のインタビューで発言している。そのあたりのPC(ポリティカル・コレクト)の主張が、成功した何でも出来る主人公に活力と不安定さと影を与えているところが好感を持って迎えられる一因ではないだろうか。
  細かい、プロファイリングやハイテク犯罪捜査の部分も興味を持って向かい入れられる所だろう。それらの情報は決して物語をねじ曲げたり、止めたりすることはない。登場人物のアンサンブルも良いのでつまらないロマンス部分に引きずられることもなく集中して読める。安定して読めるシリーズの一編。
  内容は、ミステリーなんで本屋でオビでも見てくれい。
 


●イノセントワールド  桜井亜美:幻冬舎文庫:\457
 

 前回、作者の『14 fourteen』をつまらないと書いたことは否定しないけど、この『イノセントワールド』は少女コミックス(新装版)の世界だ。透明になりきれないことにわだかまりながらも過ごしている日常の裂け目に危なっかしさを湛えている少女の物語。
  宮台真司が解説しているのが興醒めだけど、その一般公式に則りながらも進んでいく物語が共感を呼ぶのか。確かにこの話に一般性があるかは分からない。
  主人公アミは援助交際を続ける、人工受精で生まれた女子高校生。実の精薄である兄の子を身ごもる。そうして日常のちょっとした冒険に出ていく。一生に一度しか書けない種類の小説だよね。それをピュアというかは分からないけど。もし作者が小説家として書き続けるには、翻弄される女性の肉体を描き続けるしかないんだよね。林芙美子とか瀬戸内寂聴とかのようにね。それは別の話だけど。
  映画化はどうだったんだろう。原作通りではなかったろうことは想像つくけど、リアルな表現は、もはやコミックの中にしか存在できないのかなあとも考える。コミック代わりに読んでどう思うか。
 追記:著者の正体は宮台のパートナー(笑)の速水由紀子だそうだ。


●アッシャー家の弔鐘(上)(下)  ロバート・R・マキャモン:扶桑社文庫:各\600
 

 あの、アメリカの産んだ恐怖と幻想の作家、エドガー・アラン・ポー(ちゃんと読んだことありますか?)の末裔が、アメリカの軍需産業を牛耳っている。一族は、ノースカロライナの奥地にアッシャーランドを築きそこから出てこない。広大な敷地の中央にはロッジと呼ばれる内部が迷路のように入り組んだ不気味な館が控えている。館の当主は今死にそうだ。そこに彼らの子ども(小説家)が帰ってくる。彼は一族の遥か昔、スコットランドからやってきた頃からの一族にまつわる謎を解こうとする。そして現在と過去が交錯する。また、奥深い森をもつ広大な敷地の中には邪悪なパンプキンマンと呼ばれる子どもをさらう化け物がいるという。

  作者は、一族の謎をぽーの作り上げた世界を緩用しながら独特のゴシック小説を書き上げている。いわば、スティーブン・キングの『呪われた村』 のB面のように鮮やかに描いている。惜しむらくは、昏い血の話に終始できず、超能力を善悪の力として使ってしまったことで、雰囲気のバランスが崩れたところだ。作者は、アメリカのブロックバスター小説を書く者の中では極めて良心的な小説を書く一人だと言えよう。アイディアをタペストリーのように積み上げるテクニックを良く知っているので安心して最後まで委ねられる。小旅行のお供に絶好の一冊でしょう。


奴らが哭く前に 猪飼野少年愚連隊  黄民基:筑摩書房:\1,900
 

 昭和30年代、大阪には数百の愚連隊がいた。彼らの中には朝鮮人2世で構成されている者もあったし、なかには小学生の愚連隊もいた。これは作者が育った環境と仲間達の小学校から中学校までの当時の空気とどう向き合っていたかという記録だ。喧嘩あり、ドタバタありが、当時の生活と子どもの喧嘩の潔さと相まって、なんとなく清々しさまで感じられる。その一瞬の空気を最大限に伝えたいと書いている。それぞれに個性的で悪ガキででも卑怯なことはせん。そんなことを毎日して原っぱで過ごしていた、原っぱが工場となり、高度成長、オリンピックが始まる前夜のことであった。それぞれの道を選ばなくなくてはならない子供たちはそれでも行き場が無く、親を横目で見ながら(なにしろ失業率が70%近くと高く、国籍差別で子弟まで影響のあった、今もあるんだろうな)こういう風にはならんぞと、勉強をするものあるいは愚連隊、ヤクザの道を進む者と分かれていく。大勢力を保った朝鮮人愚連隊『明友会』も最後には山口組の大阪進行で壊滅され幕を閉じる。そこで話は終わるはずなのだが、話は現代まで続き、タイトルの奴らが哭く前にへと続く。一体自分らはどこの誰なんだ。と解決のつかない問題を抱えたまま作者の呟きと共に終わる。日本中あった別バージョンの戦後の一時期の話だったんではないか。ボクは橋本治の 『僕たちの戦後史』(ちくま文庫?)を思い出したね。


