フィクション 2003

 ドナルド・E・ウエストレイク:文春文庫:762円

今頃ようやく読みました。こんなこと書いて翻訳されなくなると困るんだけど、なんでこれを出版したのか不明だ。
アイディアも『見知らぬ乗客』で、二人の作家の話も古典的で「ダーク・ハーフ」なんていうのもあるしなあ。ストーリーがサスペンスとして上滑りなのが気になる。
二人の作家が、時間が経って再び会うと成功者と失敗者に別れていて、成功者の悩みを解決して両者がともに利益を得るために悪魔の契約をする物語を、ある意味悪意とは別の幸運な悪魔の側から描くという試みは面白い。
しかし、本来話が展開していくうちに、登場人物たちの内面が変化していき、思わぬ方向に進むはずが、一方の登場人物たちの心境の変化が無いため、結果として、片方の人物だけが追いつめられるだけで読んでいる方はなんで?と納得がいかない。理屈としてそうすることでありきたりなサスペンスを回避したいというのはわかるのだけどもねえ。
珍しく観念的な作品でした。ふたりの人物を等分にそれぞれ描こうとしたのが、うまくいかなかった原因かもしれない。映像化なら良いかもしれない。


ゼロ発信  赤瀬川原平:中公文庫:781円

にこやかな不届き者である作者は、またしてもにこやかに罠を仕掛ける。なんとストーリーを「新聞小説」という仕組みに依存するという荒技。確実に毎朝届けられて、そこには自分の日常が書かれているというのが延々と続けられる。つまり新聞小説を書いているのを読んでいるのを自分を書いている自分を…、という入れ子構造によって成り立っているのだ。これぞ究極のコンセプチュアル・アートではないか。





切り裂きジャック  パトリシア・コーンウェル:講談社:2000円

「検死官」シリーズの作者が書いた、ノンフィクション、伝説の連続殺人鬼「切り裂きジャック」の正体に迫った労作。彼女ならではの視点を入れているのもさすが商売人だが、その反面、その持って回ったやり方がもどかしくも思える。
それがフィクションからノンフィクションへのアプローチの際、どうしても越えられない壁でもあるように思える。現実では「直感型はみだし捜査官」は逮捕されるか名誉毀損で訴えられるからだ。
ここで推測される犯人像は、ものすごくスリリングで、それに対する著者の推理、捜査や証拠も説得力がある。当時の死体写真なども、これを見せていいのというほどエグイです。ただ最終的に犯人に辿り着く決定的な証拠を取り出すことができないのは、相手が著名人であり故人の管理が行き届いているからであり、それを打ち破るにはそれ相応の代償を払わなければならないのである。なのでほぼ断定できたとしても決定的な証拠を押さえることはできないそのもどかしさも本書には現れている。
犯罪現場の再現や検死の部分が、小説同様冗漫だったり(そこらは死体マニアしか喜びそうもないので)、ノンフィクションの構成としては事実を先に列挙していくというまともなカタチ過ぎて、読む方を引きつける部分が弱い。


インヴィジブル・モンスターズ  チャック・パラニューク:早川書房:2000円

「ファイトクラブ」、「サバイバー」に続くチャック・パラニュークの作品。今回は処女作を手直ししたものと読んで、そうだろうねという感もある。張り扇のようなインパクトに欠ける部分がある。冒頭の部分の混乱がビジュアル的に解決されていないのでちょっとノリ損ねた。いつもの無機質な物質と人間がそれに侵されて無機質化していく様子が、今ひとつ描ききれていなかった。どうしてもそうなる理由もわかるのだけど、逆に映像化すればわかりやすく骨子が見えてくると思うけど。あとドラッグについての情報や当時の風俗背景の解説がもう少し入ればよかったなあ。 感覚的に皮膜が一枚、あいだに入っているようでダイレクトに来なかったのがもどかしい。でも他の本と較べたら数段すげえんだけどね。




