評論

「こころの時代」解体新書 
香山リカ:創出版:¥1,500
 雑誌「創」に連載されていたもので構成されているが、この時代の早さでは、手を入れないと話が陳腐化していく。17才の問題も早くも風化してしまう。その場合、マッチ・ポンプ的にあるいはワイドショー的にコメントとも取れる文章を発表していくことが良いのか疑問だ。
 メールマガジンもずっと購読しているけど、作者本人が自覚的であればあるほど、この手の問題は目の前の現実に役に立たない。
 そこが80年代に出てきた人の弱点なんだけどねえ。ようするに本業と副業を使い分けようとして、みんな現実に玉砕してるんだよね。オウムと中沢新一とか、湾岸戦争といとうせいこうとかね。
 彼らの問題はメディアを使って何人かに影響を与えたにも関わらず、それをなかったことにして結局アカデミズムに逃避していることだ。なにもそれについて作品やアンサーとしての評論、一冊の本さえ(コメントでも良いが)出してないことだ。
 「それは、頼まれた仕事で、本業の私には関係ない」と言ったって、現にメディアを使い、今もこれからも使い続けるだろうに。
 香山氏も「私、困っているんです」女の子的なスタンスはみっともないから止めて、香山リカとしてのきちんとした著作で答えを出すべきじゃないだろうか。



サバービアの憂鬱
大場正明:東京書籍:¥3,300
 大体、日本の犯罪パターンは、アメリカの10年遅れだと考えて良い。なぜならアメリカ型都市づくりが日本に10年遅れて入ってくるからだ。
 本書では、郊外という言葉をキーワードにして、映画の中の郊外に暮らす人の感情、生活の移り変わりとアメリカ社会の変遷を読みとっている。アメリカンドリームであった郊外の一戸建て。電化製品、車。新たな社交世界。
 それを守ることが目的となり、脅迫観念になっていく。『シザース・ハンド』はそこら辺うまく描いている。(ティム・バートンも郊外出身だ)。これを読むと映画の見方もちょっと変わる。


放談の王道
呉智英・宮崎哲弥:時事通信社:\1,500
 50代、30代の評論家の対談だけど、刺激は少なく、互いに議論としての突っ込み方が中途半端なのでテキストとしても物足りない。注釈の付け方もいまいちなので、せっかくの対談が拡がりが足りない。しかし、最近やっと世間で出てきた「立花隆は一流知識人か?」、「脳死判定の是非」などの問いかけは面白い。でも意見の対立や立場の違いがあんまり出てこなかったけどね、そこが残念。


新世紀の美徳 ヴァーチャル・リアリティー
宮崎哲弥:朝日新聞:¥1,700
 ラディカル・ブッディストと彼は自分を定義する。そう、西洋的価値観が蔓延するアホ戦後民主主義の世界で、歴史的視点から評論活動するためには、自らの定義からし直さなければならない。そこで、東洋哲学の基準として仏教を選んだ。だから彼は脳死を認めない。人間をモノとして扱わない。そのあたりの“ずれ”の感覚を、非常に大切にしている。本書は、採録が多い彼の著書の中では、きちんと一冊の流れになっている好書であり、いま読む価値のある本だ。


情報化爆弾
ポール・ヴィリリオ:産業図書:¥2,100
 いま邦訳で読める本で一番刺激的な哲学書を書く著者の最新作。なんでそんなに買うかというと、まず冷戦の消滅によって、ほとんどの思想はダメになった。かろうじて資本主義を語ったジャン=ボールド・リヤールも、湾岸戦争でミソをつけ、インターネットに対応する事ができなかった。なんか言えそうなドゥルーズは投身自殺しちゃったし、アメリカ的価値観の前に立ちはだかる人はもういないかと思われたんだけど、ヴィリリオは違った。
 それは、彼が都市計画者であり、戦争テクノロジー、映画=アメリカ=テクノロジーについても考察していたからだ。「速度と政治」 「純粋戦争」 「戦争と映画」「電脳世界 最悪のシナリオへの対応」と著作を見ても、一人勝ちのアメリカについて、アメリカはどこまでもフロンティアを求め、地理上のフロンティアが無くなって、ヴァーチャル上のフロンティアを目指している。と指摘する。
 インターネットについても「歴史は現地時間(ローカルタイム)の消滅とともにその具体的な基礎を失ってしまった」と、距離・時間の喪失によってもたらされたことが何かを告げる。またアメリカの新しい地政学について「90年代のはじめ頃から、ペンタゴンでは戦略地政学は地球を手袋みたいに裏返しにすると考えている。」と述べて、世界認識の変化を指摘している。
 また「<グローバルなもの>とは有限世界の内部のこと<ローカルなもの>は外部、周縁に位置づけられる」と「民生化された軍事目的の情報ネットワーク」=インターネットおよびGPSについて定義する。
 また、機械による、自殺装置や、クローンの是非については、「無実な科学者などいない。精神分析学は問題を解決せず、問題を移動させるだけで満足している、とはよく言われたことである。技術・産業の進歩についてもおなじことが言えるだろう。」と産業、効率によって失われようとする倫理性を訴える。
「セックス=文化=広告」の加速度的意味あいの変化を捉え「広告は十九世紀には単なる製品の宣伝であり、二十世紀になると欲望を喚起するための産業的広告となったが、これは二十一世紀には純粋なコミュニケーションとなるだろう。そして、地球上の可視的なるすべてを包括した地平線全体に広告空間がひろがることを要求するだろう。」と予言する。まだまだ引用をしたいけど、21世紀について考察するには、一番の書だと確信します。


だいたいで、いいんじゃない。
大塚英志 吉本隆明:文藝春秋:¥1,238
 なんの刺激もない企画意図が不明な本。一冊の本にするほど内容がないな。対談時間も少ないと思うし、ヨイショのし合いで、大塚英志の宣伝本って感じ。別に保守になりましたって宣言しなくても良いのに。逃げ道の確保(言い訳)としての吉本隆明かもしれないけど。