●血と骨  梁石日:幻冬舎:\2,000

 長い小説を一気に読むと疲れるけど、こいつはしんどい。何がというと、人物、物語全てが日本の物語小説としては破格な力に溢れているからだ。物語は大正時代に韓国の済洲島から大阪に渡ってきた、極道もその眼光を恐れる、巨漢の ぎらぎらする生命力の持ち主、金俊平とその家族、血族、在日の仲間の一生を含む近代・現代史を描く大河小説。何が破格かというと、己のことしか考えない欲望のままに生き、まわりの者を巻き込み不幸のどん底に陥れながら生きていく主人公の姿。そんな男と向き合う家族、血族の切れない血のつながりの昏さ。それを諧謔と呼んでいいものなのか戸惑いながら、その様子を唖然呆然としながら読んでいくのが快楽になってきたらはまった証拠。

  いやいや、そういう見方は間違いかもしれんが、読んでてアタシは、バルザックの小説を連想しましたがね。「人間喜劇」という言葉がぴったり来ると思います。バルザックについての意見は、小林信彦の 『小説のロビンソンクルーソー』(新潮文庫)に影響を受けてますが。これも必読。

  作者の意図はどちらかというと中上健次の世界に近いのかなあとも思えるけど。作者は否定するだろうな。そんな事言ったら大体、中上健次の作り上げた世界から抜け出すこと自体簡単なことじゃないからね。そんな事を考えても仕方が無い。ただ文章が真面目すぎて言い回しが紋切り調なところが気になる。「戦後派」とか、「第三の新人」とか教科書的なメジャー路線から影響を受けている部分が青臭くもくすぐったくもある。同人誌的な書き方でこう書かなきゃイカンという公式的な考え方を感じる。が、なぜか性交の場面になると描写が事細かになるのでそこだけ官能小説のようになっているのが不思議だ。明らかに浮いています。そんなことは差し引いても充分なエンターテインメントとしてぐいぐいと引きつけられます。一気に読むことをお薦めします。

  梁石日は、『夜を賭けて』(幻冬舎文庫)もどうぞ。小松左京の『日本アパッチ族』(早川文庫、絶版のはず)の実録版や。読んでみ。焼け跡の大阪の軍需工場から屑鉄を拾いに行く(と言っても勿論窃盗で、違法だ)在日朝鮮人部落の人たちの物語。滅法おもろいデ。
 


●14 fourteen   桜井亜美:幻冬舎:\1,200

 神戸のアノ事件をほとんど実名、設定もそのままに書いて、主人公(殺人者の少年)の内面を描き、まあ現代的な子供の孤立的問題を扱った作品。まあ、気取ってるけど言ってみれば、ある種の事件実録小説と変わらない 下司なものだ。

  そういうのをひねりもなく内面というか分かりやすい切り口で、殺人に至るまでの心の中の葛藤の過程を描くことで許されると思っているのかね。なんていうのか真面目にストレートすぎるんだなこれが。言い方が悪いけど、読書感想文というか優等生が書いた文章なわけ、これがね。破綻無く同世代の人間が書きました的なノリなんよ。だから読まれると言うのは小説として本末転倒ではないか?