誇りは永遠に ギャビン・ライアル:早川書房:2200円

ギャビン・ライアルの遺作になってしまった作品。相変わらず面白い。ストーリーと登場人物の妙だけで語りきってしまう円熟味が味わい深い。久生十蘭の「黄金遁走曲」みたいに楽しい。
 ライアルの主人公はいつも誇り高き男が誇りを失うが、それを回復しようとして最後には誰も勝つことのない戦いに挑む冒険小説だ。まったく達観しないぐずぐずなやる気の無い人間像がいいんだよなあ。しかも最近のハイテクだったり、すぐに人がたくさん死んだりするものではない。フランスの運河を走るはしけと自転車の追いかけっこ。ヒチコックの『暗殺者の家』のモデルとなった事件を絡めて謎が謎を呼ぶ。それが解決されてくる巧みさ。もちろんイギリスのユーモアがたまらない。




ビター・メモリー サラ・パレツキー:早川書房:2200円

今回はホロコーストが背景にドンとある。複数の事件が同時に走るのがこのシリーズの特徴だが、事件よりも人物の動きに焦点を移しているために、ミステリーとしては物足りないかもしれない。ただしヴィクとロティのファンなら満足ができる仕上がりだ。ちょっとつらい話ではあるが。






深夜のベルボーイ ジム・トンプスン:扶桑社:1429円

凄すぎ。こんな安っぽい陳腐な設定がどうなるのかなと心配していると、みるみるうちにロシアの文豪たちが岩波文庫数巻の大部で事細かに書き込んでようやく達成できることが、2時間で読み終わるソフトカバーのわずか250頁で成し遂げられ、そのなかにはミステリー、サスペンス、アクション、セックスがすべて含まれてしかも当然ながら面白い。信じられない。ただため息のみ。







スーパー・カンヌ J・G・バラード:新潮社:2300

  「コカイン・ナイト」に続く、南欧ハイテク・リゾート・コロニーものです。前作と視点が違うのは80年代と90年代の時代の読み直し部分でしょうか。前作が「レジャー」が隠しテーマだったのに対して、今度が「仕事中毒」から切り取っている。その着眼は良いのだけども、今ひとつ説得力を持たないのは00年代から見ると、既に90年代には国際企業型資本主義の功罪について、民意としての審判が下されているからだろうか。
 主人公が作者のストーリー展開につき合わせられて動かなかったり、抗する悪徳の魅力が弱かったりするし、誰もが気付く「不思議の国のアリス」と幼児愛症がキーワードなのに登場人物たちがなかなか触れないもどかしさ。彼らの内面に下ることも暴力の祭典に移行することも潔しとしていないので明快さや爽快さに欠けることが多い。これは「ハイライズ」「ウォー・フィーバー」などのバラードの失敗作のパターンを見事に汲んでいる。しかしたぶんに三部作にして次回作は00年代最初の黙示録として、このテーマを完成させてくれるだろう。ハイテクと飛行機の落下と暴力の日常化は実現してしまったから大変だとは思うけどね。


黒旗水滸伝―大正地獄篇〈上下巻〉  竹中 労【著】・かわぐち かいじ【画】:皓星社:各2500

  竹中節全開の裏近代史巷談、キーワードはアナキズム、共産主義革命、浅草、大杉栄、伊藤野枝、関東大震災、辻潤、虎の門事件と大正期を縦横無尽に駈け抜けた人々の竹中流の歴史の読み直し。まるで山田風太郎の明治開化もののように嘘八百にほんのわずかな事実からの推論の積み重ね。あっと言わせるスキャンダル・ジャーナリズムあるいは幻視の本領発揮。これが未完となった甘粕満映理事長が狂言回しとなる昭和暗黒伝へと続いて行くはずだったが、諸般の事情でここで終ったのは残念。しかしこれを本にしただけでも充分にすごいことだと思う。





素粒子  ミシェル・ウエルベック:筑摩書房: 2600

  フランスのパリ郊外に住む中年の地味な独身科学者とその兄の学校教師、彼は絶倫で常に女を求めている。今度の短い休暇もヌーディスト村で過ごすつもりだ。なにか良いことがあるかもしれない。彼らの母親はヒッピーでありいまも宗教にハマッテいて、彼らは祖父母の元で育てられた。もともと二人の父親は別々なのだが。たいした事件も無くいくつかの死があり、その合間に彼らの押しつぶされそうな陰気な生い立ちが描かれ、また時間が淡々と過ぎて行く。

