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エッセー



アホでマヌケなアメリカ白人 マイケル・ムーア:柏書房:1600

  アメリカには昔から、ユーモアエッセーという分野がある。いわゆるちょっとイイ話だ。新聞・雑誌のコラムニストが書いたり、著名人のものもある。本書もその位置付けだろう。著者はユーモアの棚に並べるなと言ってはいるが。実用書でおなじみの書かれていることを実行するにはどうしたら良いかについても懇切丁寧に書いてある。いまの政策に不満ならば、ともかく民主党の議員に連絡しろ、果ては大統領選挙に立候補しろまでやはりユーモアをもって書かれている。

 アメリカにおける希少種である左翼を公言するドキュメンタリー映画作家である著者は、2000年の大統領選挙では第3の候補、ラルフ・ネーダーのスタッフだった。70年代から企業告発をしていたネーダーは、著者の師匠(でも一度はクビにされた)。結局、大統領はブッシュとなり、あんなことやこんなことになっている。

 でケチョンケチョンに貶したらブッシュ政権から発禁されそうになったり、911があったりもしながら、宣伝もしないのに売れてしまったらしい(ここらをもっと強調して売ったほうがいいのにね、日本版はユーモアも半端だ)。ブッシュ個人について、あなたはアル中か?失語症か?コカインをやっていたか?と公開書簡を出したり、政権のスタッフがいかに企業の利益を代表しているか、彼らの会社役員歴を書き、クリントン政権の置き土産のさまざまな社会保障法案を数ヶ月で廃案にしたかを羅列する。非常に鬼気迫るものがあるね。ただ語り口がユーモアだからね良い。日本でも同じ事をしたら面白いだろう。濡れたモップ髪の首相はなにをやったのかとかね。

 この種の現代風俗本はできるだけ細かい訳注があったほうがおもしろい。固有名詞はもちろん、社会システムの比較紹介や統計、貨幣価値の換算も必要だと思う。いまひとつ誰に読ませたいのかわからなかった。楽しい本なのに。
 


追悼の達人 嵐山光三郎:新潮文庫:819 

 陰気臭く黴臭い古本や雑誌に囲まれ、人様の告別式にこそこそと現われて聞き耳を立てる。そんな居心地の悪さと死人は反ばくはしないという極めて当たり前な事実に基づいて、書かれた近代文学文壇を別の角度から光を当てた作品だ。まさにアカデミズムには書けない著者ならではの独壇場だ。

 

 

 


 


生きるよすがとしての神話(キャンベル選集 2)  ジョーゼフ・キャンベル:角川書店:1940

時を超える神話(キャンベル選集 1)

野に雁の飛ぶとき(キャンベル選集 3)

角川から出ている3冊のうちでは「生きるよすがとしての神話」が一番まとまっているので読みやすい。特に仏教の解説が非情にわかりやすく目からウロコが落ちる状態になる。これを読んでからインディアン神話やギリシャ神話に飛んで行くのが良いだろう。

ここで紹介される仏教と神話の関係はアジア人には馴染みのものであって、それを再認識するのにも良い、そこには仏教世界の豊かさがキリスト教文化圏の作者から丁寧に説明される。作者も仏教世界に深く共鳴しているし、講演をまとめたものなので内容がこなれている。
 

 


情報エネルギー化社会 現実空間の解体と速度が作り出す空間 ポール・ヴィリリオ:新評論:2400

 本書は著者のものとしては古く、またインターネットの普及前なので、その記述はもちろんない。湾岸戦争からの考察に多くが費やされている。そこにはメディア化による情報操作の歴史が書かれている。
 「メディア化はコミュニケーションの対極にある」という発言にあるように、メディアに対面して情報を多く取得すればするほど、コミュニケーションとして人と向き合うことが少なくなると言う。
 実はインターネットやメールはコミュニケーション・ツールのように思えて、実はメディア化のツールではないだろうか。作者の定義するメディア化の進化の形としてはそう分類するしかないと思うのだが。メールなど相手に電話すれば済むことなのに、メールにするのは、コミュニケーションをメディア化しようとする心理の流れではないだろうか。深層にはコニュニケーションは成立しない、ただメディア化することによってしか、人とは繋がりあえないという、ねじれた想いがあるのだろうか。うーんよくわからん。
 
 
 
 
 
 


武満徹著作集3  遠い叫び声の彼方へ 時間の園丁 夢の引用  新潮社:5000

 この人の映画作曲家としてのデビュー作は『狂った果実』。やたら映画が好きでかなりの本数を観ていたらしい。映画について岩波の「世界」で連載されていた記事があるが、直感的にわかっているのだが、言葉にすると硬直したものになる文章がある。1980年頃のものだが、蓮実用語が使えたらもっと自由になれたのにねといまは思う。
 かれの映画作曲の考え方は、音楽を付けていくのではなく、音を減らして行く。セリフや現実音を生かし音楽が邪魔しないようにするという。ワカッテイルではないか。
 すべての通俗性を廃し、何をか生み出そうとして行くかれの文章はやさしい。しかしどこかで戦後日本作曲家の代表となり、政治的発言を繰り返さねばならない部分があったのだろうとは思うが、そういう発言はつまらないのが多い。
 残念なのは小沢征爾型というよりは大江健三郎型に分類されてしまうことだろう。文章を観読む限りはワカッテイル人なのだが、かれも冷戦以降を乗り越えられなかったのだろうか。
 
 


小沢昭一的東海道ちんたら旅 小沢昭一 宮腰 太郎:新潮社:629

 東海道も‘のぞみ’で行けばわずかに2時間。しかし天下の偏屈モノ小沢氏は各駅停車で参ります。名所はパスして脱線して忘れ去られた歴史や伝説の跡を巡ります。もちろんアッチの方面の名所旧跡も忘れずに。旅のお供に鉄道唱歌と古い東海道のガイドブック。お馴染みラジオの小沢昭一的こころ活字版。クスリと笑わばまた楽し、ワハハとなれば電車内では気味悪がられるのでご注意あれ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


小沢昭一的流行歌・昭和のこころ 小沢昭一 大倉 徹也:新潮社:1,700   

 藤山一郎にはじまりひばりに終わる昭和の歌。湿っぽい理屈の唄は歌いません。いまやただただ明るいこんな唄は無いとは言いませんが、気軽に口ずさむという感じじゃありませんな。灰田勝彦の野球小僧なんて名作だと思うんだけど。プロ野球も大リーグの真似して“TakeMe Out To The BallGame”ではなくこの曲をぜひ7回裏の攻撃のときに流して欲しいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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