  小説から想像力を無くしたら何も残らないと思うんだけどな。こういうタイプが書けなくなると、文体とか、女性作家の感性とか、時事ものに行くんだよな。(例:田中康夫)(あ、もう時事ものを書いてるのか。)

  近頃気になっているのが、前述した同世代が書きましたから売れてますってやつのこと。例えば、(肴にして申し訳ないが)この作者の場合、他の小説はこのように紹介されている。

  『イノセントワールド』「知的障害のある兄との性交、グループ売春、そして開かされる出生の秘密。さまよい、新しい現実感で生き抜く十七歳の女子高生アミ。危険な生の輝きを伝えるデビュー作。」

  『ガール』「幼年期のトラウマから人を愛することができず、“もの”になることに憧れていた女子高生ユーリ。テレクラ、援助交際、オヤジ狩りーー。それでも、少女は真実の愛を求めた。」

  『エヴリシング』「女子高生サキは、自殺した恋人の<ほんとうの心>を探して街を歩く。そして、出会った、恋人の生き写しのようなユウキ。現在形の少女の切なさを鮮やかに描く待望の第三弾。」(いずれも著作紹介文より引用)

  どっかの、オヤジ週刊誌の記事タイトルじゃないかね、まさに。なんて言うのか小説じゃなく商品だと思うんだけど、これは作者を含む物語を読み手が必要としている現象を出版社が作り出し、その世界で演じ続けるっていうマーケティングそのものの構造だと思う。その原因のひとつには媒体の爆発的増加でジャンルが細分化されたことにあると思う。一昔なら成り立たなかったというか、大人と対等に戦う世界があったと思うが、今じゃ、読者層を限定した市場が成り立つ。その世界では、作者を含む小説世界が閉じられ、ある種のアイドル化現象を起こしているんだと思う。早く言えばヲタク市場の原理と同じだね。

  “そんな物は商売にならない”から“そんな者を商売にする”に変わってきていることじゃないだろうか。この現象は、ミニシアターブームとかとも重なるが、それは別項で検証しようと思う。

  作者やらその読者層やら出版社が作り上げる世界に文句は言う気は無いが(言ってるじゃん)、依って立つスタンスに違和感を感じるのは私だけでしょうか。
 


●物語の海、揺れる島  与那原恵:小学館:\1,300

 1958年生まれのノンフィクション・ライターとして30歳過ぎから活動を始めている作者は、この島(JAPAN)で起きていることは、全て物語として消化されてしまうのか。

  人々は一人一人物語を求めている、それは、沖縄県民投票、阪神大震災、奥尻島災害、薬害エイズ訴訟、AV嬢の取材、アラーキーとの撮影で自らがヌードになってしまう、全ての出来事が物語として虚ろに曖昧になっていくのでは、今までの言説が役に立たないことを徹底的に指摘する。

  自分と物語の距離感についての言説が無いところが総論としては弱いところでしょうか。普通の感覚から切り取ったルポが興味深いです。
 
 


●スティンガー(上)(下)   ロバート・R・マキャモン:扶桑社文庫:\680
 

 冒険小説と言うジャンルがあったが80年代以降、変容してきて如何に格好良くコンパクトにまとめたアクションを描くかという問題から離れて、何でもありのハリウッド映画モドキの(顕著に影響が見られる)小説が増えてきた。これらのことを“ブロックバスター”と呼ぶ。ただ長いエンターテインメント小説のことで、ドナルド・E・ウエストレイクは 「5万語余計な小説」と呼んでたりする。

  しかし、格好の暇つぶしになったりするので、ボクは読むのが好きだ。但し当たり外れはある。そういう作家のD・R・クーンツの書いた『ベストセラー小説の書き方』 (朝日新聞文庫)は作者が手の内をさらけ出していて、エンターテインメントを作る人間には参考になる。ただ彼の小説が面白いかは別の問題だがね。

  “ブロックバスター”は何でも詰め込んで長くなるのが通例だ。日本でもその傾向はあるが、話は『スティンガー』だ。

  1988年に書かれた本書は、ある寂れたテキサスの街が舞台。白人とヒスパニックが対立している。そこにある日突然、UFOが墜落してきて、少女の身体に乗り移る。彼?は良い宇宙人で宇宙に帰ろうとしている。そこにスティンガーと呼ばれる、悪の賞金ハンターの宇宙人が巨大な宇宙船でやってきて、良い宇宙人を引き渡すように命令する。拒否する街の人々。人間の最後の尊厳を賭けて圧倒的に強い宇宙人との戦いが始まる。というどっかで見たような読んだような話が出し惜しみ無く使われている。誰にでも受けるように人物造形が類型的なのが気になるが、まあ値段分は楽しめます。古本屋での購入をお薦めします。今後もこの手の本を取り上げますので期待?して下さい。