 どん詰まりの西欧社会の壁の割れ目から滲み出してくる雨水のようにどこまでも陰鬱な小説だ。なにも安直なドラマや救いもない。中流と余暇と公務員が退屈にだらだらと生きている社会像。ドラマにならないこの風景こそヨーロッパの実像のひとつではないだろうか。


フルーツの夜  本橋 信宏:河出書房新社:1,600

 彼自身の体験した、バブルと裏本AV業界のノンフィクションは面白かった。それを今度は小説として仕立て上げたのが本書だが、いくつかの不可思議なそれこそバブル前は存在すら信じられないような風俗や人物が出てきて面白い。しかしその先への目線がはっきりしない。ノンフィクションでは客観的な立場で良いが小説では主人公としては影が薄すぎてストーリーもそれほど展開していかない。中篇と言う制約もあるのだと思うが、 ある世代の感傷と素材だけで成立しているような気がした。






ZERO 麻生幾::幻冬社 上下::1900

 ZEROとは警察庁公安のなかに置かれた影の部隊。かつてはサクラ、チヨダと呼ばれていた。しかし、だ、本書で活躍するのは警視庁の刑事だ。ZEROは悪役として描かれる。
 中国と日本を股に掛けたエスピオナージがストーリーだ。舞台は東京から北京へ、登場人物も中国の秘密警察、人民解放軍諜報機関、公安警察、永田町の政治家、自衛隊、なぞのスリーパーとしての中国スパイ。かれらが入り乱れて物語が展開する。結構派手な小説だ。
 ただ、人物造型の平坦さ、ドラマの先が読めちゃうミステリーを書くテクニックの稚拙さ(だれかが重要なことを言おうとするとすぐに横槍が入って忘れられちゃうというのが何度もある)が不満な点。ジョン・ル・カレやトム・クランシーが好きなら大丈夫でしょう。



誇り高き男たち  ギャビン・ライアル:早川書房:2100

 このシリーズも傑作と言っているのだけど話題になりません。日本の藤田某とか佐々木某とか、日本人サムライ将校の諜報ものに比べて格段の出来の差があるのだけども。
 今回は、オリエント急行と、トルコ=バグダッド間を繋ぐ鉄道建設をめぐる国際陰謀にドイツ、フランス、トルコ、イギリス、アメリカが入り乱れての活劇。いままで読んだことの無い男と男の決闘の仕方。そのアイディアに感服します。またすごく笑える。作品の完成度の高さ、冒険小説としての円熟味、ユーモアのセンスの上品さ、まさにエンターテインメントの極致です。気取って消化不良の分厚いだけの国産冒険小説を読むのならこれにしなさい。お釣りが来ますこと請け合いです。




噂の娘  金井美恵子:講談社:2300

 1950年代というよりも昭和30年頃の地方都市。家庭の事情から美容室に預けられた小学生の女の子が、その家で一緒に暮らす女たちとの会話を思い出しながら、曖昧に進むひと夏の時間が描かれる。
 気怠い昼下がり、夕方の驟雨、買ってきた総菜の匂い。たわいもない近所の噂話。なんといっても映画スターの話。
 金井美恵子の若き日の作品からある幻視と細かい感覚、目白三部作以降のだらだら会話体の文章、そして映画の話しとが渾然一体となって魅力的な文章になっている。 さりげなく仕掛けられた作者の罠に心地よく掛かるのも良いだろう。全く知らないその土地と時代なのに懐かしく近しく感じることができるのはなぜなのだろうか。ひたすら読むべし。