●古本マニア雑学ノート[2冊目]  唐沢俊一:ダイアモンド社:\1,600

 私の読書の傾向としては、同じ作者の物を片っ端から読まないと気が済まない偏執狂なところがあるので読んでみました。内容はそれほど濃くなく 『脳天気教養図鑑』(唐澤商会)とネタがダブる部分がある。古本屋に縁の薄い人は読んでそのディープな世界をお楽しみ下さい。
 
 


●オウムからの帰還  高橋英利:草思社:\1,500

 あの事件というか、社会現象については既に消費尽くされた感があって今更とは思うが、佐々隆三も江川紹子も読んだけどどうもピンと来なくて困った記憶がある。まあ、色々読んで、宮台真司の 『終わりなき日常を生きろ』でなんとなく、「ああ、こう言うことなんだ」と思ってオウム関係の本を読むのはひと段落ついた。新新興宗教については色々と思うことはあるがそれは本論ではない。

  内側にいた人間の証言としては重要だけど、無邪気な青年のいわば『猿岩石日記』に似た、似てしまう現代の冒険・体験譚が描かれているんじゃないのかなあと思う。その普通さ、何も無さが、今もオウム真理教があることに繋がっているんじゃないだろうか。映画『A』という今の荒木広報部長の映画を観たときもそう感じた。著者はその無邪気な善意で生き続けるのだろうか。こちらには関係ないことだけどさ。

  林郁夫の『私とオウム』も読むかねえ。しんどそうだけど。でも村上春樹の『アンダーワールド』は読まないだろうな。理由?教えて上げないヨ。
 


●オーディション  村上龍:ぶんか社:\1,600
 

 別に読まなくとも良い本。アイディア倒れです。あまり書くこともないのに書いたって感じ。人物造形もストーリーも強引な形とナルシズムの塊の悪いときの村上龍のクセが全部出てきて、敷衍するテーマも今までの焼き直しです。それを確かめるために読むだけです。


●レフトハンド  中井拓志:角川書店:\1,500

 第4回日本ホラー小説大賞。嫌いじゃないので、ずっとこのシリーズを読んでいるけど、なんでもかんでも遺伝子とホラーみたいなアタマの悪い理系みたいな話はもうそろそろ良いんじゃないかなあと思う。ストーリーとして、ノベルズとしての完成度の高いモノを読んでみたいと思う。または、アイディア一発勝負ね。

  これも、アイディアとしては、ばかばかしくて良いのだけど、サスペンスや人間描写とかが弱くて盛り上がらないんだよね。ある研究所で、ウイルスが空気感染して、感染した者の左手が抜けて、左手は食中生物として闇を動き回るというのだけど、それからどうしたのというまま話が転がっていかない。あとさ、こういう小説(理工系)に出てくる、女性像というのが紋切りでつまんないんだよね、美人研究員か、気の強いロリコン型生け贄タイプのどっちかしかないんだよね。エヴァンゲリオン症候群的なんだよね。そういう風に刷り込まれているのだろうかと思う。

  エンターテインメントとしてもうちょっと頑張ってくれないかなあ。サービス精神が足りないよ。
 


●バトルトーク 突破者   宮崎学:同時代社:\1,300
 

 次々と読んでます。短いんで1時間ほどで読めてしまう企画モノ、いろんな人との対話集です。といっても市井の人たちですが。宮崎学の本は、本人が確たる立脚点を持っているから、安心して読める。ホームページと併せて読むと、新聞には何が書いていないかが良く分かって面白い。

  酒鬼薔薇事件の結末の前に、「犯罪には、良い犯罪と、悪い犯罪と、病気の犯罪がある。これからの問題は“家族の問題から始まる病気の犯罪”だ」と看破しているところは出色です。


●塗仏の宴 宴の始末  京極夏彦:講談社:\1,200

近日執筆

京極夏彦論  生霊たちの輪舞〜午睡の悪夢〜
 
 
 


●不逞者  宮崎学:角川春樹事務所:\1,600

   また、オモシロイ奴等が暴れる話で痛快デス。2人の不逞者が描かれてあるのだが、前半の愚連隊の神様、万年東一は作者も会ったことがあるので、生き生きと描写されているけども、後半の孤高の朝鮮人共産党員、金天海は資料で書かれているために生彩を欠く。前半だけだと、中途半端になるのでバランスを取ったのだと思うけど、戦前、戦中、戦後のアウトローたちの話が縦横無尽に繋がってくるのでドラマを読んでいるようだ。作者は、伝説の中に真実がある。伝説の方が彼らを語るときには大事だと述べているが、これが宮崎流、現代史の読み解き方だと思う。

  スケールの違いというのがつい最近まであったんだなあと感じる本です。参考までに、この手のオモロイ本には、『田中清玄自伝』(文藝春秋社)、『スパイM』(文春文庫)などあります。
 


●古本マニア 雑学ノート   唐沢俊一:ダイヤモンド社:\1,500

   自分の書棚というか、ウチにある本の半分以上が古本屋で購入したもので、街の本屋には3日に一度は行かないと禁断症状が出るという身には、為にはならなくとも、共感できる、「ああ、ここにも病んでいる人がいるんだなあ」と呟いて病を癒す本。

  古本市の話に始まり、如何にショーモナイ本を集めるかの奥義に触れる啓蒙書です?本人が気にしていないのなら、古本集めも悪くはないと思うのだが、次第に、古本屋の前を素通り出来なくなり、仇討ちのように、本を探すようになってくるとさあ大変なので、程々にね、ただし部屋が狭くなりますのでご注意。

  古本と言えば、紀田順一郎の『古書探偵の事件簿』(創元社推理文庫)はミステリーとしても、古本の話としても良くできています。
 


●塗仏の宴 宴の支度   京極夏彦:講談社:\1,200

 分厚いことこの上なく、面白いこと果てしなく、必ず寝不足になってしまう程の饒舌文体の饗宴。とまあ絶賛したい、京極夏彦(63年生)の『妖怪シリーズ』だが、恐ろしいことに、2段組600頁を費やして、伏線だけを張り巡らされているという恐ろしいシロモノだ。今回はそのためか、読み難さがなくすらすらと進んだ。でも悔しいから『宴の始末』を読んでから、感想は書きたいと思う。処女作の『姑獲鳥の夏』も文庫化されたようなので、未読の方は、ご一読をお薦めします。
 
 


●イン ザ・ミソスープ   村上龍:読売新聞社:\1,500

 酒鬼薔薇事件とシンクロしちゃったと当時話題になった本だが、別にどこもシンクロしてなくて、どちらかというと『昭和歌謡大全集』の延長線上にあり、『ピアッシング』と少し重なる部分があるのかなあ。物語の枠組みはいつもながら非常に明快で、歌舞伎町にやってきた連続殺人鬼と思われるアメリカ人と、彼をガイドする20才の若者の3日間に起こるお話し。

  犯罪が、殺人がオシャレに語られるなかで(要するに情報として消費されていく過程ということ)あくまでも架空の皮膚感覚を取り戻そうとしている。それが『昭和歌謡大全集』のドタバタとは一線を画す、”痛み”を描こうとした『ピアッシング』を更に進めていった本書じゃないだろうか。現代日本文学的の分かりやすい主題で言うと、共同体の喪失と家族の崩壊なんてことを、象徴的な”痛み”として書かずどこまでも表層な言葉を羅列した、壊れそうな書き割りのなかで、あるいは壁の薄い高層ビルの一流ホテルで繰り広げられるハメ撮りAVのように、どこまでも薄っぺらい。それが唯一、作者の実感かも知れない。他の作家に書けないのは、その薄っぺらさであり、それを補完する無駄口と比喩の羅列である。

  出来の悪いアメリカ文学のような言葉は、何の説得性を持たずに最後まで物語の中で浮きまくり読んでいる側を居心地の悪い立場に立たせる。だいたいにおいて比喩は、主人公が絶体絶命の時に脈絡もなく脳裏に現れ、何の意味もなく嘔吐感に持っていく。(それが罪悪感なのかどうかは分からない仕掛けになってはいる。主人公も自問するが答えは出ない。そして大体より悪い方向へ人物間の関係と物語は進んでいく)

  それがステレオタイプを逃れるかギリギリの人物描写だと思う。微かな不快感。村上龍の小説の人物は少なからずこれを持っている。これは小説でしか表現できないものだと思う。この不快感あるいは罪悪感が物語を免罪している。小説を読むものが救われる仕組みだね。だから作者は読者が見える作家としていられるのではないか。その通俗さが映画になると露見してしまうのは別の話だが。小説の世界観を泳ぎ切る体力は持っているのはわかる。2時間で読み終わるんで、気軽に読んで良いんじゃない。
 