裏と表 梁日石:幻冬社:1600

 神保町で金券ショップを開く主人公。その友人で運輸会社に勤める男は、金券ショップをたらい回ししたハイウェイ・カードを使ったマネー・ロンダリングで選挙資金を集めようとする。
 そしてカネがカネを呼び、計画倒産、手形決済、ダイアモンド相場と闇の紳士がぞろぞろと現れる。何十億のカネが右から左に流れる。決してオモテには出てこない世界。そんな世界が覗ける。いかにしてカネをつくるのか。錬金術としか言えないその仕組みのスリリングさ。手口が具体的な記述で書かれているので驚く。
 実際のバブルの仕組みもそうであっただろうという裏のカネの仕組みが透けて見える。キャラクターやストーリーも徹底して読み物を目指しているので、社会派ミステリーのようないやらしさがない。




師匠! 立川談四楼:新潮社:1300

 作者の本性はかれの師匠、談志の「落語とは男と女の業を描くもの」という考え方の延長にあるような気がして仕方がない。無理難題を吹っかけた口うるさい嫌な相手が実は好人物で、最後にはほろっと泣かす古典落語の構図が横溢している。
 障害者落語一座を結成する話なんてものもその最たるものだ。いくつかの短編がすべて独自の世界を作っていて古典を使いながら、いまも通用する人物造型をしている ところが作者の目線だと言えよう。






コカイン・ナイト J・G・バラード:新潮社:2200

 できれば本書を読む前に、南欧のリゾート・コロニーの写真をいくつか見てイメージを脹らませて欲しい。その国の貧しい地域に忽然と現れる、清潔なコンクリートで護られた都市。住人は財産を築き 40代でもリタイアした金持ち夫婦。やることといえば、エアコンの効いた室内で衛星テレビを見ること。まさに一昔前のアジアの植民地の風景ではないか。
 そんな死んだようなリゾートを活性化させた男がいた。かれのお陰で皆生き生きとして新しいコミュニティーを築き上げようとしていた。そんなとき事件は突然起こる。豪勢な屋敷のひとつが放火されたのだ。犯人はリゾートを活性化させた彼だ。しかしだれに聞いても彼が犯人でないと言う。果たして真相は。この地ではなにが進行しているのか。
 「SFは未来についての心理学である」という作者にとって、リゾートコロニーはまさに人類の実験箱に映ったのであろう。テクノロジーと人間の本性である暴力。西欧民主主義社会が両者は、進歩と退化という相反するものとして隠蔽していた建て前は、9.11で脆くも衛星中継で瞬時に全世界にあからさまにされた 。著者は予言的挑発的に煽る。
 本書は形式としてミステリーを踏襲しているが、SFなので後半で裏切られるので注意。「クラッシュ」、「ハイ・ライズ」、「殺す」などが気に入った方にはお薦め。


パーフェクト・キル A.J.クィネル:集英社:695

 イギリスで起きたパンナム機爆破事件を基に書かれた冒険小説である本書は、妻と娘を殺された元傭兵クリーシーが、孤児に自分の技を伝授して、ふたりで復讐を遂げるという王道のストーリーだ。なかなか細部に工夫をこらしているので飽きない。なかでも主人公の後援者であるアメリカ人議員を護る、諜報員仲間によるアラブゲリラに雇われたマフィアとの戦いのあたりはよく書かれている。しかし血の繋がらない親子関係がどうも不自然に見えるのは、主人公の弱さが見えないところではないだろうか。でもよく書けてます。






ブラック・ホーン A.J.クィネル:集英社:645

 不屈の元傭兵クリーシー・シリーズの第4弾。今度はジンバブエの密猟と香港マフィアが主題だ。ふたつを結ぶのは水牛の角。クィネルの人物は復讐に血道を上げるので、重要な人物がすぐに死ぬ。行動のきっかけや感情移入する人物の強さに欠けるために盛り上がらない。戦闘シーンも平板だ。それでもコンパクトにまとまっているためにシリーズとしては読める。








ざぶん 文士放湯記 嵐山光三郎:講談社:1,900

 博識強覧の筆者が、湯というキーワードから近代小説の発祥をみたらどうだろうとして書いた連作小説だ。硯友社から夏目漱石まで人と温泉のつながりで描いた文士モデル劇といったところで、ある程度近代文学に興味のある人は楽しめます。









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