●裏本時代  本橋信宏:飛鳥新社:\1,700

 こういう、業界裏話みたいなの好きなんですね。ビニ本より過激な裏本の隆盛と没落を現場で見ていた作者。当時その流通ルートのトップにいたのが、誰あろう、あの村西とおるだったこと。彼のエネルギッシュな行動とポジティブな人を煙に巻く言動がやたら可笑い。本書の後半は作者が編集長だった、写真週刊誌『スクランブル』の創刊から廃刊までを書いているが、ちょっと押さえすぎた書き方で、淡々としている。もっと時代を反映した気分みたいなものを描写しても良かったんじゃないか。時代はバブルの始まり。ビニ本からAVへの移行時期だったから、もっと書くことはあると思うのだけどどうだろうか。

  去年、評判だった『AV女優』は、確かに面白かった。がどこかオヤジのメルヘン的な視点が美しく物語を作ろうとしているところが気になった。まあ掛け値無しに面白いんだけどもね。と友人に言うと、同じ作者の『風俗という仕事』を薦められた。読んで見るかな。あのあたりの団塊の世代のメルヘン調物語製造ドキュメンタリーには騙され無いぞと思ってはいるのですが、どうも活字だと過剰な思い入れに騙されてしまう。ま、それはそれでいいんだけどね。
 


●明日なき二人   ジェ−ムズ・クラムリ−:早川書房:\2,200

 2年ぶりに出たジェームズ・クラムリーの新作ハード・ボイルド。この人が日本に紹介されてから20年近くになりますが、熱狂的なファンというのはあまり多くないのではないかと思いますが、面白さは保証します。近頃、手を変え品を変え、情報をたんまりと入れて具体的に書き込む小説が多い中、簡潔な中に饒舌さが混じった独特の文体には、アメリカ現代文学と言っても通じるでしょう。ハメットやチャンドラーがそのように評価されたように根。クラムリーが偉いのは、そこで高貴ぶって格好だけの男じゃなく、ハリウッド映画並のそれ以上のドンパチ、残酷描写を惜しげもなく疲労するところだ。ただし、リアルすぎて映画化は難しいだろう。なんせ、主人公達は平気で一日中酒を呷っているし、生きてシャンとするために、または楽しくなるためには、コカインの使用も辞めない。人に薦めるくらいだ。そのなかで、男同士の友情と、無くしてしまった人間らしさ、人に対する信頼など、何を大切にして生きるか、普通の人と違った彼らなりの価値観で事件に巻き込まれ解決していくことになる。これがクラムリーの世界だ。

  本書では、長年クラムリーが書き分けてきた二人の主人公が一緒に行動する夢の共演ものである。ストーリーは本のコシマキから引用すると『『酔いどれの誇り』のミロ・ドラゴビッチと、『さらば甘き口づけ』のC・W・シュグルーという二大探偵の競演がついに実現した。親の遺産を持ち逃げされたミロと、謎の刺客に襲われ九死に一生を得たシュグルーの二人は、それぞれの思惑を胸に一路メキシコ国境を目指すが、その過程で一人の謎の女の存在に突き当たる・・・・』。そこには二人のどっぷりと浸った過去の事件の思い出や生き方がたっぷり含まれているのでいきなりこれから読むのは難しいかも知れない死、相変わらず、プロットは交錯していて分かりにくく、何度も物語が分からなくなりかけた。しかし、魅力的な脇の登場人物たち、元陸軍報道班で新聞を作り、その後兵役拒否をして、テキサスの小都市で新聞社を経営しながら、裏世界にも詳しいホモセクシャルのデブのリベラル派のカヴァー・D。酔いどれのハリウッドでは死んだと思われている映画監督、サム・ダンストン。射撃の腕が抜群の女性獣医。などが彩りを添えている。

  探偵達は、テキサスからLA、そしてメキシコへと移動しながら事件を解決に導く。その間に何度も繰り返し起きる、爽と鬱の人生観が立ちこめる。普通に生きているときには感じられない生への執着が、ギリギリのところで暴力として爆発する描写は力強いなんてモンじゃない。だから好き嫌いが分かれるところだろうね。きれいなお話しじゃないよ。こういうのがエンターテインメントと言うのだと思うのだが如何だろうか。これから、読んだ見る人には、まずミロ・シリーズの『酔いどれの誇り』、『ダンシング・ベア』(これが一番の傑作だと思う)から入ると良い。それからシュグルーの『さらば甘き口づけ』『友よ、戦いの果てに』の順番に読むのがいいでしょう。他にも、純文学小説もあるが、それは気に入ったら読み始めたらよいだろう。

  やっぱり、雰囲気でいったら70年代のサム・ペキンパーの映画の世界なんだよなあ。キャスティングは、シュグルー=オーレン・オーツ。ミロ=ロバート・ミッチャムって感じだろうか。ご意見を、ご反論待ってます。
 



●へらへらぼっちゃん   町田康:講談社:\1,600

 『くっすん大黒』も面白かった、著者のエッセー集。といってもだらだらと酒呑んで訳のわからん文章を綴っていて、小説とかわらん。そこが何とも言えない魅力があるんだけどね。小説と対で読むと面白いな。なんというか戦後の無頼派の作家達の文章が気にならずに読める人にはお薦め。結構古い言葉遣いをして、そえがなんとも言えない味を出している。あと、昼間から酒を呑むことに罪悪感を感じる人にもお薦め。堂々とおいしくお酒が飲めるようになります。小説について町田町蔵の音楽を聴いている人からの感想も聞きたいところです。
 
 
 


●テニスボーイの憂鬱  村上龍:幻冬舎文庫:\762

 出たのは1985年だが、2度目の文庫化でようやく読めた。これって、ヨコハマの田園都市線沿線の話なんじゃないと思って、シャレで佐藤春夫の『田園の憂鬱』と関係あるのかなと瞬間思ったけど、まあいいか。村上龍の映画が面白くないのは、彼が自分の小説の世界に常に完璧な感動を主人公に味あわせるからであって、そんなもんは到底映像化出来ないのである。音楽、食べ物の味覚、テニスの快楽、女の完璧な美しさ、などなど。ずっと彼のどの作品を見ても、その面白さは、映像化できない、感覚とか感動を体現する人間が出現して、彼もしくは彼女に翻弄されていくのが大体ストーリーの骨子になっている。例えば、『コインロッカーズ・ベイビー』の歌手、『5分後の世界』の音楽家、『ラッフルズホテル』の女優、『愛と幻想のファシズム』の雄弁な右翼、『ストレンジ・デイズ』の演技力を持ったトラック・ドライバーの女の子。彼らは完璧な感動を与える絶対的な存在なのだ。主人公は、常に超人的な能力を持つ者の人間的なわがままに手を焼き、懊悩し、冷や汗をかく。そんな小説が村上龍の小説の面白さだと思う。一歩間違うと、鼻持ちならない特権意識になる部分を読者にどう近づけるか。それが上記のテクニックだと思う。みなその感動に身を委ねたいから村上龍は書き続けるし、私たちも読み続ける。



●突破者烈伝   宮崎学:筑摩書房:\1,400

 『突破者』での衝撃的な表舞台への出現。こんなにオモロイ本があったのかあ、と思わず溜息の出る反権力的発言の痛快さ。それに基本的に文才があると思われる作者の筆力にぐいぐいとその世界に引きずり込まれる。

  本書も、作者の身の回りにいた突破者たちを、その魅力を愛情を持って余すところなく描いた作品です。戦後の匂いとバブルの狂乱の嬌声を一度に違和感無く同居させることが出来る希有な才能だと思う。ヤクザや土建屋のおっさんの筋を通すその生き方が、敢えて誤解を招くような言い方をすれば格好良いのだ。たとえ、そのオッチャンが年中、トレパンに運動靴を履いて、土建屋の売り上げは70億円あろうと、現金決済にする。そんなずっこけた姿がなんとも良いのだ。

  危険さと紙一重の世界を自在に行き来が出来る宮崎ワールドは、日本人”市民”には描けない世界をそのからくりと共にさらけ出していると思う。ノンフィクションだが小説はたいがいぶっ飛びます。作者のリアルタイムの活動は こちら をご覧下さい。またまたぶっ飛びますぜ。
 


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